433 宿で聞いた噂
「お、看板があったぞ、ここからまっすぐ行った先に宿があるってよ」
「勇者様、この道はまっすぐしか行けないの、そういうときには看板に表示されている距離を見てちょうだい」
「……すまん、もう遠くて見えないや、リリィ、どうにか読んでくれないか?」
「見えるけど字が難しくて読めませんっ!」
「ダメだこりゃ、よし、諦めてこのまま進んで行けば良いさ、残りの距離がわかったところで、それが短縮されるわけじゃないんだからな、道が合っていてこのまま行けば着くという情報だけで十分だ」
距離を見逃してしまった宿屋の看板が遠ざかっていく。
だがこんな寂しい街道でも、さすがに『直進300km』などという田舎のショッピングモール的なことはしてこないはず。
そのくだらない表示をすることで有名になるようなこともなければ、それを見て行ってみようと思う旅人もまず間違いなく居ないのである。
そういうのはもっと移動手段に余裕が出た時代に行われる一種の話題づくり、それ以外に用途があるとは思えない。
「しかしアレだな、この道はどうしてこんなに馬車が通った跡があるんだ、本当にこの先には何もないのか?」
「う~ん、メインの道を行けば旧聖国領だけど、今はもうそんな所に用がある人なんて、せいぜい残党狩りの王国軍ぐらいのものよ」
「一応人は通っているのか、だがそれにしたって食糧は持って行くはずだし、明らかに商人の通った痕跡があるのはどうかと思うんだよな……」
ここまで他の馬車とすれ違うことなどなかったのだが、それでも荷物を満載にしたと思しき馬車の軌跡、また誤って落下したと見るのが妥当な商品らしき陶器の破片。
しかもそれは真新しいものまで、明らかについ最近、というよりも数日前にここを通ったとしか考えられない証拠品がいくつも残されているのだ。
宿に着いたら聞いてみよう、どういう属性の人間が、何を目的としてこの意味のない道を往くのか。
もしかすると凄いビジネスチャンスが……いや、その類であったとしたら茶を濁されて終わりであろうな……
「あっ、お~いっ! 宿が見えたようだぞ~っ!」
「お、ほら近かったじゃないか、距離なんて確認するまでもなかったんだよ、どれどれどんな宿で……巨大じゃねぇかっ!?」
「あらっ、本当に凄い宿……じゃなくてもうホテルとか旅館とかって規模ね、高級感も凄いわ」
「さぞかし料金が高かったんだろうな、なぁマリエル、凄いスウィートルームなんだろ?」
「……いえ、大臣曰く激安だったので決裁の判を押したと」
「ん? 何かの間違いなんじゃないのか、料金表の金貨と銀貨を読み間違えたとかな、まぁ良いさ、高額請求で目玉が飛び出てショックで寝込んで衰弱してくたばるのは俺達じゃない、あのケチババァなんだ」
「確かにそうですね、何かの間違いなのかも知れませんが、予約してしまった以上ここに泊まることとしましょう」
どういうわけか見えてきた高級ホテル、掲げられた看板から、間違いなく俺達が宿泊する予定の宿だということが確認された。
壁は綺麗に揃えられた赤茶色のレンガ、入口の階段はピッカピカに磨き上げられた大理石。
しかもそれが3階建てときた、もしこれが王都にあったとしても、ちょっとしたランドマークぐらいにはなる規模である。
しかしどうしてこんな腐ったような田舎の森の中に、このような高級ホテルが存在するのだ?
