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鋼鐵の海神  作者: 月野原行弥
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第五章

「長官、ほんとうにこの第二艦隊だけで敵機動部隊を迎え撃つおつもりなのですか……?」

「やるしかあるまい」

 心配そうに覗きこんできた比栖間の顔を十二月晦日は見上げた。

「いくら長官でも、新型空母七隻相手では分が悪すぎます……」

「照陽が訊き出してくれた情報によれば確かに大型の空母七隻が真珠湾に集結中なのは間違いなかろぅ。じゃが、確実にエセックス級と確認されておるのは一隻だけじゃぞ? 既存の空母にはエンタープライズ、サラトガ、ワスプ、レンジャーもまだ残っておる」

「四隻がその空母だとしても新型は三隻いる計算になります」

「ふん。そなたでも一桁の引き算くらいは間違わずにできるらしいのぅ」

 つまらなさそうに鼻を鳴らしながら憎まれ口を叩いたが、そういった十二月晦日自身が自分で口にしたことをまるで信じてはいなかった。エンタープライズとサラトガはともかく、ワスプとレンジャーはやや小型なのでどちらかと言えば中型空母だろう。視界の限られた潜水艦の潜望鏡による偵察で見誤った可能性もなくはないが、真珠湾近くにまで潜入に成功できるような老練の潜水艦乗りがそんな間違いをするとも考えにくい。

「それに七隻集まったからといぅて、その全部が全部出撃してくるとは限るまい? 普通ならなん隻かは母港の防衛に残しておくはずじゃ」

 これも十二月晦日の本心ではなかった。むしろ既存の空母を防衛に残して新型空母だけで攻撃を仕掛けてくる可能性の方が高いはずだ。

「になの情報によれば本土でも急遽機動部隊の編成が始まっているそうではありませんか。それと合流して―――――」

「いや、それでは遅いのじゃ」

 比栖間のいったことは正論で正攻法だったが十二月晦日はそれを一言で否定した。

「新見も圓福(えんぷく)も機動部隊どころか前線で指揮を執ったことすらないからのぅ。教科書通りの正攻法にこだわるあまり勝機を逸するのは目に見えておるわ……」

「教科書通りの正攻法ですか……」

「前の大戦のときに独逸にカイテルという元帥がおった。ヒトラーの覚えがめでたかったこの男は一度も前線に立つことなく元帥に叙されたのじゃ。周囲の将官たちはこの男のことをおべっかだけで昇進したとばかにしておったようじゃ。じゃがこの男自身そのことを恥じておったようで、ヒトラーに一個師団でもよいから前線で指揮を執らせてほしいと懇願しておったという。じゃがのぅ、机上の兵棋演習では一度も負けたことがない新見と圓福は赤レンガ(海軍省)勤めが長く前線へ出たことがないのを鼻にかけておるのじゃぞ?」

「つまり、模擬演習(シュミレーション)でしか艦隊を動かしたことがないってことですよね……?」

「そうじゃ。やつらならきっと虎の子の空母を護るために大和と武蔵を随伴させてくるに違いない。下手をすれば扶桑(ふそう)と山城までつけてくるやもしれぬぞ?」

「大和なら二七ノット出せますが扶桑型では二五ノットにも届きませんね……」

「そんな鈍足では機動部隊の名が廃るというものじゃ」

「では長官でしたらどう編成なさいますか?」

「本土には第十一戦隊の比叡(ひえい)と霧島が残っておる。いや、これでもまだ遅いのぅ。空母に重巡と水雷戦隊だけつけて先行させ、後から第十一戦隊を追わせるのが限られた選択肢の中では最善かもしれぬのぅ」

(無理だわ……。そんな緻密な艦隊の連携なんて空母本隊を長官が直卒、追随する高速戦艦部隊をかっちゃんが指揮でも執らない限り……)

 比叡と霧島は十二月晦日麾下の榛名、金剛の姉妹艦で三十ノット出せる高速戦艦である。しかし無線もレーダーも使えないこの時代、先行する艦隊を視認できない距離から追随するなどよほど正確な艦隊運用の手腕が備わっていなければ不可能なことだ。

「もたもたしておればこちらの機動部隊が網を張る前に哨戒線をすり抜けられてしまうやもしれぬ。そうなれば戦力的には見劣りが否めぬ南遣艦隊ではいいように弄ばれるのがおちじゃぞ。産油施設でも油槽船(タンカー)でも好き放題に攻撃できるのじゃ」

「そんなことを許せば……」

 さすがに比栖間でもなんで十二月晦日が拙速となりかねないのに迎撃を急いでいるのかが呑みこめて青くなった。

「もし東南亜細亜の友好諸国からの石油の補給線を分断されるようなことになれば、それを補うため北方占領地への弾圧がますます苛烈になるじゃろう。さすればそれに反発して地下抵抗組織(レジスタンス)どもの活動も激しさをます。あやつらから産油施設や送油管網(パイプライン)を護るためには陸軍も戦力を増強せねばならぬ。戦力増強のためにどこかから部隊を回せば、今度はそこの穴埋めに召集令状(赤紙)が出されることとなる。貴重な働き手を軍なんぞに引っ張られてしもうたらそれだけ國内の生産力にも打撃が生じる。とどのつまり、一番迷惑を蒙るのは一般市民なのじゃ」

「お言葉ですが、長官。そういったことをなんとかするのは政治家の仕事なのではないかと……。一軍人の長官がそこまで責任を負う必要は―――――」

「それは違うのじゃ、比栖間」

 なにもかも独りで背負いこもうとする十二月晦日を比栖間は気遣おうとした。だが、最後まで口にすることなく十二月晦日にぴしゃりと遮られてしまった。

「ルーカッスル(合衆国大統領)の狸にまんまと嵌められて(いくさ)の端緒を開いてしもうたのはわしらじゃ。その片棒を担いだわしにはなんとしてでも和平に漕ぎ着ける義務があるのじゃ」

 開戦前後に合衆国大統領の地位にあったルーカッスルは自国の戦力を欺瞞して今なら勝てると思いこませた上で挑発を重ねることで帝國の輿論を巧みに開戦へと誘導した。米倉海軍大臣、五十幡第一航空艦隊司令長官、古峯(こみね)第二艦隊司令長官、井内(いのうち)海軍省軍務局長、伊谷軍令部次長などもともと少数派だった開戦反対派はこれに押し切られる形で開戦への道へ踏み出すことになる。

「五十幡さんはこれ以上開戦に反対して一部の過激派が暴発、軍の統制が取れなくなることを危惧しておった。ならば緒戦で一気に打撃を与えて早期和平に持ちこむ腹積もりじゃったのじゃ。じゃがその目論見は潰えずるずると長期戦に引きこまれてしもぅた。五十幡さんがやり残したことはこのわしに方をつける責があるのじゃ」

「長官……」

 間違ったことを口にしようものなら頭ごなしに怒鳴られるのがいつものことだった。だが今日はむしろ淡々とした口調で十二月晦日は存念を語って聞かせている。それだけ十二月晦日がそのことを深刻に考えていることの証しなのかもしれない。

「それにしても敵さんもずいぶんとせっかちですよね? 前哨戦もなくいきなり主力の機動部隊を投入してくるなんて」

「ばかか、そなたは?」

「はい! 自慢じゃありませんがばかです!」

 和平に持ちこむためには一戦も負けることなく勝ち続けなくてはならない。そうすることで初めて戦力物量で勝る敵から譲歩を引き出すことができる。簡単に打ち負かせるような敵なら和平などせずとも叩き潰してしまえばいいだけなのだから。

 和平を勝ち取るという十二月晦日の決意を改めて知らされた比栖間は強力な敵と戦わなくてはならないという不安は忘れることにして、ふと頭に浮かんだ疑問を口にした。その途端、いつものような罵声が飛んできた。十二月晦日にいつもの調子が戻ってきたことが嬉しくてつい思ったまま口を滑らせてしまった。

「おい、明石よ。ばかにもわかるよう噛み砕いて説明してやってはくれぬか……」

「―――えぇと長官、技術的なことならともかく政治の駆け引きは専門外なんですが……」

 ばかといわれてばかですと切り返されるとは思ってもみなかったのだろう。十二月晦日は頭痛を抑えるかのようにこめかみを指で揉み始めた。説明する気は失せてしまったようだ。説明をまる投げされた明石も眉を曇らせた。

「どこから説明したわかりやすいか……。帝國と合衆国、この二つを比べて一番大きな違いはなんだと思いますか、参謀長?」

「帝國と合衆国の違い……? えっ~と、帝國の主食がお米で合衆国は麺麭(ぱん)食ってとこかな……?」

「おい、誰か頭痛薬を持ってくるのじゃ……」

「………………」

 比栖間の口にした答えを耳にすると十二月晦日は身体中の力が抜けたかのように長官席の肘かけにぐったっりともたれかかってしまった。双眼鏡で前方の航路を確認していた工内も思わず振り返り、可哀相な娘を見るような目を無言で向けてきた。

「これは、わたしの質問のしかたが悪かったですね……。帝國と合衆国、この二つの政治的な一番の違いはなんでしょう? いいですか、政治的ですよ政治的」

 大事なことなので明石は二度念を押した。

「政治的? わたし、政治は苦手なのよね……。体力なら自身あるんだけど」

 額に手を当ててうんうんと唸りながら考えこんでしまった比栖間を見て明石は青くなった。いくら噛み砕けといわれても限度がある。

「自信はないけど、帝國は帝政、合衆国は民主制ってことかな……?」

 当てずっぽうのように比栖間は自信なさそうに上目遣いで答えを口にした。それを聞いて、質問をした明石だけでなく固唾を呑んで成り行きを見守っていた十二月晦日と工内もほっとため息を吐いた。

「その通りです、大正解です! なんだ、参謀長、やればできる娘じゃないですか!」

「―――そ、そうかなぁ? わたし、やればできる娘だったの?」

 この質問にすら答えられないようだったら、いくら噛み砕こうにも説明できる自信がなかった明石は手放しに比栖間を褒めちぎった。褒められて嬉しくない人間がいるはずもなく、比栖間もだらしなく顔を綻ばせて頭を掻いている。

「それでは民主制の最大の特徴といったらなんでしょう? これも政治的な特徴ですよ、政治的な」

 どこかのアイドルにでもなったかのように明石は政治的と二度繰り返した。

「民主制の特徴……? そんな難しいこと学校で習ったかなぁ……」

 また額に手を当てて考え始めてしまった比栖間を見て明石だけでなく十二月晦日と工内もじっとりと冷や汗を滴らせた。

「あのぅ、間違ってるかもしれないけど……。もしかしたら、政府の代表を選挙で選ぶことかな、なんて……。わたし、大尉みたいに頭よくないんだから、間違ってても怒らないでよね……?」

