288 間逆
扉を開ける、中から溢れ出す漆黒の瘴気、そして部屋の中央に居る大魔将。
なぜか反対側を向いているようだ、俺達はこっちだぞ……
魔導排煙装置が作動しているため、部屋の中に溜まっていた瘴気は明け放たれた扉からどこかへ排出されていく。
その瘴気が晴れ、明かりの灯った大魔将の部屋の全体像が明らかになる。
大魔将は……荷造りしてんじゃんぇよっ! 夜逃げでもするつもりか!?
「おいてめぇっ! 何逃げようとしてんだっ!」
『ぎぇぇぇっ! やっぱり今扉が開いたのは貴様等の仕業だったのか! クソッ、役立たずの監視班は何をしていたのだ……』
「外で幻術に騙されてるぞ、てめぇと同じで相当な馬鹿みたいだし、チョロいもんさ」
荷物をまとめて逃げ出そうと画策していたらしい大魔将、身長は3メートル程と大きく、漆黒のバケモノ、同クローとファングを全て足したような見た目。
つまり真っ黒で瘴気を纏ったボディーに、牙の付いた巨大な口、そして両腕に鍵爪を擁している。
もちろん目や鼻などはなく、底知れぬ不気味さを醸し出している……荷造りしてなきゃの話だがな……
と、ミラがこちらへ近寄り、俺の耳元で何かコソコソと話を始める。
『勇者様、今アイツが風呂敷に包もうとしているものを見て下さい』
『ん? 何だ……おぉっ、あれはまさしく石版じゃないか、目的の品かも知れない、戦闘中に壊したりしないよう気を付けるべきだな』
皆にもそのことを伝え、特にマーサ辺りが勢い余って石版を粉砕してしまうなどという悲しい事故の防止に尽力する。
さて、大魔将が荷物をまとめているのをいつまでも見ているわけにはいかない。
とりあえず攻撃して、さっさと始末……いや、コイツはかなり強いぞ……
部下に見張らせ、不正な手段を用いてまで俺達を遠ざけ、さらには出会ってしまった今でも尚、逃げ出そうとしている情けない大魔将。
しかしその魔力量は膨大、これまで戦ってきた大魔将も、それからその大魔将を力でねじ伏せて制圧していたチビ先生も異常であったが、コイツに関してはその質も異常な感じだ。
おそらく漆黒の瘴気がその原因なのであろう、魔法も普通とは異なる、オリジナルのものを使ってくるに違いない……
「おいっ! どうせもう逃げられないぞ、強いんだからこっち来て俺達と戦いやがれ!」
『強い弱いなど関係ないわっ! わしは絶対確実に、100%勝利を収めることが可能な戦いしかしない、長く生きた分、生への執着がハンパないのだ!』
「てめぇの事情なんて知らねぇよ、どんだけ長生きしたのかわからんが、それも今日で終わりだぞ、念仏でも唱えておくんだな」
『イヤだイヤだっ! もう少し時間がありさえすれば、世界中に放った分体によって瘴気を集め、最強になれたというのに、ということで今は戦うべきときではない、さらばだっ!』
森の生物や入って来た人族なんかを殺し、瘴気を集めていたのはやはり、その集めたものを取り込んで自身を強化するためであったようだ。
風呂式を抱え、ドロボウの如く走り出す大魔将、良く見ると部屋の奥にはもう1つの出入り口が設置されている……いや、出入り口ではなく、モロに非常口と書いてある。
ここで逃がすわけにはいかない、とっさに動き出す俺達、足の速いマーサが後ろへ回り、非常口を塞ぐ、遅れてミラもそこに参加し、2人体制での退路封鎖となった。
逃げ場を失った大魔将が立ち止まる、俺は木箱からインスタント光の玉を取り出し、そこへ投げ付ける。
ただでさえ動作不良品が多く、5回に1回は爆発してしまう光の玉、もちろんそれを投げ、どこかに叩き付けるようなことをすればどうなるか? 辛うじてまともに動くものでも大爆発は免れ得ない。
『げっ!? 何だそれはっ、ウギャァァァッ! 体が、体が消滅していく……』
「おやおや、相当に効果があるみたいだな、だが今ので死ななかったのは残念だ、次ぎいくぞっ!」
『おげぇぇぇっ、待つのだ、待ってくれぇぇぇっ!』
「うるさい、死ねっ!」
振りかぶって第2球を投擲する、良いコースだ。
だが、そのまま大魔将に直撃するかに見えた光の玉は、その直前で弾き落とされる。
というよりも、大魔将がとっさに出した分体、漆黒のバケモノが間に割って入り、その進路を妨害したのであった。
そのまま必死で分体を出し続ける大魔将、現れた漆黒のバケモノは、タイプこそ様々であれど皆同じ動きをし、大魔将の本体を守るようにして囲んでいる。
「逃げるのは諦めたのか? でも防御ばかりじゃそのうちに死ぬぞ」
『何を言う、貴様等が一瞬でも隙を見せればそこで逃げる、この分体はそれまでの繋ぎだ! こんな所で死ぬぐらいなら生き恥でも何でも晒してくれるわ!』
「本当に情けねぇ奴だな……」
情けないというより哀れだ、弱いというのであればわからんでもないが、それなりの力を持っているにも拘らず、逃げようとしたり防御に徹したり。
……いや、もしかして魔力量が凄いだけでたいした攻撃手段は持っていないのかも知れない。
だとすればあの漆黒のバケモノを使った防御をぶち抜き、さらには逃がさぬよう戦い抜くことが出来さえすればこちらの勝ちとなる、やれるだけやってみよう。
今度は光の玉を4つ、人差し指から小指の間にそれぞれ挟み込んで持つ。
それを大魔将、いやその周りに蠢く漆黒のバケモノに向かって投げ付けた。
悶え苦しみながら消滅するバケモノ、それが居なくなったところには大魔将の姿が……存在していなかった、どこへ逃げたというのだ?
