338 頭巾
この間偵察をした地点からおよそ1㎞手前の所までやって来た俺達、このまま進んでも良いが、それだとまた風紀の乱れた敵兵に集られそうだ。
ここで馬車を降りておこう、この先は徒歩で、森の木々に身を隠しながら進むべきであろう。
「よ~し、この辺で停まろうか、あまり敵に近付くとまた馬車に手を出されかねないからな」
「しかし主殿、敵軍の他にも馬を狙う生物は居るんだぞ、一体誰が守るというのだ」
「ん? 何のためにエリナを残したと思っているんだ、当然お留守番のためだろ? と言うことでエリナ、よろしく頼む」
「あまりにも酷いですね……後で何か買って下さい」
エリナには王都スウィーツギフトの購入を約束し、馬車に残らせた。
これで銃後の守りは完璧だ、俺達は敵を討つことに専念出来る。
徒歩で森の中に入り、まずは先日見た敵軍左翼の様子を覗いに行く……あんな事件があったのにあまり変わっていないようだ、一兵卒共がふざけ回っているではないか……
ところで、左翼の指揮官はどこに居るのであろうか?
今のところそれらしき姿は見えないし、雰囲気のあるテントすら設置されていない。
「困ったな、どいつがこちら側の指揮官かわからないぞ、皆、ちょっと変わった奴が居ないか探してくれ」
「上級魔族は何体か居るけどね……あと中央に沢山居たチビオークが3体だけ紛れ込んでいるのはどうしてかしら?」
「チビオークか、きっと知能が低すぎて自分の持ち場がどこなのかすらわからないんだろうな、で、どこに居るんだ?」
「あっちよ、ほらあそこ」
精霊様が指さした方を見ると、確かに小柄なオークが3体だけ、わりと後列に紛れ込んでいるではないか。
というか、なぜか他の連中よりも良い装備(豚用)を身に着け、戦国武将が座っていそうな小さな椅子に腰掛けている。
何だか偉そうだな……というかアレはもしかしてだ……
「なぁ精霊様、あの豚野郎共、もしかするとここの指揮官なんじゃないか?」
「まさか、オークよオーク、魔族じゃなくて魔物だし、その中でも大概の雑魚なのよ」
「でもさ、あの態度だぜ……」
しばらく3体のチビオークを観察しているだけでわかる異常な態度。
周囲の上級魔族をアゴで使っているのだ、もちろん油こってりの二重アゴである。
どう見てもこの敵軍左翼ではあのオーク共が一番偉い、即ち指揮官であると考えざるを得ない光景なのだ。
精霊様は納得がいかないようだが、それでも俺にはそう思えて仕方が無い……
「私、ちょっと右翼の方を見て来るわね、そっちも同じだったら、あんたの説を認めざるを得ないわ」
「頼んだ、見つからないように気を付けるんだぞ」
しばらくして戻った精霊様、がっくりと項垂れ、意気消沈の様子だ……
「で、右翼はどうだったんだ?」
「……向こうも豚が偉そうにしていたわ、これは確定ね、両翼の部隊の指揮官は薄汚い子豚よ」
これにて完全に俺の仮説が採択されたわけだが、それにしても奇妙だ。
見た限り異常に強い豚野郎というわけでもないし、人語を解する知能すらなさそうなレベルなのである。
それが数多くの、それもスミス系純粋魔族の里に来たときに漆黒の女が連れていた、わりと賢そうな上級魔族を差しおいて軍を指揮しているだと?
通常では考えられないことだ、しかもこの軍は雑魚とはいえ一兵卒も全て魔族なのである、それが魔物の言うことなど聞くものか?
