旅立ちⅠ
「馬車って、すっごく揺れるんだね……」
「お尻が痛いわ……」
揺られ続けて一時間。少女二人は共にそんな結論に至っていた。
リリィとシオン、そして付添の司祭アメリーを乗せた馬車は、村人たちに盛大に見送られてファル村を出発し、今は護衛の騎士が駆ける馬と共に道なき平原を進んでいた。
そう、道なき平原である。あまりにも辺境に位置しているせいで、ファル村と街をつなぐ道は、ファル村周辺を除き殆ど整備されていなかったのだ。
乗った直後は軽く揺れる程度だった車内も、一度悪路に出れば一変。小石や草の根などに幾度となく車輪をとられ、車内はまるで嵐が吹き荒れたかのような惨状と化していた。
「あはは、ちゃんと整備された道ならこんなに揺れないんですけどね……きゃっ!?」
「んむっ!?」
「わぁ!」
大きめの石に車輪が引っかかったのだろう。今までより一際大きく車体がバウンドし、三人は暫しの間、空中浮遊を体験することになった。
そして、木組みに革を張っただけの座席は、落下の衝撃を受け止めるには硬すぎた。一瞬空中浮遊を終えたたリリィはしかめっ面で打ち付けたお尻をさすり、シオンはといえばお尻を打ち付けることは無かったものの、崩れ落ちてきた荷物の山に押しつぶされ涙目になっていた。
「も、もういやだ……お父さんからは馬車ってもっと快適なものって聞いてたのに……」
「これがあと何日も続くのはさすがにしんどいわ……」
今日何度めかもわからないボヤキが、二人の口から漏れ出る。
尚、ただの村娘であるシオンは当然のこと、前世で百年以上の歳月を生きたリリィも馬車に乗るのは初めての経験だった。得意の召喚術で呼び出した召喚体に乗って移動することがほとんどだったからである。
最も、そうでなかったとしてもここまで暴走する馬車は初めての経験となっただろうが。
「こんだけ飛んだり跳ねたりしてるのに、なんでこの馬車は無事なのよ……!」
乗ってる自分たちはボロボロになってるのに。暗にそんな恨み節が乗せられた疑問は、馬車の外から答えが返された。
「そりゃあ、こいつが騎士団特注の強化馬車だからだな!」
「んむ? 貴方は……」
「護衛のビートだ。よろしくな、ちびっこ共!」
開け放たれた窓を通じて届いたその声に、崩れ落ちた荷物を戻していたリリィは振り返る。騎乗する馬を馬車に並走させながら、年若い騎士の一人が器用に窓から顔を覗かせていた。
「街から辺境の村まで行くのに、ちんたら走らせてたら時間がかかりすぎちまうからな。この辺来るときに使う馬車は、とばしても大丈夫なようにガッチガチに補強してあるんだよ。……おかげで内装に使う予算が無くなっちまったらしいけどな!」
「どおりでだわ……」
リリィは自分の座る座席をバシバシと叩く。綿の一つも詰められていない革張りの座席は、車体の補強に予算を使い果たしたゆえの結果のようだ。
尚、騎士団の者たちも乗り心地の悪さは指摘されているが、予算が確保できないせいで一向に改善の兆しは無いらしい。そのため、この馬車に乗るときはみな各自のクッションを持っていくのだとか。
「あと、この馬車がガッチガチなのはもう一つ理由があってな……ほら、丁度いい。外見ればわかるぜ」
「なにかしら?」
「なんだろう……」
ビートが馬を一歩下がらせたことで空いた窓から、今度はリリィとシオンが身を乗り出す。アメリーも二人が落ちないようにそっと身体を支えながら、ビートの指し示す方へ顔を向けた。
「あれは……オルビースト?」
「ひっ!?」
「この辺までは魔物退治の手も届かないからなー。よく遭遇するわけよ。そんでその度に修理してたんじゃ面倒だし、そもそも壊されないようにすれば解決ってわけよ」