 答えを口にしても明石がなにも返事をしないのはあまりに的外れな答えで呆れ果てられたのかと比栖間は慌てた。だが、明石がすぐに返事ができなかったのは、もし答えられなかったらどうわかりやすく説明したらいいのかと胃が痛くなるほど思い悩んでいたからだ。

「参謀長、わたしは今まで参謀長のことを見損なっていました。参謀長って見かけによらず常識人だったんですねぇ……。体力ばかにしか見えなかったけど……」

「―――ど、どうしたの大尉? そんな泣くほど嬉しいことでもあったの?」

 ついに我慢しきれずに涙を流し始めた明石を見て比栖間はおろおろとした。

「参謀長、そこまでおわかりでしたらもう答えに辿り着いたも同然ですよ。なぜ急に敵が大規模な攻勢に出てきたのかその理由について」

「えっ!? 今までの質問がその答えだっていうの……?」

「そうです。選挙ってもっと簡単にいってしまえばどういうものだと思いますか?」

「帝國じゃやってないから教科書で読んだうろ覚えだけど……。確か、自分が一番いいと思った人に投票していって、投票を多く獲得した人から政府の代表になれるんだったかしら……?」

「それと似たようなこと、有線電視箱(テレビ)で見たことありませんか?」

「あっ! いわれてみれば……」

 太陽嵐の電磁波の影響で規模はかなり縮小してはいたが、この時代でも有線放送でテレビの放映は続けられていた。あまり娯楽番組には興味がなかった比栖間でもちらっと目にしたり話を聞いたことくらいならあった。

人気芸能人(アイドル)の人気投票と同じだ!」

「そうなんです! 選挙ってぶっちゃけ人気投票みたいなものなんですよ! だとすれば、選挙に勝つためにはどうしなくちゃならないかもおわかりですよね?」

「選挙と人気投票が同じなら……。ま、まさか……!? 人気取りってことなの……?」

「そうです、参謀長! ご名答です!!」

「さすが帝大卒じゃのぅ。よぅこのばかを正解まで諦めずに導いてくれたものじゃ。気の短いわしならとうに血管が切れておったところじゃ」

 比栖間に選挙というものの実態をわからせるために身体中の力を使い切ったような明石はよろけて長官席にもたれかかった。十二月晦日はそれをとがめようともせず明石の二の腕をぽんぽんと叩いて労をねぎらった。

「これでなんで敵が急に大規模な攻勢を仕掛けてきたのかがわかったじゃろう?」

「もしかして、合衆国で大きな選挙でもあるんでしょうか……?」

「うむ。近々大統領選が行われることになっておる」

「大統領選……ってことは、一番大きな選挙ってことじゃないですか!?」

 びっくりしたように大きな声を比栖間は上げた。

「そなたも参謀の端くれなのじゃから、せめて新聞くらいには目を通して敵の社会情勢くらいは頭に入れておいてもらいたいのじゃがのぅ……」

 十二月晦日のぼやきなど耳に入らなかったかのように比栖間は質問を重ねてきた。

「それじゃ、その大統領選の人気取りのために攻勢を仕掛けてきたってことですか?」

「そうじゃ。ここで大きな戦果を上げることができれば次の大統領選はまず安泰じゃろうからのぅ」

「ちっ……。まったくどこもかしこも腐り切ってるわね……」

 こういう政治的な駆け引きが嫌いな比栖間は嫌悪の表情を隠そうとはしなかった。

「まぁ、民主制じゃ帝政じゃというてもしょせんは瓶に貼ってある商標(ラベル)が違うだけで中の酒は饐えた臭いがぷんぷんして呑めたものではないからのぅ」

 帝政である帝國も、表向き民主主義を標榜する合衆国も一握りの支配階級だけが甘い汁を吸えるという構造になんら変わりはなかった。むしろ貴族の存在を認めている帝政より、建前上は国民の平等を謳っている民主制のほうがより(たち)が悪いといえるかもしれない。十二月晦日も一瞬だけ電柱の根元に吐かれたゲロでも目にしてしまったような表情を浮かべたが、すぐにそれを引っこめて出来の悪い生徒に根気よく補習を受けさせてやる教師の顔つきになっていた。

「じゃが、こういった政治的に大きな催しや、その国や宗教にとって重要な記念日には大規模な攻勢が始まりがちなのじゃ。司令官であれば、そういった日取りににも注意を向けて警戒を怠ってはならぬのじゃ」

「はい、長官……。勉強になりました……」

 いくら自分がそういった薄汚い駆け引きが肌に合わないからといっても、敵はそんなことは斟酌してくれない。そして指揮官が油断していて一方的に攻撃を受けるはめになって一番迷惑するのは前線で戦う兵士たちだ。そのことをまさにその真っただ中で教えこまれた比栖間はさすがに(こうべ)を垂れずにはいられなかった。

「でもそうすると、長官。今の大統領は人気取りに走らなきゃならないほど人気が落ちてるってことなんですか?」

「うむ。現大統領は民主党のウォレンじゃがこやつは失政続きでのぅ。軍事的にも局地戦ばかりでめぼしい戦はなかったにもかかわらず負け続きなのじゃ。じゃが、なにより致命的なのは経済政策で味噌をつけたことじゃな」

「もともと物価上昇(インフレ)率が悪化していたところに石油の大幅値上げで止めを刺されたって感じですよね。あれじゃ市民の生活は苦しくなるばかりで怨嗟の声が広がるのも無理はないですよ」 

「では、長官。わたしは艦内の見回りに……」

「待たぬか、比栖間よ」

 なに気なく訊いてみたらまた小難しい話が始まりそうになってしまったので比栖間はそそくさと逃げ出そうとした。だが、一歩も踏み出さないうちに十二月晦日に引き止められてしまった。

「それは参謀長の仕事ではあるまい。のぅ、工内艦長よ?」

「はい、長官」

 いじわるく口の端を吊り上げて目を向けてきた比栖間に工内は頷いて見せた。

「弓弦の人でなし! 同期なんだから援護射撃くらいしてくれたっていいじゃないの!」

「同期だからこそです。比栖間はもう少し一般教養を身につけるべきです」

「う~…………」

 比栖間も工内が自分のことを思っていってくれていることはよくわかっているのでそれ以上は反論できなかった。良薬口に苦しというやつだ。

 そもそも兵学校を主席で卒業してなんでもそつなくこなせる工内がまだ大佐で、かろうじて平均を上回る程度だった自分なんかが少将にまで進んでいるのだ。やっかまれて縁を切られても不思議ではないところなのに、工内は兵学校の頃と同じように接してくれている。自分にはもったいないくらいの得がたい同期だった。

「それにしてもあの交渉は見事でした。我が帝國にもまだあのような策を弄せる逸材が残っていたのですね」

「ほぅ、工内がそこまで賞賛するとはのぅ。今度会うたら佐紗子(ささこ)にそう伝えておいてやろう」

「えっ!? あれは鷲司公爵閣下の策でしたか。どうりで……」

 十二月晦日のいう佐紗子とは枢密院議長の要職にある公爵鷲司佐紗子のことである。どういう繋がりがあるのかは知らなかったが十二月晦日とは仲がいいらしい。また、公爵家という後ろ盾があるからこそ海軍の中枢から疎まれていてもおいそれとは手出しができないのだろう。軍の高官とはいっても、帝政復活以降のわずか六十年足らずの間に首相を三人も輩出した名門とことは構えたくないだろう。

「弓弦、一般教養を勉強しろっていうならわたしにもわかるように説明してよ!」

「それくらいのこと、重要機密でもなんでもなく新聞を読んでいればわかる話なのですが……」

 十二月晦日もぼやいていたが新聞くらいには目を通しておいてほしいと工内もそう思った。だが、せっかく気の進まない政治の話を聞く気になったのだからと、渋々ながら説明を始めた。

「石油の値段が上がれば物価も上がる。これは説明しなくてもわかりますね?」

「石油が上がれば電気代も上がるし輸送費も高くなる。だから工場でなにを作ろうにも高くなっちゃうってことでいいのよね?」

「はい、その通りです」

 なんとなく兵学校で座学が苦手だった比栖間に勉強を教えていた頃のことを思い出して工内は内心で苦笑していた。

「合衆国へ輸出されるその石油の価格を吊り上げることに我が帝國政府は成功したのです」

「えっ!? 輸出どころか我が帝國だって石油は輸入に頼りっきりなのに価格を操作することなんかできるの?」

「そうさせるのが策略というものなのですよ。我が帝國政府は中東の産油国に対して合衆国の数倍の価格で石油を買うと持ちかけたのです」

「そんなばか高い石油を買わされたら、帝國の物価のほうがどうかしちゃうんじゃないの?」

「もちろんそんな価格で輸入すれば比栖間のいう通りになります。ですが、合衆国が中東諸国に帝國への石油の輸出を認めると思いますか?」

「そうか。印度(インド)より西は合衆国と連合王国の制海権だもんね。波斯(ペルシャ)湾と紅海を抑えられてちゃ輸出したくてもできないか」

「しかし中東諸国はあくまでも合衆国の同盟国であって属国や占領国ではありません。合衆国より高く石油を買ってくれる国があるのにそれを妨げられては中東諸国の不満は高まります」

「そりゃそうよね。もっと高く買ってくれるとこがあるのにそこに売っちゃだめだなんていわれたら頭にくるよね」

「その不満を解消するためには中東諸国からの石油の輸出価格を上げろという突き上げを呑まざるを得なくなってしまいます」

「よそへ売っちゃだめっていうんなら、あんたのところで高く買ってくれっていうのは商売として正論よね」

「どうです? これで合衆国に対する石油の輸出価格は跳ね上がってしまいましたよ」

「―――あっ!?」

 産油国でもない帝國に石油の価格が操作できるわけがないと思っていたのに、工内の説明通りにゆけば確かに石油の価格は上昇することになる。狐につままれたような気がして比栖間はぽかんとした顔をしていた。

「まぁ、これは反則(ファウル)すれすれの変化球じゃからのぅ。そうなん度も使えるものではないが、合衆国の市民に現政府に対する不満をくすぶらせるには大いに役に立ったことは間違いないじゃろう」

