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プロローグ

 突然ですが、僕の職業は剣闘士(けんとうし)です。


 ……何を言っているんだと心配に思われるかも知れませんが、僕は至って健康で健常で健全な、絵に描いたような青少年でありますので、ご安心ください。ええ、大丈夫ですよ。

 あの、本当に大丈夫なんで。腕の良い医者は間に合ってますから、紹介は結構です。


 剣闘士というのは、古代ローマにコロッセオで行われていたという闘技会で戦った剣士達の事ですが、ここで言う剣闘士――僕の職業は、古代ローマのそれとは別なのです。

 皆様のイメージにある剣闘士というのは筋骨隆々の男達。飛び散る血と汗。石造りの円形闘技場の中心で壮絶な肉体のぶつかり合い、そして殺し合いを繰り広げる戦士達。そんな感じだと思います。


 まあやってることは殆ど同じだけど、少しずつ違っているんですよね。


 古代ローマの剣闘士が裸に脆い鎧を纏って闘っていたのなら、僕は「え、俺の鎧薄くない?ていうかなんで左胸と左肩だけしか無いの?」ちゃんと服の上から頑丈だと言われている(・・・・・・・・・・)鎧を身に纏って闘っているし。

 古代ローマの剣闘士が矛を振りかざし己の肉体でのみ闘っていたのなら、こっちでは炎とか電流とかも「あれ当たったら即死しない?皆平気そうだけど、意外と大したこと……あ、俺の場合は普通に死ねるんだ……」飛び交っているし。

 古代ローマの剣闘士がトラやライオンを相手にしていたのなら、僕の相手は「ぎゃあああああああ!!!火を吐くトカゲは無理!無理だって!俺の手には負えねええええ!!」サラマンダーだったりするわけですから。


「ヒーローくぅん!それ倒せなかったら今日の晩ご飯抜きだからね~!」

「えっ!?そんな、無茶言うなこのブラック社長!過重労働反対!人権損害だ!鬼!悪魔!バカオーナー!!」

「ちょっ、ヒロくん、うしろ、後ろ!」

「へ?」

 スゥーッ……(ブレスの予備動作)

「いやぁあああああああ!!!」


 改めまして、僕、小原(こはら)啓明(ひろあき)十七歳。

 恥ずかしながら、異世界で剣闘士やってます。(笑)


「いやぁあああああああ!!!ヒロくんが丸焦げに!!あっ!ちょっと、誰か早く止めて!あのトカゲ焼きヒロくんを食べようとしてる!」


 *


「ここは何処だ……?」


 辺りを見渡すも、目に写るのは雑多に生えた草木のみ。

 恐らく森か林の中だということは分かるけど、記憶に一致する景色は無い。


 いったいここは何処なのだろう?家から近ければいいけど。

 なんて的外れな事を考えながら、柔らかな地面を押して立ち上がる。

 ああくそ、泥だらけだ。そりゃこんなところで寝てればこうもなるか。取り合えず適当に払ってと。

 さて、まだ頭は鮮明に回転していないけど、現状を整理してみるとしようか。


 取り合えず今の服装だ。

 グレーのスウェット生地のパーカーを羽織り、中には紺の長袖シャツ、さらにはその下にヒートテックを着込んでいる。下はベージュのチノパン、足元はスポーツメーカーのロゴが入った黒のスニーカーという至って秋らしく、ファッショナブル(自称)な格好をしている。

