254 一瞬の隙
箱舟から出てハンマーを振るう一瞬の隙を突かない限り、あのウテナを倒すことは出来ない。
それを知った俺は翌朝、皆と相談してそのための特訓を開始することに決めた。
特訓をすることが出来るのは日中のみ、夜になると王都の中で触手化した人間が、そしてウテナ率いる触手化帝国人軍団が城門を襲う、内外からの挟み撃ちに遭うことが確定しているためだ。
朝のうちにマリエルが王宮へ行き、女神を屋敷に連れて来るよう要請をしてあった。
それまで庭で模擬戦をしながら待っていると、ゴテゴテの高級馬車が門の前に停まる。
「おはようございます、勇者よ、それにお仲間の皆さんも」
「遅いぞ、そんなもんに乗ってないで走って来やがれ」
「私にそんなことをさせるとこの国の王や大臣のプライドが……」
「なもんねぇよ、特に王に関しては脳みそが入っているかすら怪しいんだ、で、とにかく本物の箱舟を出せ、それを使って特訓する」
「わかりました、ではちょっと神気を練りますのでお待ち下さい」
目を瞑って何やら手を動かし始める女神、あの箱舟は神のみが持つ神気を使って出来たものであるという。
ほぼ万能の精霊様ですらそれだけは出来ないというのだから、かなり凄いものに違いない。
しばらくその様子を眺める、途中でリリィが突こうとしたが、マリエルが慌てて止めに入った。
今は隅っこで神に対する不敬はどうのこうのと説教を垂れている。
「勇者よ、少しよろしいですか?」
「何だ、もう完成したのか?」
「いえ、箱舟はスケルトン、ブルー、レッドの3色から選べますが、どれにするのかと……」
「う~ん、スケルトンだと見えないし、レッドだと禍々しい感じになりそうだ、ここはブルーで頼む」
明らかに菓子でも作るような着色料を混ぜる女神、そのカラー選択には何か意味があったのであろうか?
そもそも3色しか選べないのはその色の着色料を持っていないからというだけではないのか?
「はい、これで完成です、攻撃は通らず、そして中からも攻撃出来ない、出入り自由の箱舟が完成しました」
「えっと、これどうやって中に入るんだ?」
「使用者が入りたいと思えば入れますし、出たいと思えば出られます、その辺りは特に制約がありません」
何と都合の良いアイテムだ、早速使用者を俺にしてその効果を試してみよう。
箱舟の中に入りたい、そう思った瞬間、その青い球体の方からこちらへ近付き、俺と重なる。
かなり色は濃いのだが外はくっきり見える、まるで俺の前には何も存在しないかのようだ。
「セラ、ちょっと杖を使って俺を殴ってみろ思い切りだ」
「わかったわ、おりゃぁぁぁっ!」
「だぁぁぁっ! ちょっとは躊躇するとかそういう発想はないのか……いや、でも全く届いていないな」
「ここで止まっちゃうのよ、ほら、ここ」
セラが杖でガンガンと殴っているのは俺の頭、ではなくその直上に位置する青い球体の一部。
攻撃は俺まで届かない、箱舟がその中に対する一切の干渉を否定しているのであった。
試しに聖棒でセラに反撃してみる……出来ない、青い壁に阻まれ、何もすることが出来ないのである。
「よし、ちょっと出てみるぞ、出たい……俺はここから出たいんだ、そして前に進みたい……」
1歩足を踏み出す、俺の前にある青い障壁から、スッと自分の足が出たのが確認出来た。
ついでにセラを聖棒で突いてみよう……
「あいてっ! ちょっと勇者様、攻撃しないでよねっ!」
「すまんすまん、やれるかどうか確かめてみたかったんだ」
セラの顎にガツンと食い込んだ聖棒、青い障壁から出てしまいさえすれば何でも出来るようだ。
俺をポカポカと殴るセラのパンチも十分にダメージを受けている、というか痛いからそろそろ勘弁してくれ。
「よし、じゃあこれを使って練習しよう、敵は攻撃の際に一歩踏み出して箱舟から出るんだったよな?」
「ええ、その瞬間がチャンスです、いくら神界の存在とはいえ、生身の状態であれば皆さんの攻撃は十分通るはずです」
箱舟に入りたい、そう願ってから実際に中へ入るまでの時間は1秒にも満たない。
そして、初撃でこの隙を突くことが出来なかった場合、敵が警戒し、それ以降は俺達の前で絶対に箱舟から出ようとはしないであろう、
つまりチャンスは1回きりだ、そこを逃せばウテナの退治は当分先、いや、そのときは永久に来ないのかも知れない。
「それと皆さんにこれをお渡ししておきます」
「何だこれ、バット?」