「どうしてな度も使えないんですか? 同じことをどんどん繰り返せば、それこそ石油の価格が同じ重さの(きん)より高くなることだって」

「よいか、比栖間よ」

「―――は、はい、長官……」

 十二月晦日がこういう顔で静かに話し始めたときは、なにかとんでもない間違いを自分がしているときだ。それは兵学校のときにいやというほど思い知らされている。戦場では些細なミスが命取りに繋がるのだ。自分が数々の戦場を生きて潜り抜けてこられたのも十二月晦日がその間違いを諭してくれたおかげだ。

「ものごとには必ず表と裏、自分にとって利益(プラス)となる面と損失(マイナス)になる面があるものじゃ。一方しかないものなど有り得ぬ。わしは兵学校でそう教えなかったかのぅ?」

「―――い、いえ、長官……。その話でしたら耳にたこができるくらい」

「じゃったら考えてみぬか。この石油をなん倍もの高値で買うという策を引っくり返すことなど造作もないことじゃぞ?」

「―――え、えっ~と……」

「まぁ、そなたにはかような(はかりごと)は似合わぬか……」

 いくら政治の話は性に合わないとはいっても十二月晦日にこんな顔をされては頭を搾らないわけにはいかない。比栖間は知恵熱でも出たかのように顔を真っ赤にしてうんうんと唸りながら考え始めた。十二月晦日のほうも比栖間が答えに辿り着けるとは期待していなかったようで、すぐに諦めて小さくため息を吐いた。

「簡単なことじゃ。帝國への石油の輸出を認めてしまえばいいだけのことじゃ」

「え~~~っ!? それじゃ敵に塩じゃなくて石油を送ることになっちゃうじゃないですか? 我が帝國が喉から手が出るほど欲しい石油を」

「ならば訊くがのぅ。その買った石油をどうやって帝國本土へ運ぶのじゃ? 波斯(ペルシャ)湾と紅海には合衆国海軍、亜剌比亜(アラビア)海には連合王国海軍がうようよいるのじゃぞ? 油槽船なんぞ使えるはずがない。潜水艦かそれとも帝國海軍お得意の鼠輸送でもやってみるか?」

「―――そ、それは……」

 確かにいわれてみれば石油を買っても運ぶ手段がなかった。潜水艦にしろ駆逐艦の鼠輸送にしろ成功率は極めて低い。たとえ成功したとしても輸送できる量は雀の涙ほどもないだろう。

「買った石油を運ぶのはこちらの責任じゃ。運べませんからやっぱりいりませんでは国際社会における我が帝國の信用はがた落ちじゃ。それではもしこの戦争が終わって自由に石油が輸入できるようになったとしてもどの国も我が帝國なんぞまともに相手はしてくれぬわ」

「では、なんで合衆国はその手を使わなかったのでしょうか……? もしかして、そういう手があると思いつかなかったとか……?」

「ウォレンは三流、どう甘く点をつけても二流半の政治家といったことろじゃがのぅ。そんなばかでも大統領になれたのじゃから、おつきの顧問団(ブレーン)にはそれなりに切れるやつはおるはずじゃ。それに気づかぬほどの無能揃いとは思えぬ。そうしたくてもできなかったのよ」

「なぜなんでしょう? 長官のおっしゃる通りの策を取れば、こちらはばか高い石油を買わされたあげくそれを一滴も使えなという大損を蒙ってしまうではありませんか?」

「逆に訊くがのぅ、もし我が帝國への石油の輸出を認めたと耳にしたら合衆国の国民はどう思うじゃろぅのぅ?」

「それは……。憎き敵へ石油を輸出させるなんてとんでもないって怒り狂うんじゃないでしょうか」

「うむ。そなたのいう通りじゃ」

 比栖間の返答に十二月晦日は満足そうに頷いた。

「一般大衆というやつは周囲の状況に流されやすいものでのぅ。一度激発しようものならもう手がつけられぬ。冷静な意見には耳を貸すどころか、あんなやつらの肩を持つのかと袋叩きにされてしまうのがおちじゃ」

「つまり、石油の輸出許可にどういう政治的効果があるのか説明したくても市民は聞いてくれないっていうことですか?」

「そうなのじゃ。それに加えて大統領選では民主党と争うことになる共和党はここぞとばかりに利敵行為だと煽って火に油を注ぐじゃろうな」

「はぁ……。同じ国民同士で足を引っ張り合うなんて……」

 こういう政治的な駆け引きが肌に合わない比栖間は二日酔いと乗り物酔いと寝不足が重なったみたいにぐったりしていた。

「先ほどいぅたように、ものごとには必ず良い面と悪い面がある。これは民主制の一番悪いところじゃな。政治のせの字も知らぬものどもにも平等に投票権が与えられる。裏返せば、そうであるからこそ権力者といえども一般大衆の意向は無視できぬのじゃ。投票権の数だけでいえば権力者どもより一般大衆のほうがはるかに多いのじゃからな」

「もう、わたしなんかにはなにがなんだか……」

「まぁ、焦ることはないのじゃ。そなたらはまだ若いのじゃから、この戦争が終わったらどういう政治形態が一番ましかゆっくり考えてみるのじゃ」

「…………」

 そうぽつりと口にした十二月晦日の目が、自分たちには手の届かない遠いところを見ているような気がして比栖間はなにもいえなくなってしまった。

「話が逸れてしもぅたが、これでわかったじゃろぅ。合衆国政府が石油の輸出許可を出すという手が使えなかった訳を」

「はい。利敵行為だと市民が早とちりするのを恐れたからです。同じ手を繰り返して使えなかったのは、石油の値段が上がりすぎたら一般市民の生活が破綻してさすがの合衆国政府も輸出を認めて歯止めに出てくる可能性が高かったからですね」

「うむ。上出来じゃ」

 比栖間がまとめた答えに十二月晦日は満足そうに頷いた。

「それにしても敵もばかですよね。どうせ機動部隊で東南亜細亜を衝くなら長官がいない隙を狙えばよかったのに。ソロモンなんかにちょっかいを出したおかげでとんだやぶ蛇になっちゃいましたよね?」

「なんじゃと? 今、なんといぅた?」

「―――も、申し訳ありません……。わたし、なにかお気に障ることでも……」

 艦隊を編成してソロモン方面へ出撃していたからこそぎりぎりのタイミングで敵機動部隊を迎え撃つことができる。もし、本土の母港に帰港中だったら、そこから出撃準備をしたのでは間に合わなかったかもしれない。

 そう思った通りのことを口にしてみたら十二月晦日の口調ががらりと変わってしまった。兵学校でいつも十二月晦日に叱られていた比栖間にはわかったのだが、それはかなり深刻なときの口調だった。

「いや、ちと考えごとがしたくなった。工内、後は頼んだのじゃ」

「はい、長官。大山が先導してくれておりますのでご心配なく」

 十二月晦日は腰を下ろしていると足が床に届かない長官席からすとんと飛び降りると工内を振り返った。

 第二艦隊は現在重巡高雄が先導して艦隊最大速度の三0ノットで敵機動部隊との会敵予定海域目指して航行中である。艦隊運用にかけては右に出るもののいない大山が道案内をしているのだから見失わずについてゆくだけで航路から逸れる心配などなかった。

「―――ど、ど、どうしよう、弓弦……。わたし、なんか余計なことをいって長官を怒らせちゃったのかな……?」

「いえ、あれはなにか気がかりなことができたように見えましたが……」

 十二月晦日が艦橋から姿を消すと、比栖間は半べそをかいて工内に取りすがった。

 工内は工内で兵学校では優等生だったので十二月晦日に叱られた経験があまりなかった。なので比栖間ほどには十二月晦日の機嫌を読むことには長けておらず、見て感じたままのことを自信なさ気に口にした。

「大尉」

「はい、艦長」

 あんまり強く制服であるセーラー服を引っ張られてお腹がまる出しになりそうになった工内は裾を握った比栖間の手をうっとうしそうに払い除けた。すると、比栖間が瞳をうるうるさせ鼻水を啜りながら見上げてくる。しかたがないので小さくため息を吐きつつ明石のほうを振り向いた。

「長官になにかお飲みものでも出してくれませんか? ついでに、ご様子も」

「わかりました、艦長」

 微笑みながら頷き返して明石は艦橋から長官室へ向かった。

「長官、明石です」

「開いておるぞ、入るのじゃ」

 長官室の扉をノックして声をかけるとすぐに返事が返ってきた。明石は扉を開いて長官室の中へ足を踏み入れた。

「長官、珈琲でもいかがですか?」

「そうじゃのぅ。ちと頭に刺激がほしいので蒸留葡萄酒(ブランデー)でも垂らし―――――」

「長官にはそんなんじゃ刺激にすらならないでしょう? 苦い深煎伊太利亜珈琲(エスプレッソ)でも飲んで頭をしゃっきりさせてください」

「そなたも、そういうところだけは比栖間に似てきおったのぅ……」

 コーヒーに酒を垂らしてほしいという十二月晦日の要望は軽く聞き流し明石はコーヒーを淹れ始めた。

「どうぞ、長官」

「うむ」

 いつものようにみかんの空き箱を踏み台代わりにした十二月晦日は海図から顔を上げるとカップを受け取った。そして一口口をつけると満足そうに口の端を吊り上げた。

「そなたは漉し出し(ドリップ)だけでなく高圧蒸気濾過(エスプレッソ)の腕もたいしたものじゃな。これならいつでも軍なんぞ辞めて珈琲専門店が開けるじゃろう」

「いえ、臨時雇い(アルバイト)してた喫茶店の店主(マスター)が厳しい人で臨時雇いだからって味が変わるのは許されないってさんざん仕込まれたんで……」

 褒められているのかからかわれているのかわからず、明石は所在なさ気に頭を掻いた。

「それより、この西洋茶碗(カップ)凄いですよね。アウガルテンのデミタスじゃないですか? こんな高い茶碗を戦艦に積んでて割れたりしないんですか?」

「―――うっ……」

 カップの銘柄をなに気なく口にすると十二月晦日はぎくっとして声を詰まらせた。

「―――な、なに……。各国の大使館つきの武官に宴席(パーティー)に招かれたときなどに土産にもらうこともあってな……」

「へぇ、さすが大使館の宴席ともなると豪勢なもんなんですね。これ、一揃え(セット)で買ったら四人家族が楽に一ケ月生活できますもんね」

「―――うかつじゃったのじゃ……。野暮な比栖間たちなら百均で売っておる茶碗と見分けがつかぬじゃろうが、これほどの珈琲を飲ませる喫茶店でみっちり仕込まれた明石なら……」

