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花筏ー6

 最初それは雪を被った冬の木立のように見えた。


 もう使われなくなった運河沿いの船着場には季節を問わなければ似合いとも言えなくは無かったけど今は四月上旬だ。そして接近してゆくうちにそれが樹木とは似ても似付かない存在である事が分かってからはただひたすら異様さだけが際立つ事になった。


 冠雪のように見えたそれはのたうち回る粘液を滴らせた白い触手の群れが集まったものだった。そこからゴツゴツとした竹のような節足が幾本も生えていて地面を忙しなく踏み荒らしていた。

 その白の触手の只中に角筈さんは捕らえられていた。粘糸の束のような触手で縛り上げられ折り曲げられて苦痛に歪む姿は異様で現実味が感じられなかった。


 その周囲を強力な封印となる魔法構造体が囲っていた。それはそいつの前に置かれた金曜会の会章を焦点に展開されているように見えた。

 妖魔が触手のようなものを振り回し封印に叩き付けるとそれは焔を上げて燃え上がった。近付く間にもそれは繰り返されその度に絹糸で縛り上げた紺の学生袴の青髪の少女が幾度となく苦鳴を上げる。


「こんな事になってるなんて…労しいですわ」


 三条が気の毒そうな顔でそう言う。それはそうなんだけど着衣の乱れた角筈さんの姿はかなり扇情的で俺としては中々目のやり場に困ってしまう。三条のスカートの下を覗いて赤面した須郷もそうだろうと横目で見ると表情を厳しく周囲の様子を確認する姿からは何を思っているかは伺い知れなかった。


「…許せん。絶対に助け出さねばならん。しかしこれは妖魔を我々に嗾しかけようとする罠なのか?」


 どうやら汚れた心を持っているのは俺だけだったようだ。誤魔化すように推測を述べる。


「罠かどうかは分からないけど此処に導いた人物とあの妖魔が組んでいる事は無さそうです。あの会章に仕掛けられた封印魔術は自然に発動したものじゃないと思いますね。あの規模の術式はこの会章には入ってません…おそらく会章を焦点として封印魔術を付与したんでしょう」


 魔法構造体を見ると封印魔術としては色々効率の悪い術式が散見されるけど仕掛けた術者が俺でも分かる位のヘボで魔力だけは凄過ぎるって情報は今は要らないだろうから黙っている。それよりもっと言わなきゃならない事があった。


「…それからあの封印はもうすぐ崩壊しますね」


 魔法量が大きいので精気視では健在に見える封印は俺がもじもじしてしまう悲鳴を伴う内部からの攻撃で修復補助魔法を枯渇させていた。あと数分も経たないうちにあの妖魔は自由になるだろう。


「包囲しましょう。憑き落としの術を掛けます。しばらく時間が掛かるので逃がさないようにお願いしますわ」


「え?かなりの強度が要りますよ?」


 あの精気体の強さに対抗する魔法量を稼ぐのは正規の過程を修了した術者でも苦労すると思うのだが…


「5分ほど時間を下さいますか?」


 ギリギリの時間だったけど本当にその時間で組み上げられるなら魔導院の中級課程を直ぐに始められるだろう。改めて帝立トップの実力を感じる。


「了解。それまで手を出すなよ護尋」


「いや、むしろ俺会章だけが頼りなんで!始まったら退避しますよ」


 怪我したく無いので戦力外アピールを必死にする俺に三条が氷の視線を向ける…本気で傷病脱退を期待されそうで焦る。あの目で見られるとそっちの方がまだマシな目に遭いそうで本当に恐ろしい。


「あと二分半ほど…二分…」


 須郷の指示に従って散開した俺は懐中時計を取り出してカウントダウンを行う。完全に戦力外と思われると三条に特攻を強要され兼ねないので多少は役に立つところを見せねば(必死)!