窓から見える、遥か地平線まで広がるなだらかな平原の中を、赤黒い毛並みと長い牙を携えた一頭の魔物、オルビーストが走り抜けていた。
群れからはぐれただろうその個体は、相当に飢えていたのだろう。草原のど真ん中を突っ切る馬車の姿に気づくと、自分よりはるかに大きい相手であるにも関わらず、襲いかかるべく足を馬車へと向ける。一直線に向かってくる姿を見て、オルビーストにいい思い出がないシオンは息を呑むような悲鳴を漏らした。
だがその牙が届く遥か前に、馬車の側から離れて迎え撃った壮年の騎士により両断される。この程度であれば、訓練を積んだ騎士の敵ではないようだ。
「あ、ちなみに今向かっていったのが俺らの隊の隊長でな。見た目は厳ついんだが実は笑えるエピソードが沢山あって──「ビート! 警戒に集中しろ!」──へいへーい……話の続きは野営地にでもついたときにするか。んじゃ!」
額に青筋を立てた先輩騎士から叱咤が飛んでくるが、もはや慣れているのだろう。面倒くさそうに返事をしたビートは、窓から離れるとやる気なさげな様子で護衛を再開する。……と思えば、器用なことに馬を走らせたままその上で居眠りを始めた。そして案の定、先輩騎士から特大の雷が落とされた。
「……大丈夫なのかしら?」
「ちょっと不安ですね……」
後頭部にたんこぶを咲かせ涙目で馬を走らせる、護衛と言うにはどうにも頼りないその騎士の姿に、三人は思わず苦笑を浮かべるのだった。
◇◆◇
その後は大した事件もなく馬車は進み。
車内の荷物が倒壊した回数が十を超えた頃、川沿いの開けた地にて一行は足を止めていた。
「よし、今日はここをキャンプ地とするぞ!」
「あ、隊長さんの声だ」
隊長の号令に続き、護衛の騎士たちがテキパキと野営の準備を始める。
「まだ夕方にはちょっと早いけど、今日はここまでなんだね。お馬さん疲れちゃったのかな?」
「うぅ……止まってくれるなら、もう何でも良いわ……」
予想より早い時間に馬車が止まったことに疑問を覚えるシオンの横で、座席に倒れ込んだリリィの口から死霊の呻きのような声が漏れ響く。三人の中で最も体重の軽いリリィは、馬車の大揺れの被害を最も受けていた。
空中浮遊を体験すること三十五回、座席から投げ飛ばされること十一回、倒壊してきた荷物の山に巻き込まれること三回。全身の痛みと酔いで、常に元気なリリィにしては珍しくグロッキーとなっていた。
気分の悪そうな顔でうずくまるリリィの背中をシオンが優しくさすっていると、馬車の扉が木材の軋む音を立てて開かれる。幾度の揺れで若干建付けの悪くなっている出入り口から顔を覗かせたのは、三人の間でたんこぶ騎士と密かに名付けられたビートだ。
「おーい三人共、野営の準備するから一度出てこーい……リリィちゃん大丈夫か?」
「全く大丈夫じゃないわ……」
「おー、こりゃものの見事に死んでるなー。可哀想なこった……それ、よっこらせ」
病人もかくやというようなリリィの様子に道中の車内で何が起こったか薄々察したビートは、車内の荷物を運び出すついでにリリィもひょいと肩に担ぎ上げた。固い革鎧で覆われたビートの肩にお腹を圧迫され、身体がくの字に折れ曲がったリリィの口からカエルが潰れたような吐息が漏れる。
その衝撃がとどめになったのだろう。魂が抜けたような表情でぐったりするリリィの様子を気にすることなくビートは仲間の騎士たちの下へ歩いていく。その後ろをシオンはリリィを心配しながらもアメリーと共に着いていく。
「隊長〜、三人連れてきましたヘブっ!?」
「馬鹿者! 護衛対象を荷物のように担ぐやつがどこにいる!」
そして、ビートの頭に本日三度目の雷が落ちた。隊長騎士の拳が電光石火の勢いで振り抜かれ、爆発したかのような音が辺り一帯に響き渡り、頭頂部に特大のたんこぶを咲かせたビートが声にならない悲鳴をあげながら地面をのたうち回る。
