襲撃Ⅵ
三話同日投稿の二話目となります。
気がつけば、辺り一帯が冷気に支配されていた。
肌を指すような寒さが辺り一帯を支配し、あらゆるものを凍てつかせ、白銀の世界を創り上げていた。氷に閉ざされまるで彫刻のように固まった草や葉が、急速な温度変化に絶えきれずパキリパキリと硬質な音を立てて砕けっていき、あたかも音楽を響かせているようだ。
まるで局所的に訪れた極寒の冬。異常気象とも言えるその現象は、その中心点……本来、立ち上がるはずのない少女から発せられていた。
「今、何をしようとしてたのかしら?」
「お前、なんで生きてやがる……!?」
ドミニクの耳に、リリィの言葉は入っていなかった。完全に命を奪ったはずの少女が立ち上がっていることに驚愕の表情を浮かべ、唇をワナワナと震わせている。
(どういうことだ……! 完全に心臓を貫いたはずだぞ!?)
ドミニクの考えを肯定するかのように、今もリリィの胸には術具であるナイフが深々と突き刺さっている。しかし、リリィは身体の半ばまで突き刺さったナイフを気にかけることもなく、ただ家族に害をなそうとしていた不届き者を射殺さんばかりの殺気が籠もった視線で睨みつけていた。
「お母さんから、離れなさい」
一歩、また一歩とリリィは凍りついた大地を踏みしめながらドミニクへと近づく。その距離が縮まるにつれ、ドミニクの身体に幾つもの凍傷が出来上がっていく。リリィの身体から発せられている冷気が、ドミニクを標的に定め襲いかかっていたのだ。
「チッ……クソォ!」
これ以上近づかれるのは危険だと本能的に判断したドミニクが、氷に縛られた曲刀を取り戻すことを諦め大きく飛び退る。退避した先から警戒強く睨みつけてくるドミニクを意に介さず、リリィは倒れているマリアの横でしゃがみこんだ。
「リリィちゃん……?」
「お母さん、大丈夫?」
マリアを優しく抱き起こしたリリィは、心配そうな表情を浮かべて問いかける。リリィの身体から発せられていた冷気は、今は最愛の家族を傷つけないように意識的に抑えられている。
「ええ……でも、ちょっと寒いわ……」
「んむ……お母さんにはぶつけないようにしてるんだけど、久しぶりだからなかなかうまく行かないわね……少しだけ、我慢してくれるかしら?」
抑えていたつもりでも、かなりの冷気が生じてしまっているようだ。完全にはコントロール出来ていない力の前に、リリィは困り顔でそう頼むしかない。
ぐぬぬと眉を顰めながら、どうにか冷気を抑え込もうと奮闘するリリィ。そんな娘の姿を前にして、マリアの中に一抹の不安が芽生えた。
「本当に……リリィちゃんなのかしら……?」
「むぅ。なによ、お母さん。私のこと忘れちゃったの?」
震える声で絞り出されたその言葉に、リリィはすねたように頬をふくらませる。しかし、マリアがそう問いかけてしまうのもしかたないことだった。
辺り一帯を白銀に染め上げるほどの冷気を身に纏う。そのようなことができる人間などマリアは聞いたことがない。更に、髪に付着したおびただしい量の血液に紛れて分かりづらいが、リリィの純白に輝く長い髪は、どうしてか漆黒に染まっていた。同様に、氷のように透き通った淡い水色の瞳は、今は真紅に染まっている。
──その特徴と姿は、"ただ存在するだけで氷河期を連れてくる"とまで謳われる存在である氷妖族、その中でも史上最強と恐れられた氷黒の魔王リリアスと酷似したものだった。
ガラリと変わってしまった娘の姿に、マリアは実は娘そっくりの姿をした魔物なのではないかと若干の怯えを孕んだ目でリリィをじっと見つめる。
「んむぅ、どうしたらいいのかしら……」
そんな母の視線を受けて、リリィは困ったように小首をかしげる。そんなリリィに顔にピトリと人肌のぬくもりが触れた。
確かめるように恐る恐る伸ばされた、マリアの手のぬくもりだ。
「……冷たいわ」
「んふふ、やっぱりお母さんの手は心地良いわ」