 残った補助魔法と思われる構造体の様子から逆算するのは骨だったけどこの手のチマチマした見積もりは結構得意だ。解析魔術を使えるなら誰でも一発だけど以下略。


「角筈!意識はあるのか?俺たちは三校の金曜会員だ。助けに来た」


 軍刀を鞘に収めたままの須郷が声を掛けた。


「…苦しい…助け…ぐああああ!」


 意識自体はあるのか?限りない苦しみを負った声に俺の心にもようやく彼女の苦痛が伝染してくる。畜生…

 妖魔に知能が有るなら魔術を用意する三条を見て先ずはこの場を去ろうとするだろう。でも足止めしようと攻撃を仕掛けたら今度は三条の魔術を邪魔する行動を向こうが取れるようになってしまう。


「意識があるなら心を強く持て、角筈!すぐに払ってやる!」


 それを見越してか須郷は何とか言葉で注意を惹きつけようとしていた。


「無駄だ…貴様らの木っ端魔術ごときに余をどうこう出来るものか!」


 軋る様な音声が糸玉の何処からか響いて来る。これが妖魔の声なのだろうか?


「ふん、ようやく喋ったか?随分とたわいない事を言うが人の言葉は難し過ぎるか?妖魔」


 須郷の口調が冷酷で無礼なものに変わる。さっきのイケメン口調よりずっとお似合いだった。


「な!何を言うか下賤な人間共めが!全くクズ風情が余にたわいないだと…み、身の程を知らぬ下賤な者どもが!とても許されるものでは無いぞ!その下賤な肉の身に教訓を刻んでくれる!締め上げ縊り殺し…」


「三度だな」


 須郷が突然声を張り上げる。


「なんだと?」


「お前は下賤なと三度繰り返した。三度繰り返さねば人より上と思い込めぬとは妖魔とは随分自信が無い存在なのだな…いや、お前が小物なだけか?」


 激怒した妖魔が咆哮を上げる。相変わらず何処から声を出しているのかは分からない。須郷が鼻で笑う音が聞こえそうだった。見事に奴の挑発に引っ掛かっていた。


「…何を言っているか分からん。言葉を喋れ下賤」


「吐かせ!吐かせ!そんな紋章に守られるだけの小童が!手会え!縊り殺してくれる!」


「ふん、精気規模から言って男爵位階の様だがそれで帝都の中枢に殴り込みを掛けて来るとは…疑問に思ったが確かにお前の言葉を聞けば理解出来る。これは大した愚か者だとな」


「えーと、結界崩壊…」


 舌戦の最中(さなか)俺が控え目に一仕事終えた宣言をすると結界の魔法構造体は解ける様に消え去った。役に立ったかどうかは分からない。


「愚か者だと!貴様ら逃さぬぞ!」


 妖魔の叫び声と共に糸玉が突然爆発したように見えた。

 うねる粘糸の波濤が俺の方に押し寄せて来て視界が白く染まる。


「ひゃああ!」


 その勢いに俺は驚いて尻餅をついてしまう。震える手で会章を突き出して正教徒のように祈りを捧げてしまった。


「少しでもヘマをしたが貴様らの最後よ!縊ってやる!引き千切り体液の全てを啜ってくれようぞ!」


「…効いてるのか」


 俺が祈りを捧げる姿勢のまま辺りを見回すと確かに粘糸は蛇のように俺の周りを巡り脅すようにそれを振り回していたが一定距離以上は近付いては来なかった。


「ふはははは!…所詮雑魚」


 須郷の哄笑が聴こえて来る。実に嫌らしい吐き捨てるような言い方に俺までムカついて来た。コイツは人を不快な気持ちにさせる天才だった。


「ぐおおおおお…貴様!生きては返さぬ!貴様!余と死合え!死合うのだ!」


「はあ、仕方ない…武士の情けだ。この一撃に耐えれば次の太刀は譲ってやる」


「良かろう!元より約定により一の太刀は受けねば成らぬ…貴様が二の先を取らぬ…」


「聖流本八術八の四条…憑鬼退散!」


 実に間抜けな展開だった。妖魔は須郷とのやり取りに気を取られて三条の破魔術を何の準備も無く喰らってしまった。


 オーバーキル気味の魔法量の魔法陣が形成され角筈を取り込んだ妖魔の精気体に刻み込まれる。物理的な作用は無いがかなりの激痛が走るらしく粘糸の群れは苦しむ様に痙攣を繰り返した。全てが小刻みに震え節足を振り上げ絶叫を上げる。


「ぐあああああああああ!貴様らああああ殺す!殺すうううう!」


 残念ながら苦痛は角筈も襲っているようで彼女は頭を振り苦痛に耐えていた。そして瞳を見開くと何故か俺の方を見詰め口を開き懇願するように手を伸ばした。


 なんだ?何か不味い事でも有るのか?