やけに人通りが多い分儲かっているのかも知れないが、それでもここまでの巨大建造物を維持出来るとは思えない。
まぁ、この宿屋の店主というか社長というか、それか周りの人間が何か悪いことをして、莫大な金を稼ぎ出しているという可能性もあるが、そうであればここまで派手に金を使ったホテルを建造したりはせず、もっとコソコソと生きているはず。
となるとやはり儲かっているのであろう、ぜひその秘訣を聞きたいところだ。
「勇者様、もう馬車から降りる準備をした方が良いわよ、いくら高級な宿だからって、ポーターが荷物を運んでくれるとは限らないのよ」
「おっとすまんすまん、ちょっと考え事をしていてな、じゃあ荷物をまとめておくか」
こうして宿に到着した俺達は、部屋に持って行くべきものを全てまとめて馬車から降り、高級感漂うホテルの入口を目指した……
※※※
「へ~い、いらっしゃ~い……」
「あの~、予約していた勇者パーティーなのですが」
「あ~勇者パーティーね、国の方から金は貰っているよ、部屋はえっと……あぁ、2階の隅っこだ、風呂とかもあるし、あと何だっけ、とにかく色々あるから、適当に使ってくれて構わんからね」
「はぁ、ありがとうございます」
「は~い、ごゆっくり~」
とりあえずフロントでチェックインを済ませる、ここでわかったことはひとつ、このホテルは元々こんな姿であったわけではない、何らかの理由で急激に業績を伸ばし、あれよあれよという間にこまで巨大化したのだ。
その根拠はフロントの小汚いジジィ、どうやらオーナーのようだが、ついこの間までは単なる旅の宿のオヤジであったはずだ、接客態度がホテルの格にまるで付いてきていない。
というかむしろ、このホテルがさらに業績を伸ばすためには、この薄汚いジジィをどこかの山や谷にでも捨てて、綺麗なお姉さんをフロントに据えるのが最も手っ取り早い改善だということを声高に主張したいところだ。
そんなことを考えている間に仲間達は階段を登って行く、向かうべきは2階のの角部屋……四隅に角部屋があってどれを指しているのかわからないのだが。
とりあえず四隅の部屋にそれぞれ鍵を突っ込んで回してみる……全部開いてしまったではないか、どの部屋の鍵も同じなのか、セキュリティがガバガバなんてもんじゃない……
「おいおい、これ普通にやべぇんじゃねぇの?」
「確かに自分が借りた部屋以外で鍵を回してみることはないと思うけど、いくら何でも全部一緒はないわね」
「酔っ払って部屋を間違えたら入れるってことだよな? 恐ろしいにも程があるぞ、あ、ちょっとミラ、フロントへ行ってどの部屋が正解なのか聞いて来てくれないか」
「わかりました、まぁ『どれでも良いよ』という答えが帰ってくるのは想像に難くないですが……」
一度下へ降り、フロントに向かったミラはすぐに戻った。
やはり『角部屋であればどこでも良い』らしい。
俺達の到着が他の客よりも早かったためだとは思うが、あのジジィの感覚は、突然訪れた旅人に対して適当に開いている部屋を宛がう、汚らしい宿の主人そのものの対応である。
だが対応がどうあれ、部屋自体が恐ろしく高級であることだけは疑う余地がない。
真新しいピッカピカの部屋に、広いベッドがいくつも並んだ巨大な部屋、風呂はなんと『魔導ジャグジー付き』、もう異世界とか関係なく何でもアリだ。
ちなみに掃除やベッドメイキングは主人が自分でやっているわけではないようで、かなり行き届いたプロのサービスが施されている。
きっと午前中には頭に三角巾を装備したおばちゃんが何人もやって来て、前の客の痕跡を全て消し去っているのであろう。
迷惑な客はそれそのものを消し去っているかも知れないが、さすがにここでは殺していないはず、壁に飾られた絵画の裏にも『悪霊退散のお札』的なものはないし、安心して眠ることが出来そうだ。
「あ、それと勇者様、さっきフロントへ行ったときついでに聞いてきたんですが、夕飯はもうしばらくしたら部屋に運んでくれるそうです、ちゃんとシェフだか何だかって名前の人が付いて色々焼いてくれるそうで」
「ほう、目の前で肉や野菜なんかを焼いて提供してくれるんだな、たぶん向こうのスペースでやるつもりだ、俺達の荷物を退かしておくぞ」
部屋に運び込んだ荷物、ホテルの高級感に似つかわしくない、ボロボロのバッグや冒険用着などだ。
これからシェフと呼ばれる方がいらっしゃるのにこれを見える状態で、しかも邪魔な場所に置いておくのは拙い。
汚い荷物をすぐに片付け、というよりもやたらとベッドの下に押し込む術を用いてスペースを空ける。
ついでに風呂にも入っておくべきだな、シェフと相対するには、そもそも清潔でなくてはならないのだ。
このままでは出会って早々消毒液をぶっ掛けられそうな感じだからな、それと服装も寝間着の方が遥かに清潔だ、シェフがどのような人物なのかはわからないが、こちらでも出来るだけのことはしておこう。
それが『高級』に対して俺達が応じることの出来る精一杯の返答なのだから……
※※※
「ふぅ~っ、風呂も広くてなかなかだったな」
「まぁ王都の屋敷や拠点のセカンドハウスには劣るけど、温泉目的でない旅先でこれなら十分ね」
「はっはっは、セラは贅沢さんだなっ」
「あら、これからもっと贅沢なお夕食を、何の苦労もせずに頂くことになるのよ、おっほっほ」
「……勇者様、お姉ちゃん、台詞だけ高級感を出しても、中身が伴っていないのでキモいだけですよ」
『すみませんでした……』
風呂に入った俺達は、既に腹を空かせて騒ぎ出している何人かをどうにか抑えつつ、夕食の到着を待った。
しばらくしてノックされる部屋のドア、どうぞと言って中へ通すと、運び込まれたのは上面に大理石が設置されたコンロ。
それを運ぶ係員の後ろから、白衣のような何かと長い帽子を装備した1人の男、シェフだ、遂に俺達の所にも高級シェフがやって来たのだっ!