 家の周辺を彷徨(うろつ)く時のお決まりの格好だ。


 そう、季節は秋。

 冬が近付き寒さも増した、霜降る十一月。気の早い家では既にイルミネーションがなされ、紅葉も過ぎ、枯れ葉舞う今日この頃。

 今朝ももう少し厚着をしていくかで悩み、どうせ近くのコンビニまでとこの格好で家を出たのだ。


 ふむ、しかしどうだろう。

 周りを取り囲む木々はどれも青々と繁っていて、気候も少し暑いか暖かいくらい。

 秋って言うより夏間近って感じだ。


 傍に生えている木を観察してみる。

 太い幹の広葉樹。いくつにも枝分かれして広がった枝が、辺り一帯を覆う様にしている。葉が色づいている事も無ければ、枯れているという事もない。

 俺の思う季節感にそぐわない事を覗けば、まあ普通の木だな、ここまでは。

 注目するべきは、花だろうか、葉と葉の間に紛れるように枝付いている黄緑色をした蕾のような膨らみ。

 少なくとも日本に住んでいて一度たりとも目にしたことのない花だ。テレビとかで偶に見る食虫植物に似ている気がする。


 と、暫く観察していると、一羽の小鳥が飛んできて俺の見ていた木に止まった。

 この小鳥も目にしたことのない青い鳥で、尾の方だけ黄緑色に輝いているのが特徴的だ。

 いやぁ、綺麗な鳥だ。チルチルという囀りが妙に和ませる。

 俺が美少女だったら、小鳥さん小鳥さん、と声を掛けていたところだ。メルヘンチック。


 その小鳥を目で追っていると、跳ねるように移動しながら先程の花と思われる膨らみへと近づき、膨らみの中をチラチラと覗き始めた。

 ハチドリみたいに中の蜜でも吸うのだろうか。メルヘンチックな小鳥にはあんまり虫とか食べて欲しく無いものな。

 そう思った次の瞬間だった。


 バクンッ!


 枝に付いた膨らみは一気に口を広げ、小鳥を頭から丸呑みにしてしまった。

 黄緑色の鮮やかな尾だけが覗いてヒクヒクと痙攣している。

 メルヘンの欠片もねえ。うぅ……。

 いやなものを見た。

 自分の顔が青ざめていくのを感じながら俺はその光景を忘れるべく背を向ける。

 食虫植物のようだと思ったけど、食鳥植物だったとは……。そんなの聞いたことないけど。

 グロッキーな気分になりつつその場を離れ、逃げるように少し歩いて、一度深呼吸して生温い空気を肺へ落とし込む。

 ふぅ、少し冷静になれた。

 冷静にはなった、けど、どうしたものか。

 あの分だと……うん。

 たぶんここ、日本じゃねえよな。


「あれ?じゃあ何?どういうこと?」


 辺りを見回しながら、さっきの木が無い事を確認して立ち止まる。

 こういう時は闇雲に歩くより、しっかりと状況整理できてからの方がいいだろう。

 左の足の裏を右脚の内腿に付けるような形で片足立ちになり、側に立っていた太い木に右腕を立てバランスを取る。その木に全ての体重を預けながら、空いた左手を顎に当て、フムフムと思案する。

 変な姿勢だけど、一人で考え込むときは壁にもたれ掛かったりして良くこの姿勢を取る。まあ、癖だ。


 さて、日本じゃないとすれば海外、季節が逆転しているようだし南半球かな。

 しかし、旅行に出掛けた記憶は無いし、その予定も無い。

 そもそも今日は普通の日曜日で、暇な寂しい一日を過ごすつもりだった筈。

 となると、この状況は何?ワッツハップン?Where am I ?

 おっと、パニックになるところだった。

 俺は冷静な男だ。そんな簡単に詰んだりしないぜ。


 考えられる事例を挙げてみよう。

 例えば、誘拐とか?

 だとしたらなぜ森の中に捨てられている。それに俺のような若い男を誘拐するより、もっと抵抗力の弱い女性とか小さな子供とかを攫った方が良いだろう。

 特別な家系でも何でもない一般男子高校生を攫って何の得があるというんだ。

 この美貌が目的か……?