いや、それゆえ軍の士気が低く、風紀が乱れていると考えることが出来そうだな……
「まぁ良いや、とりあえずどこからどう攻めるか考えようぜ」
「あ、それならバッチリよ、上空から偵察した敵軍の様子を書き起こすから待ってて」
四つん這いにさせたルビアの背中をテーブル代わりに、精霊様特製敵軍配置マップを用いて作戦会議を始める。
この姿勢だとルビアには何もわからないのだが、いつもただ付いて来て適当に治療しているだけなので問題はない。
というか、ルビアの場合は普段から作戦を理解して戦っているのかすら謎だ……
「見て、渓谷が3本、そこに敵軍が分かれて布陣しているの、でもその3本の源流は同じ、つまりこの奥から攻め込めば、両翼の軍勢が後ろに回って来たりしないのよ」
「まぁその分全部の敵を一度に相手にすることになるんだが……背後を突かれるよりは遥かにマシか……」
「そういうこと、それに後ろからの方が敵の指揮所も近いし、上手くいけばあっさり総指揮官の所に辿り着けるかも知れないわ」
「よし、じゃあそれでいこう、早速敵軍の背後に移動だ、ちなみに仕掛けるのはリリィと精霊様な、2人でそれぞれ両翼に攻め込んでくれ、リリィにはセラが同行する、それで良いな?」
3人が頷いたのを確認し、ひとまず移動を開始した。
今選抜された以外のメンバーで中央の軍を叩くことになるのだが、もしかしたら子豚相手にオーバーキルになってしまうかもだな。
まぁ、そしたら両翼に散った3人を追い掛けるかたちで移動すれば良い。
先に中央を攻めた後なら苦戦している方も判別し易いし、それでいくこととしよう。
作戦が決まって以降は無言でコソコソと、茂みや木々に身を隠しながら移動する。
途中でルビアがコケたり、カレンが蝉を追い掛けて行方不明になってしまったりと大変であったが、2時間弱歩いたところで目的地に到着した……
※※※
「この沢を下る感じで突撃すれば良いんだな、俺達はまっすぐだ、精霊様は向かって左、セラとリリィは右を頼む」
『りょうか~い!』
「では作戦開始!」
『うぇ~い!』
ユルユルな感じで始まった俺達の攻撃、リリィがドラゴン形態に変身した際には気付かれなかったものの、巨体が飛び上がったところで敵軍がザワつき出す。
だがバレたからといってどうこうなるものではない、圧倒的な力で敵を蹂躙してやれば良いのだ。
「俺達も行くぞっ!」
「とつげき~っ!」
「おいこらカレン、早すぎだ、ちょっと待ってくれ」
足の速いカレンとマーサ、それにミラが先行してしまった。
当然ドベは俺とルビア、マラソン大会のやる気ない人達みたいになってしまったではないか。
俺達がようやく斜面を降り切ったとき、先頭を走っていたカレンが敵の子豚共にぶつかって……どうして弾き返されたのだ……
「ご主人様! このオーク、凄く強いです! あいてっ、攻撃も痛いです……」
「どういうことだっ!? ってあれ? 弱いじゃないか……」
意味がわからない、息を切らしながら敵軍の下に辿り着いた俺も、それに他のメンバーも普通に子豚と戦うことが出来る、というか楽勝だ。
だがカレンだけ、1対1の勝負であっても圧倒的に敗北してしまう、それどころか一切攻撃が通っていないのである。
「カレン、ちょっと下がるんだ、何かがおかしいぞ」
「うぇぇぇ~っ、負けてしまいました……」
危険だと判断したためカレンのみを一旦下がらせる、そこかしこに怪我をしているようだ、あの子豚の攻撃を回避することすら出来なかったというのか?
「ルビア、ちょっとカレンを見てやってくれ、もしかしたら敵じゃなくてカレン本人に問題があるのかも知れないからな」
「わかりました、さぁカレンちゃん、先に怪我を治しましょうね」
「は~い、いてて……どうしちゃったんでしょうか私……」
「狼さん狼さん、その理由、教えてあげましょうか」
「誰だっ!?」
「いえ、普通にあなた方の敵です」
振り返ると、そこには漆黒の女、つまりこの敵軍の指揮官が立っていた。
様子のおかしいカレンに気を取られていたせいか、誰もその接近に気がつくことが出来なかったのである。
いや、わざわざ見つからないように接近したのであろう、そして今の口ぶりからして、この女は間違いなくカレンの不調の原因を知っているはずだ。
「お前はこの軍のトップだろ? どうして顔を見せないんだ? それになぜこんな豚野郎共をメインにしているんだ?」
「顔が見えないのは頭巾を被っているからです、我が名はジェットブラック頭巾ちゃん、と、3万匹の子豚」
漆黒の瘴気で出来た被り物を外しながらそう告げる女……いや、見た目はミラぐらいの年齢だ、金髪を三つ編みにし、それを両サイドから垂らしている……