「ええ、神界で創られた『免罪機能付きバット』です、いくら敵対しているとはいえ神界に属する者に通常兵器で攻撃すると神罰が下りかねませんから」
イマイチわからんがバットを貰った、聖棒に引き続き、およそ勇者の使う武器には見えない。
ちなみにウテナの使っているハンマーにもこの機能が付いているらしい、だからぬらりひょん神と敵対する神の事務所にカチコミを入れても神罰が下らないのだ。
「よっし、じゃあ実際の動きを試してみようか、おい女神、一旦箱舟に入れ、ウテナの動きを再現するんだ」
「あの、どうして神である私がそのようなことをしなくてはならないのですか?」
「うるせぇ、殴られる役はお前で十分だ、免罪機能付きバットもあるし、ボッコボコにしてやるから覚悟しとけよ」
「そんな、あんまりです……」
マリエルやジェシカが女神を殴ることなど出来ないと主張し、ウテナの動きを再現する役目はルビアに、そして攻撃に使うのは鬼美達から貰ったおもちゃのバットのトゲトゲを除いたものを用いることとなった。
免罪機能付きバットで女神を滅多打ちにしようと企んでいたのは俺と精霊様だけであったようだ。
ちなみに精霊様は現在ご機嫌斜めである、自分より高位の存在と一緒に居るのが嫌らしい。
常に鶏口であることを重んじ、牛後どころか2位じゃダメなようである……
「あの……水の精霊よ、そのバットは貸与したものです、勝手に魔改造しては……」
「何よ、バットには釘を沢山刺しておいた方が良いに決まっているじゃないの、改造じゃなくて改良よ」
「・・・・・・・・・・」
地道な作業で釘バットを作成している精霊様は放っておいて、早速訓練をスタートしよう。
箱舟の使用者をルビアに置き換え、その中には入らせる。
というかコレは便利だな、戦闘中に回復が必要ない状況ではルビアをこの中に入れておけば良い。
うむ、かなり使えそうだ、この箱舟は有り難く頂戴しておこう。
「それじゃあ出ますよぉ~、よいしょっ!」
「でぇぇぇぃっ!」
「あいたっ! 参りました~」
ハンマーなどというものは屋敷に置いていないため、ルビアもおもちゃのバットを振り上げてウテナの行動を再現しようとする。
素早い動作でそれを叩くカレン、実にリアルで良い感じだ。
このまま練習を重ねていけば今夜までにはウテナ討伐の型が完成するであろう。
「……ちょっと臨場感がなさすぎですね、もっとこう、鬼気迫る感じの演技は出来ないのですか?」
「おい女神、皆頑張ってんだから口を挟むんじゃねぇ、というかこれが限界だ」
「大変に低い限界のようですね、そもそも敵は壁を破壊する際にしか箱舟から出ないのですよ、それも再現しないとなりません」
「確かにそうだな……でも壊して良い壁などこの付近には存在しないぞ……よし、作って貰おう」
庭を出て領地へと向かう、既に建設された2つの建物がそこにはあった……
「おう勇者殿、こっちが練習用、こっちが本番用だ、敵の軍勢が北門から攻めてきたときにはこの本番用の中に入って戦うと良い」
「ありがとうゴンザレス、いつも頼む前に察して必要なものを提供してくれて非常に助かっているよ」
「任せておけ、ちなみに練習用のは飴細工だからな、使ったあとは捨てずに美味しく頂くべきなのだよ」
確かに片方は半透明だ、3枚の壁をコの字型に組み、それぞれイチゴ味、メロン味、そしてソーダ味の飴で出来ているようだ。
不潔なことになってしまわないよう、下には未使用の木の板が敷かれ、その範囲内は土足厳禁とされている。
他方、本番用の建物はしっかりとした木材で造られ、ドアから中に入ることが出来るようになっている。
そのドアを開けるとまたドア、その次もドアを開けると、ようやく建物の中央に辿り着いた。
三重構造になっているのだ、まず1枚目が破壊されたら警戒、2枚目で攻撃準備、3枚目の壁が粉砕されると同時にこちらも攻撃を仕掛けるという寸法だ。
建物の上には看板が掲げられ、『憎き異世界(馬鹿)勇者はこちらです』と書かれている。
『馬鹿』の部分はセラが勝手に書き足したものだ、後でお仕置きしてやろう。
「じゃあ敵が北門に来た夜が作戦実行のときだ、それ以外に攻めて来たら普通に防衛って感じで」
「おうっ! 本番ではなるべく敵をここへ誘導するように取り計らうからな、上手くやるのだぞ」
ウテナ率いる帝国人触手メデューサの軍勢が北門に押し寄せたのは、その翌々日のことであった……