 ……無いな。


 森の中に人を放棄する理由となると……死体遺棄?俺に恨みを持った誰かが俺を殺害し、この森に遺棄した。しかし俺を殺せてなくて目が覚めた、とか。

 あり得ん。痛みも無いし怪我もして無いし。何より恨みを買うような覚えが無い。


 記憶喪失かな?俺が自分の意思でここまで来て何らかの理由で気絶し、その前後の記憶を失ったとか。

 うーん、一応はっきりとした記憶はあるんだよなぁ。コンビニに出掛けて、途中の公園で日向ぼっこしていた記憶が。

 そんなお年寄りみたいな休日の過ごし方をしている途中でウトウトしてきて、気が付いたらこの森の中で目が覚めたんだ。

 それに、もし自分の意思でここまで来たのなら気候に合わない恰好をしているのは不自然だ。ちょっと暑くなってきたくらいだし。


「さっぱり分からん、詰んだわ」


 そう呟いた時だった。今まで俺の体重を支えていた右手の木の感触が何の前触れも無く消えた。


「ふぇ?」


 当然支えを失った俺の体は右腕の方へとよろめき、そして、木にぽっかりと空いた空洞へと飲み込まれていく。


 反射的に木の方を向くと、幹の表面に現れた三つの空洞、およそ顔と思わしきそれをはっきりと確認する事が出来た。

 どうやら俺が飲まれそうになっている空洞は口に当たるらしい。空洞の上下に歯のようなギザギザが並んでいる。


「って、ヤバイ!」


 バチンッ!とやけに鋭い音で木は大口を閉じた。

 冷や汗が頬を伝う。

 あぶねえ、無理矢理に体を捻ってなんとか逃れる事が出来たけど、半身を噛み千切られるところだった。


「いや、しかし、こいつはいったい……」


 地面に手をついたまま再度大きな木、いや木の化け物に目をやる。


 獲物を逃したことに気が付いてないのか、数度空を咀嚼したあと、二本の太い枝で口許をパタパタと確認していた。

 ……なんか、間の抜けたやつだ。これに喰われかけたかと思うと少し悔しいな。


 それにしても。こいつは流石に、食人植物だなどと呑気な事を言ってる場合では無さそうだ。

 俺の狭い知識でも、こういうのをなんと呼称すればいいかは分かる。

 そう、ゲームとかアニメとかでお馴染みのアレ。


「モンスターだ……」


 ここ、日本じゃないどころか、地球でもなさそうね。


 ガサガサッ。


 漸く獲物を逃したことに気が付いたらしい。

 木の化け物は根っこを地面から引っ張り出し、しっかりと土の上に立つと、それをタコ足のようにクネクネと器用にうねらせて此方を向いた。

 動けるのかよ!()物とはこれ如何に。


 化け物の目は明らかに俺をロックオンしている。そりゃそうだ、俺の事を喰おうとしているわけだし。

 ……って事は俺の取る行動はひとつだ。


「逃げろっ!」


 ビーチフラッグのスタートよろしく、立ち上がりと共に反対方向へ走り出す。


「つっ……!!」


 右足が痛む。

 くそっ、さっきので右足を捻ってたのか!けど、走れないほどではない!

 となれば、今はとにかく逃げるべし。


 ガサガサと落ち葉を潰す音が後ろから着いてきている。

 やっぱ、追いかけてくるよな。ただ、ここは森の中だ。ジグザグに木々を利用しながら逃げれば、あの巨体ではそうは自由に身動き出来ない筈。なるべく入り組んだ所に逃げるんだ。


 あまり速くない足で、それでも全力で森の中を駆ける。

 視界の端を流れていく木々を横目に、化け物が通りにくそうな道を瞬時に選んでいく。

 日の届かない森の地面は湿気でぬかるんでいて、何度か足を滑らせそうになりながら、スニーカーの性能に任せて踏ん張りを付けて走り続ける。

 俺は振り返る余裕も無い中で、


「ハァ……ハァ……」


 足場が悪いせいか、それとも痛みのせいか、それとも気候の割に厚着をしているせいか、数十秒全力で走っただけで既に息切れが見え始めた。

 正直今すぐ足を止めたい。それでも走るけど。

 

 モンスターとは言っても、所詮相手は木だ。

 そろそろ巻けてる……と良いんだけど。

 振り返ると、化け物は意外にも猛追を見せていた。

 体力さえ続けば追い付かれることは無いだろうけど、思ったより足が速い。まだ百メートルも空いてないぞ。

 結構ヤバイな、足の痛みも増してきているし。

 どうするか、と視線を前に戻すと、今までに比べて木と木の間隔が狭くなっていた。

 ていうか主だった木の種類が違うように思える。まるで別々の森が繋がっているみたいだ。

 