「え~、お待たせ致しました、本日のメイン料理はこちら、王国牛A5万ランクの脂滴るステーキと、新鮮取れたて秋野菜のソテー、それからその辺の川で取れたテナガエビの焼いたのになります、もちろん食べ放題ですので、食欲旺盛な育ち盛りのお子様にもご安心頂けます」
『あ、ありがとうございます……』
地味に緊張してしまったのだが、良く考えたら俺達は王国の要請を受けて、王国の費用でここに泊まっているVIP客ではないか、もっと堂々としていなくてはなるまい。
そうだ、ついでにこのホテルの繁盛の理由、それから昨日の夜遭遇した森を彷徨うゴーレムについて、何か噂めいたものがないかなど、雑談ついでに聞いてみることとしよう。
幸いにもシェフの仕事は料理パフォーマンスだけのようだ、その他の雑用は係員として登場した『見習い①~見習い③』が勝手にやっているため、シェフの手の休まる暇がないなどということは考えにくい。
こういうサービスを受けている最中にそんな話をして良いのか、マナー的には大丈夫なのかということに関してはまるでわからないのだが、どこかのタイミングでさりげなく切り出せばどうにかなるはずだ……
「え~、ではまずお野菜から焼いて参ります、本日は肉食の方が2名様いらっしゃるとのことですので、そちらは最初からステーキを提供させて頂きます、お二方、お肉の焼き加減は如何致しましょうか?」
『生でお願いしますっ!』
「……うわっ、俺もう居る意味ねぇな……いや、失礼しました何でもございませんでは表面だけカリッとあぶってのご提供とさせて頂きます」
『はーいっ!』
シェフを前にしてあり得ない発言をしたカレンとリリィ、恥ずかしくて仕方ない。
だがお陰でシェフの本来の人間性が垣間見えたのである、高級感を全身から醸し出しつつも、中身は普通に暮らして普通にドン引きする、普通の小洒落たおっさんなのである。
しかしこれなら少しは話し易いはずだ、まずは料理の方を頂き、フランクな感じで話し掛けることとしよう……
「はい、カボチャとニンジンが焼き上がりました、味がしっかりしてございますので、まずは何も掛けずに、次はお塩のみにてご賞味下さい」
「ありがとうございます……うんっ、これは甘くて上品な(どうのこうの)、実に素晴らしい食材ですね、昨日森の中で食べた缶詰の湯で野菜とは雲泥の差、あ、そうでした、実はこの周辺の森に関して何か噂のようなものを耳にしませんか? 特に何か巨大な人のようなものが居るとか居ないとか……」
「ほう、噂ですか……うむ、私はこの地域の人間ではございませんので詳しく存じ上げているわけではございませんが、見習い①君、君なら色々と詳しいかも知れませんね、少し話を聞いてみては如何でしょうか?」
唐突に、しかも我ながらわざとらしいと思える方法で、まずは昨夜森で出会ったゴーレムの情報を得ようとした俺に対し、シェフは代役を立てつつも、それに答える素振りを見せてくれた。
作業を他の2人に任せ、すぐに俺達の下に馳せ参じた見習い①、ちなみに何らかの都合があるのだとは思うが、見習い①から見習い③まで、全員全く同じ、ハンコで押したようなビジュアルをしている。
で、その中でシェフから指名された見習い①、おそらくこの付近の出身なのであろうが、俺達の横で話を始める……
「はいっ! 自分は使えない、いつまで経ってもシェフになれない無能見習いっす! ですがひとつだけ知っていることがありますっ! お客様方の言っておられるのは、たぶん『森の巨人』のことだと思うっす!」
「そうですか、ちなみに見習い①(以下見習いとする)さんはこの辺りの出身で、それは地域に伝わる伝承か何か、そういった認識で良いですか?」
「いえっ! 自分は王都の出身っす! そしてタダの都市伝説マニアっす! だから『森の巨人』の伝説のことも知っているし、その伝説が広まらない理由も知ってるっす!」
「あ……うん、なるほど……それで、その理由というのは?」
「森の巨人に関する噂を官公庁に通報した者は死ぬ、という噂が同時並行的に流れているっす!」
「噂ピンポイントすぎだろっ!? 何だよ官公庁って!」
人に言ってしまった者はとか、秘密を守れない者は、とかならまだわからなくもない。
この世界の誇る不思議パワーを持ってすれば、夜な夜な枕元に巨大ゴーレムが、などという状況で呪いの対象者が衰弱、最後には殺されるようなことが起こっても不思議ではないのだ。