「この前は見逃してましたけど、他の茶碗も欧州の名品揃いじゃないですか。マイセン、ヘレンド、ロイヤルクラウンダービー、セーヴル、ロイヤルコペンハーゲン、リチャードジノリ。店主が見たら涎を垂らすだろうなぁ」

「―――と、ところでなにかわしに用でもあったのではないか? 茶碗を眺めに参ったわけでもなかろう?」

 カップボードの前から離れようとしない明石の注意をこちらへ向けようと十二月晦日は咳払いを繰り返しながら声をかけた。

「そうでした。あまりに見事な収集品(コレクション)なのでついつい目を奪われてました」

 十二月晦日があたふたしていることに気づいているのかいないのか、明石はカップボードから振り返ると真顔になった。

「長官の態度が急変したって参謀長も艦長も心配しておられましたよ? 参謀長なんて泣きそうっていうか、半泣きでしたし」

「すまなかったのじゃ……。比栖間のいったことがどうにも引っかかってのぅ。というて、わしがあまりあれこれ考えあぐねておる姿を見せると士気にかかわるやもしれぬとこちらへ引っこんできたのじゃが……」

 十二月晦日はエスプレッソの表面を覆う泡が薄れてゆくのに目を落として小さくため息を吐いた。

「長官、もう少し参謀長たちのことを信頼してあげてもいいんじゃないでしょうか?」

「なんじゃと? わしがあやつらのことを見くびっておるとでもいいたいのか?」

 十二月晦日は手にしていたアウガルテンのデミタス・カップを乱暴に海図台の上に置いた。カップががちゃりと音を立てる。

「見くびっているとまではいいませんが、下駄を預ける気もないでしょう?」

「当然じゃ。軍の指揮は人の命にかかわるのじゃ。やらせてみて、はい失敗でした部下が戦死しましたですむわけがなかろぅ?」

 十二月晦日の声は比栖間だったら一言耳にしただけで震え上がってしまうくらい低くなっていた。だが、頼りない見かけの割りに明石はひょうひょうと反論を続けてゆく。

「そんなことになったら確かにわたしたち下っ端にしてみたらいい迷惑ですけど、長官は抱えこまなくていいことまで独りで抱えこんでしまわれるじゃないですか。それってやっぱり、心のどこかでは相手を信頼していないってことなんじゃないでしょうか?」

「あほうかそなたは? 上官は責任を取るためにおるものじゃ。わしが抱えこまんでいいことなどなに一つあるものか」

 十二月晦日は小さな拳で海図台を叩いた。その上に載ったカップがまたがちゃりと音を立てる。

(う~ん……。長官がなにを考えているのかどうにも読めない……)

 十二月晦日たちのことをあれほど手塩にかけているのに肝心なことは任せようとしない。独り立ちさせたいのなら責任のある役割を任せて経験を積ませようとするはずだが、まるで責任を負わせることを懼れているようにさえ思える。

(といって訊ねてはいそうですかと答えてくれるほど長官は甘くないし……)

「それじゃ一つお訊ねしますが」

 明石は質問の矛先を転じてみることにした。

「五十幡長官はどうだったんでしょうか? やはり長官のようになにからなにまでご自分で抱えこまれて周囲にはなに一つ相談すらされませんでしたか?」

「―――な、なんじゃと……?」

 虚を衝かれたように十二月晦日は言葉を失った。そのまま昔のことを思い出すように遠い目になる。

「そなたの申す通りかもしれぬなぁ……」

 開戦以来ずっとその下で戦ってきたのだ。感慨深いことも多いのだろう。糸の切れた操り人形のようにすとんと十二月晦日はみかん箱の上に腰を下ろした。しばらくしてぽつりと口を開き始めた。

「五十幡さんはわしによぅ相談してくれた。いや、あれは相談なんぞではなく独りごとみたいなものだったのやもしれぬがのぅ」

 明石は口を挟まず黙ったまま十二月晦日の言葉に耳を傾けた。

「じゃが、それはそれで考えをまとめるのには役に立ったのやもしれぬ。あの人は比栖間と似たところがあって思ったことはなんでもずばずば口にする人じゃったからのぅ」

 十二月晦日は遠い目をしたまま独りごとのように話を続けた。

「愚痴もよぅ聞かされたものじゃ。もう一隻大型空母が欲しい、軍令部のばかどももっと石油をよこせ、参謀長を伊谷に戻せとかのぅ。五十幡さんは参謀長だった宇梶(うかじ)とは馬が合わずずっと伊谷さんを参謀長に取り戻そうとしておったからのぅ」

「愚痴を聞かされてどうでしたか? 泣きごとなんか聞かされたらたまらないとか、そんなことで勝てるのかと不安になったりしましたか?」

「いいや、逆じゃったな。五十幡さんがかように悩んでおられるのじゃから、どんな些細なことでもよいからなにか自分でも役に立てることはないかと思ったものじゃ」

「参謀長たちも、そのときの長官とまったく同じお気持ちだと思いますよ?」

「―――そうか……。そうじゃったか……」

 明石に指摘され、昔の自分と比栖間たちを重ね合わせるように十二月晦日はどこか遠いところへ視線を巡らせた。

「あやつらに不安を感じさせぬようしておったつもりじゃったが、それがかえって不安の種になっておったとはのぅ。わしもまだまだじゃな」

「それだけ長官が参謀長たちからお慕いされてるってことですよ」

 小さくため息を吐きつつ十二月晦日は立ち上がりカップを手に取った。喋って喉が渇いたのか冷めていたにもかかわらずエスプレッソを飲み乾した。

「ふん。つまらぬ世辞はよさぬか」

「わたしはこれでも技術者の端くれですよ? お世辞なんていえませんよ」

 照れ隠しなのかそっぽを向いた十二月晦日に明石が苦笑いを漏らした。

「参謀長って巡洋艦の艦長だったころはアリューシャンの虎って敵から恐れられたあの比栖間さんですよね?」

「そうじゃ。あれはわしが第五艦隊の長官で比栖間が軽巡 多摩(たま)の艦長を務めておったときのことじゃな。もっとも口の悪い連中からは多摩に引っかけて盛りのついたどら猫なぞと呼ばれておったがのぅ」

「そのころの参謀長の武勲の数々はわたしみたいな赤レンガ(本省)勤めの耳にも届いていましたけど、もっと悪い意味で軍人っぽい人かと思っていました」

「暴力で部下を従え、自分の手柄のためには部下の命なんぞものの数とも思わぬようなやからのことか?」

「そうです。だって、敵の重巡と夜戦でもなく真っ昼間に撃ち合って旧式の軽巡で沈めちゃったりしたんですから、もっと強圧的で理不尽な人だと思うじゃないですか」

「あのときも別に比栖間は無茶をして重巡に撃ち勝ったわけではないぞ? あやつは砲撃には天性の勘が備わっておってのぅ。不思議なくらい敵艦の急所に命中させるのじゃ。どんな強力な艦でもここだけは弱いという弱点は必ずあるものじゃからな」

「実際に参謀長にお会いした今なら長官のお言葉にも納得がいきます。ですが常識的にいえば後先考えずに無謀な突撃をやったらたまたま敵艦の砲撃が外れ、こちらの雷撃が当たったくらいしか昼戦で軽巡が重巡を沈めるなんて考えられませんよ」

「それで血も涙もない鬼軍曹みたいなのを想像しておったら、あのような体育会の新入りみたいなやつで拍子抜けでもしたか?」

「はい。あの若さで少将なんて人も羨む階級まで出世しているのにそれをひけらかすことも、ましてそれにものをいわせて部下に無理難題を押しつけるようなこともなさいませんし。それどころか人のいやがるような仕事は率先してご自分で引き受けてしまわれます。それもこれも、参謀長が長官をお慕いしていて長官に少しでも近づこうとそのまねをなさっておられるからではないのですか?」

「どこが技術者じゃ……。喰えぬ男よ。もしやそれが嫌われてこんなところへ飛ばされるはめになったのやもしれぬな……」

 機械のことしか興味のない専門ばかかと思いきや、明石の人を見る目の確かさに十二月晦日は内心で舌を巻いていた。それ以上に耳の痛いことでも平気でずけずけと指摘できるふてぶてしさには思わず舌打ちも禁じ得なかった。だが、そういう諫言をはばからずにできるのは得がたい人材だということがわからないような十二月晦日でもなかった。

「少し頭を冷やしてから艦橋に戻る。そなたは先に戻って比栖間たちを安心させておいてやってはくれぬか?」

「はい。わかりました、長官」

 ほっとしたように小さくため息を吐いて明石は長官室から出ていった。

「五十幡の愚痴か、いわれて久かたぶりに思いだしたわ……」

 十二月晦日は小さく苦笑いを漏らすとどこか懐かしそうに目を細めた。

「あやつが泣きごとばかり並べるものじゃから怒鳴りつけてやると道端に捨てられた仔犬のように目をうるうるさせてわしの顔を覗きこんできおる。あやつ、わしを昭和や平成のころの漫画のなんでも悩みごとを解決してくれる猫かなにかと同じように思っておったのかもしれぬな」

 独りごちながら立ち上がるとカップを海図台の上に戻した。

「しかし、あやつさえ生きておったらとうに和平に漕ぎ着けておったであろうな。あやつは知らぬうちに人の心を一つにまとめてしまうようなとことがあったからのぅ。わしとは大違いじゃ」

 十二月晦日は自嘲するような嗤いを口許に浮かべた。

「じゃが、二度ともう同じ過ちはせぬ。泥は全てこのわしが被るのじゃ」

 いつもの射抜くような鋭い目つきに戻ると十二月晦日は長官室の扉へ手を伸ばした。



「長官!」

 いつにも増して仏頂面で艦橋へ戻ってきた十二月晦日を見て比栖間は声を上げた。

「なにかお気に障るようなことを口にしたようで、申し訳ありませんでした……」

 軽く勢いをつけて跳び乗るように長官席へ座った十二月晦日に比栖間はがばっと頭を下げた。

「そうなのますです。わたしがちょっと席を外している間にいったいなにをやらかしやがったのますですか、参謀長?」

「―――な、なにをやらかしたのかと訊かれても……」

 頭を下げたので手が届くようになった比栖間の後頭部を皐月はぺしぺし平手で叩いた。頭を下げているので表情はわからなかったが血管が切れそうになっていることははっきりとわかる比栖間の声も、なんで十二月晦日が気分を害したのかはわからず困惑の色を隠せない。

