377 温泉旅館へ
「……じゃあさ、敵が何者なのか、どこからどういった感じで、どのぐらいの数が攻めて来るのかとか、全くわからないってことだな」
「そういうことになります、石版の伝説では『異種族に滅ぼされる』という記載しかないもので……」
とんでもない話である、ここの連中は単に『伝説にある事象が発生した』というだけで、それ以外のことはほとんど知らずに怯え、唯一知り得た情報である『異種族』に対して攻撃的な態度を取ったというのだ。
何を考えているのやら、確かに空が瘴気に包まれたというのは恐怖すべき事柄なのかも知れない。
だがそれを、その事実だけを基準にして行動し、追加的に何かを考えようとしないのは愚かである。
「で、敵に関する調査は始めているのか?」
「全く進んでおりません、家臣団とその件について相談しようと思ったのですが、全員が不要だと、ただ窓に木の板でも打って隠れておけば良い、そう主張して逃げて行きました」
「……異種族よりもその能無し家臣団の方が怖いと思わないかい?」
「ええ、しかし本人らはもうどこかへ逃げてしまったようなので、今更呼び戻すようなことも出来ず……危機を脱したらまた戻るとは思いますが……」
人々もクズだが、この公爵に仕える家臣連中はより一層クズらしい。
おそらく自分達だけは助かるつもりだ、指示通り窓を塞いで隠れた住民が、異種族とやらに蹂躙されている間、どこか町を離れた場所から事態を見守る、そういう予定なのであろう。
本来ならまず、そういう連中から血祭りに上げていくところだ。
捜し出して引き摺り出し、襲来する異種族を罠に嵌める際の囮として使うのが効率的である。
だが、『敵が何者か』という至極基本的な調査から俺達がやらねばならなないことを考えると、そんな馬鹿共に構っているような暇はない、ということが言えそうだ。
ということでそういう連中の始末は後回し、まずは明日から現地調査を始める方針に決まった。
宿泊場所は公爵家の兵士が使っている詰所、全員を追い出し、来客用の豪華な家具を運び込ませる。
兵士は野郎ばかりなので大浴場も薄汚い、これは今日俺達が使うまでに全力で掃除させよう。
さっさとこの『異種族襲来事件』を解決し、温泉郷の天然温泉に移動するのだ。
「さーて今日からここが臨時の本拠地だぞ……と、ちゃんと厨房もあるな、ミラ、アイリス、今日は馬刺しを切り分けてくれ」
「わかりました、でも勇者様、なぜか女神様が付いて来るのですが……」
「何を言うのです人族の娘よ、今の私はメイドさん、しかもその末席なのです、料理を手伝うのは当然といったところでしょう」
「おいコラ女神、2人の邪魔をしたらタダじゃおかねぇぞ、世界の半分を引き渡すよう請求するからな」
結局女神は2人に付いて行ってしまった。
しばらくして心配になり、様子を見に行ったのだが、どうも後ろから調理の様子を眺めたり、当てもなくウロウロとするばかりのようだ。
というか、今日入ったばかりの新人メイドでももう少し役に立つだろう。
今女神がやっていることは、忙しく動き回るミラとアイリスの進路妨害ぐらいじゃないか。
と、そろそろ夕飯の準備が終わるらしい、食堂に戻っては以前の手伝い班を募集しよう……
※※※
『はいっ! いただきまーっす!』
夕食は『カミウマッ!』の馬刺しを中心に、公爵の屋敷からかっぱらってきた肉や野菜、それから詰所においてあったクソみたいに安い酒だ。
窓の外からは追い出された兵士達が、恨めしいと言わんばかりの表情でこちらを睨んでいる。
鬱陶しいのでカーテンを閉めてしまおう、ついでに『騒いだら殺す』との張り紙もしておこう。
「何だこの酒はっ!? 工業用アルコールが10点ならマイナス5万点ってとこじゃないかっ! 誰が好き好んでこんな酒を飲むのだっ!?」
「馬のションベン以下だわ、普段からこんなの飲んでるなんて、ここに巣食っているゴミ共は本当に人間なのかしらね?」
「たぶん違うぞ、ミドリムシかボルボックスの類だ、光合成する」
「あら、だからこんなに薄汚い部屋で食事をしているのね」
「おいおい精霊様、汚いんじゃない、『異常に富栄養化している』と言ってやれよ」
「あらごめんあそばせ、でも臭っさいのは事実だわ、きっと体臭が壁紙に染み付いたのね……」
いい加減なことを言いつつ窓の外の連中をディスる、だが襲い掛かっては来ない、束になっても俺達に勝つことが出来ないということぐらいわかっているのであろう。