マリアがいつもそうしているように触れた肌は、暖かな人族のものではない。まるで氷のような、触れ続けることを躊躇してしまうような無機質な感覚だ。一方、リリィは不意に触れられた手の感触にくすぐったそうにしながらも、嬉しそうにはにかんだ。
(冷たい……まるで人じゃなくて、氷になっちゃったみたい……でも……)
頬を優しく撫でる感触に目を細め、心地よさげに顔を緩める笑顔は、決して見間違えるものではない。この八年間、マリアが幾度となく目にしてきたリリィの笑顔だ。
今マリアの目の前にいるのは、紛れもないリリィであった。
「ああ、本当に、よかった……」
娘の無事を確かめ、張り詰めていた緊張の糸が切れてしまったのだろう。ゆっくりと意識を手放し始めている母に、リリィは安心させるように笑いかけた。
「待ってて、すぐに終わらせてくるわ」
家を飛び出たときと同じ様に、しかし今度は確かな自信を兼ね備えた言葉を、リリィは母へと告げる。途切れかけた意識の中で届いたその言葉に、マリアは微笑んでコクリと頷いた。
やがて、穏やかに寝息を立て始めたマリアをそっと地面に横たえ、立ち上がったリリィはドミニクを鋭く睨みつける。
戦いは、まだ終わってない。
「待っててくれるなんて、案外律儀なところもあるのね。見直したわ」
「は、言ってろ化物が」
軽口を叩くリリィに対し、ドミニクは嫌悪感を顕にそう吐き捨てつ。あまりにも随分な言い草に、リリィは腰に手を当てわざとらしく怒りを表現した。
「ちょっと、化物呼ばわりはひどいんじゃないかしら?」
「死んでも死なねえような奴を化物と言って何が悪い。……一体、どんな手品使いやがった?」
探るような視線を向けてくるドミニク。一方、リリィはその言葉を聞いて困ったような表情をする。
「どんなって言われてもねえ……私だって、死んだものだと思ってたもの」
クスクスと笑うリリィにとっても、生きているのは想定外のことだった。心臓を貫かれても死なない人族など、前世も含めればドミニクの五倍の長さは生きているリリィですら聞いたことがない。
だが、現実にはリリィはこういて生きている。そして、その理由に心当たりがあった。
(このナイフ……正確に言えば、ナイフに使われている魔族の核が原因ね)
胸に刺さったままのナイフ……性格には、その中に封じられているであろう魔族の核を見下ろしながらリリィはそう考える。
ナイフに仕込まれた核から懐かしい魔族の魔力がこんこんと体内に流れ込んでいるのをリリィは感じていた。失ってしまった血の代わりに魔力が体内を駆け巡り、リリィの身体に活力を与えている。
核とは、魔族にとって脳や心臓よりも重要となる器官だ。
核から生み出される特殊な魔力が身体に行き渡ることで、魔族の並外れた身体能力や生命力を生み出し、また極めて強力な術の行使を可能にする。そして、核を失ってしまえばその生命を支えていた魔力も供給されなくなり、魔族はたちどころに死んでしまう。そのため、魔族を殺す時はかつての勇者がそうした様に核を完全に砕く必要がある。
──逆に言えば、魔族は核さえあれば生きていけるということだ。
(だとしたら、今の私は魔族だっていうことなのかしら……? ま、そんなことはどうでもいいわね)
いくら前世が魔族であろうと、現在のリリィは紛れもなく人族だ。当然の如くそんな疑問が生まれてくるが、リリィはそれをどうでもいいと頭の片隅に追いやった。
目の前の相手を倒し、最愛の家族を救うための力がある。ただそれだけが今は重要だった。
あっさりと疑問を放棄したリリィは、ゆらりと伸ばした右腕でドミニクへと照準を合わせる。そして、薄く微笑むと穏やかに言葉を放った。
「礼を言うわ、ドミニク」
紡がれた言葉は、怨嗟の言葉でも勝利宣言でもない。ただ純粋な感謝の言葉だった。
「貴方がこのナイフを持ってなかったら、私はお母さんを助けられなかった。貴方がこのナイフで私を殺さなかったら、私は一生この力に気づくことがなかったかもしれないわ」