「皐月、おふざけもそれくらいにしておくのじゃ。比栖間も頭を上げよ。別に怒ったわけではない……」

「―――し、失礼いたしましたのますです、おひいさま……」

 自分に向けられた声の調子に皐月はびくっとなって長官席の後ろに身を引き小さくなった。一方、自分に向けられた声はどことなく歯切れが悪いように聞こえてに比栖間は上目遣いで恐る恐る目を向けた。

「ちといやなことに思い当たってのぅ。敵機動部隊と一戦交える前にわしがあれこれ考えあぐねておったらそなたらも不安になるやもしれぬと姿を隠したのじゃ。許せ」

「長官、そのようなもったいない!」

 一度頭を上げた比栖間がまたがばっと頭を下げた。

「空母を随伴しない艦隊で敵の大機動部隊を迎え撃つなどという困難な作戦にもかかわらず、なに一つ長官のお役に立てない自分がふがいありません!」

 武士だったら恥じ入ったあまりそのまま腹をかっさばきかねない様子の比栖間に十二月晦日は苦笑いを漏らした。

「それは心配せずともよい。空母のことならわしが一番ようわかっておるのじゃ。弱点ものぅ。きっと、なんとかして見せるのじゃ」

「長官!」

 十二月晦日の決意を聞いて感極まったように比栖間が泣きそうな顔になった。

「わしが引っかかったのはそなたが申したことじゃ。ソロモンなんぞにちょっかいを出したおかげでやぶ蛇になったとな」

「―――へっ……!?」

 自分がなに気なく口にしたことをそれほど十二月晦日が気にしていたと聞かされて比栖間は素っ頓狂な声を上げた。

「空母ばかりに気を取られてうっかりしておったが考えてみれば妙な話じゃ。確かにソロモンなんぞにちょっかいを出さねば本土から戦艦が出張ってくることもなかった。逆に囮として戦艦を引きつけておくのが目的じゃったとしたら、なにゆえわしらがどんぱちやっておる隙にさっさと機動部隊を進攻させなかったのかがわからぬ。どうにもやっておることがちぐはぐなのじゃ」

「―――――!?」

「…………?」

 十二月晦日が思いあぐねていることを素直に聞かされたことなど初めてなのだろう。比栖間に驚いたような顔を向けられた工内は困ったように小さく顔を振った。

「そこでじゃ」

 明石に目配せを送られた十二月晦日は空咳を繰り返しながらいいにくそうに続けた。

「そなたらもなにか思いついたことがあったら聞かせてはくれぬか? どんな些細なことでも遠慮せずともよいのじゃぞ?」

「―――ちょ、長官がわたしたちの意見をっ!?」

「長官、どこかお加減でも優れないのでは……?」

 驚きのあまり比栖間はあんぐりと口を開き、工内は心配そうに眉を顰めた。

「なんじゃなんじゃ、どいつもこいつもそんな顔をしおって! わしがそなたらの意見を訊くのがかように意外なことじゃったか?」

 天と地が引っくり返ったような比栖間たちの様子を見てへそを曲げた十二月晦日は腕組みをしてそっぽを向いてしまった。

「長官は参謀長がなに気なく口にした一言でご自分が見落としておられたことに気がつかれたので参謀長たちのご意見も参考にされようとお考えになられたのですよ」

 せっかく十二月晦日が比栖間たちのことを頼ろうと考えなおしてくれたというのに、このままでは元の木阿弥になってしまう。明石は十二月晦日と比栖間たちを取り成そうと口を挟んだ。

「なるほどね……」

「そういうことでしたか」

 比栖間と工内はほっとしたように顔を見合わせた。

 そして優等生のあんたが口火を切りなさいとばかり比栖間は盛んに工内に目配せを送った。

「まったく……」

 小さくため息を吐きながら工内は素早く自分の考えをまとめた。工内とて十二月晦日が自分たちに意見を求めてくれたことが嬉しくないわけがない。

「ソロモン方面へ進出してきた艦隊と機動部隊にはもともと連携がなかったとは考えられないでしょうか?」

「その可能性は薄いじゃろうのぅ。どちらも太平洋艦隊の管轄じゃ。連携がなされておらなかったとすれば、どちらかの艦隊が独断で動いたということになる」

「太平洋艦隊の長官ってそんなばかなの?」

「いいえ。太平洋艦隊司令長官のストーナー大将は合衆国の経済界を牛耳る財閥の一つに連なる家系の出身で前線の兵士からの評判はあまりよくはありませんが、それだけに官僚的手腕には長けているという噂です。麾下の艦隊が独断で動くことをみすみす見逃すようなことはないでしょう」

 比栖間の疑問に工内はすらすらと答えた。これではどちらが参謀長なのか傍から見たらよくわからない。

「もし、敵の一連の動きが太平洋艦隊によって統率された作戦だとすれば、この時系列で行われたことに意味があるということになります」

「あ~、もう! どうしてこう弓弦は小難しい単語を使いたがるのよ! ばかにもわかるようにもっと噛み砕いて説明してよ!」

「だから比栖間はもう少し新聞なり本を読んで語彙を豊富にすべきです。昔と違って無線は使えないのですから命令は簡潔明瞭でないと末端にまできちんと伝達されませんよ?」

 工内は小難しい言葉ばかり使うのでなにをいっているのかよくわからないと比栖間は切れた。逆に工内は、発光信号などの限られた通信手段で間違えなく命令を伝えるには普通の会話では馴染みのないような難解な単語でも使うべきだと譲らない。

「艦長のおっしゃることはもっともだと思いますが、末端の兵士は義務教育しか終えていない幼いものも多いですからね。その辺りのさじ加減はわたしたち通信将校にお任せください」

 十二月晦日にはまったく頭が上がらない比栖間も同期で気が置けない工内に対しては一歩も譲らない。それを見かねて通信参謀の軽須がやんわりと割って入った。敵を出し抜くのが得意な十二月晦日だったが、それだけに命令は麾下の個々の艦に対して細々と出されることが多かった。その命令を相手に勘違いされることなく迅速に伝えている軽須がいうことには説得力があった。

「ふぅ……。中佐にそういわれては引き下がらないわけにはいきませんね」

 今はこんなことでいい争っている場合ではなく、敵艦隊の不可解な動きになにか隠された意味があるのかを探るのが先だ。そう思った工内は軽須の取り成しに素直に従った。

「つまりわたしがいいたかったのは、もしこれが敵の作戦だとすればこちらの艦隊を誘い出した上で、その艦隊が反転できる時間的余裕を与えてから機動部隊を出撃させたことに鍵があるということです」

「初めっからそういえばばかなわたしにだってよく理解できたのに!」

「まぁまぁ、艦長だってわかりやすくいいなおしてくれたんですから参謀長も蒸し返したりなさらず……」

 怒って話を混ぜ返した比栖間を明石がそれとなくたしなめた。

「照陽の訊き出した話では敵機動部隊の攻撃目標は東南亜細亜方面ということでしたが、そもそも軍令部がそう判断した根拠はどこにあるのでしょうか?」

 議論に熱中し始めたようで比栖間に茶々を入れられても取り合わず、工内は話を続けた。

「連合王国東洋艦隊がイラストリアス、インドミタブルの両装甲空母を増強したそうじゃ。軍令部はこれを合衆国と連合王国が東南亜細亜において南遣艦隊を挟み撃ちにし石油の補給線を絶つ作戦と判断したということじゃ」

「こういってはなんなのですが、南遣艦隊を叩くにしては戦力が過大すぎるのではないでしょうか?」

「ばかねぇ、弓弦。兵学校で長官に教わったことをもう忘れたの? 戦力は小出しにせず集中させて一気に叩っけて何度もいわれたじゃないの」

「確かにそう教えたがのぅ……」

 小鼻をうごめかしながら得意気にいう比栖間に十二月晦日は呆れたような目を向けた。

「わしは防御を疎かにしてよいなぞとは一言もいってはおらぬぞ? 織田信長の桶狭間(おけはざま)ではあるまいし手持ちの戦力を残らず投入してしもうたら、それに負けたら滅びるだけではないか」

「…………」

 よく覚えていたと褒めてもらえると思っていたら怒られてしまった。比栖間はがっくりきてしゅんとなってしまった。

「南遣艦隊の主力は重巡で残りは水雷戦隊と潜水戦隊、空母はありません。これなら連合王国に二隻あるのですから、合衆国が二隻大型空母を出せばこちらは手も足も出ません。こちらの戦艦四隻をソロモンに引きつけている隙に鈍足の戦艦を外して重巡の護衛だけで空母を急派すれば東南亜細亜への奇襲の成功率はかなり高かったものと思われます」

「工内の申すことはもっともじゃな」

「…………」

 自分は怒られたのに工内は十二月晦日に褒められている。恨めしそうなじとっとした目を比栖間は工内に向けた。

「もしかしたら、わざわざ誘き出したんですからこちらが敵の目標ってことはないですか?」

「それなら機動部隊で東南亜細亜を衝くと見せかける必要なぞどこにあるのじゃ? そんなまどろっこしいことはせずこちらへ直接差し向ければよいではないか。それどころか、わしらが敵の重巡とどんぱちやっておった背後を空母で衝けばより効果的じゃったぞ?」

「―――そ、それは……」

 比栖間が思いつきで口にしたことは一言で十二月晦日に否定されてしまった。

「おまけに敵の重巡部隊は壊滅じゃぞ? こちらの艦隊を誘き出すのが目的じゃったらもそっとやりようもあったろうにのぅ」

「それは敵も誤算だったのではないでしょうか? 一戦も交えないで逃げ出したりしたら囮だとばれてしまうかもしれませんし。適当に戦って引くつもりだったのが、長官の策に嵌められて全滅するはめになったのかもしれません。その証拠に、後続の戦艦部隊は第一艦隊と最大射程でおざなりに撃ち合っただけであっさり撤退しています」

 苦笑いを浮かべながら明石は自分の考えを口にした。

 十二月晦日からしてみれば囮が目的ならそれらしく戦う振りをしてさっさと逃げればいいではないかと思うのだろう。

 だが相手の方が一枚も二枚も上手だったとすれば囮で戦う振りをしているつもりがずるずると策に嵌められて壊滅するまで気づかないことも有り得ないことではないのではないだろうか?

