1108 順調な
「このぉぉぉっ! 待ちなさいって言ってんでしょっ! そこで待って! はいストップ……こらぁぁぁっ!」
「フハハハッ、待てと言われて待つようなカメは居ない、それに実際待ってみろ、いつまで経ってもやって来ないお前に飽き飽きしてしまうぞ、このウスノロウサギめがっ! さらばだっ!」
「待てぇぇぇっ!」
これで3回目の周回遅れ、そろそろゴールとなる周回数も近いため、このままの状態でマーサが逆転をする可能性が極めて低い状況となった。
観客はおそらく大半がこのやたらに素早いカメの人に賭けているのであろう、大盛り上がりでゴールインのときを待っている様子だ。
そして『負け役』のマーサには、おかしな生物だとかあんなのがヒトの類なのかとか、そういう感じの罵声が浴びせられているのだが、俺の方からすればその騒いでいる観客こそヒトの見た目ではない。
俺の知っている可愛らしい獣人、人間により近くて獣の要素を持った方々ではなく、ほぼほぼリアルな動物が人間のように振舞っているだけの何か。
それがこの世界のスタンダードであって、不正によってマーサを圧倒しているカメの人も同じように、カメであるにも拘らず二足歩行し、しかも走るのがいように速いという気持ちの悪い何かなのである。
俺は正直この世界が大嫌いだ……と、俺よりもマリエルの方がキレ気味であるようだな。
仲良しのマーサを侮辱されている王女様の気持ちが如何なものか、それはもう表情から用意に推し量ることが可能だ……
「勇者様、許せませんよここの方々、私のマーサちゃんをあんなっ」
「マリエル、マーサは一応俺の管理下にあって……お前もだけどな、とにかくまぁ、あのやり方とか言い方とか、色々と許し難い部分はあるよな、さてどうしようか……」
「殺しましょう、少なくともあのカメの人はこの世界だけでなく生物の世界から退場させるべきです、活きていてはなりませんよあんな方!」
「わかった……と、ちょうどマーサがこっちに回って来るな、お~いっ!」
敗北寸前というピンチに陥りつつも、こちらの呼び掛けには気付いてくれたマーサ、サッと手を挙げて反応する意思を示す。
もちろんあっという間に通り過ぎてしまうため、手短にこちらの指示を伝えるために、ジェスチャーを用いてササッと『殺せ』の形を作っておく。
頷きながら通過するマーサ、だが前を行くカメの人に追い付くようなことは叶わないため、僅かにペースを落として、さらに1周の遅れに甘んじる勢いのマーサ。
ここで入った実況は『初参加のおかしな生物は疲れてきたのか?』などという、こちらの作戦をまるでわかっていないものであった。
そしてその実況を信じたのであろう、ニヤニヤと笑ったカメの人はさらに速度を上げ、もう一度マーサを追い抜こうと、しかも通り過ぎざまに威嚇でもしてやろうと、その真横を通過するコースで走り出したのである……
「シャァァァッ! これで何周遅れてんだこの変な生き物がよぉぉぉっ!」
「今だぞマーサ! 足を引っ掛けてやれっ!」
「あっ、うんっ……それっ!」
「ヒャハハハッ……あっ、あぎゃべぇぇぇっ!」
「やったっ! 転んだし何だか知らないけど凄いダメージよっ!」
「なるほど、スピードの方は凄く制限される術式でしたが、マーサちゃんのパワーの方は全然変化しないものだったということなんですね」
「みたいだな、マーサ、カメの人に引導を渡してやれ」
「あっ、はいはーいっ」
ちょうど良さげな場所、俺とマリエルからハッキリと見えるような近場で次の追い越しを敢行してくれた素早いカメの人。
俺の指示はマーサに届き、そして突き出されたそのマーサの長い足に引っ掛かって転倒するカメの人であったが、転倒の際の衝撃よりも、足を出された際に喰らった衝撃の方がダメージが大きいらしい。
そのまま吹っ飛んだ後のカメの人には、すでに引っ掛けられた方である左の足がなく、反対側の足にも大きく抉れたような形跡があって……もはや問答無用で競争停止となるような状態だ。
その状況に対して入った実況、かなり混乱して入るようだが、それでも冷静に今レースがどうなっているのかを伝える。
2人しか走っていなかったトラックにおいて、2位の選手が1位を独走していた選手に対して攻撃、1位の選手はそれをまともに喰らい、ギリギリで命がある、もちろん放置すればすぐにそれさえ失いかねない状態へと追い込まれたのだ……