尚、リリィは隊長の拳が振り抜かれる直前に先輩騎士の肩ぐるまによって避難済みである。そして先程荷物のように扱われたことにお冠だったのだろう。ビートを見下ろしながら「天罰よ」とつぶやいていた。
「うちの馬鹿がすまない……改めて、儂は今回の護衛隊の隊長を務めるグランだ」
「グスタフだ、よろしく! この馬鹿がなんか迷惑かけたら、すぐ俺か隊長に言ってくれよな」
「……オットーだ」
貫禄の溢れる壮年の隊長に続き、肩車からリリィを下ろした気さくな雰囲気の先輩騎士と、馬車の御者をしていた長身で寡黙な騎士がそれぞれ名乗った。
「さて、聞いたと思うが今日はここでキャンプとなる。もう少し進みたいところだが、日が暮れてからの行動は危険なのでな。我々はこれより野営の準備に移る。……ビート! いつまで寝ておる! 早く立って仕事をせんか!」
「あいよー……」
「私もお手伝いさせていただきます」
「アメリー殿、感謝する。君たちは準備が終わるまで自由にしておいてくれ。ただし、我々から離れすぎないようにな」
ノロノロと起き上がったビートを連れて、騎士四人とアメリーは野営の準備に移ってしまう。
「……どうしよう?」
「自由にしてろって言われたけど、何もしないってのも気がひけるわね……」
辺境の村で暮らしていた二人にとって、出来ることは自分でするというのが当たり前だ。何もしないでただ待つというのは逆に落ち着かなかった。
「けど、何をすればいいのかしら……」
だが、何かしたいと思っても何をすればいいのかが二人にはさっぱりだった。遠出の経験がないシオンは勿論のこと、実はリリィにもこの手の知識は無かった。前世での征服戦争の時には軍を率いて野営をしたこともあるが、その時は優秀な配下達がテキパキと済ませて何もする必要が無かったためだ。
困った果てに「分かる人に指示をもらえばいい」という当たり前の結論に達した二人は、早速小走りでビートのところに駆けていった。人選の理由は、ビートが一番暇そうに見えたからだ。
「手伝うこと? 子供にできることなんか無いから大人しく……いや、そんな悲しい顔するなよ。あーそうだなぁ……んじゃ、このロープをあの辺からあの辺まで張ってくれるか?」
「わかったわ! けど、なんのために?」
「ん? 警報だよ。張ったロープにこのベルを引っ掛けてな……」
ビートは試しとばかりに手のひら大のベルを取り出し、そのフック部分をロープに引っ掛ける。そして両手の間でピンと張ったロープを小刻みに揺らしてみれば、カランコロンと無骨な見た目に似合わない澄んだ音が響いた。
「近寄ってきた魔物が引っかかれば、こんな風に音がなって知らせてくれるってわけよ。しかもこいつは魔道具になっていて、近寄ってきた魔物の種類で音色が変わるっていうすぐれものよ」
「へー……こんな魔道具があるのね。初めてみたわ!」
目をキラキラと輝かせるリリィに、調子に乗ったビートは、これは十年前に開発された物だのうちの隊が真っ先に取り入れただの仕事を放り出してペラペラと語り始める。そして隊長が青筋を立てて睨んできているのに気づくと、冷や汗を流し取り繕うように仕事に戻っていった。
(人族の世界にはこんな便利なものがあるのねぇ……)
ロープに引っ掛けた三個目のベルを軽く鳴らしてみながら、リリィは改めてその便利さに感心する。前世で世界の半分近くを手中に納めたリリィはその途中で様々な種族の魔道具を目にしてきたが、やはり身体能力の乏しさ故か人族の技術が群を抜いていた。
(強靭な魔族に人族製の強力な魔道具を持たせた軍隊を作れば、世界征服ももっと楽に進められるのかしら? むふふ、夢が広がるわね!)