「なるほどのぅ。そういう考えもあるかもしれぬのぅ」

「長官はご自分の水準(レベル)でものを考えすぎるから、かえってわからないこともあるんですよ。もっと相手の水準まで下がって考えないと」

「…………」

 明石がいったことももっともかもしれないと十二月晦日は顎に指を当てて考え始めた。

 そんな十二月晦日に比栖間が知ったようなことを口にした。

 その比栖間を横目で工内が「あなたの水準まで下がったら下がりすぎですよ……」とでもいいたそうな顔で見ていた。

「では、その線で考えを進めてみるとするかのぅ。敵の目的はわしらか第一艦隊かはわからぬが、とにかくこちらを誘い出すことにあった。そして、機動部隊は東南亜細亜を衝く振りをして進攻しておると。これが一連の作戦じゃとすれば、その真の攻撃目標はなんじゃ?」

「敵の目的は長官を誘い出すことに決まっているじゃないですか! 他の艦隊を誘い出すのなら、こんな手のこんだ作戦は仕掛けてこないですよ!」

 十二月晦日のことを崇拝している比栖間は、敵の目標が十二月晦日だと決めてかかっていた。

「なるほどのぅ、そういうことじゃったのか……」

 比栖間にいわれてはたと思いついたように十二月晦日は長官席の背もたれに背中を預けた。

「自分のことはいわれてみぬと自分ではわからぬものじゃ。礼を申すぞ、比栖間よ」

「―――い、いえ。長官のお役に立てればわたしは幸せです!」

 十二月晦日に面と向かって礼をいわれた比栖間は顔をぐしゃぐしゃにして泣きそうになった。

「知っておるか、そなたらは? わしは帝國海軍では嫌われものじゃが合衆国では大人気なのじゃぞ? なにせ、人気投票では三本指(ベストスリー)に入っておるのじゃからな」

「えっ、そうなんですか? 赤レンガ(本省)のばかどもにはわからないでしょうけど、敵にはよくわかっている人がいるんですね!」

 皮肉たっぷりの十二月晦日の口調には気づかず、敬愛する長官が人気だと聞いて比栖間ははしゃいだ声を上げた。

「長官、ご冗談がすぎます……。上位三者(ベストスリー)ではなく下位三者(ワーストスリー)ではないですか……」

「ふん。さすが工内じゃな。ちゃんと敵の国内情勢には目を配っておるようじゃ」

 あまり趣味がいいとはいえない冗談に工内は眉を顰めた。口には出さなかったが明石も軽須も知っていたようで顔を曇らせている。

 工内の心配をよそに、十二月晦日はにやりと口の端を吊り上げて見せた。

「えっ、えっ!? どういうことなの?」

 一人だけ知らなかったらしい比栖間はきょろきょろと工内たちの顔を見回した。

「合衆国のある大手新聞社がこの戦争に勝った暁には戦犯として処刑したい敵国の軍人や政治家は誰かという統計調査(アンケート)を実施したのです」

「その我が帝國での栄えある第三位に選ばれたのがこのわしじゃ」

「ちなみに第二位が陸軍大臣の西條(さいじょう)大将、第一位が……」

「止めるのじゃ。それ以上口にするのは畏れ多い……」

 静かな口調で十二月晦日は工内の口をつぐませた。十二月晦日の機嫌が読める比栖間には十二月晦日がこれほど怒っているのを見たことがなく冷や汗を滴らせた。

「それで、合衆国で長官が戦犯扱いされてるのと今回の敵の作戦とどういう関係があるんですか?」

 十二月晦日が戦犯扱いされていることには比栖間のほうがはらわたが煮えくり返るような思いだったが、今は自分のことより十二月晦日が怒っていることから目を逸らさせる方が先だった。

新加坡(シンガポール)から進出してくる連合王国東洋艦隊と合流するため合衆国機動部隊はセレベス海へ向かうというのが軍令部の読みじゃ。じゃが、もし台湾と呂宋(ルソン)の間を抜ける航路を取ったらどうなると思う?」

「その北寄りの航路を取られたらいくら第二艦隊が三0ノット出ない(ふね)がいない高速艦隊でも追いつくことは不可能です」

「でもそうすると今度は本土で編成中のこちらの機動部隊にみすみす迎撃できる余裕を与えてしまうことになりませんか?」

 航海術が専攻だった工内は頭の中に海図を思い浮かべて航路を素早く計算してみた。

 一方、航海術は苦手な比栖間でも敵艦隊がそんな帝國本土近海により近い航路を取ったら押っ取り刀で駆けつけてきたこちらの機動部隊に捕捉されてしまう危険性が高いことくらいはよくわかった。

「いや、おそらくはそれこそが敵の狙いなのじゃろううよ」

「第二艦隊に追撃する余裕を与え、その一方でこちらの機動部隊まで誘い出すような航路を取る……。―――ま、まさか敵は二正面作戦を企んでいると長官はお考えなのですか!?」

「そう考えると敵の不可解な行動もすっきりするとは思わぬか?」

 戦略としては愚策もいいところだが、戦力に大きな差があればあながち不可能ともいい切れない。そして実際、敵の機動部隊には最新鋭の大型空母が最低でも七隻は配備されている可能性が高い。

 兵学校で十二月晦日にそのような無謀な作戦は絶対避けるよう叩きこまれていた工内にはにわかには信じられない話だった。だが、こちらは理論的にそう考えようとも敵も同じように考えるという保証などどこにもないのだ。

「そなたなら知っておろぅ? ウォレンの最近の支持率をな」

「はい。新聞による最新の調査ではついに一桁台に突入したということです」

「このままでゆけば間近に迫った大統領選であやつは大敗を喫し大統領の椅子を奪われてしまうのは火を見るよりも明らかなのじゃ。じゃが、もしここで敵の機動部隊を殲滅しそれに加えて合衆国の一般市民からの憎悪の的であるわしを葬ったとすればどうなる?」

「だからこそ敵は長官を釣り出すためにこんな手のこんだ作戦を仕掛けたということなのですね……?」

 十二月晦日の推論を聞かされて工内は遣り切れない思いでため息を吐いた。

 選挙の人気取りのためだけに仕組まれた戦術的に見れば愚の骨頂のような作戦。

 こちら側の軍の上層部も腐っているが、敵もその点では引けを取らないようだった。

「このような作戦が下策じゃということは軍事の素人でもわからぬはずはないのじゃがのぅ。機動部隊かわしか、どちらか一方に標的を絞れば成功率も高まったものを。片方だけでは選挙に勝てる安全圏まで支持率が上がるか心許なかったのであろうな。それだけウォレンは追い詰められて目が曇っておるのであろうよ」

「敵が七隻もの大型空母を揃えてきたのは二正面作戦を踏まえてのことだったんですね……」

 いくら敵に戦力的な余裕があったとしてもそれだけの空母をまとめて投入してくることが明石にはどうにも腑に落ちなかった。だが十二月晦日の推論が当たっているとすれば、そのことにも納得がいく。

「国力では圧倒的に差があることは厳然たる事実じゃ。じゃが技術力ではこちらに一日(いちじつ)の長があるのじゃ。あやつらの国力をもってしても選挙の前までにエセックス級ほどの空母を復元するのは七隻がやっとじゃったのじゃろうな」

「前の戦争のときなら隔月間空母なんて揶揄されるくらいの進行度(ペース)でエセックス級を建造してましたもんね……」

 エセックス級とその改良型のタイコンデロガ級は千九百四十二年十二月から千九百四十六年五月までの約三年半の間に二十四隻が建造された。単純に計算すれば二ヶ月弱に一隻のペースで建造されたことになる。

「その通りじゃ。前の戦争のときと同じ条件じゃったらそもそも話にならぬわ。曲がりなりにもここまで戦ってこられたのは国力の差を技術力で埋めてこられたからじゃ」

 十二月晦日はそこまで話すと、黙りこくって口を開かなくなってしまった比栖間にぎろろと目を向けた。

「おい、比栖間よ。国力では圧倒的に劣っておる我が帝國が合衆国になにゆえ決定的な戦力差をつけられずにおられるのかわかっておろぅのぅ?」

「―――そ、そ、それは……。―――ぎ、技術力で我が帝國が合衆国を上回っているからです!」

 突然質問の矛先を向けられた比栖間は、十二月晦日がいっていた通りのことを鸚鵡返しのように答えた。

「ほほぅ。で、その技術力とはどのようなものじゃ? わしにもわかるように説明してもらえぬかのぅ?」

 意味が呑みこめてもいないのに単語だけ並べても答えにはならない。

 意地悪く口の端を歪めた十二月晦日は情け容赦なく比栖間を問い詰めた。

「―――え、え~っと……。―――ぎ、技術力というのはですね……」

 顔中にだらだらと脂汗を流し始めた比栖間を十二月晦日は冷たい半目で()めつけた。

「わからぬならわからぬと素直にいえばよいではないか! ばかのくせに見栄なぞ張りおって!」

「―――も、申し訳ありません……」

 怒鳴られてしょぼんとした比栖間には目もくれず、十二月晦日は明石の方を振り向いた。

「おい、明石よ。技術史ならお手のものじゃろう? このばかにもわかるよう説明してやってはくれぬか?」

「はぁ……」

 また説明する役を十二月晦日に押しつけられた明石は歯切れも悪く返事をした。どうして長官はこう面倒な役を自分に振ってくるのだろう。

「太陽嵐の影響で電波や電子計算機(コンピューター)が使えなくなる以前は電波探知機(レーダー)誘導弾(ミサイル)といった兵器が使われていたことは参謀長もご存知ですよね?」

「え~っと、兵学校の授業で習ったような気がするけど……。電波探知機ってのは電探のことよね? 誘導弾っていうのは勝手に的目がけて飛んでく砲弾みたいなもののことだっけ…?」

「はい、その通りです。その辺りのことを覚えていてくれたら、後の話は早いです」

 そこから説明しなければならないと話が長くて面倒になってしまう。基礎的な知識はうろ覚えながら残っていたようで明石はほっとため息を漏らした。

「ところが、こういった電子機器を使用した兵器は太陽嵐による電磁波の影響で使えなくなってしまいました」

「誘導弾も電波探知機も超音速戦闘機も電子計算機や電波を使わず人の力だけで制御するなぞ夢のまた夢じゃからのぅ」

 単語は耳にしたことがあるような気はするが太陽嵐の影響で電子機器が使えないのが当たり前の世界になってから産まれた比栖間には今一つぴんとこなかった。

「電子計算機も使えねば原子力発電の安全な制御(コントロール)も難しゅうなってしまう。必然的に残り少なくなった石油を巡っての局地的な紛争は後を絶たず、その結果として兵器が使用される局面は増えることになってしもうた」

「電子制御による兵器が使えないならそれに頼らない兵器を作ればいいということになります。そこで発案されたのが、人間の力で制御できる兵器が最も発達していた第二次世界大戦当時の兵器を複製(コピー)してみようとする計画です」

