臆病な勇気Ⅱ
木剣を手に、シオンは来た道を駆け戻る。小高い段差を駆け下り、藪に服が裂かれることも気にせず最短ルートを突っ切ればリリィがいるはずの奥の広場だ。
「はぁ、はぁ……リリィ! ……いない」
そこに、リリィの姿は無かった。
「もう帰った……? いや、ちがう! あっち!」
森の奥へ続く足跡が二つある。大きい蹄の後に続いて、小柄の少女の足跡。リリィのものだ。
これだけでは、リリィがどうなっているかはわからない。もしかしたら、オルビーストはとっくに自警団に退治されていてリリィの身にはなんとも起こってないのかもしれない。
しかし、どういうわけか今のシオンには"このままじゃリリィが危ない"という確信があった。根拠のない、しかし正しいと信じられる衝動に突き動かされ、シオンは足跡をがむしゃらに追いかける。
「リリィ……だいじょうぶだよね……! 死んじゃいやだよぉ……!」
涙をポロポロと流しながら走るシオン。その胸中には森の奥に踏み入ることの怯えや魔物と出会うかもしれないことの恐怖は無い。ただ、大事な友だちを助けなきゃという思いがあった。
シオンは森を駆ける。背高草に道を阻まれ、木の根に足を取られながらも友達を助けるために走り抜ける。
やがて倒木を飛び越えた先に、リリィの姿はあった。
「リリィ!」
「シオン!? どうしてここに!?」
リリィは無事だった──いや、まだ無事だったというべきだろう。
シオンが来たことに驚くリリィの背後には、腹を食い破られ倒れたカウホース。
そして、その前方数メートル先にはまさにシオンが危惧していた長く鋭い牙を持つ猿の魔物、オルビーストの姿があった。
「Grrrrruuuu……」
オルビーストは、赤く光る一対の目でリリィを睨み、しわくちゃの老婆のような顔を醜悪に歪ませていた。人族の少女という格下の存在を前にして、獲物が大量だとばかりに舌なめずりをしている。
このままでは、やがて一分もしないうちにリリィは食い殺されてしまうだろう。残酷な未来を回避すべく、シオンは木剣を抜き叫んだ。
「リリィ、待ってて! いまたすけるから!」
父から教わった通りに剣を構え、オルビーストの姿を鋭く睨みつける。目標に向かって、先手を取るべく鋭く踏み込もうとし──
「あ、あれ……どうして、足が動かない……!?」
──シオンの足は、石のように動かなかった。
助けなきゃという思いとは裏腹に、シオンの足はガクガクと震え一歩も踏み出せずにいた。
無意識のうちに体を蝕んでいた恐怖の震えは、やがて足から上半身、剣を持つ腕へと伝染する、震えに支配された手からは、次第に力が抜けていき。
カラン、とシオンの手から滑り落ちた木剣が軽い音を響かせる。
「そ、そんな……」
助けなければいけないのに、今動かなければリリィが死んでしまうのに。必死に自分の体に言い聞かせるが、シオンの全身を支配する震えは収まることはない。
シオンの表情を絶望が覆う。このまま、自分は臆病さに支配されて友達が無残に殺されるのを見るのだろうか。
(……そんなの、嫌だよぉ!)
考えるより速く、シオンは行動に出た。
カバンからふかし芋を包んだ藁を掴み取り、オルビーストへと投げつける。
──ペチン
「シオン、何を……」
「リリィ、今のうちに逃げて! わたしが気をひいておくから!」
オルビーストの注意を、リリィから自分に移そうという意図の行動だ。
しかし、オルビーストは鬱陶しそうに邪魔の飛んできた方をちらりと見るのみに終わる。一歩、リリィへ向けて足を進める。
「そんなぁ、こっち向いてよぉ……!」
泣きながら、シオンは手当たり次第に足元にある小石や土を投げつける。しかし、魔物の標的は依然として変わらない。一歩、また一歩と両者の距離は縮まっていく。
「……シオン! 受け取りなさい!」
「えっ?」
フォン! と風切り音を立てて飛来してきたソレを、シオンは咄嗟に受け取る。
「これって……」
リリィから投げ渡されたのは、使い手の小柄な体格に合わせて短く調整された、シオンにはやや頼りなくも見える一本の木剣。
すなわち、リリィの身を守る最後の防衛線となるはずの、彼女の木剣だ。
「どうして……!?」
震える声で、何故と叫ぶ。
リリィは答えることなく、ただジッとシオンを見つめる。
見つめるリリィの目は、恐怖に支配されたものでも生を諦めたものでもなく、ただシオンに対する信頼だけがこもっていた、
「Gyuau!!」
リリィへ向かい一歩ずつ歩みを進めていたオルビーストが、とうとう最後の距離を詰めるべく大きく跳躍した。
棒立ちのリリィを、オルビーストの長い牙が貫こうとする直前……シオンの中で、何かが爆発した。
「……だめえぇぇぇぇ!」
──バァン! とシオンの足が大地を蹴る音が響く。
武人の血筋を遺憾なく発揮し、弾丸のような速度でリリィが傷つくよりも速くオルビーストとの距離を詰める。
がむしゃらに振るわれた木剣が、魔物の腹をしたたかに打ち付けた。
「Gyaaua!?」
砲弾が直撃したようなシオンの一撃を受け、オルビーストは大きく吹っ飛ぶ。地面を三回バウンドし、巨木にぶつかったことで魔物は意識を失った。
「や、やった……?」
呆然としていたシオンは、やがてブワッと涙を溢れさせ、リリィへとすがりつく。
「リ、リリィ! リリィリリィ! よかった、生きてる……うえぇぇぇん!」
「ほらほら、泣かないの」