街に着いたら魔道具のことも調べなければ。ロープをせっせと運びながら、リリィは脳内やりたいことリストにまた一つ項目を追加する。
リリィたちにとっては些か早い時間から始まったように思われた野営だが、設営を終えてスープと保存食の晩御飯を食べ終わる頃には、辺りはすっかり夜の帳に包まれていた。一刻前までは食事時の喧騒に包まれていた周囲も、今は静まり返り時折フクロウの鳴き声が微かに響くばかりとなっている。
「……リリィ、もう寝ちゃった?」
「まだ起きてるわ」
「そっか……」
野営地の中央、少女二人に充てがわれたテントの中で、シオンがもぞもぞと起き上がる。そして軽く移動すると、リリィの背中にピッタリとくっついた。
「んむ? どうしたの?」
「えっと、その、ちょっとだけ怖くて……」
自分より背の低いリリィの背中に顔を埋めながら、シオンはか細い声で告白する。生まれて初めての家族から離れて過ごす夜であり、そしてここは騎士団の護衛があるとはいえど、いつ魔物が襲いかかってくるかわからない平原のど真ん中だ。前世で勇者と殺し合いまでしたリリィはともかく、ただの村娘でしか無いシオンにはたとえ親友が一緒と言えど心細いものがあった。
「もう、情けないわね。そんなんじゃ世界征服なんて成し遂げられないわよ」
相変わらず臆病なシオンの様子を言葉では叱咤しつつも、リリィは困ったように微笑んで好きなようにさせていた。
それからは、二人は外の様子が気にならないようにランタンの明かりを着けて他愛のない話に花を咲かせる。そのさなか、シオンがふと思い出したように「そういえば」と話題を変えた。
「リリィは、なんでそんなに……えっと、世界征服? にこだわるの?」
「んむ? 勿論、それが私の夢だからよ!」
「そうじゃなくて……リリィってもっと小さい頃から世界の頂点に立つんだーって言ってたよね? 何がきっかけでそんな夢をもったの?」
「それは……」
シオンからの素朴な疑問を前に、リリィは珍しく口ごもる。
魔族と敵対している人族の領域で自分が魔王の生まれ変わりだと言えばどうなるか。天然で破天荒なリリィにもその末路は容易に想像できたため、前世のことについてはリリィは家族にさえ隠していた。
(……でもそうね。シオンには打ち明けてもいいかもしれないわ。これから世界征服を側で支えてもらう仲間なんだものね)
シオンは──本人にその気はあるかは置いといて──リリィの側近として働いてもらうことが決定している人物だ。その様な相手に対し隠し事など必要ないだろう。
そうと決めたリリィは、内緒話をするかのようにシオンの耳に口を寄せる。「今から大事な話をするわ」とリリィが前置きをすれば、シオンは緊張の面持ちでこくりと頷いた。
「私が世界征服を目指す理由。それはね──私が『氷黒の魔王』リリアスの生まれ変わりだからよ!」
「…………………………あ、うん」
「あれ!? なんだか反応薄くないかしら!?」
リリィ的には驚き戦かれてもおかしくないほどの大告白だ。それがたった一言で流されたばかりか、妙に生暖かい目を向けられるということに驚きを隠せない。
「……もしかして、信じられてない?」
「あ、その、信じてないわけじゃないよ!? でもその、うん……」
シオンはちらりとリリィの姿を見やる。ランタンの明かりに照らされた、腰まで伸びるサラサラで純白の髪。大きくくりりとした水面のような水色の瞳。笑顔がよく似合うよく出来たお人形の様な顔。ほっそりとした華奢な手足。そして若干年不相応な小柄な背丈。
誰がどう見ても、魔王と言うより魔王に攫われるお姫様とでも言われた方がしっくり来るものだ。
「……ふーん。もう知らないわ! おやすみ!」
「あ、ちょっとリリィ!?」
シオンの表情から大方何を考えているか感じ取ったのだろう。拗ねたように頬をふくらませると寝袋の中に潜り込んでしまう。焦ったシオンの声は聞こえないふりである。
結局、元魔王様の機嫌は、夜が明けて朝ごはんでお腹いっぱいになるまで戻らないのだった。
次回の投稿は来週を予定していますが、若干リアルが忙しくなりそうなのでおそらく遅くなります。
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