お前のような神官がいてたまるか
私を呼びに来た神官に、実は見覚えがあった。
侯爵家の長男であらせられるヴァン・ネイヴ・ロト神官長補佐。この人も漫画の脇役だ。立ち位置はエラよりも影が薄いけど、一部のファンにも名前が覚えられているような、結構有名人だったりする。
まあ、この見た目だからね……。二人並んで神官長の部屋でお話を聞きながら、チラっと顔を盗み見る。
平均よりもやや長身痩躯な体型。
色白の肌。
繊細な造りの顔立ち。
それだけ聞くと薄幸の美青年のようだけど、全てを台無しにするのがその目つきの悪さだった。
細めの顎とちょうどよい厚さの唇、スッと通った鼻筋、形の良い眉、完璧なバランスで配置された灰色の目は、見事な三白眼だった。そして釣り目、一瞬一重に見える奥二重。さらに瞼が重めなせいで不機嫌そうな表情に見える。猫毛ともサラストとも言えない中間の長い黒髪を適当にかき上げて後ろに一つ結び。余った長い前髪が目にかかって余計に陰鬱な雰囲気を漂わせている。
正直、どこの吸血鬼だって思った。
読者も同じ気持ちだっただろう。エラ黒幕説よりもヴァン黒幕説の方が多かったくらいだ。むしろ彼に触れられないまま漫画が完結してしまって、『とんだトラップだよ!』と机バンしたファンが続出したに違いない。私だってした。なんだよ、とんだネタ枠だよ。
そんなネタ枠は神官のみが着用できる白い詰襟に、ネイビーのマントをロト侯爵家の家紋が入った金の装飾具で留めている。王子様か騎士が着ていそうな服を吸血鬼が着ている。爽やか全開の制服とおどろおどろしい顔でタイマンの殴り合いだ。お互いが殺し切れていないあたりカオスかもしれない。制服だから仕方ないね。
ただ、ただですね。私、今少し混乱していることが一つあるんですけど、あのですね。
ヴァンさん普通にイケメンじゃねーかッ!!!
なんなん? 不気味で何考えているか分からない神官長の犬とかいう悪口どこに行ったん? 犬っつーか爬虫類顔じゃん? ただ職務に忠実なだけじゃん? 普通に目つき悪いだけでミステリアスなイケメンじゃん? ちょっと神経質そうなところとか、これで一応外面は悪くないとか、ただの不器用な人じゃん? しかも現神官長ってこの人の実父だし? 現神官長が引退したらこの人次期侯爵で神官長でしょ? ちょっと目つきが悪いだけの将来有望真面目系イケメンって優良物件でしょ? この世界の令嬢みんな目に大病患ってるの???
という混乱は全部エラの鉄壁無表情に隠されてまったく外に出ませんでした。エラの無表情ってもはや生まれつきの何かか。ある意味楽だけどこっちも生きるのツラそうだな。
「よってエラ・シスト殿。貴殿には近日中にネイヴの名を捧げねばならぬのだが、それで良いだろうか」
考え事をしている途中で、神官長がお伺いを立てる形で私に肯定を要求してくる。この人も微妙な立場だよね。隣人の称号であるネイヴは位的には教会で一番だけど教会の決定権は神官長持ちだし、でも隣人はないがしろにできないから微妙な持ち上げ方で話している。『エラ・シスト殿』って『シスターのエラ殿』ってことだし。シスターは教会で下から数えた方が早い位置だけど神様の隣人に呼び捨てはちょっと気が引ける、みたいな。
プラス、この決定事項です感を隠す気もない口調も分かるっちゃー分かる。ネイヴを拒否する方がおかしい。私が断らないとハナから決めつけている。そうだよね、国内で五人いないんだもんね。引退間近のおじいちゃん神官に熱心な信徒だった平民のおばさん、ヴァンさんの三人しかいなかったし。
でもなー、困るんだよなー。だってエラ・ネイヴ・ロジオールなんて漫画にいなかったし。別にエラがシストだろうがネイヴだろうがお話的には変わらないんだけど、目立つのは嫌だよね。あと実家からの反応も怖いよね。記憶の中のロジオール家って普通の貴族様だもの。普通に育ててもらった愛情や恩があってもコネ作りでやんややんや言われたくないし。
「大変栄誉なことですが、謹んで辞退させていただきます」
「……何故?」
思ってもいない返しに、けれど神官長は数秒の無言で切り返してきた。
「わたくしは先日シスターになったばかりです。まだ教会のために無私の奉仕を学んでも成し遂げてもおりません。そのような身でネイヴの尊名を賜ったところで、思い上がりで御神の祝福を穢してしまうやも、と恐ろしいのです」
「であれば、ネイヴを退けると。そう申すのか」
「とんでもございません。ただ、保留にしていただきたいのです。ネイヴの務めは果たさせていただきます。代わりにどうか、せめて学園を卒業するまでの間だけでも、ただのエラ・シストとしてのお時間をいただきたいのです」
「しかし、その間に御神の御意志が離れてしまうやもしれぬ」
それはそれで有り難いのですが。
「神官長、発言の許可をいただきたい」
「なんだ」
「御神は寛大なる慈悲の化身。たった三年の間にネイヴを見限られるような御方ではありません」
「だがな、」
「御言葉ですが、神官長にその意識がなくとも、これ以上の発言は御神への侮辱とも捉えられかねません。どうぞ、お気をつけください」
あ、あれ?