※※※
『来るぞぉぉぉっ! 戦闘準備だ!』
「始まったようだな、ここからじゃ何も見えないが」
「覗き穴ぐらい空けておくべきだったわね」
王国軍の兵士なのか筋肉団員なのか、俺達が入っている建物の横を駆け抜けていく音がする。
つまり敵はまだここまで到達していないということだ。
戦闘に参加する全員には既にこの作戦の概要が伝えられている。
このまま外の連中が触手メデューサの軍勢を引き受け、さらにここへウテナを誘導してくれる手はずとなっているのだ。
「ん~、何だか少しずつ戻って来ているみたいよ、触手が動く音もするわね」
「そうか、でもマーサ、壁に耳を当てているとハンマーで砕かれたときに怪我をするぞ」
「心配ないわ、だって3枚も壁があるんだもの、そのせいでこうしていないと聞こえ辛いんだけどね」
三重構造が仇となり、遠くの音はマーサにも、そしてカレンにも上手く聞き取れないらしい。
途中の空間で反響してしまって掻き消されているのであろう。
だが外で戦いを繰り広げている連中の叫び声は十分に聞こえてくる。
今日も触手メデューサの数は多いようだ、頑張って欲しい。
『信者の皆さ~ん! あの要塞に異世界勇者が居るそうですよ~っ! 頑張って攻め落として下さ~い!』
どうやら接近して来たウテナがこの建物に喰いついたようだ。
だが要塞って、どこの世界に木造平屋建ての要塞があるというのだ? まぁプレハブ建築の城を使っている俺の言えたことではないが……
『おうっ、押し返せっ! 勇者殿の所に触手メデューサを近付けてはならないっ!』
今度はゴンザレスの声、ここを狙い始めた触手軍に対する応戦を始めたようだ。
このまま全ての触手共を遠ざけ、この建物には指、いや触手1本触れさせないつもりであろう。
あとは痺れを切らしたウテナが自ら前に出て、この建物を打ち壊すためにハンマーを振るう瞬間を待つのみだ……
『あらあら、なかなかどうして頑張るようですね、仕方ありません、ここは私が直々に参りましょう』
引っ掛かりやがった、その声を聞き、今だ1枚目の壁すら破られていない状態で全員が免罪機能付きバットを構える。
もちろん精霊様のだけ釘バット化しており、その攻撃力は格段に上昇している状態だ。
……振動、音こそしないが1枚目の壁が破られた証拠である、バットを握り締め、固唾を呑んでウテナの登場を待つ。
『あら~、2重構造ですか……あ、3重でしたね、でもこれ以上は壁を作れないはずです、中に居る勇者さん、お覚悟はよろしいでしょうか?』
「は……入ってま~す」
『あははっ、おトイレでしょうか? でも今からそこに触手が雪崩れ込みますよ、早くズボンを穿くことをお勧めします……せぇ~のぉっ!』
「今だっ! フルボッコにしてやれっ!」
最後の壁が砕け散った瞬間、全員で一斉に飛び掛る。
振り下ろされたバットがウテナの頭、肩、背中へと次々に直撃した。
「いったぁ~、何でしょうか? これは罠だったということでよろしいのでしょうか?」
「おいっ! 気絶してないぞ、もっとぶん殴れ!」
「ダメ! もう箱舟に戻ってしまうわ! こうなったら私が……」
神の与えし武器だというのに、ちっともダメージが入らなかった免罪機能付きバット。
このままでは作戦が失敗してしまう、そう思った矢先、精霊様が武器を捨ててウテナの体にガッシリとしがみ付いた、その拍子にウテナも持っていたハンマーを地面に落とす。
その状況下でも大きく振りかぶった俺の追撃は止めることが出来ない。
勢いに任せてバットを振り下ろす……弾かれた、既に箱舟の中に入ってしまったのだ。
……もちろん精霊様も一緒に。
「あの、ちょっと、この箱舟は1人用なので、出来れば退出して頂けると……」
「無理ね、あなたと一緒に入ったんだもの、出るときも一緒じゃないとダメなんじゃないかしら?」
「てことは……逃げますサヨナラ!」
「おっと、この鍵であの変な顔の神の下へ帰っていたのね、こうしてくれるわっ!」
「あっ! 何てことを……」
ウテナが懐から取り出した少し大きめの鍵、それを精霊様が奪い取り、真っ二つに叩き割ってしまった。
これで光の粒となって消え失せることは出来ない、あとは精霊様と2人、どちらかがギブアップを宣言するまで肉弾戦を繰り広げる他ない。
もちろん勝っても負けても、あの箱舟から出て来たところで通常の武器に持ち替えた俺達による袋叩きが待っている、ウテナは既に詰みと言って良い状況だ……と思ったのだが……