「何言って……」
「だから、貴方には特別に私の全力を見せてあげるわ」
そして詠唱を始める。
唄うように紡がれる呪文は、この世界で広く話されている大陸共通語ではない。リリィの前世、リリアスの出身である氷妖族に古くから伝わる言語だ。
そして、この世界においてその言語で呪文を紡ぐ魔法はただ一種類しか存在しない。"氷血魔法"と呼ばれる魔法である。
氷属性のエキスパートであり、ただ存在するだけで氷河期をもたらすとまで呼ばれる氷妖族ですら扱うためには厳しい修行を必要とする、氷属性最強の魔法だ。
そして、前世のリリィを歴代最強の魔王たらしめた力の一つでもある。かつては手足のように自在に操れたその魔法は、人族に生まれ変わってからは使えなくなっていたものだ。だが、一時的とは言えかつての力を取り戻した今なら使える。
『黒に染まりし空の下悠久の旅人が屍を晒す その手に握る銀の時計が旅の終わりを告げる時 灰に覆われた大地の裏で白き骸が微笑み朽ちて 塵から滴る赤の雫が彼を再び旅へと誘う』
異郷の、そしてリリィにとっては故郷の言葉で綴られる詠唱が一節、また一節と完成する度、辺りを覆う冷気が強くなっていき、空気中の微かな水分が凍結し白い靄を作る。
『氷血ノ槍』
やがて、詠唱が完成した。
三重の円環に縁取られ複雑に紋様の組み合わさった、藍色の巨大な魔法陣がリリィの足元の地面にに展開される。魔法陣からは吹雪が吹き荒れ、周囲を純白に染め上げた。
「さ、準備完了よ。逃げるのなら今のうちよ?」
「ざ、けんな……!」
リリィからの最後通告に対し、ドミニクは吐き捨てるように悪態をつく。逃げようにも、ドミニクの足をいつのまにか氷の鎖が縛り上げていた。リリィに逃がすつもりなど全く無かったのだ。
「ファル村に……そして私の家族に手を出したこと、後悔して死になさい」
虚空から生み出した氷柱で手のひらを浅く切り裂き、流れ出た血を足元へと垂らす。場を支配する冷気により、瞬く間に氷の粒となったリリィの血滴が魔法陣に触れた瞬間、変化は起こった。
魔法陣が一層強く輝きを放ったと思えば、血の氷が大きさを増していく。一瞬の間に数千倍まで成長し、真紅に透き通る巨大な氷の槍が創り上げられる。槍からは、内包する魔力の量が桁外れであることを示すがごとく、周囲を明るく照らし出すほど魔力の燐光を放っている。
そして、槍は次の瞬間には目にも留まらぬ速さで宙を駆け……標的を抵抗する隙も与えず真紅の氷に閉じ込め、ドミニクごとバラバラの氷片となって砕け散った。
「あっけない最期ね」
足元まで転がってきた、呆然とした表情のまま固まったドミニクの首が封じられた氷片を、無表情に見下ろしながらリリィは呟く。
多くの人間をその手にかけ、オルゼ村とファル村を恐怖に陥れた男は、遺言を残すことも許されず、自分の身に何が起こったかもすら理解できぬままその生を終えたのだった。
「──……リィ──」
「──リ……さん──」
「ああ、来てくれたのね……」
遠くの方からこだまする、自身の名を呼ぶ声がリリィの耳に届く。聞き慣れた声音はシオンのものと、もう一つは司祭アメリーのものだろうか。
更に、声に続いて村の玄関口の方から甲高く警鐘を鳴らす音が響く。それが、オルゼ村の調査が終わり、一足遅くファル村に駆けつけた騎士団の鳴らすものだとリリィが知る由も無いが、ただその音にリリィは事態が収束に向かっていることを直感的に確信する。
たった数時間余りの激動を生き残ったリリィは、忘れていたかのように襲いかかる疲労感に身を委ね、どさりと地面に倒れ伏せる。シオンとアメリーがその場に駆けつける頃にはリリィの容姿は既に元に戻り、場を支配していた冷気は跡形もなく消えていた。
まるで今までの激戦が嘘であったかのような穏やかな風が吹く中、ドミニクの首を閉じ込めた赤い氷だけがそれが真実であっただと物語るのだった。
次話は約一時間後に投稿予定です。





