第1話:商人さん、追憶する。
荷馬車の御者台に座りながら、何気なく空を見上げてみると雲一つない晴天だった。
私の名前はフリッツ・ブリンカー。職業は小さな隊商を率いている商人だ。
私は舗装もされていない荒れた街道をゆっくりと着実に進んでいた。
獰猛な魔物に率いている隊商が襲われる危険性は皆無に近い。
目的地である城郭都市プフォルツハイムへの到着が遅延してしまった場合、我々を捜索する為に冒険者ギルドから信頼することもできない冒険者を勝手に派遣されかねない。派遣された冒険者に支払われる費用は紹介料も含んで全額こちら持ちなのだ。それでは商会の利益が簡単に吹き飛んでしまう。お節介な冒険者の派遣はありがた迷惑この上ない。6頭立ての荷馬車の車輪が脱輪でもして、目的地に遅れて到着するのはどうしても避けたい事態だった。
荷馬車に満載されている商品は塩。それは人々が生きていく限り、必要不可欠なものだ。大量の塩を運搬することは商人にとって諸刃の剣になる。利益率は極めて高いが襲われる可能性――他の商品を扱っている隊商よりも盗賊に待ち伏せされる確率が格段に高い。私自身も雇った護衛の冒険者に殺されかけた経験がある。
「あーうー」
「~~~~♪」
御者台の隣りに座っている妻のほうを見ると必死に笑いを堪えていた。私も笑うことを堪えることに必死だった。幌付きの荷台の中にいる無愛想な彼女が楽しげに歌っていたからだ。敵対する者を徹底的に容赦なく殺害し続けている彼女でも、再来月で1歳になる可愛い我が子には勝てなかったらしい。
冒険者に襲われた当時の私は人を見る目が無かったのであろう。冒険者ギルド特有の難解なシステムを理解しようともせず、魔物から人々を守る冒険者という存在を妄信しすぎていた。あくまで、冒険者ギルドは冒険者に仕事を斡旋しているだけにすぎない。仕事を斡旋した後で冒険者が盗賊に化けたとしても、冒険者ギルドは知らず存ぜぬを突き通す。冒険者ギルドの言い分を鵜呑みにして、素行の悪い冒険者を雇って騙される馬鹿な被害者のほうが悪い。そう言ってしまえば簡単だが、騙されたほうは溜まったものではない。
D・Eランクは城郭都市や村落周辺の魔物を討伐。
低ランクの冒険者は人格と能力を冒険者ギルド内外に示さなければならない。魔物を倒すのは多額の費用が掛かる。冒険者個人だけで、磨耗する武器の研磨や常に消費される弓矢を補充することは容易なことではない。
B・Cランクは都市や村落を移動している隊商の護衛。
人格と能力が認められた冒険者は各種ギルドの後援を受けられる。Cランクにもなれない冒険者は魔物に殺されるか借金奴隷に落とされるかの二者択一。後援を受けられない冒険者は地獄しか用意されていない。
Aランクはパーティ単位での大型種討伐が条件になる。
人格と能力が内外に周知され、多少の犯罪行為を行っても黙認される。各種ギルドからの全面的な支援を受け取ることが可能になり、金銭と装備に困ることが事実上なくなる。
Sランクは単独での大型種討伐が条件になる。
まさに人外認定である。人格と能力が所属する国家単位で周知され、多少の犯罪行為を行ったとしても罪を一切問われることが無い。国家からの全面的な支援を受け取ることが可能になり、金銭と装備は所属している国家から支給される。
あれは6年前に出来事だった。私は見ず知らずのCランク冒険者を、人格と能力を確かめもせずに護衛として雇ってしまった。それは取り返しようのない致命的なミスになった。隊商を組んでもいない、荷台に利益率が高い塩を満載にしている荷馬車が1台――6人のCランク冒険者に護衛を受けている我々は、襲撃しやすい愚かなカモに成り果てていることを気づきもしなかった。私は背中を斬られ瀕死の重傷を負い、妻は犯される寸前になっていた。
「うー?」
「~~~~♪」
結果的に盗賊と化けたCランク冒険者全員が一人の幼女の手により皆殺しにされた。一人の冒険者は瞬時に首を刈り取られ、残り5人は下着を含めた全ての衣類と装備を強奪された後で肉片に変えられた。命を救われた代償――私も背中の傷が治療された後、荷台に積まれていた塩の一瓶を奪い取られた。
私は隊商の前後左右を守っているならず者達――騎馬に乗っているBランク冒険者をチラリと覗き見る。その顔色は信じられないぐらい蒼白になっていた。幼女から少女に成長した彼女は冒険者から極度に恐れられている。年齢的な制限により冒険者ギルドに所属していない、Sランク以上の実力の持ち主。
今では緘口令を敷かれているが、Sランク保持者4名とAランク所持者19名が彼女の手によって殺害されている。当時は有名な話だった。欲を出した一部のAランク保持者が、彼女が狩った解体されていないドラゴンの死体を横取りしようとしたのだ。無用の戦いを止めようとしたSランク保持者も巻き込んで、敵対的な行動を取った全員が皆殺しにされた。生き残ったのは即座に武器を投げ捨て、その場から逃げ出したSランク2名とAランク7名のみ。もちろん生き残った冒険者達も彼女に追い詰められて、全ての衣類と装備を奪われた。代わりに持たされたのは23個の生首と肉片が入った麻袋。
高価なドラゴンの素材が欲しいのであれば、彼女に対価になる物を渡せばいいだけの話だ。麦や米などの各種穀物、塩や香辛料などの生活必需品や嗜好品を。敵対的な行動さえ取らなければ、無駄な殺生を嫌っている彼女に襲われる心配もない。むしろ、彼女が望んでいる物品を提供することができれば、道中の安全を保障することができる。
今回の護衛の報酬は羽毛布団と蕎麦殻の枕だった。それだけの報酬でドラゴンの襲撃があったとしても、馬車に積まれている塩は守られる。安すぎる報酬だった。それに彼女が狩った魔物の優先販売権もある。私達が目指している城郭都市プフォルツハイムは食肉が不足している。燻製肉にするためのオーク肉はよく売れるはずだ。
……彼女は自分が狩った魔物の素材の代金をちゃんと使っているのか?