「上ですっ! 天井にへばり付いてシャカシャカしてますよっ!」
「本当だ、おいっ! さっさと降りて来いこの出来損ないめっ!」
『がっはっは、その前に貴様等を囲んでいるわしの分体をどうにかしては如何かな?』
それまで本体を囲むようにして守っていた分体達であるが、その本体が天井に逃げてしまったゆえ、防御してやる必要がなくなったのである。
つまり、現状床に蠢く十数体にもおよぶ漆黒のバケモノはフリー、当然、黙って俺達が添乗の大魔将を叩き落すのを見ているはずがない。
一斉に飛び掛ってくる分体達、たいした脅威ではないものの、大魔将を逃がすのには十分な戦力だ。
だが俺達にもそんなことはわかっている、精霊様が1人飛び立ち、大魔将の本体に向けて水の弾丸を放つ。
俺達が物理、魔法攻撃を駆使して床の分体を始末し終えたところに、精霊様によって落とされた本体が降って来た……
『ゲェェェッ! 痛い、痛すぎるっ、よくもやってくれたなっ!』
「喋ってねぇで死ねっ! チャンスだぞ、皆もガンガン攻撃するんだ!」
『ハゲッ! フゲッ! ギョベェェェッ!』
俺が聖棒で思い切り突いたのを皮切りに、ミラとジェシカの斬撃、カレンによる爪攻撃、マーサのパンチにマリエルの突き、そしてセラとユリナの魔法が大魔将に直撃する。
近付いて来たリリィがゼロ距離でブレスを浴びせ、それを精霊様が消火したところで、最後に光の玉を1つ、口の中に突っ込んで爆発させてやった。
どの攻撃も効果抜群のようだ、この大魔将には耐性とかそういったものはないのか?
「何かさ、コイツ見た目的には色々と攻撃を無効にしそうなのに、全然そんなことないようなんだが……」
「そうね、でももしかしたら今使っていない土魔法とかに耐性があるのかも知れないわよ」
「かな? まぁどうせあんな微妙な魔法使う奴も早々に居まい、耐性があったところでだから何だという話だがな」
大ダメージを受けて倒れ、半ば気を失った状態の大魔将、だがまだ致命傷には程遠いようだ。
現時点でのダメージ量は人間で言えば骨折程度、衝撃が大きすぎて意識が飛んだだけなのである。
もう1つ光の玉をブチ込んでやろう、そろそろストックが少なくなってきたが、こういう場面での出し惜しみは禁物だ。
倒れた大魔将の顔面に直撃する光の玉、元々かなりの不良品であったようだ、大爆発を起こし、その衝撃によって大魔将も目を覚ます。
そこへ皆の追加攻撃が連続ヒット、斬られ、焼かれ、水浸しにされた真っ黒な巨体はフラフラと立ち上がり、どうにか防御しようと腕を顔の前に出した。
『お……おのれ……だからイヤだと言ったのだ、あぁ、もっと早く逃げ出す決断をしていれば、そもそも大魔将になどならなければ……』
「今更後悔したところでもう遅いぞ、ついでに言うとなかなか死ねないのは頑丈な自分の体を恨むんだな、ここからもっと苦しませてやるから覚悟しておけ、こんな風になっ!」
『グゲッ! オェェェッ……』
顔を守っているところ申し訳ないが、鳩尾を聖棒で突いてやる。
嘔吐しているようだが、口から出て来ているのは吐瀉物ではなく漆黒の瘴気、その液体版だ。
『クソッ、クソォォォッ! こうなったら仕方が無い、負担は大きいが死ぬよりはマシだ、反転の術を見るが良いっ!』
両腕を胸の前でクロスさせ、何やら呪文めいた言葉をブツブツと発し始める大魔将。
その体から瘴気が噴出す、異様に苦しそうなのはその技によるものか、それともダメージによるものなのか……
「……おい、反転の術だってよ、何するつもりなんだろうな?」
「さぁ、でも瘴気がオーラになって禍々しい感じね、変身するのかしら?」
「反転って言ってたからな、腕と脚が逆になるのかも、そしたら顔の部分には珍が来るんだが、あまり見たくはないな……」
「そんなのキモいからイヤね」
そんな話をしている間に反転とやらが終わったようだ、最後にブシュッと瘴気を噴出し、変身を終えてパワーアップした感を演出する大魔将、だがどこも変わっていないじゃないか。
「おいてめぇ、どこがどう変わったのかサルでもわかるよう簡潔に説明しやがれ」