突然口を開いて擁護してきたヴァンさん。それは嬉しいんだけど、なんか言葉に棘がない? 神官長も忌々しそうな顔してない? 親子喧嘩ですか? ここは職場ですよ家でしてください。
というかヴァンさん、神官長のいいなりじゃないっぽい。すごく親子仲が悪そう。いや、ヴァンさんは無表情なのに神官長がマジでキレる五秒前だから。漫画と違うのか、実は裏側ではこうだったのかな。分かりかねるけれど。
そんなこんなでどうにかエラ・シストの名前は変わらず表向きただのシスターでいることが決まった。やったーと内心ガッツポーズしたら『良かったですね』とのお言葉が脳内に響きました。神様はガッツポーズしたら来るのか。ガッツポーズを作った人はすごいな。
現実逃避しながら神官長のお部屋を出る。瞬間、軽く肩を押されて廊下の壁に追いやられた。誰にって一人しかいないよね。
びっくりして顔を上げた先に吸血鬼顔が無表情を少し不機嫌そうに歪めて私を見下ろしていた。壁ドンだ。なのに怖い。でも相手はイケメン。でも怖い。顔を赤らめればいいのか青褪めればいいのか。
「耳が赤い」
み、見惚れていたことに気付かれた。と、一瞬勘違いした。
低くかすれた声で囁かれて、少女漫画かよってツッコミを入れたくなった。少女漫画だよ! でもエラは主役じゃないよ! もう意味が分からない。動揺がエラの無表情でも隠し切れなくなったのか、ヴァンさんはちょっと眉間にシワを寄せた。イケメン寄りだった顔が怖い寄りの顔になった。
「今、御神の尊言を賜っていたな。何を聞いた」
「え」
あ、ああ、耳が赤いってそういう。これ照れじゃなくて神力の影響か。なんだ、少女漫画展開じゃないのね。良かった。
「ネイヴを賜るにはまだ早いという、わたくしのお考えに同調してくださったのです」
「…………」
「ヴァン・ネイヴ神官長補佐?」
突然、無言になったヴァンさんを見上げて、目元が赤らんでいることに一瞬びっくりした。でもすぐに、彼も私と同じことになっているんだと思い当たった。
「わたくしもお聞きして良いでしょうか」
「なんだ」
「神官長補佐が今賜った尊言のことですわ」
分かってるくせにー。とダル絡みしたくなるのを微笑みの下で堪える。あと意外と簡単に笑えたエラの表情筋にちょっと感動した。意識すれば無表情やめられるんじゃん。やっぱエラは笑った方が可愛いよね。
ニコニコ相手の返事を待っていたら、壁ドンしていた白い詰襟が離れていった。
「……シストとネイヴの兼業は厳しい。向こう三年は覚悟しておくように」
はい?
聞き変えそうとしたところでヴァンさんはツカツカと廊下の向こうに消えてしまった。
質問に答えてくれなかったことよりも、言われた内容に顔が固まった。え、そうなの? たかだか神様の声が聞こえるだけじゃない。シストなんて貴族のご令嬢が何となくお祈りする程度では、えっ、違うの? こわっ。
『ふふふふふ』
静かに戦慄する私の耳の奥で神様の軽やかな笑い声が聞こえていた。