中二病で何が悪い? 好きでやってるんだから口出ししないでくれ
これは私が個人的に感じたことを綴っただけのものです。
なんの生産性もなければ読む人によって不快に感じるかもしれません。
中二病を嫌悪する方はブラウザバック推奨です。
それでも読んでいただき、何かを感じてもらえたら嬉しいです。
先日、私が小説投稿サイトで小説を書いていると知人に話し、その内容を掻い摘んで説明したときにこう言われた。
「それって中二病じゃん。ダッサww お前、歳いくつだよ」
カチンときた。
中二病?
ああ、そうかもしれない。いや、その通りだろう。
日常で口にすることは憚られる言葉や文章を綴っている。
けれど、なぜダサいと馬鹿にされ笑われなければならないのだろうか。
まるで私が人様にとって恥ずかしいことをしているとばかりに。
お前になにが分かる? と。
たしかに、中学二年はとっくに過ぎてしまったし妄想で頭の中が一杯なのは認めよう。
いい歳して一円の価値にもならない自慰小説を日がな書いているということも。
それで限りある貴重な時間を費やしていることも。
認めよう。
だが、しかし。
私は馬鹿にされたことを笑ってやり過ごすことが出来なかった。
私が大切に思っている大事な何かを無遠慮な言葉で傷つけられた気がしたからだ。
「別にいいだろ。好きでやってるんだ。ほっといてくれ」
おそらく、その時の私は怒りが顔に出ていたことだろう。
そして小説を書いているなどと言わなければ良かったと後悔もした。
「だってそうだろ? 金になるならいいさ。小説家になれば売上の印税も入るし立派な職業だ。けど、お前は素人で金を稼いでないんだろ? ならもっと別のことに時間を割いたほうが有意義なんじゃない?」
まるでプロ以外は小説を書いてはいけないとでも言いたげな言葉。
金が全てともいえる発言。
私のやっていることなど無駄だと言わんばかりに。
これまでデビューした全ての作家も最初は素人だったとは思わないのだろうか?
純文学だけが立派な小説でライトノベルは馬鹿にしてもいいとでも思っているのか?
納得がいかない。
中二病と聞くと誇大妄想に溺れ、現実を見ようとせず、利己的な考えばかりする承認欲求の塊だと思われているのだろう。
たかが私なんかに隠れた才能でもあると思い込んでいるのか? と。
それは否定しない。
けど、それも言い換えれば想像力が豊かで自由な発想を忘れない、夢を追う素敵な一面ではないのだろうか?
年を追うごとに脳味噌は凝り固まり、妄想は霞んで少しづつ遠ざかっていく。
目の前の仕事に忙殺され、少年のような心が摩耗していく。
それでいいのだろうか?
そうやって生きるのは楽しいか? それで満足か?
現実ばかりに目を向け、夢を諦め、仕事に追われる毎日。
同じような惰性の毎日を過ごす。
安定した収入、年相応の生き方はもちろん大切だ。
もしかしたら、地に足をつけ安定した生活を送れと鼓舞しているのかもしれない。
執筆する時間があるなら資格の勉強にでも充て、今ある仕事で上を目指せと言っているのかもしれない。
けど、私は好きで書いているのだ。
たとえ執筆している小説が書籍化されなくとも、プロになれなくとも。
この時間は無駄じゃない。
その結果、凄惨な未来が待っていようとも自分で決め、進んできた道だ。
誰かのせいにすることも言い訳するつもりなど毛頭ない。
そうして日常で溜め込んだ妄想を小説の中で爆発させているのだ。
決して、普段から痛い発言を場所を問わず撒き散らしているわけではない。
そうすることで心の平穏を保っているだけなのだ。
もちろん最初から書籍化を諦めている訳でもない。
チャンスがあるなら挑戦してみたいし、自分がどこまでやれるのか試してみたいという気持ちはある。
そうなればお金も稼ぐこともでき万々歳だ。
覚えてろよ、バーロー。
しかしそんなことを言えばまた青臭いことを、中二病発言を。なんて笑われるかもしれないけれど。
それに、世の中には妄想を昇華させた作品で溢れている。
小説、漫画、映画、アニメ、テレビ、音楽、芸術など多岐にわたる。
それは娯楽であり、生活の一部。
妄想とは想像力でありイメージであり力の根源だと信じている。
そう信じてやまない。
心血を注いで完成した作品は人を感動させ、時には涙を誘うこともある。
「だから、それはプロの仕事だからだろ?」
フィクションは否定しないクセに、個人的小説は否定する。
訳が分からないよ。
考え方が根本から異なっている。
宇宙人と話しているみたいだ。
きっと、向こうもそう思ってるんだろうな。
そうして、もやもやとしたシコリを残したままこの文章を綴っている自分がいた。
聞く耳をもたない者に理解してもらうまで説き伏せるつもりはないし、吐き出された言葉を引きずるつもりもない。
へーきへーき。
と、思っていたが頭に昇った血は簡単に冷めてはくれず、思いだすたびに血が昇る。
彼を認めさせるには書籍化を実現させるなり、自費出版なりして金銭を発生させるしか方法はないのだろうか?
けど、そうして認めさせたとしても私の伝えたかったこととはどこかが違う気がする。
この言いようのない何かを何というのだろう?
彼を認めさせる必要もなく、言われたことなどさっさと忘れて小説の続きを書こうとしても筆は思うように進まない。
なので、感情の捌け口として募った思いの丈を吐き出す。
これが私の処方箋。
大丈夫。
まだ終わりじゃない。
ここが最後なんかじゃない。
絶望するには早すぎる。
誰かの特別じゃなくてもいい、自分だけの特別であるならば。
おそらく、こういったことを書いてしまうことが中二病と言われる所以なのでしょうね。
分かってる、ちゃんと分かってるよ。
でもやめられないんだ。
私自身、答えを見つけられていない。
けれど焦ってもいない。
死ぬまでに見つかればいいとさえ思っている。
それまで情熱の炎が燃え尽きていなければの話だが。
怒りを風化させず、激情を失ってはいけない。
怒れ、怒ってもいいのだ。
人の感情は無限のようで限界がある。
湧き上がる感情を創作意欲に変換し、文字を打ち込もう。
それが、私に残されたたった一つの方法なのだと信じて。
大分、スッキリしました。
吐き出すって大事。