だが『官公庁』、お前が入っている時点で妙に胡散臭くなってしまうではないか。
きっと悪戯で噂を流した者が、それが広まると共に軍や役人が出動するような大事になってしまうのを恐れて流した追加の嘘なのであろうが、不自然さがMAXどころの騒ぎではない。
その場はまたまたご冗談をなどと返して切り抜けたのであったが、見習いの目は真剣そのもの。
これは完全にその都市伝説を信じ切っている目だ、見習いがヤバい奴であることは間違いない。
というか、こんな奴がもしシェフになったとしても、その語りを聞きながら食事をするのは絶対にイヤだ。
きっと宇宙人だのUMAだの、話半分でしか聞くべきでない事柄について、証拠にならない証拠をいくつも並べ、非論理的な解説を展開してその実在そアツく主張するに違いない。
そうなるとこの見習いは、シェフに昇格することなく見習いのまま一生を終えるのが望ましいな。
などと良からぬことを考えていたものの、焼き上がった次の料理に感動したことによってすべてを忘れてしまった。
さすがA5万ランクの牛肉だ、ほぼほぼ単なる牛脂じゃねぇか、だがほのかな甘味があって実に美味である。
その後は美味い酒も出て大満足の夕食であったため、この宿の繁盛の理由、そしてこんな寂れた街道を多くの人が行き来する理由などは聞かずに終わってしまった。
ここまでの疲れも祟って食後は眠気を覚え、すぐにベッドで横になる。
いつの間にか目を閉じ、そのまま朝を迎えたのであった……
※※※
「……ん~っ、何だか騒がしいな、朝っぱらから何があったというのだ?」
「下からです、たぶん1階じゃなくて地下とか? とにかく何か大騒ぎですよ」
「何だろう、カレンが昨日食べ過ぎたから、追加料金を請求しようとしているんじゃないのか? 金貨5万枚ぐらいな」
「ひぇぇぇっ! 私そんなに払えませんよぉ~」
突拍子もない嘘に騙されてしまったカレンは置いておくとして、やはり騒ぎの原因が気になって仕方ない。
朝食も運ばれてこないし、少し様子を見に行ってみよう。
ということで、同じく気になっていた様子のセラと連れ立って下へ降りる。
騒ぎはカレンの予想通り地下の従業員ルームからのようだ。
俺達がフロント付近に到着したところで、昨日のシェフが慌てて階段を駆け上がって来た……
「おはようございます、えらい騒ぎですが何かあったので?」
「えぇ、お客様にこんな話をして良いのかどうかというところなのですが……昨日お話のお相手をさせて頂いた見習い①君なんですが……今朝方突然に逝去致しまして……」
「……!? まさかシェフ見習いなのに悪いものでも食べたとか?」
「いいえ、当ホテルの宿泊者様全員の朝食を準備している最中、突然苦しみだしたと思ったら口から泡を吹いて手足すべての指があらぬ方向に曲がったうえで爪は剥がれ、そして全身の皮が……(お伝え出来ない内容です)……と、そこで人体発火現象によって完全に死亡致しました」
「いや壮絶すぎでしょ、何があったというんですか?」
「さぁ、私にもサッパリ、まぁ正直なところあの使えないクソ……じゃなかった彼は見込みがありませんでしたから、ただの給料ドロボウを続けるよりは苦しんで死んでくれた方が遥かにマシ……いえ、私は殺害などしておりませんよっ!」
「使えないクソだったんですね……」
「はい、それはもう無能で……」
そんな奴であったのなら死んでくれて万々歳、いや、そのせいで俺達の朝食が遅れてしまったのだからダメではないか。
あの見習いめ、死んでまで人様に迷惑を掛けるとは、きっと今頃は昨夜話していた都市伝説の呪いで地獄を彷徨って……いや待てよ、確か森の巨人の伝説は『官公庁に通報すると死ぬ』であったな。
ヤバい、この突然死事件は俺達のせいなのかも知れない、俺達勇者パーティーそのものも独立した国の機関として活動しているし、マリエルに至っては『王女』という行政庁に他ならない。
つまり、見習いは俺達に森の巨人の話をしたことで、官公庁に噂の通報をしたという判定を受けてしまった可能性がある。
だがもしそれが事実だとして、そんなくだらない噂が効力を発揮……いやその前提が間違いだ、森にゴーレム、つまり見かけ上の巨人が実在した時点で、その都市伝説は根も葉もない噂とは言えない。
これは、もしかしたらというかもしかしなくとも、実に厄介な事案に巻き込まれた可能性があるぞ……