 ちょっと不自然だけどこれは好都合。

 ダッと飛び込むように木の隙間を通り抜ける。

 あのモンスターはまっすぐに追ってきていたのだろう、遅れて後方からドンとぶつかる音がした。

 チラッと振り返ると、思った通り例のモンスターは木に行く手を阻まれていた。でっかちな頭がどうしても抜けられないらしい。

 まさかぶつかるとまでは思ってなかったけど、頭があんまり良くないみたいで助かった。

 それでも、足を止めるような余裕は無いかな。とにかくあいつが見えなくなるところまで走ろう。


 なるべく視線を切るようにしながら更に距離を開いた。振り返っても、もう化け物の姿は見えなくなっている。

 まだ近くにはいるだろうけど、姿は完全に隠したし、この辺りは道も細いから易々と追っては来れない筈だ。


「ゼェ、ヘェッ……ハァ……うぼぇっ」


 気が抜けると徐々に体から力が抜けていき、俺はその場に崩れ込むようにへたり込んだ。

 高校生の性分で運動不足という事は無いけど、緊張のせいもあってかかなり満身創痍だ。人には見せたくないくらい情けない姿になっている。

 足も痛い。超痛い。後で病院に行かなきゃ駄目だろうな。

 っていうか病院なんてあるだろうか。

 ある程度で立ち上がり、膝に手をついて息を整える。


「ゼェ、ハァ……」


 額の汗を拭いながら、改めて後ろを振り返る。

 うん、もう完全に見えないな。逃げ切れたみたいだ。


 と、油断しきった瞬間だった。

 世界が上下反転する。ぐんっと右足に重みがかかり、全身の血が一気に頭へ上ってくる。

 いや、頭が下だから下がって来てるのか?ああ、そんなことはどうでも良い。

 気が付けば俺は宙吊りにされていた。


「なあああああああああああ!!」


 激しい痛みを訴える右足首を見てみると、(つる)のようなものに絡め取られていた。俺の足を縛り上げているのは一本の太い蔓。奥からはさらに多くの蔓がウネウネと伸びてきている。