「こうなったら奥の手です! 神界に帰ってしまいましょう!」
なんと、まだそんな手が残っていたとは、しかも使うのはこの間紛失していた身分証。
それを高く掲げ、何やら短い呪文を唱えるウテナ、精霊様の伸ばした手も間に合わない。
……いや、何も起こらないではないか、自信満々の表情で固まったウテナ、その額に冷や汗が浮かんできた。
「どうやら神界に戻るためのライセンスを停止されているようね、今回の悪事が明るみに出たからじゃないかしら?」
「こ……困りましたね……ではあなたを捕まえて人質としましょう」
「やれるもんならやってみなさいっ!」
「では参ります、ハンマーを振るうために鍛え上げた私の力、とくとご覧あれ!」
あのハンマーは神界の不思議な力で振るっていたのではなく、地道にトレーニングを重ねた結果使えるようになったというのか、ますます神界の神聖さが薄くなっていく……
その鍛え上げた体のウテナ、初手は精霊様の二の腕を掴もうと試みる。
だが掴めない、どうやら手が滑ってしまったようだ。
「ちょっと! 滑る、滑るんですっ! どうしてそんなにヌルヌルしているんですか!?」
「あのムキムキマッチョマン達から借りたオイルを塗りたくったの、ヌルヌルは近接格闘技の基本よ」
「卑怯ですよっ! あいたっ! 待って、ギブギブ、降参です~」
卑劣極まりないヌルヌル作戦で勝利を収めた精霊様、ウテナの腕を後ろで組ませ、箱舟から出るように命じる。
素直にそれに応じるウテナ、意外とあっさり諦めたようだ。
ルビアが縛るための縄を用意していたそのとき、一瞬笑みを浮かべたウテナが動く……
「なんて、そう簡単に諦めることは出来ません、この残った鍵でも転移だけは出来ます、どこに飛ばされるのかはわかりませんが……南無三!」
先程精霊様がへし折った鍵の持ち手の部分、それを握り締めた拳を高く挙げるウテナ。
その体が光の粒となって消えゆく、やられた、場所を指定せずランダムに転移して逃げるつもりだ。
その後はもう、俺達に出来るのは光の粒が消えるのを眺めることだけであった、鍵の残骸だけがそこに残り、ウテナの姿は消失してしまった……
※※※
「で、俺達の屋敷の地下牢に転移したと」
「こんなはずじゃなかったんです、もっと遠くに、誰も知らない彼の地に飛ばされて、そこから苦労して帰還する壮大なストーリーが……」
ウテナがやって来たのは俺達の屋敷にある地下牢、ラフィーとパトラが入れてある房であった。
「この人が急に現れたッス、何かもう光ってパァーッて」
「お姉さまと私の愛の巣を犯すとは、この不届き者めっ!」
「パトラちゃん、愛の巣じゃないッス、捕まって閉じ込められているだけッスから……」
とにかくウテナを捕らえたということは疑いようのない事実のようだ。
ぬらりひょんの下に戻るための鍵も失い、神界に入るための身分証も失効しているウテナ。
もはやこの地下牢をおいて他に存在する場所など無いのであった。
「とりあえずラフィーとパトラはそこから出るんだ、他の房に移してやるからな」
「あの、出来ればそろそろ牢屋生活は……」
「そうか、じゃあ余っている部屋を貸してやるからしばらくそこで大人しくしていろ」
「へへぇ~っ!」
2人を地下牢から出し、ミラに頼んで適当な部屋を貸し与える。
レーコ達の所へ預けるというのも手だが、身分的にワンランク上の大魔将がやって来るというのは彼女らにとってあまり歓迎出来ないことであろう、気を使うしな。
ラフィーとパトラが去り、1人牢屋に取り残されたウテナ、転移するための装置も、そして武器すらも持っていない丸腰の状態である。
「私はこれからどのような目に遭わされるのでしょうか?」
「その辺りは女神が、というよりも神界が決めることだろ、俺達には口出し出来ないからな」
「そうですか、逃げ出したらこの世界の女神から酷い罰を、もし捕まったまま、後に助かったとてあの名もなき神様から罰を受けることになります、八方塞がりですね……」
何となくかわいそうな奴ではある、だが王都を襲った以上俺達の敵であることもまた事実だ。
しばらくはここで女神の沙汰を待っていただく他ない。
これでウテナに関しては問題ない、あとは根っからの犯罪者であるというサテナ、そして今回の主敵であるぬらりひょんビジュアルの神を討伐しなくてはならない……