『ここで大惨事だぁぁぁっ! なんと優勝候補、いや優勝確実とされ、ほとんどの観客が彼にポイントを賭けた、そんなカメ選手、事故によって重傷を負ってしまったぁぁぁっ!』
「かっ……かかかっ……めっ……いでぇ、何だこれいでぇよ、いでぇよぉぉぉっ!」
「フンッ、自業自得じゃないの、みんな~っ! このカメの人ズルしてたわよ~っ! 自分だけ速く走れる術式とか使ってたわよ~っ!」
「あぁっ、それは言っちゃ……あぐぅぅっ」
『おっと! さらに相手の……何だか奇妙な姿形をした異世界の生物から告発がありましたぁぁぁっ! 我らがカメ選手が不正を働いていたとはっ! まさかそんなはずが……と、今入った情報です……カメ選手! 不正な術式を行使していたことが確定したそうですっ! たった今運営側で確認が取れたとのことですっ! となるとこれは……なんとっ! 異世界から来たポッと出のわけわからん生物が優勝となりますっ! なんという異常事態でしょう!』
『ウォォォッ! ざっけんじゃねぇぇぇっ!』
『ポイント返せやボケェェェッ!』
『死ねぇぇぇっ! 処刑しろそのカメをよぉぉぉっ!』
マーサの優勝が確定した、もうここからはウイニングランといった感じなのだが、当然これに対して観客席の連中は納得しない。
ほぼほぼカメの人にベットしていたのだという連中は、馬券のようなものを飛ばすのみならず、飲料のゴミや弁当のゴミ、爆発物などを会場内に投げ込んで暴れている。
死人の方も出ているようだ、カメの人に全てを賭けてしまったのであろう、観客席の良い感じの場所を上手く使って自害している奴がチラホラ。
もちろん、皆が皆こんなにカメの人ばかりに賭けていてもゲームは成立しないし、賭けた側も配当はイマイチ、そして運営側はまるで儲けが出ないということになってしまう。
……とまぁ、それが理由で今回のゲーム、そのカメの人をどうにかする可能性があった、素早さが高く、そして人ぐらいなら日常的にブチ殺している(正義のために)マーサを参加させたというのか。
だとすればここまでは規定路線であって、人気者であったカメの人を『処理』してしまったことによって、マーサやその仲間である俺とマリエルが不利益を被ることはないと、そういうことになりそうだ。
また、ここから俺達も雇って貰う方向で事が進んでいくはずであり、そもそもの目的というかミッションである『稼ぐ』ということも達成することが出来るはずだ。
今回はなかなか上手くいきそうだなと思い、隣のマリエルもそう感じているであろう状況の中、規定の周回数を単独で終えたマーサがゴールテープを切った。
風に舞うテープ、それ以外に残ったのはスタート地点でありゴールでもあった場所にある血のシミと、トラックの隅に寄せられ、これから処分されることが決まっている雑魚参加者の死体。
それからまだ命を繋ぎ止めてはいるものの、もうそろそろ意識の方が限界のように見えるカメの人……に対しては回復魔法が施され、傷のみについて完治したようだ。
だがこれでカメの人が退場して終了というわけではない、もちろん運営が仕込んでいたカメの人を人気者にするための不正行為の数々が、『本人が勝手にやったもの』として観客の前で全て暴露されるのである。
この際、カメの人が反論することのないよう、予め『この卑怯者!』という感じで殴り飛ばし、一時的に会話をすることが出来ないような状況に追い込んでおくことも忘れてはいないらしい。
殴られ、トラックの中央まで引き摺られて行ったカメの人に、つい先程までは協力者であったはずのコロシアム関係者が、見下すような目線を向けつつ、これまでの不正行為や、それから明らかにそうではないだろうというような運営のミスまで押し付けていく……
『……はいっ、ということですっ! わかりましたか観客の皆さん! 今日この場で損失を出した方が多いのも! 観客席の屋根がある部分が少ないのもっ! そして会場備え付けのトイレがすぐに詰まるのもっ! 全てこの腐ったカメ野朗のせいだったのですっ!』
『ウォォォッ! 殺せぇぇぇっ!』
『そのカメの人を許すんじゃねぇぇぇっ!』
『そうでしょうそうでしょうっ! 私もそう思いますっ! ということで今日はこれから、皆さんの鬱憤を晴らす機会を用意致します……はいっ、ここからボーナスステージ! 会場内への立入を1時間だけ! 無条件で許可します!』
『ウォォォッ! 殺っちまえぇぇぇっ!』