悔しかったら攻撃してみやがれ、もっともその場合には、お前等が忌み嫌っている獣人のカレンや、魔族であるマーサが相手になるのだがな。
もちろん死なない程度に痛め付け、最後も魔族である悪魔3人娘による残虐処刑だ。
そして、これが不当でも何でもなく、この場に居る女神公認となるのだからより笑える。
殺されながらやいのやいの叫ぶ最中、姿を現した女神によって、自分達が圧倒的な悪であること、そして救う価値など見出せず、ただただ苦しんで死ぬべきであると告げられたときの表情を早く見たい。
まぁ、それをやるのは最後の最後だな、まずは迫り来る『異種族』とやらの討伐だ……
「しかし女神様、いつまでそのような格好をされているおつもりですか?」
「人族の王女よ、私はこれが気に入っているのです、まぁどうしてもやめてくれというのであれば、プライベートの時間に限定して着用することとしますが」
「プライベートで着るもんじゃないだろそれっ! とはいえアレだな、そんなのを着ていれば女神だとバレることはなさそうだし、『ご威光』を晒して調子に乗るときの効果が高まりそうだな」
「勇者様、それはどういうことですか? 女神様のご威光は現に……」
「それは俺達が女神を女神と知っているからだろ、ここや周辺町村の連中はそんなこと知りもしないんだ。で、その連中はどうだ? 偉そうにするだろう? メイド風情がどうのこうのと。だがそう言ったところで大立ち周りを演じてどうのこうのしてだな、最後の最後で身分を明かし、モブキャラどもがへへーっ! みたいな感じで凄くアレなんだよ、わかるかマリエル?」
「いえ、話が長い上にイマイチ何を主張したいのか理解出来ませんでした、というか意味不明です」
「ふんっ、理解力が不足しているようだな」
この場で俺が言いたいのは、45分で終わる時代劇のラスト10分程度をやりたい、たったそれだけのことだ。
だがそういう番組など存在しない異世界において、そのテンプレの感じを伝えるのは非常に難儀なことである。
とはいえ賢いジェシカや精霊様などはだいたい理解している……いや、あの顔は呆れているときのものか。
とにかく馬刺しは美味かった、さすがは『カミウマッ!』である、何だか知らんが味だけは良いようだ。
夕食を終えた俺達は、そのまま明日以降の行動に関しての作戦会議を始める……
「んで、明日からまずはどこで色々と探ろうか?」
「ご主人様、温泉が良いです、温泉がある場所で敵もついでに探しましょう」
「ルビアの意見に賛成の人……はい、賛成多数により可決しました」
速攻で全員の手が上がった、やはりさっさと温泉に入りたいという気持ちは皆同じのようだ。
つまり、調査をするにしても温泉ありき、うむ、温泉郷もこの都市群の1つなのだし、そこを中心に調査を進めることとしよう。
しかし敵を探す前に『住民』の姿を探さねばならなさそうだな、どうせこの町と同じように、窓に板を張って隠れているのだ、それを中から引き摺り出し、詳しい話を聞く必要がある。
最悪ぶん殴ってでも……いや、それだと片っ端から死んでしまうな、首がぶっ飛んだりしない程度に、優しくボコボコにしてやろう。
何はともあれ作戦開始は明日だ、今日はこの汚い詰所で寝るとしよう、仕方なくだがな。
相変わらず外から注ぎ込まれる恨みの視線、それを意に介さず、俺達は翌日に備えて眠りに就いた……
※※※
「やぁ、おはよう兵士諸君、何だか目の下がクマになっている者が多いようだが、昨夜は悔しくて悔しくて、そして外の空気が冷たくて一睡も出来なかったのかな?」
唇を噛み締めたような状態で固まる兵士諸君、そのうち1人が我慢出来ず、拳を握って前に出る。
ん? やんのか? それならこちらも存分に殺ってやるのだが……と、仲間が止めに入ったではないか。
「やめるんだ、悔しいが、宿舎だけは帰ってきたんだ」
「そ……そうだな、ここは大人の対応をしておくこととしよう、今日からは元通り俺達の宿舎だ」
「あぁ、だが1つだけ元通りではない点がある、見ろあの狼獣人を、それに正体不明のウサギ女だ、奴等がここを使ったということは……」
「おぅっ、なんてことだっ!? 凄まじい抜け毛によって俺達の宿舎は汚染されているということではないかっ! 今日から1週間は消毒をげぇぇぇっ!」
消毒されるのは貴様等である、とっさに炎を放ったユリナによって、前で話をしていた馬鹿2人は真っ赤に燃え上がり、全身を焼かれる痛みに悶絶した後に、力を失ってバタンと倒れる。