「ジェットブラック頭巾ちゃんか、呼びにくいから『頭巾ちゃん』だな、それで、どうして豚共にはカレンの攻撃が通用しないんだ?」
「私も、それに子豚さん達も、皆一様に『狼耐性』を持っているのですよ、つまり、そこの狼さんに対しては無敵、この布陣は四天王様が勇者パーティーの戦い方をを分析し、それに対抗するための策として編み出したものなのです」
「また意味わかんねぇことやってんなこの異世界は、何だ狼耐性って? それは日常生活で役に立つケースがあるのかよ……」
「……それはあまりないんですが……というか1,000年近く生きてきて初めて役に立ったというか、とにかくここが私の輝く場所ですっ!」
最後はかなり適当にまとめやがった、確かに勇者パーティーの前衛主力はカレン、それを考慮して作戦を立てたのは賞賛に値する。
だが、強いのはカレンだけではないのだ、現に今俺が頭巾ちゃんと話している間にも、他の前衛3人とマリエルの技、さらにはユリナの攻撃魔法が飛び交い、豚共は順調に数を減らしているではないか。
カレン1人を止めた程度で俺達に勝とうなど、四天王という奴も案外詰めの甘い馬鹿野郎のようだ。
「で、このままじゃお前の子豚軍は全滅だぞ、両翼も良い感じに討伐が進んでいるみたいだし、どうするつもりかな?」
「あははっ! 軍全体の敗北など私にとってはどうでも良いこと、私と子豚さん達は狼に個人的な恨みがあるんですよ」
「個人的な恨み? まさかおばあさんが……」
「その通り、私の祖母はかつて狼獣人の戦士と戦い、そして敗れました。敗北に打ちひしがれる祖母を見た私の怒りは増幅し、祖母から貰った真っ赤な頭巾が漆黒に染まったのです。子豚さん達も同じ、狼耐性がなかった同胞を食料として狩られ、狼を倒すことのみを考えて生きてきたのです、主にレンガの家を造るなどして……」
「おいおい、それは別にカレンがやったことじゃないだろうに、憎しみは憎しみしか生まないんだぞ」
「ご主人様、肉染みって何ですか、お肉なんですか? 味が染みているんですか?」
「……発言を撤回する」
カレンにとっては憎しみの連鎖などどうでも良いことのようだ。
だがここで大敗を喫したことが、後々何らかの影響を及ぼすかも知れない。
今回の敵はカレンにとって辛い相手だ、この調子だと最後には頭巾ちゃん単体との勝負になる可能性が高いが、カレンはそれに参加させるべきではないな……
「ということで、子豚さん達も、それに両翼の変な人達も全部やっつけたら私の所に来て下さい、本陣のテントに居ますから、ちゃんとノックして入って下さいね、それでは……」
「おい待てっ……逃げやがったか……」
勝負の予感を匂わせる台詞を吐き、風と共に消え去っってしまった頭巾ちゃん。
本当に軍のことなどどうでも良いようだ、そんなんだから風紀が乱れるんだよ。
「勇者様、とにかく今はこの子豚軍団を倒すことを第一に考えましょう、放っておくと凄い形相でカレンちゃんに襲い掛かろうとしますよ」
「おう、じゃあミラとジェシカでカレンを守ってくれ、他は全員で突撃だ、ユリナの魔法を軸にして一気に殲滅するぞ!」
カレンの前にはミラとジェシカ、念のため後ろにはルビアを配置し、俺とマリエルが先頭になって豚野郎軍団に食い込んでいく。
敵の狙いはカレンオンリーのようだ、俺やマリエルがいくら武器を振るおうとも、その攻撃を逃れた豚は、全てまっすぐカレンを目指す。
この方が戦い易いのは確かだが、狂気に満ちた豚面で仲間に襲い掛かる敵が居るという光景はあまり気持ちの良いものではない……
「クソッ、これじゃキリがないな……」
「両翼も終わりそうにありませんし、今日のうちに決着することはなさそうですね」
空ではリリィ、セラコンビと精霊様が両翼の部隊に一方的な攻撃を浴びせているものの、敵の数の多さゆえまだまだ時間が掛かるといった雰囲気。
リリィの動きが鈍くなっている辺り、そろそろ限界が近付いているようにも見える。
そろそろ退かないと背後に回られてしまうかも知れないな……
そこからしばらく戦った後、再び空を見上げる。
リリィがブレスを吹いていない、高度も保てておらず、セラだけが魔法を放っている状態だ。
「一時撤退しよう、もう潮時みたいだ」
「ええ、暗くなってきますし、敵も追い掛けてこない可能性が高いです、徐々に退いて、ある程度のところで一気に逃げましょう」
マリエルの立てた作戦通り、徐々に後退しながら戦う。
相変わらず豚共はカレン狙い、守るのは簡単だがどこまで付いて来るのか不安になる。
リリィと精霊様も、俺達の動きを見て撤退を始めたようだ、もはやヘロヘロのリリィ、セラが励ましながら必死で飛んでいると行った感じだ。