なかなかにしてハードな方法で観客、もちろんカメの人に財産であるポイントを投じ、それがもう戻ることはないという損失を被った状態の観客、これに直接的な復讐の機会を与えた運営の人。
自分はサッサとその場から退避し、あとはもう、カメの人が悲鳴を上げながらボコられ、肉を千切られ、場合によっては喰われているのを見て笑い声をあげている。
そんな運営の人から、後程彼の部屋に来て欲しいと依頼された俺達3人は、その準備を整え、しかも無償で提供されたパンを齧りながらその部屋へと向かったのであった……
※※※
「いやはや助かりましたよ皆さん、あのカメの人はそもそも今日で終わりにする予定だったんですがね、そのサポートをあんな目立つ感じでして頂いて、お陰でこちらへ愚民共の矛先が向くのを完全に回避することが出来ましたよ、ハッハッハ」
「なるほど、あのカメの人に勝たせて勝たせて、それで一気に回収する感じのアレだったんだな、そりゃ儲かりそうだ」
「そうでしょうそうでしょう、ところで皆さんは異世界からいらしたとのことで、この世界では何か目的とか、そういったものがあるのですか?」
「何だかわかんないけど稼げってことだったの、でもさ、もう2日目になっちゃって、早く帰りたいのに」
「ですよね、このまま私達だけこんな世界で変なカメの人とかと戦うってのはちょっと……」
「あ、大丈夫ですよそれについては、えっと……はい、こちらが我々の魔導技術を結集して作られた『全異世界時計』です、皆さんの世界は……これですね、この2日間でまだ1時間程度しか経過していません」
「どうなってんだよこの時計の群れは……」
提示されたのは壁に出現するタイプの時計……が大量に掲げられたプレートであった。
それが世界時計のように別々の時間を指し、しかも異世界ごとに動きが違うのだ。
もちろん近場の異世界同士では同じ時間の流れなのだが、どうやらこの異世界は俺達が居た世界とかなり離れた場所にあるらしく、それによる経過時間の差異が極めて大きいのだという。
ということでこの世界にずっと居ることにつき何か問題が生じる可能性は低くなってきたのだが、それでも1週間程度、そのぐらいには元の世界へ戻りたいところ。
そこまでに頑張って『稼ぐ』という至極曖昧な目的を達成しておきたいのだが、ここにきてそこそこの信頼を得ることが出来たようだし、明日以降は3人体制で頑張っていく、それでどうにかなりそうな気がしている……
「えっと、それでですね、皆さんには明日以降3人で、この世界の日替わりイベントに参加して頂きたいと思っています、そして最後は……わかりますね?」
「競技中に元の世界へ戻る、つまり消えてしまって、俺達に賭けた馬鹿共の数だけこのコロシアムに儲けが出る感じにしろってことだろう?」
「えぇ、仰る通りです、あの馬鹿なカメもそうでしたが、やはり人気絶頂、誰もがそれにベットしているその瞬間にこそ、こちらの最大利益の可能性があるのです、ですので負けろとは言いませんが、せめて忽然と消えて頂ければ幸いにございます、ハッハッハ」
「もちろん、それまでにはガッツリ稼いで、帰還条件を満たせるようにしてくれるんだよな?」
「はい、可能な限りサポート致しまして、早速ですがこちら……明日の催しなのですが、ちょうど3人チームを20も用意したバトルロワイヤルをしようと考えておりまして、それの21チーム目として参加して頂ければと思います」
早くも提示された『稼ぐ』ためのイベント、当然断る理由もなく、すぐに参加を決めた俺達だが、ここで重要なことに気付いてしまった。
なんと、この世界に転移して来た際には武器などがセットになっていなかったのである、もちろん現状では購入することも出来ない。
となると、あのカメの人のような多少気味が悪い生物を相手に、素手で戦って殺害を……ということになるのはなかなかイヤだな、普通に汚らしく気持ち悪いことだ。
「あのさ、俺達が使う武器とかってどうしたら……」
「簡単なものでしたら用意出来ますが、一応購入ということで……そういえばそろそろ先程のファイトマネーが入っている頃です、それを使われては?」
「あっ、じゃあ私の魔法のカードで……えっと、白かったのに青くなっているわね」
「おぉっ、やはり異世界から来た方のカードは色が変わるのですな、それが青から黄色へ、緑へ、赤へと変化していって、最終的にレインボーになったとき、帰還の扉が開かれるとの言い伝えがあります」