私は彼女が城郭都市や村落に入ったところを一度も見たことがない。
タンタンッ。
馬車の荷台の中から、床板を踏み叩く音が聞こえてくる。2回は隊商を止めろの合図。
小柄すぎる少女――白銀の髪と碧色の瞳を持っている彼女が、幌を開けて御者台のほうに顔を出してきた。顔を出したと言っても、悪趣味な白い仮面で隠されているが。その腕の中には愛らしい娘がいる。彼女は妻に娘を手渡していた。これは大変珍しい。いつもは風魔法のみを空間転移させて、盗賊や魔物の首を斬る飛ばすだけなのに。
ここは商品価値が高い魔物であって欲しい。彼女は困惑している護衛の冒険者を無視して、スタスタと進行方向に向けて歩き出した。彼女は100mほどの距離を取って、無詠唱の氷魔法を発動。……これは厚着が必要そうだな。それにしても、見事な広域殲滅魔法。進行方向は一面の銀世界になっている。彼女が全長20m程の巨大な地竜をメイスでタコ殴りにしているのは、きっと何かの見間違いだろう。
「ローブか、コートを着よう。出発するまでは時間がかかりそうだ」
「そうですね、この子が風邪を引くのは良くありませんから」
彼女と関わるようになってからは、私も妻も一般常識が変化し始めている。信じることができない非現実的な光景が目の前に広がっていても、何度も繰り返されたなら、それは見慣れた風景に変わってしまう。私は確認のために隣に座っている妻に問い掛ける。
「……ところで、あれは成体の地竜でいいのかな?」
「……そうみたいですね。地竜の肉は高く売れそうです」
急いで、愛する娘に毛布を重ね着させなければ。妻はローブを、私はコートを着込む。口から吐き出す息が白い。今の季節は夏なのに、気温が真冬並みに低下している。冒険者ギルドに登録しているSランクやAランクの魔導師なら、彼女の10分の1も凍らせることもできないだろう。ゴンッゴンッゴンッと鳴り続けているメイスの打撃音で、愛娘が泣いてしまうかもしれないことが唯一の心配事だった。
「地竜の頭部が砕けましたね」
「そうだな」
しかし、彼女の実力ならば、大型の竜種でも一撃で殺せたはずだ。どうして、メイスで何度も連打する必要がある?まさか、自分が凍らせた地竜を回収するために砕いてるわけじゃないよな?
「……彼女。もしかして、自分が凍らせた地竜を回収できないんじゃ?」
「……流石にありえないと。これまで、そんなミスは一度も無かったでしょう?」
彼女の行動を理解することができない。
城郭都市の頑丈な城壁さえ簡単に崩壊させることができそうな重い一撃を、地竜の全身に打ち続けている。あれでは地竜の死体が砕かれすぎて、皮も肉も売り物になりそうもない。地竜の皮は防具にするのに最適なんだが、今回は冒険者ギルドへの転売を諦めるべきか……。
一縷の望みを賭けて、妻に問い掛ける。
「……粉々になった竜肉は、肉屋に卸せると思うか?」
「……無理でしょうね。地竜の回収は諦めて、先を進むことにしましょう」
やはり、竜肉の回収も無理がありそうだ。粉末状の凍った竜肉を買いたがる肉屋は、流石にいないだろう。我が子を胸に抱いている妻が言ったように、今は目的地である城郭都市に向けて進むべきだ。それに余計な欲を出して、彼女の機嫌を損ねることは絶対に避けなければならない。
15分後、地竜を粉砕し終えた彼女が戻ってきた。
彼女は何も語らない。
自分のことを何一つ語りたがらない。
その場に残されるのは、彼女が導き出した結果のみ。
彼女が荷馬車の荷台に身体を滑り込ませている時――
「浮かれすぎて、凍らせすぎた。
私、今日が12歳の誕生日。ようやく、冒険者登録できる年齢になった」
私は本当に驚いた。6年前に命を助けられて以来、初めて彼女に話しかけられたからだ。娘のアンジュが生まれてから、歌声だけは何回か聞けるようになったが、彼女の言葉らしい言葉を聞いたのは、これが初めてだった。
「それで……質問なんだけど。これで、何が買えるの?」
そして、彼女の手の中にあったは白金貨。銀貨よりも色が白いそれは、貴族や商人に大口の商取引によく使われている。鉄貨、銅貨、銀貨、金貨の価値を上回り、最上位に位置する貨幣。白金貨が5枚もあれば、新しい石造りの家屋を購入することができる。
隣りにいる妻の顔を見てみると軽く頷かれた。
どうやら、私達の仕事は塩を売るだけではなくなったようだ。何も知らない彼女に貨幣の価値と使い方を教えなければならない。そうしなければ、城郭都市にいる詐欺紛いの露天商――その首と肉片が晴天の空を舞うことになりかねない。
彼女は街道を利用する者達から、こう呼ばれている。
『ラナイエ街道の追剥さん』と。