 無数ともいえるそれはどこか艶めいていて、薄い本を厚くしてくれるだろう事は予想に難く無い。

 お母さんごめんなさい。僕(の貞操)はここまでのようです。

 なんて冗談言ってる場合じゃ無いけど、とても抜け出せそうに無い。

 締め付けはきついし、何より宙ぶらりんでは自由に身動きも取れない。おまけに満身創痍だ。

 ああ、俺は良くやったよ。頑張った。けどもうギブアップだ。


 そういえば、さっきの木のモンスターは蔓植物では無かったから、これは別の奴のなんだろうな。なんて、そんな事に気が付いても、状況を打破する手立ては無いけど。

 ああ、他の蔓が近づいてきている。

 あれで手足も縛り上げられ、完全に身動きの取れない中あんな所やこんな所まで這いずり回られてしまうのだ。

 そして散々弄ばれた挙句、最後には喰われてしまうのだろう。

 ああ、せめて女性の人型モンスターでありますように。


「切り裂け風よ、ウインドスラッシュ!」


 半ば諦めかけていた、ていうか諦めていた俺の耳に響いたのは、気の強そうな女の子の声だった。

 その声に少し遅れて俺の右足を縛り上げていた蔓がスパッと切れる。透明な刃に切られたように、あまりに唐突にだ。

 何が起きたのか理解する前に、支えを失った俺の体はもがく事さえ出来ずに自由落下を始める。


「ふぁあ、あああああああ!!」

「パイロっ!拾って!」


 それなりの高さから落とされたから地面にぶつかる鈍い衝撃を覚悟していたのだけど、ぶつかる寸前に何かにフードを引っ張り上げられ、スレスレのところで衝突を避けた。

 代わりに首回りを盛大に絞められたが、ちょっと苦しいくらいだ。全身骨折に比べれば幾分かマシと言うもの。とにかく助かった。


「君、平気かい?」

「は、はい!平気です!」

「そ、じゃあちょっと我慢しててね、あれから逃げなきゃいけないから」

「わかりました!」


 逃げなきゃ、という事は追ってきてるのかあの触手。かなりスピード出てると思うんですけど、どんな植物だよ。


 首根っこを掴まれた猫のような姿勢で、何者かに背後からフードを摘ままれたまま、森の中を凄い勢いで駆け抜けていく。

 女の子の声に反射的に返事をしたけど、時速四十キロくらい出ている中で無防備にされるのは結構、いやかなり恐い。

 俺を支えているのが首筋のフード一枚というのもあまりに頼りないし、後ろから押されている状況も恐怖心に拍車を掛けている。

 それに掴んでるのはパイロと呼ばれている奴、馬か何かだろうが、正体が計り知れない。見知らぬ何かに命を預けるのはかなり心臓に悪い行為だ。


 振り返って確認すればいいじゃん、って思われるかも知れないけど、携帯ストラップみたいにぶら下げられているせいでぐるんぐるんと森の中を視界が回っていくもんだから振り返る余裕が無い。

 上下の感覚も掴めないほど慌ただしく景色は変わり、何度となく正面に木が現れては、そのスレスレを潜り抜けていく。

 これだけ入り組んだ道を猛スピードで駆けていくのだから、パイロは素晴らしい身体能力を有しているのだろうが。

 だからと言って、これ以上の機動はちょっと……ちょっとだけ、きつい。

 ……あの、少しの間でいいから止まれませんかね?

 恐怖からくる緊張と、三半規管が強烈に刺激されたことで、俺の体が絶妙に酸っぱくなってきているんですが。


 そんな魂の懇願が伝わるはずも無く、女の子の声は非情な言葉を放った。


「あーもう、しつこいなあ。パイロ、もっと出して!」

「えっ!?ひや、それはちょっと」

「何言ってるの!?あれに捕まったら二度と表を歩けなくなるくらい酷い事されちゃうよ!」

「あっ、やっぱりそういう事されるんだ……」


 女の子の声に従って、グンッとスピードが上がった。

 パイロが何の動物――というか化け物の類なのだろうが――なのかは未だに分からないが、相当な速足自慢のようだ。

 少し触れた時にフサフサの毛に触れたから、割と毛深い生き物みたいだけど。

 あ、つーかヤバい。喉の奥から熱いのが込み上げてきてる。

 出ちゃう、熱いのが出ちゃう。うえっぷ、このままじゃゲロインになっちゃう。


 なんて口元を抑えながら考えていると、先ほどの蔓が行く手を阻むように脇から脇から生えてきていた。

 このまま突っ込むと確実に捕まる。

 迂回するにも、辺り一面を蔓が蛇のように這い回っているのが見える。

 くそ、逃げ場が無いぞ。万事休すか?


「荒れ狂え突風、切り刻め疾風。面倒だから森ごと引き裂いちゃえ!セブトサイクロン!」


 女の子の声に呼応するように背後から突風が吹きすさんだかと思えば、言葉通り前面十メートル幅に立ち並ぶ木々諸共、触手を切り裂いてしまった。

 さっきも似たような現象を見た気がする。まさかとは思うけど、魔法って奴?


 森に蓋をするように広がっていた無数の枝葉はパックリと切り取られ、遮られていた陽光がスポットライトの様に降り注ぐ。

 そしてその光は真っすぐに道を描き出していた。


 俺は眩い光に思わず目を伏せた。そのまま目を伏せておけば幸せだったと、今ではそう思う。

 次に顔を上げた時目にした光景に、俺は顔を真っ青にすることになるのだから。

 唐突に晴れ間を覗かせたかと思った矢先に、切り取られた丸太が、雨の様に降って来ていたのだ。

 最悪のにわか雨だ。


「突っ込めえええええええええ!!!」

「やめてええええええええええ!!!」


 パイロも女の子も、少しも怯む事無く大雨の中へ突っ込んでいく。いつ丸太がぶつかるかと気が気でないが、俺の意思で止まることも出来ない。

 この感じはジェットコースターを途中で止めて欲しくても止められないのと同じだ。


「ひええええええええ!!!ぶ、ぶつかる!降ろして!降ろしてえぇ!」

「君ちょっと情けないね……」

「そ、そんな事言われても!」


 情けなくたって叫ばずにいられるかこんな状況で!