後ろに控える仲間の兵士共が、『何てことをしやがる』、『卑劣な奴め』など、口々に抗議の声を上げているようだが、どう考えても卑劣なのは貴様等だ。
カレンはあまり気にしていないようだが、マーサは先程から自分の耳をしきりに撫で、抜け毛を取り払おうと必死になっている、つまり『汚い』などと思われたことを大変気にしているのである。
もちろんカレンにしてもマーサにしても汚いなどということは一切ない。
完全にこの馬鹿兵士共の勝手な妄想だ、そしてそれを正すなどということは到底不可能、であればやることはひとつだ……
「ユリナ、この宿舎はもうスクラップだ、俺達が使って汚れてしまったらしいからな」
「それは残念ですの、でも汚いのなら仕方がありませんわ、消毒しますのっ!」
2人の兵士を燃やし尽くしたのと同様に、今度は昨晩大変お世話になった宿舎に向かって火魔法を放つユリナ。
もちろん食糧は全て消費済みである、燃えてしまってもったいないのは、公爵の屋敷から拝借した高級な家具だけだ。
だが、そんなもの馬車に積んで持って帰るわけにはいかない、つまり俺達の物にはならないのだ。
価値は高いが手に入らない物、それが意味するのはくそったれである、燃えてしまってざまぁみろとも言う。
で、その家具は良いとして、自分達の住処である宿舎、そして持ち込んでいたはずの私物に火を掛けられた兵士共の反応は、それはもう絵に描いたようなテンプレート反応であった。
『あ……あぁ……あぁぁぁっ!? 俺達の宿舎がぁぁぁっ!』
「いやぁ~、汚してしまって申し訳ない、だが詫びの印として滅菌しておいたから安心してくれ、火魔法の燃焼温度はかなり高いらしいからな、全てが灰になるまでそう時間は掛からないはずだ、ということでサヨナラ」
『・・・・・・・・・・』
凄い形相でこちらを睨む兵士共、だが手を出そうとはしない、このヘタレゴミクズめが。
この連中は事案を解決して、温泉を堪能した後に殺しに戻るとしよう。
宿舎を燃やして一旦はスッキリしたものの、やはり仲間であるカレンとマーサを馬鹿にするような発言があったのは到底許すことが出来ない。
ただ、ここまでされて反撃をしようとしないレベルの弱虫ばかりなのである。
ここで死刑の宣告をすれば必ず町から逃げてしまう、そうなると『異種族』とやらの侵攻に際して、闘うことが出来る者が居なくなってしまう。
ゆえにこの連中はこのまま、後程ぶっ殺すということを伝えないままに放置し、町を守るのに一役買って頂こうと思う、まぁ、『異種族』の強さ次第で全く役に立たない可能性もある、というかこの連中の強さではそうなる可能性の方が高いのだが……
「さて、こんな所に居ても温泉はやって来ないぞ、そろそろ出発しようか」
「なぇ、私温泉に入っても良いのかしら? 抜け毛とか大丈夫? 耳と尻尾を何かで覆った方が良い?」
「マーサ、そんなことを気にしていると確実にハゲるぞ、汚くないし、温泉にも入って良いから安心しろ、この俺様が許可するのだから間違いない」
「あら、そうなのね……うん、大丈夫だと信じるわ……」
あんな連中から受けた指摘すらも真に受けてしまうマーサ、これから先はそのようなことがないように努め、自信を取り戻させてやらねばなるまい。
と、まずは温泉郷に移動だ、俺達は馬車に乗り込み、燃え落ちた宿舎と、それからクズばかりのクズ町を後にした……
※※※
「お、あれが温泉郷のゲートだな」
「主殿、入口に誰かが立っているぞ、かなり年老いた男のようで……こちらを見て杖を振り回し始めたのだが……」
「こらぁぁぁっ! 何じゃその狼とウサギはぁぁぁっ! そんな奴等を温泉に入れようというのか貴様等はぁぁぁっ!」
「何だこのジジィ、殺すぞ」
「待って勇者様、殺すのは確定として、この温泉郷での第一の村人なのよ、もう少し話を聞いてやりましょ」
「けどさ……マーサ、聞かなくて良いぞ」
「う、うん、そうするわ……」
馬車を走らせ、温泉郷の入口に到着した俺達であったが、そこでいきなり知らないジジィに絡まれた。
またしてもマーサが余計なことを気にするきっかけを作り出されてしまったではないか。
せっかく馬車の中でニンジンを与えて元気を取り戻させたというのに、これでまた振り出し、いや、先程よりも状況が悪化している。
だがここへきて初めて、兵士ではなく一般人が外に居るという状況なのだ。