「この計画によって作られた第二次大戦中の兵器の複製(レプリカ)の威力は上々じゃった。電子計算機の誤作動でまともに動けぬ敵の兵器を我が帝國の複製兵器は赤子の手を捻るように蹂躙していったのじゃからのぅ」

「それからはこぞって各国も第二次世界大戦中の兵器の複製に乗り出したというわけです」

「つまり、合衆国より先に我が帝國の方が昔の兵器の複製の実現化に成功したってことよね?」

 自分の理解が間違っていないかどうか比栖間は明石に確認を求めた。

 そんな比栖間に、十二月晦日は意地悪く質問を重ねた。

「では、比栖間よ。なにゆえ我が帝國が世界に先駆けて第二次大戦中の兵器の複製を実現できたのかわかるか?」

「それが先ほど長官がおっしゃっておられた技術力ってことですよね……?」

「その通りじゃ。これは兵学校でも教えたはずなのじゃがのぅ……。わしの教えかたではこやつの頭には理解できなかったようじゃから、なんとか噛み砕いてやってはくれぬか、明石よ?」

「わたしにもどこまでできるか自信はありませんが……」

 困ったように眉を顰めてから明石は比栖間の方へ顔を戻した。

「技術者ではない参謀長にはおわかりにくいかもしれませんが電子計算機というのはいってみればなんでもできる魔法の機械みたいなものなんです。これさえあればほとんどの機械は人間の手を煩わせることなく自動で動かせますし、今では実物のなん分の一かに縮小して作った模型で実験してみないとわからない空気抵抗なども諸元(データ)を入力するだけで模擬実験(シュミレーション)で計算できたんです」

「なん分の一っていっても、爆撃機みたいに大きなものだったら模型を作るだけでももの凄い手間がかかるわよね……」

「はい。模型と一口いっても設計図からできるだけ狂いのない形に仕上げなければ正確な実験結果が得られませんから、それを作るだけで数ヶ月かかることも珍しくありませんし」

「模型一つに数ヶ月……」

 比栖間でも、いや、手先の不器用な比栖間だからこそ精密な模型を作る手間がどのくらいたいへんかはよく理解できた。

「いい換えれば電子計算機さえあれば正確な模型を作る技術がなくても空気抵抗などの実験結果(データ)は正確に得られるということです。逆に電子計算機がなければどれだけ設計図から狂いのない精密な模型を作れるかということが実権結果の正確さを左右することになります」

「つまり、模型がちゃんとできていないと実験ではうまくいったのにいざ実物を組み立ててみたら期待していたような性能が出ないかもしれないってことよね?」

「はい、その通りです」

 自分のいいたかったことを比栖間が正しく理解してくれていることを確認して明石は嬉しそうに頷いた。

「実験で充分な性能が得られることが実証できたので、今度はそれを実物として試作してみることにします。ここでもやはり模型と同じで、設計図通りの部品をいかに正確に作れるかが鍵になってきます」

「でもそれって模型を作るよりもっと難しいんじゃないの? 実験用の模型なら加工しやすい材料で作れるけど、実際の部品はもっと加工が難しい鉄とかアルミで作らなきゃいけないのよね?」

「はい、それも参謀長のおっしゃる通りです」

 明石は技術的な単語をどう噛み砕けば比栖間にもわかりやすいか言葉を選びながら説明を続けた。

「これもやはり電子計算機を使わなければできないのですが光学走査(スキャニング)という技術がありました。簡単にいってしまえば、これは調べたいものに光を当ててその反射によって形を調べる技術のことです。これが使えれば作ってみた部品が設計図通りの形状なのかを正確に調べることができます」

「光を当てて形を読み取るの……? 写真とは違うのよね……?」

「いえ、その想像(イメージ)で間違っていないと思います。写真は二次元、つまり平面でしか表現できませんが、三次元、つまり立体的な写真を撮るようなものかもしれません」

「立体的な写真ねぇ……」

 兵学校でも座学は苦手で特に数学などはちんぷんかんぷんだった比栖間にはそう簡単に理解できる話ではないのかもしれない。

「それなら、こう考えてみてください。これは参謀長の目にはどう見えますか?」

「どうって……。それってただの角砂糖じゃないの?」

 明石は長官用のコーヒーセットから角砂糖を一つつまみあげて比栖間の目の前に掲げて見せた。その角砂糖を比栖間は小首を傾げながら瞳を寄せて見つめる。

「もし角砂糖を知らない人がいたとしたら、その形を参謀長ならどう説明しますか?」

「えっ!? 角砂糖を知らない人に……? う~ん、賽子(さいころ)みたいな小さな四角い塊とか……?」

「そうですね、賽子を知っている人ならその説明で形が思い浮かぶかもしれません」

 それを知らないに人間に説明するのになにかにたとえるのは、そのたとえを相手が知っていればすぐに理解できるのだが知らなければなんの説明にもならない。

「それじゃ、賽子も知らない相手に説明するとすればどうでしょう?」

「あ~、もう降参、降参……。そんな難しいこと、わたしにできるわけないじゃなの……」

 もうお手上げとばかりに両手を万歳のように挙げて比栖間は首を振った。

「こういう説明で形は頭に浮かびませんか? 一辺……一つの長さが一糎(センチ)ほどの立方体……高さも幅も奥行きも一糎ほどの四角い塊って説明では」

「あー、それならなんとなく」

 数学用語を口にしては明石はそれを日常で使うような言葉にいい換えて丁寧に説明していった。そこまで噛み砕けば、いくら数学が苦手な比栖間でもその説明は理解できて頭に入ったようだった。

「つまりですね、光学走査は立体をそういう諸元に読み換えてくれる機械だったんですよ」

「高さも幅も奥行きも一糎ってふうに全部数字で表すってこと?」

「そうです、その通りです!」

 いいたかったことを理解してもらえて明石は喜びを隠そうとはしなかった。

「光学走査のように実際にあるものの形を諸元に読み換えてくれる機械があったのなら、その逆に諸元通りのものを作ってくれる機械もあったんです。それがNC旋盤という機械でした」

「そのエヌなんとかって機械も電子計算機で動かすわけ?」

「そうです。作りたいものの諸元さえ入力すれば、それと寸分違わないものを実際に作ってくれるんです」

「ふ~ん……。昔の技術は凄かったのね」

 太陽の異常活動による影響で電子機器に頼らない生活が当たり前になってから産まれ育った比栖間にはまるで魔法かなにかにしか聞こえない話だった。

「ここまでくれば作りたいものの模型なんか試作しなくてもそれを作ることができる方法があるってことは参謀長ももうお気づきですよね?」

「えっ!? 模型なしで作りたいものを作る方法……?」

 十二月晦日だけでなく明石にまで質問を出されて比栖間は慌てた。

 自分とはそもそも頭の出来が違っている明石が専門用語を使わないようできるだけ日常的な言葉を選んで説明してくれていることは比栖間にもよくわかっていた。これだけ手を尽くしてもらっているというのになにも答えられなければまた十二月晦日に怒鳴られてしまうかもと比栖間はちらりと十二月晦日の方を盗み見た。するとどうだろう。十二月晦日は怒るどころか授業参観で娘が作文を読んでいるのを聞いている母親のような顔で目を細めていた。

「このあほうめが! 帝大卒の明石がそなたのために猿でもわかるように噛み砕いて説明してくれておるのじゃぞ? 余所見などしておらんで集中して聴かぬか!」

「―――も、申し訳ありません……」

 比栖間の視線に気づいた十二月晦日は慌てて顔を背けると長官席の肘かけを拳でどんどんと叩きながら怒鳴り散らした。

「すまぬと思うのなら少しは自分の頭を使って考えてみたらどうなのじゃ? 頭を使うのは苦手じゃとすぐに諦めてしまうのはそなたの悪い癖じゃ。頭も使わねば鈍くなる一方なのじゃぞ?」

「わかってはいるのですが、頭を使うと知恵熱が出たりするので……」

 傍から見れば照れ隠しに怒った振りをしているのはばればれなのだが当の比栖間はまるでそのことに気づいていないようだった。明石は思わず苦笑いを浮かべてしまった。

「参謀長、話を戻しますけど模型なしで作りたいものを作る方法は思いつかれましたか?」

「え~っと、ちょっと待ってよ。なんとなくわかりそうな気はするんだけど……」

 比栖間は腕を組んで目を瞑りうんうん唸りながら考え始めた。比栖間が目を瞑るとそれを待っていたようにまた十二月晦日は表情を緩めた。

「おとぎ話で寝ている間に小人が靴を作ってくれるっていうのがあったけど……」

「羨ましい話じゃのぅ。寝ておる間に妖精さんが欲しいものを作ってくれたらこんなありがたいことはないのじゃ」

 比栖間が頭に思い浮かんだことをぽつりと呟いた。それを耳にした十二月晦日は皮肉たっぷりに鼻を鳴らした。

「…………」

「いいですか、参謀長。NC旋盤は諸元さえあればその通りのものを作れるんですよ? 逆にいったら作りたいものの諸元さえあればなんでも作れるってことなんです」

 十二月晦日が比栖間にお小言をいい出すと長くなってしまう。

 それを見越して明石は比栖間が思いつきでおかしなことを口走らないようヒントを出すことにした。

「諸元さえあればいいってことは、もしかして設計図まで初めから諸元で書くってこと? ―――あ、でもそんなことできるわけないよね……?」

 自分で口にしてそれが信じられず、また怒鳴られてしまうかもと比栖間は目を泳がせた。

「いえ、それができたんですよ」

「ふん。そなたでも頭を使ってみればわかるではないか」

 比栖間の答えを聞いて明石はにこやかに頷いて見せた。

 十二月晦日もそんなことはわかって当たり前だという顔をしていたが、口許が緩んでいるのは隠せなかった。

「えっ!? それで合ってたの?」

「はい。CADという機械がありまして、これを使うと立体的図面を諸元として作成することができたんです」

動画漫画(アニメ)とか時代劇で見たけど、ほんとに電子計算機があればなんでもできたんだね……」

 テレビで見たのでフィクションとして大袈裟に描かれているだけかと思っていたのだが、コンピューターがあればほとんどのことができたというのはほんとうのことだったらしい。だが比栖間にはまだそのことが実感としては理解できなかった。

「なんでこんな回りくどく昔の電子計算機の話をしたのかというと、その電子計算機が使えなくなったとしたら設計図通りのものを作るためにはなにが一番重要かをわかっていただくためなんです」