「だって、だってぇ……」
涙で顔をグシャグシャに歪ませるシオンの背中を、リリィはポンポンと撫でてあやす。
しばらくして泣き声が落ち着いてきたころを見計らい、リリィは抱きついているシオンをそっと剥がし、目をじっと見つめる。リリィには、言わなければならない言葉があった。
「……シオン、ごめんなさい」
「ぐすっ……えぅ……?」
「私、確かに自分の夢ばっかり見てて、シオンのことを全然見れてなかった。シオンのためだなんて言って、ホントは自分のことばっかりだったわ。ごめんなさい。……そして、助けてくれてありがとう」
謝罪と、そして感謝の意を込めて頭を下げたリリィは、ぽかんとしてるシオンに優しく微笑みかける。
「……おめでとう。ようやく臆病さを克服できたわね。かっこよかったわ」
「あ……ち、ちがう! ちがうの……!」
シオンは、再び涙をにじませながら首を振って否定し、支離滅裂な言葉が懺悔のように溢れ出てくる。
「わたし、全然勇気なんかなくて、あのときもすっごく怖くて! ……でも、それよりもリリィが死んじゃうことのほうがずっと怖くて! すっごく嫌で、それで、それで……!」
「それで、いいのよ」
そっとシオンの涙を拭い、リリィはシオンの頭をそっと胸に抱きしめる。
「それでも、シオンが私を助けてくれたことには変わりないじゃない。誰がなんと言おうと、それは貴女の中に確かに芽吹いた"勇気"よ。誇りなさい」
「う……ふえぇぇぇん」
再び、シオンは泣き出してしまう。胸元が涙と鼻水でグシャグシャになるが、リリィはそれを困った顔で受け入れよしよしと頭を撫でる。
木々のざわめきがこだまする森のなかで、泣き声はしばらく響き続けたのだった。
◇◆◇
「うぅ、ぐすっ……で、でもリリィ、どうしてあんなことしたの?」
「んむ?」
泣き止んだ途端、シオンがリリィの胸元からガバっと顔を上げる。涙と鼻水でグシャグシャであるが、ちょっと怒ってる様子だ。
「木剣を投げちゃうなんて、あんな危ないことどうして……!」
「ああ、そんなの決まっているじゃない。信じていたからよ」
シオンがリリィを助けようと駆けつけたとき、オルビーストの気を引いて、自分の身を犠牲にしてまで助けようとしてくれたとき、リリィは確信したのだ。
"シオンを選んだことは、間違いじゃなかった"と。
「だから、私はシオンを信じて託したのよ」
「うっ……で、でも! もしそれでわたしが駄目だったら……!」
「その時は……あら?」
リリィの言葉に若干照れながらも、シオンは負けじと言い返す。それに対しリリィが何かを言いかけた途端のことだった。
「Grrrrrruuuuu……」
「そんな、まだ生きて……!」
気を失っていただけのオルビーストが目を覚ます。そして、リリィとシオンに向け殺意のたぎった目で睨む。
本格的に怒りを覚えたのだろう、今度は様子を見ることはせず、一気に二人へ向け飛びかかる!
「Gyyau!」
「リリィ、危ない!」
咄嗟にシオンが木剣を手に取り立ち向かおうとするが、間に合わない。オルビーストの長い牙がリリィを貫く──
「ていっ」
「Gyau!?」
──直前、リリィはさっと身を屈めてそれを回避。すぐさまオルビーストの腕を掴み、勢いを利用して投げ飛ばす。
ゴロゴロと魔物が転がってる間にリリィはすばやく魔法の詠唱を行い。
「"ファイア・トーチ"!」
「Ggyua!?」
起き上がったオルビーストの尻を火の玉がジュッと焼いた。思わぬ反撃に飛び上がったオルビーストは、火傷を負った尻を押さえながら森の奥へと逃げ去っていく。
「……ま、つまりこの私にかかれば、剣なんてなくてもあの程度なんとでもなるってことよ!」
「えぇ……」
ドヤッといつもどおりの自信満々な笑みでふんぞり返るリリィ。
「わたしのがんばり、なんだったの……」
がっくりとうなだれいじけるシオンが立ち直るまで、一時間はかかるのだった。
◇◆◇
「……さ、そろそろ最後の特訓に向かうわ!」
「えっ!?」
もう帰ろう。そうシオンが言おうとした矢先のリリィのこの言葉だ。
まだなにかやる気なのか。もう心身ともに限界に達しているシオンは、リリィを止めようと必死に説得を開始する。
「もう、今日はいいんじゃない!? すっごく頑張ったし、わたしもちょっとだけ臆病さを克服できたし!」
「いいえ、まだよ。まだ一つだけやらなきゃいけないことがあるわ!」
ビシッ! とシオンに指を突きつけたリリィは、ツーっと、突きつけた指を体ごとある方向に向ける。つられてシオンもその方向に目を向けた。
「……カウホースを死なせちゃったことを一緒に怒られにいくという、最大の特訓が待ってるわ!」
「……ああー……」
指差す先の、すでに事切れたカウホースの姿を見て、シオンは理解した理解したと同時に、「それ、わたしも怒られなきゃいけないの?」という思いが湧き出てくる。
しかし、リリィに有無を言わせない。ズルズルとシオンを引きずって家畜車に向かったリリィは、共に家畜舎の管理人に勝手に森の奥へ入ったことと無茶をしたことをこっぴどく叱られ、二人が家に帰ればそれぞれの両親からも叱られ。
その日ぐっすりと疲れを癒やした翌日──とうとう、シオンとハンスの決闘の日がやってきた。
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