『がははっ、反転といっても物理的に反転するわけではない、貴様が先程言っていた、頭と珍の位置が逆になるような恥ずかしい姿に変貌するタイプの反転とは違う、ゆえに見かけ上の変化は一切ないのだ、だがこの世の理である物理、そして魔法やその他の力によるダメージ、または癒しというものが存在するであろう、その効果、それそのものを全くもって逆に、つまりは反転したのだ、この反転の効果により今のわしは貴様等の攻撃を受けることによって……』
「……長いし、至極わかりにくいからもう良いよ」
『そうかそうか、理解して頂けたようで何よりだ』
「だからわからんって言ってんだろうが! これでも喰らいやがれっ!」
光の玉を投げ付ける、避ける素振りも見せない大魔将は、両手を広げ、余裕の表情でそれを顔面に喰らった……
『ウォォォッ! ギ、ギモヂィィィッ!』
「うわっ!? やべぇぞ、ついに発狂しやがったか!」
「違います勇者様! あれは回復していますよ!」
『その通り! 今のわしは、これまでダメージを受けていた攻撃に対して無敵、それどころか喰らえば喰らう程に回復していくのだ!』
「だからってあの反応は気持ち悪すぎるぜ……そういえば以前にもこんな奴が居たな、ルビア、回復魔法を掛けてみろ」
「は……はぁ……ちょっと近付きたくはないんですが……」
可能な限り距離を取り、大魔将に向けて回復魔法を放つルビア、以前戦ったドM課長のようなタイプであれば、これでダメージを与えることが出来るはずだ……はずなのだが……
『ウォォォッ! ギ、ギモヂィィィッ!』
先程光の玉を投げ付けたときと全く同じ反応、つまり普通に回復しているのであった。
どういうことだ? 反転したというのであれば、回復魔法は奴にとって攻撃魔法になっているはずではないのか?
『がはははっ! 今回復魔法なら逆にダメージを与えられる、そう思ったのであろう?』
「そうだが、どうして全然効かないどころか普通に回復しているんだ?」
『それはだな、わしにとって回復魔法は元々忌避すべきもの、つまりダメージが入るのだ、回復魔法だけではないぞ、この世に存在する全ての魔法、そして物理がわしにとっての弱点属性なのだ、そのせいで何度マッサージで死にかけたことか……』
「いや待て待て、となると今は何だ、その……無敵なのか?」
『その通り、物理も魔法も、反転したわしにとっては全てが回復をもたらす奇跡となる、倒したくばそれ以外の癒しアイテムでも持って来ると良い』
「え? 薬品系なら普通に効くってのか?」
『当たり前だ馬鹿が、普段の状態で薬品がまともに効かなかったら、もし万が一風邪を引いたりしたときにどう対処するというのだ? 全てが弱点とは言ってもそれだけは例外だ』
「いや、その見てくれで風引いて寝込んでるのは実に滑稽なのだが……」
しかしこれは困ったことになった、いくらたいした攻撃手段を持たない敵とはいえ、このままでは永久に倒すことが出来ない、それどころか痛め付けて屈服させることすら叶わないのである。
魔法は全てNG、物理攻撃もダメ、もちろんリリィのブレスや精霊様の放つ水の効果も、元々ダメージを与えるものであるゆえ効果は反転しているはずだ。
となると、ルビアのために使う魔力回復薬ぐらいしか攻撃手段がない、とりあえず投げてみよう。
ルビアのバッグから1本の薬瓶を取り出し、それを大魔将に投げ付ける……
『いでっ! ほう、貴様等はそのような回復薬を持っていたか、だがこんなもの、蚊に刺された程度のダメージしか入らぬわボケ』
「やっぱこんなんじゃダメか……」
他に癒しの魔法薬といえば、以前ウテナとサテナを煮込んで抽出した万能ポーションぐらいか、だが今日は持って来ていない、もちろん俺達がそれを取って戻るまで待ってくれたりはしないはずだ。
それ以外となると、俺のバッグにあるのはここへ入る際、瘴気の影響を受けないようにするための魔法薬ぐらい……いや、何か別のが入っているようだが……
これは何だったか? とにかく瓶に入っている以上何かの薬品であるのは間違いない。
それが2本きり、思い出せ、これは一体何なのだ?