「へぇ~っ、これでちょっとはわかり易くなって……あら、棒切れ2本と手甲ひとつ頼んだらまた白に戻っちゃった」
「使うとポイントが減るからだろうな……まぁ良いや棒切れを頼んだのは正解だろうし……と、もう届いたのか」
何もない空間からいきなり出現したマーサの注文品、棒切れは弱そうなものだがそこそこリーチがあり、俺もマリエルもしっかり装備することが出来た。
そしてマーサは手甲を装備し、これで諸々の準備が完了したということで、その日はもう少しだけ、主に食糧を注文したうえで、明日の参加者のために用意されているという汚らしい部屋に引っ込んでおく……
※※※
『さぁーっ! 今日も始まりましたっ! 昨日はとんでもない悲劇、いや不正発覚の大スキャンダルがあったわけですがっ! 今日は果たしてどうなるのかっ! 誰が儲かって誰が泣くのか! それはこの後の試合の結果次第となりますっ!』
『ウォォォッ!』
相変わらず盛り上がる会場内の雑魚観戦者達、最終的にはもちろんこのコロシアムが儲けて、お集まりの皆様が泣くことが確定しているのだが、それさえも理解出来ないような馬鹿共であるらしい。
まぁ、そんな連中から金、ではなくポイントを巻き上げて、それでゲームをクリアして元の世界に帰還することが出来るというのであれば問題ないし、喜ばしいことである。
で、昨日のレース用トラックから闘技場に変化しているコロシアムの中に入ると、俺達以外の20チームはもうその場で待機していた。
こちらを見てニヤニヤしている何だかデカい生物のチーム、そして復讐に燃えるカメの人に似た、というかその親族なのであろうカメの人々。
他には普通の人間もチラホラといった感じなのだが、メンバーに女性キャラが含まれているのは俺達異世界チームだけのようだ……いや、人間らしい見た目でない連中についてはわかったものではないが……
『ヒャッハーッ、見ろよあのチーム、変な生物と頭の悪そうな野朗、それに人間の女だぜっ』
『女だけは持って帰ろうぜ、変な生物と頭も体も弱そうな野朗はブチ殺してなっ、げぇ~っへっへ』
「……どうやらこの世界ではマーサが可愛いと認識されないみたいだな」
「凄く頭にきますね、全員この槍、ではなく汚い棒切れの錆にしましょう、ねぇマーサちゃん」
「ん? 私が何かどうかしたの?」
「気になっていないなら気にしなくて良い、というか向こうの美的センスの方がどうかしてるってのは確実だかんな」
「確かにそう考えればそうですね、ほら、あそこの……何なんでしょうかあの生物は?」
「カマキリか何かなんじゃねぇの? 人間サイズで人間の手足に変わってるみたいだけど、ほら、腕のとこにギザギザがあんだろ、しかも背中に羽が……目が合ったら威嚇してきやがった、やっぱカマキリだろあの人」
「本当に気色悪いですね、早く始末してこの世界を出ましょう」
「あっ、それは私も賛成、この世界の野菜、全然美味しくなさそうなのばっかりだし」
「まぁ、そうなるわな……しかし今回は順調すぎやしないか? どれだけ時間を掛けても大丈夫そうな感じなのに、どこかでちょっと引っ掛かりそうな気がしなくもないぞ……」
目の前には20の雑魚キャラチーム、それを全滅させさえすれば、俺達にはポイントが付与されて帰還に一歩近づくという状況。
審判だか実況だか知らないが、おっさんが試合開始の合図を出し、それと同時に襲い掛かってきたカメの人々とカマキリの人々を瞬殺しつつそのようなことを思う。
マーサもマリエルも、今回がはじめての『ゲーム参加』であるゆえ、ここまで苦労させられた俺と同じような疑念を抱いてはいないらしい。
最初の動きで俺達が圧倒的な力を持っていることに気付き、逃げ出そうとしている他のチームの連中を、まるでネズミでも追い回す猫のようにして捕まえ、地味に痛そうな攻撃でブチ殺していく2人。
昨日マーサに浴びせられたブーイングとは違う、賞賛の声が俺達3人に届けられ、そして残ったチームはあとふたつ。
まともな形状をした人間が3人で構成されているもうひとつ、俺達でない方のチームなのだが、もはや戦う意思を有していないらしく、着ていたオヤジシャツを白旗の代わりにして降参している。
もちろんそんなことで許されるわけもなく、俺達のために死んで頂くことに……と、ここでストップが入った、こういう情けない奴は残虐な方法で処刑しろとの、運営からのお達しである……