「お、森を抜けるよ!」


 目を凝らすと、確かに光の道の先は開けていて、森はそこで終わっていた。

 パイロはそのままスピードを落とすことなく森から飛び出し、急激なブレーキと共に動きを止める。


 森から飛び出した先、またも目の眩むような光が広がった。

 しかし今度は伏せるどころか、俺は大きく眼を見開いていた。

 どこまでも延々と広がる緑の絨毯。

 澄み切った空。

 丘を彩る色彩豊かな花畑。

 青々とした森。

 清らかな川。

 そして何より、平原の先に広がる巨大な街。

 綺麗な六角形の外壁に囲まれた巨大都市は赤や橙の派手な色をした屋根が敷き詰められていて、まるで大輪の花のようだった。

 目を引くのは花の中心にでかでかと聳え立つ円形の建物。俺は無意識に古代ローマに聞くコロッセオを連想した。


「すげぇ……」


 どうやらここは高い崖の上に位置しているらしく、その眼下に広がるすべての光景が一目に見渡せた。

 足元に見える切り立った崖の岩肌に、ポケットのように鳥の巣が作られているのまで良く見える。

 鳥の巣の中では雛鳥が物欲しそうに大口を空へ向けていた。

 うん、五メートル大で無ければかわいいな。あと、求めているのが俺でなければ。

 とにかく、上下左右、百八十度の絶景が広がっていた。改めて、ここが日本、もとい地球では無い事を確信するには十分な景色だろう。

 感嘆の声もひとしきり、すっかり吐き気も忘れ、森から抜けたことで……あれ?

 崖の岩肌?百八十度の絶景?

 足元を確認→床が無い


「おおおおおおお、おち、落ちるっ!」

「はははっ!パイロ、落とさないようにしてあげて」

「グルルル」


 初めてパイロの声を聞いたけど結構ワイルドね。

 で、その唸りは了承の意味って事だよね?離さないよね?


「あーまずいね、まだ追ってきてるよ。そうとう気に入られてるねキミ」

「え、ど、どうするんですか!?」


 俺はまだ追いかけてきているらしい触手を確認する為、初めて後ろを振り返り、そして漸く恩人の顔を拝んだ。

 俺のフードを口に咥える長く突き出た口、白い毛並みの中にボタンの様な円らな瞳、良く聞こえそうな広い耳、頭の天辺あたりからツンツンと生え並ぶ黒い針の鬣。

 獰猛な唸り声に似合わず可愛らしい小動物じみた顔をした、三メートル強の化け物がそこに居た。一言で表すならどデカいハリネズミ。ていうか、デカい以外は普通のハリネズミだ。


 そしてデカいハリネズミの上、その針の毛皮に大きな鞍を掛け跨る、中学生くらいの少女がそこに居た。

 透き通るような桜色の髪を肩口で切り揃えた、はつらつとした少女だ。

 煌めくような髪色と対照的な黒い髪飾りはその綺麗な艶髪を引き立たせている。

 くるりとした紫色の瞳には子供じみた輝きを秘めており、強い意志を感じさせるはっきりとした目じりは鋭さと聡明さ、負けん気を臭わせている。

 長いまつ毛が、それが女性の目であることを唯一主張しているような、実に少年のような目だ。

 小ぶりな顔に小さくも筋の通った鼻、挑戦的にはにかむ唇、柔らかく、しかし張りのある頬、細い顎。そのどれもが美少女と呼ぶにふさわしい美しさと可愛さを兼ね備えていた。


 少女は年頃の女の子に見合わない服装をしていた。

 肌に貼り付くような黒いTシャツの上に墨色の分厚い革の胸当てを装着し、肩からは短めの赤黒いマントを掛け、マントから除く華奢な細腕には肘から先を覆う様に茶革のベルトが格子状に巻きつけられている。