……そうだ! これは元大魔将の3人とパトラが作った不老不死のクスリだ!
あまりにも危険なもののため没収し、後で王宮へでも届けようと思っていたのだが、色々とゴタゴタしているうちに忘れ、そのままバッグに入っていたのである。
使えるかも知れない、いや、これは確実に使えるに違いない。
バッグから2本のうちの1本を取り出し、それを投げ付ける。
『おっと、また庶民用のショボい薬品がっ……ガァァァッ! なんじゃこりゃぁぁぁっ! オゴッ、ベゴ、カペポッ……』
「不老不死のクスリだよ、効いてるみたいだな」
『……!? どうして……どうしてそんなヤバいものを……ヘゲッ……オェェェッ!』
また吐いていやがる、しかも今度は相当にダメージを受けたようだ。
だが次の1本、この最後の1本で倒し切れるかどうかは微妙である、ここは一計を案じよう。
「どうする? これを部屋全体にぶち撒けたらお前はどうなるかな?」
『グゥゥゥ、クソッ、背に腹は代えられん、反転を解いて……うえっふぉっ! べふぉっ!』
もう1本の薬瓶を持って大魔将を脅す、もちろんこの1本で部屋全体に不老不死のクスリを撒き散らすことなどは出来ない。
しかし大魔将は予想外の攻撃に寄って混乱している。
俺のブラフを簡単に信じ込み、虎の子の反転をあっさり解除してしまった。
『あが……げ……』
「何だ、元に戻ったのか知らないが、もう死にかけじゃないか」
反転を解いた際にも見かけ上の変化はない、だがこれだけはわかる、もうあと一撃でも加えさえすれば、コイツの命はすぐにでも消え失せる。
反転を使うのは負担が大きいと言っていたが、それにプラスして不老不死のクスリによる大ダメージを受けていたのだ。
必死で這い蹲り、部屋の奥にある非常口を目指す大魔将、だがその前に立ち塞がったミラとジェシカの剣が振り下ろされ、首筋と、それから背中に大穴が空く。
索敵の反応は次第に小さくなり、やがて消えてしまった。
大魔将が体に纏っていた、というよりも体そのものであった漆黒の瘴気は霧散し、部屋中に散っていく。
臭そうなので扉を開けると、作動したままになっていた城の排煙装置により、その瘴気すらも外に流れ出して行った。
「完全に討伐出来たようですね、さぁ、目的の品を持ってここを出ましょう」
「ああ、その前にミラはお宝も探しておかなくても良いのか?」
「いえ、既に目視でサーチしましたが、目ぼしいものは全部この風呂敷に包まれているみたいです」
「・・・・・・・・・・」
ミラの新たな能力が覚醒しているようだ、家捜しを目視で、しかも誰も気付かないうちに済ませてしまうとは畏れ入る。
わりと重たい風呂敷、石版が入っているのだから当たり前か、それを持って大魔将の城を出る。
船に乗ってトンビーオ村に戻り、その日はそこで1泊することとした。
「ねぇ、ちょっと風呂敷の中身を確認してみましょ」
「良いけど精霊様、何か良いものがあっても横領するなよ」
「わかってるわよ、私は石版を見てみたいのっ!」
「どうだか……」
風呂式を広げ、中身を全て出してみる、言った傍から大魔将の預金通帳に手を付けようとした精霊様にチョップを喰らわせ、石版を取り出す。
俺にも、そして他の誰にも読むことが出来ない文字で記載された石版、これが人族が魔族化した原因となった、火山の噴火とやらが生じたときの記録なのであろう。
当然古代の文字、この間カイヤが作った現代の文字との変換表にあったものとも違う、これを解読するのにはかなり時間が掛かりそうだな……
「まぁ良いや、とりあえずこれを王宮へ持って行こう、明日の朝にはここを出て、王都へ帰ったらすぐにだ」
翌朝、トンビーオ村を出て王都へと帰還する道に就く、これの解読が終わればもう1歩、人族の魔族化、そして神界から魔界が分離したことに関しての真実に近付くことが出来るはずだ。
馬車は進み、翌日の昼には王都の城壁が見えてきた、一旦屋敷に戻って、その後で王宮から迎えに来させることとしよう。
さて、この石版にはどういった内容の記載がされているのか……
ここで一旦章を終えます。
次回以降は第二部最後の敵との戦いに移行する予定です。
引き続きお楽しみ下さい。