俺達は森の手前まで来て一気にその中に入る、上空の3人も奥に消えて行った。
かなりの数の敵が付いて来ているが、これさえ潰してしまえばあとは逃げ切れたも同然。
1匹、また1匹と子豚を始末しながら、その都度森の奥へと駆ける……敵が居なくなったと同時に辺りが暗くなり始めた、今日の戦いはこれまでだ……
※※※
「あう~っ、悔しいです、私だけ皆に守られてばっかりで……」
「そうしょげるな、ほれ、肉食べるか?」
「わうっ! お肉ならいくらでも食べますっ!」
立ち直りが非常に早いようで何よりだ、俺達は既に敵から発見される可能性が極めて低い場所まで逃れ、のんびりと夕食を取っている。
リリィはもう眠そうだし、ミラも目がトロンとしてきた。
移動に戦闘、今日は2つのタスクをこなしたため、誰もが疲労で限界なのである。
「それで、両翼の様子はどうだったんだ?」
「こっちはやる気ナシって感じだったわ、吠えているのは豚だけ、あとは逃げるばっかりね、わりと戦えそうな上級魔族もよ」
「こっちも同じ、相手がドラゴンだと知った途端に荷物をまとめて帰ろうとしている奴が多かったわ、もちろんリリィちゃんが焼き殺したけど」
戦うつもりがあるのは頭巾ちゃんと豚野郎軍団だけのようだ。
他は命令通りに配置に着いてはいるものの、限りなく士気が低いらしい。
まぁ、狼に対する個人的な恨みだけで総司令官が動いているのではな、おそらく3つの渓谷に張り込む作戦も頭巾ちゃんではなく、部下の参謀とかが練ったものなのであろう。
とにかく時間さえ掛ければあの軍を殲滅するのは造作もないことだ。
問題は頭巾ちゃん本人の戦闘力なのである……
「今日話したときにちらっと見たんだが、奴のステータスはとんでもないぞ、近接戦闘ならマーサでも及ばないだろうな、賢さもかなり高いし」
「それにカレンちゃんが戦えないのは痛いわね、マーサちゃんと2人でやれば確実に勝てるところなのに」
正直言って頭巾ちゃんの強さは異常だ、四天王に気に入られているだけのことはある。
意味不明な狼耐性もさることながら、物理攻撃力と魔法防御力はこれまでの敵にない値であった。
物理的な攻撃には僅かに弱いようなので、そこを攻めるべきだというのが普通の考え方なのだが、素早さもかなり高いためミラやジェシカでは攻撃を当てることが出来ない可能性が高い。
ここは少し、考えて戦うということをしないとダメだな、このままでは簡単に撃退されてしまうのがオチだ。
「あ、そういえばご主人様、あの子の頭巾は瘴気で出来ている感じでしたわよね?」
「そうだと思うが、それがどうかしたのか?」
「もしかするとあの頭巾を剥がしてしまえば、何てことも考えてみたんですの、上手くいくかどうかはわからないけど、少し試してみる価値はありますわ」
「なるほどな……」
ユリナの言う通り、頭巾ちゃんの頭巾を剥がしてしまえばそのアイデンティティーが損なわれ、ついでに力も失うのではないかと考えることが出来る。
ジェットブラックだか何だか知らないが、頭巾ちゃんがその『頭巾』を失えばただの『ちゃん』である、実に弱そうではないか。
「じゃあ奴の力の源泉があの漆黒の頭巾にあると仮定して行動してみようか、剥がせるかどうかはわからないが、出来る限りのことは試してみよう」
「でもあの頭巾って手で触れられるのかしらね……」
「わからん、というか触った瞬間手が消滅、なんてことにはならないよな……」
「もし勇者様の手が消滅したら、その辺にあるハンガーでも装備させてあげるから安心して、海賊船長になれるかも知れないわよ」
「いや、魔導キャノンの方が良いんだが、というかそれよりも手が消滅しない方が良いんだが」
その後、適当な話を続けているうちに夜が更けたため、馬車の中で朝まで寝ることとした。
頭巾ちゃんへの対処もさることながら、まずはあの豚野郎共をどうにかしないとならないのだ。
ここにあまり時間を掛けていては、蓄積した疲労等によって『本当の勝負』でパフォーマンスを発揮出来なくなる可能性もある。
いっそ中央の敵軍にリリィと精霊様の航空部隊をぶつけ、残りの右翼、左翼軍は後でゆっくり始末することとしようか。
両翼の士気が極端に低いことは今日の3人による報告でもわかっていることだし、もしかしたらそちらの方が遥かに早く全体を殲滅することが出来るかも知れない。
と、横になりながらいろいろと考えてはみたものの、気が付いたときには既に空が白み始めていた。
今日も楽しい戦争だ、さっさとここを突破して、四天王の城に攻め込みたい。
それを実現するために、まずは体を起こして馬車の外に出る。
うん、昨夜のうちに敵が俺達を発見していたようだ、これはもう完全に囲まれていますね……