 手には指が出るタイプのグローブが嵌められていて、手の甲を先程のベルトと一体になっている籠手が包んでいる。

 腰回りはこげ茶の、これまた革で出来ているスカートが包んでいて、その下から短パンの裾がチラチラと覗いている。

 スカートを抑えつけているベルトにファッショナブルな要素は無く、ゴテゴテとした実用性の高いものだ。

 左の腰には剣を下げ、反対の腰には袋とナイフが携えられている。

 足にはブーツ。山の中でも川の中でも構わず進めるような頑丈な作りのブーツだ。

 スカート以外、どれも女性が身に纏うには少々無骨すぎる。


 そんな防御力の高そうな少女は、俺の視線に気づくと目を細めて笑顔を作った。この追い込まれた状況で、不釣り合いなくらい楽しそうに。


「どうするって聞いた……?ふふん。残る道は一つじゃないか」


 残る道?何を言っているんだ、前方は崖、しかも数百メートルは下らない絶壁、そして後方は森、謎の触手が張り巡らされた正に敵の懐だ。

 残る道なんてもうどこにもないだろ。

 アニメとかなら崖へ飛び降りたりする所だろうが、現実にそれを実行する奴なんていな――ってまさか!


「飛び降りる!」

「ちょっとまっ」

「パイロ!ゴー!」


 静止の声も虚しく、号令と共に俺達は空を舞った。


「いやああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!この女冗談じゃねえぞ!そりゃお約束だけどさぁ!?マジで飛ぶ奴が居るかあああ!?」


 パイロもパイロで迷うことなく飛び出しやがった。信じてるぞ、何か算段があってこうしてるって信じてるぞ!


「ひゃああ!思ったよりヤバそう、これこのままだと死んじゃうね!あはははははは!」

「あ、こりゃダメだ……」


 襲い来る浮遊感と噴き上げる豪風の中、必死に助けを探す。と、共に落下するでかい毛玉、化けハリネズミのパイロが目に入った。

 そうだ、あのデカさならこの高さも平気なのかもしれん。迷うことなく飛び出してたし……きっとそうに違いない!ちょっと悪いけどあいつをうまくクッションに出来れば……


「パイロ、危ないから元に戻ってこっちおいで」

「チュー」


 ポンッ、と煙に包まれるパイロ。やがて煙が消えると、その中からはソフトボール大の普通のハリネズミが出てきた。

 そして少女に捕まれると、そのまま腰の袋へ押し込められてしまった。

 終わった……。


「ああ、どうか天国へ行けますように」

「あはは、諦めが早いねえ。でもダメ、まだ天国へは行かせないよ。……ま、これも賭けだけどね」


 俺が両手を組み真剣に祈りを捧げていると、少女はそういって俺の手を無理矢理に取った。こんな状況だっていうのに、不覚にもドキッとする。

 何をする気かと試案していると、今度はもう片方の手も取り、両手を繋いで向き合う形になると、少女はうまく体重移動をして俺が下になるように動く。

 なるほど、俺をクッションにする作戦か。俺一人犠牲に少女が助けられるのなら――ふっ、安いものさ。


「……?何を悟った顔してるの?まあいいや、もっとこっち」


 少女は俺の腕を引き、自分の肩へ掛けると俺の脇に両腕を通した。

 抱き合うような格好になり、少女の顔は俺の顔の真横、頬を擦り合う距離へと移動する。少女の髪から漂う仄かに甘い香りがくすぐったかった。

 ああ、女の子っていいものだな。これが女性に縁の無い若者の人生の最後だと思えば、悪くはない。


「大いなる空よ、今願うは一陣の風、全てを薙ぎ倒す豪風よ。我が願い聞き届けたまえば、我に力を貸し与えたまえ。ヘビィスクォール!」


 衝突の間際に放たれた少女の早口な言葉の意味を知る事も無く、頭の鈍い痛みと共に、俺の意識は途絶えた。





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