この場でぶっ殺すのは簡単だが、もうしばらく、あと一言発せさせてからでも遅くはない……
「全くぅぅぅっ! 伝説の『異種族』が攻め込もうとしているときに貴様等のようなぁぁぁっ! しかも仲間の半数程度が異種族のゴミじゃないかぁぁぁっ! この郷に入れるわけにはいかぁぁぁぬっ! 早々に立ち去れぇぇぇいっ!」
「おいジジィ、てめぇ何の権限があってそんなこと言ってんだ? さっさとそこを退かねぇと轢き殺すぞ」
「わしはこの郷の全権じゃぁぁぁっ!」
「……もう良い、殺して先へ進もう」
「ちょっとまぁぁぁxっ! ぎゃぁぁぁっ!」
やかましく叫ぶジジィを馬車でプチッと殺りつつ、温泉郷の中へ進入する。
入口のゲートには『ようこそぉぉぉっ!』とあるものの、家々の窓には板が打ち付けられ、ネズミ1匹見当たらない。
というか、ゲートの歓迎文的に、あのジジィがこの温泉郷の全権であったのは事実のようだな、惜しい人物を亡くしたかも知れないぜ……
「え~っと、来郷者用の温泉旅館はここからまっすぐ行った所みたいね、看板が出ているわ」
「よし、じゃあそっちへ行ってみよう、さすがにこの状況でも中に誰か居るはずだ、ひょっとすると帰れなくなった他の旅人が滞在しているかも」
「その方が有り難いわね、ここの連中に話を聞くよりも、その辺の行商人とかの方がよっぽど良い情報を持っていそうだわ」
などと期待しつつ馬車を走らせる、途中、窓に打ち付けられた板の隙間からこちらを覗き込むような視線に何度も遭遇したが、それはスルーしておいた、そんなのを相手にしていたら日が暮れてしまう。
しばらくすると温泉旅館に到着する、なぜそれが温泉旅館だとわかるか? 温泉旅館だからだ。
もう『これが温泉旅館だっ!』を体現したような建物、馬車の車窓から見える光景は、そこだけ新幹線の熱海駅にて見える光景を切り取ったが如くである、ただし海はない。
そしてその温泉旅館の窓にも、一律に木の板が打ち込まれ、外には数十人の兵士……アレは傭兵か、が待機して厳戒態勢を取っている……
「止まれ、貴様等は何者だ? この郷の人間ではないようだが、旅人か?」
「ええ、ちょっとこの付近を旅していたんですが、何やらどこも物々しい雰囲気でして」
「そうだろう、外部から雇い入れられた傭兵の我らには良くわからぬが、この辺りの連中は『伝説の異種族』とやらに怯えていてな、貴様等の中にも人族ではない者が居るようだし、相手にされないのは当然だろう」
「は、はぁ……ちなみにここではどうなんでしょうか? もう泊まる所が全然なくて……」
「いや、ここは大丈夫だぞ、今は我ら傭兵団のみが守っていて、郷の人間は全員逃げ出した、とはいってもなぜか窓に板を張っただけなのだが、とにかくここには居ないんだ」
「あ、ではこのまま入らせて頂きます」
「うむ、他の客も居るが、良かったらその連中にも話を聞くんだ、貴様等と同じような感じで困っていたらしいからな、『伝説』とやらについてより詳しい理解が得られるかも知れないぞ」
温泉旅館にはあっさり入ることが出来た、この付近の人間でないという傭兵団の面々はこれから先、この事案を解決していくうえで心強い味方となるはずだ。
そして滞在しているという他の客だ、それもこことは縁遠い地の人間のはず、そしてこんな所で伝説が云々に巻き込まれ、身動きが取れなくなっているに違いない。
となればその伝説についても多少は調べ、この状況を打破して商売などといった自分の目的を達成すべく動いているはず。
こちらもよい情報源になってくれそうだな……と、その連中の靴が玄関付近に放置されている、スタッフは居ないはずなのに整然と並べられて居る辺り、相当に高い教養を持つ人間の集団だ。
「ねぇ勇者様、この人達の靴、ちょっと大きくない?」
「本当だ、小さいのでも35㎝ぐらいあるじゃないか、もしかして人族じゃなかったのか」
「『異種族』の団体だからここへ来ていじめられたのかもね、元々人種差別意識が強い地域みたいだし」
「あれっ? スンスン……ご主人様、この臭いは嗅いだことがありますよ……」
俺にはわからないが、無臭であったと思われた靴の僅かな匂いにカレンが反応した。
嗅いだことのある臭い、ということはこの巨大な靴の持ち主達とは出会ったことが……
「おう勇者殿、こんな所で出くわすとは奇遇だなっ!」
出会ったこと、どころか『準仲間』の連中ではないか、一体こんな所で何をしているというのだ……