 これが憑依を解く術である事は多分分かると思うのだけども…俺は気になり近付こうとする。


 しかしその前に須郷が飛び出して行って戦闘が発生してしまい俺の出る幕は無くなってしまった。


「ぐるる!もはや約定は消えたぞ!ぐうううう!貴様人の刃で余の聖糸を断ち切れると思うなよ!」


「ダメだな。この一撃は受けて貰う」


「なに?」


「お前、先程二の太刀を譲る代わりに一撃を受けると約定したではないか?」


「…ぐ!」


 コイツは鬼畜だ。呆れる俺を尻目に須郷は一瞬動きを止めた粘糸の網を掻い潜ると節足を駆け上がる。でも妖魔って本当に約束は守るんだな…


「一念一刀…焔斬!」


 邪魔される事無く魔力を充填された刻印刀が火気を纏いながら粘糸の塊を斬り裂いて行く。切り口から焔が噴き上がり周りを焦がす。


 ガン!何か硬いものが断ち切られる音がして角筈さんが捕らえられている部分が崩落する。


「聖流本八術五の五条…土難石害を禁ず!」


 いつの間にか接近した三条が術を行使すると地面に力積緩和魔法場が形成されてその塊を受け止めた。法術系はやっぱり即応力があるなと思う。彼女の場合は魔法量も稼げるのでほぼ万能だ。

 ばらばらと白い糸が地面に広がり角筈さんが力尽きたように俯せに倒れる。彼女を保持していたと思われる節足の切り口から紫の体液が流れ落ちた。


「慶三郎さん彼女をおねがいしますわ!」


 そのまま二の太刀の権利を放棄して逃げ出した妖魔を追って須郷と三条が駆け出す。

 以外と行動力を残す妖魔は街路に入り込み追う二人もそちらに消えてしまった。


 いやあ派手だな。退魔の現場って学校で召喚失敗した奴の後始末に駆り出される時に近いけど魔術師は基本的に呪文唱えてるか刻印いじってるだけだからな。

 と言うか連中初めてじゃないよな…あいつらに付いて行くには討伐術も勉強し直して今日みたいな妖魔相手の生召喚の対応も練習しなきゃならない…うん、無理!


「大丈夫ですか?」


 そんなどうでも良い事を考えながら俺は角筈さんに近付く。取り敢えず使える刻印が無いか確かめるため会章の外し易い封印を片っ端から取り外す。

 おう、治癒加速用の刻印が有るじゃないか?本当便利グッズだなこれ。


 俺はそれに火を付けると彼女の脇に屈み込み彼女のオーラの様子を調べようとした。


「だめ…ここで始末…卑怯者…逃げない…約定…ここでよ…」


 そこで彼女が俯きながら何か意味不明な事をずっと呟いていた事に気付いた。

 そういえばさっきも何か言っていたような。譫妄状態なのか?だとすれば早く救援を呼ばないと…そう思いながら彼女の肩に手を当てオーラのチェックを始める。


「え?」


 俺は彼女の精気量と異質さに驚く。これって…


 そして彼女がふらっとその手を払いのけるような仕草をして上体を起こすのを俺はそのまま呆然として見過ごしてしまった。

 熱に浮かされたような彼女の美しい顔が現れ不意に憎しみに歪む。


「死んで!」


 彼女は叫ぶと手に持った縁石を振り上げ俺の頭に叩き付けた。


 そう言えば彼女はあの時俺に逃げてと言ったのでは無いか?なぜ本人がその警告の実行役なのかは分からなかったけど…衝撃に意識が飛びそうになりながら俺はそんな事を思った。






― 実は昨日の帰り道占い師に女難の相が出ていると占われてます☆ ―

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