「それがさっき大尉がいっていた実験に使う模型とかってことなのね?」

「はい。そして模型だけでなく設計図通りの部品を電子計算機の助けがなくても作れるような技術が必要になってくるんです」

「それこそが職人技というやつなのじゃ」

「―――し、職人技ですか……」

 もっと難しい専門用語が出てくるかと身構えていたらあまりにも大ざっぱな言葉が飛び出してきて比栖間は拍子抜けしてしまった。

「なんじゃ、不満そうじゃのう?」

「―――い、いえ……。決してそういうわけでは……」

 十二月晦日にぎろりと目を向けられた比栖間は冷や汗を滴らせた。

「確かに職人技と耳にすれば伝統工芸が頭に浮かぶかもしれません。でもそれだけではないんですよ。肉眼ではとても確認できないような百万分の一米(ミクロン)単位の誤差を触っただけでもわかるというのも職人技の一つなんです」

「それがさっき大尉のいっていた―――す、すき焼き……? だかなんだかの代わりってことなの?」

「すき焼きではなく光学走査(スキャニング)なんですが……」

 苦笑いを漏らしつつも比栖間が単語は忘れてもその意味するところは覚えていてくれたことに明石は頷いて見せた。

「触って誤差がわかるということはつまりそれで設計図により近い形に修正ができるってことなんです。図面とどれだけ食い違っているかがわからなければ修正のしようがありませんからね」

「我が帝國にはそれだけの腕を持つ職人が少なからず残っておったのじゃ。それも特別なところにではなく下町のありふれた旋盤工場や板金工場にのぅ」

「我が帝國と合衆国とでは工業生産力だけで見れば比べものになりません。ですからすでに量産可能な状態にあるものを作ったとすれば合衆国にはとうてい敵いません。ですが合衆国には新たな部品を高精度で量産に移せる技術が欠けているんです」

「合衆国にはそういう職人芸を備えた職人が少ないってことなの?」

「はい。その通りです」

「光学走査やNC旋盤の助けを借りなくとも複雑な部品を高精度で作れる職人がおらねば高性能な兵器の複製(レプリカ)を完成させるのは不可能じゃ。しかたなく合衆国は性能は劣っていても構造はより簡単な大戦初期の兵器から複製を作り始めねばならなかったというわけじゃ」

「その隙に我が帝國では大戦後期のより高性能な兵器の複製を完成させてしまったんですよ。だから国力では劣っていてもなんとか兵器の性能の差でかろうじて戦力の均衡を保っていられたんですよ」

「その性能が劣った兵器をあやつらは数で補ってきたというわけじゃ。叩いても叩いても雲霞のごとく湧いて出るので切りがないのじゃ」

「逆にいえばそれだけ合衆国の生産能力がずば抜けて高いってことなんですよ」

「これは有名な話なのじゃが」

 満点とまではいかなかったが比栖間にしては頭を使って答えを導き出していたのだ。そのことに満足したのか十二月晦日ももう質問を重ねるようなことはせず明石と交互に説明を進めていた。

「独逸のティーゲルⅠ、そなたたちにはタイガー戦車と呼んだ方が馴染みなのかのぅ? それのことは知っておろうな?」

「はい。確か世界で一番有名な重戦車でしたよね?」

「うむ。そのティーゲルじゃ」

 満足そうに頷いて十二月晦日は話を続けた。

「合衆国の主力戦車はM4シャーマンじゃがこれの主砲ではティーゲルの正面装甲は目の前で撃ってさえこれを撃ち抜くことは不可能じゃった。じゃがティーゲルは距離一、六00からシャーマンの装甲を易々と撃ち抜くことができたのじゃ」

「それでは、真正面から撃ち合えばタイガー戦車は無敵ってことじゃないですか?」

「そなたの申す通りじゃ。じゃがのぅ、ここでも合衆国は物量にものをいわせて戦車の性能の差を無意味にしてしもうたのよ」

「それはつまり兵器の性能の差は圧倒的物量さえあれば帳消しにできるってことなんですか?」

「その通りなのじゃ」

 遣り切れないようなため息を十二月晦日は吐いた。

 実際、沈めたのと同じ型の艦が何ヶ月かしたらまたもう敵の艦隊に配備されていたということを飽きるほど経験してきたのだ。合衆国の工業力を身をもって知らしめさせられているのは帝國海軍最古参の中将である十二月晦日に他ならない。

「正面からの撃ち合いではほとんど無敵のティーゲルじゃったがもちろんこれにも弱点はあったのじゃ。これはどの戦車にも共通の弱点じゃが車体後部の排気系や後部上面の冷却放熱器(ラジエーター)などは構造上装甲が施せぬ。また装甲がぶ厚いということは砲塔が重いということも意味しておる。ティーゲルは砲塔だけで十一トンもの重さがあったのじゃ。これは大戦初期の独逸の軽戦車Ⅱ号戦車が八・九トンじゃったのよりも重いということになる」

「いくら軽戦車とはいえ、砲塔だけでそれより重かったんですか?」

「そうじゃ。じゃからティーゲルは砲塔の旋回に時間がかかった。発動機(エンジン)駆動の油圧装置を使ぅても一分、これが故障などで使えなんだときのために手動でも回せるようにはなっておったが、一周させるには旋回把手(ハンドル)を七二0回も回さねばならなかったのじゃ」

「まぁ、それだけ重いものを手動で回すとすればよほど低い歯車(ギア)比でないと人の力だけじゃ回せないですからね……」

 技術者らしい解説を明石が加えた。

「この砲塔の旋回の遅さをやつらは衝いたのじゃ。四、五輌のシャーマンが一組となり一輌が囮となっておる間に残りで後部や比較的装甲の薄い側面を狙うという戦法じゃ。じゃがこれでも一輌のティーゲルを撃破するのに数輌のシャーマンが犠牲になることが多かったようじゃがのぅ」

「実際にはなん倍くらいの敵戦車を撃破できたんですか?」

「これは極端な例じゃがグロースドイッチュラント(大ドイツ)装甲擲弾兵師団、国防軍つまり親衛隊ではない正規軍の最精鋭師団じゃがここの所属じゃった重戦車大隊は東部戦線で約十七倍の戦果を上げたという記録が残っておる」

「―――じ、十七倍……。一輌の戦車が十七輌の敵戦車を撃破したってことですよね……? それだけやっつけてもまだ敵には余力があったってことなんですか……?」

「それが工業力の差というものなのじゃ。ティーゲルⅠの生産台数は千四百輌弱しかなかったのに比べ、シャーマンは実に五万輌弱が生産されたのじゃ。これではいくらティーゲル一輌がシャーマン数輌を撃破できたとしても追いつくはずがないのじゃ。四0倍近い生産台数じゃからのぅ」

「独逸軍が相手にしなければならなかったのは合衆国だけじゃありませんしね。前の大戦のときにはソ連なんて国もありましたよね?」

「明石のいう通りじゃ。ソ連というのは今は我が帝國の北方占領地となっておる露西亜(ロシア)を含む大国であったが、こやつらの主力戦車であるT‐34は五万八千輌も生産されおった」

「合わせて十万輌以上……」

「独逸には他にもティーゲルⅡやパンテルといった連合国軍の主力戦車ではまったく歯が立たない高性能戦車があるにはあったがティーゲルⅡは五百輌弱、パンテルでも六千輌ほどしか生産されなんだ。この台数ではいくら個々の戦車の性能が優れていようとも圧倒的物量の前には屈せざるを得なかったというわけじゃ」

「それと同じことが今も起きているってことなんでしょうか?」

「そうじゃ。比栖間とてその目で見ておろうが。わしが何回コロラド(コロラド級戦艦コロラド)を沈めたと思うておるのじゃ」

「確か、わたしが長官の許で戦い始めてから三回は沈めてましたっけ……?」

「そなたが兵学校を卒業する前に二回沈めておるから都合五回じゃがのぅ」

 つまらなそうに十二月晦日は鼻を鳴らした。

「こちらが一隻沈める間にあやつらは二隻建造してきおる。逆に、いくら性能ではこちらが上回っておってもそれは戦争なのじゃ。被弾することもあれば運悪く沈められることもある。戦力的にはじりじりとこちらが不利になってくるというわけじゃ」

「ですが、長官……。敵がエセックス級の復元に成功したということは……」

「うむ。あやつらにも電子計算機なしで高精度な部品を作れる職人が育ってきたということじゃろうな」

 明石は眉を曇らせながら言葉を濁した。

 エセックス級空母はこれまで合衆国が復元に成功していた大戦前から初期にかけての旧式艦ではなく大戦後期から配属が始まった新鋭艦である。そのような艦の復元に成功したということは合衆国もかなりの高精度で部品が生産できる体制が整ってきたということを意味していた。このまま新鋭艦の量産が軌道に乗るようなことになれば前の大戦の二の舞になってしまうかもしれない。

「ここで出鼻をくじいておかないと敵に調子づかれてしまうかもしれません」

「工内のいう通りじゃ。こちらの今のところの手持ちの中型・大型空母は赤城(あかぎ)加賀(かが)蒼龍(そうりゅう)飛龍(ひりゅう)翔鶴(しょうかく)瑞鶴(ずいかく)大鳳(たいほう)の七隻じゃ。対して合衆国はエンタープライズ、サラトガ、ワスプ、レンジャーの四隻に新造のエセックス級が七隻。半分は沈めておかぬと後々厄介じゃな」

 そこで十二月晦日はちらりとだが視線を逸らした。

(―――ん? 長官、どうされたんだろう……? 他にもなにか気がかりなことでもあるのかしら……?)

 十二月晦日が自分のことをどれだけ可愛くてしかたがないと思っているのかにはちっとも気づかないというのに、そういう表情のときになにを考えているのかだけは比栖間にはよくわかった。こちらには空母がいないのに敵の大機動部隊を相手にしなければならないとわかったときにはそんな表情は見せなかったので、なにがそんなに気になるのかと比栖間はいぶかしんだ。

「話は変わるが……」

 やはり内心でなにか躊躇っているかのように十二月晦日にしては歯切れ悪く口を開いた。

「もしそなたが好きな戦力を好きなだけ使えるとしたら、戦艦を沈めるならどうするかのぅ?」

「戦艦をですか?」

 十二月晦日が考えつくのを上回るような戦術を自分が思いつけるなどあろうはずはないと比栖間は思った。だがこれも先ほどと同じで自分がなにか思いついたことを口にしたらそれが十二月晦日にはヒントになるのかもしれないと考えを巡らせてみた。

「それならやはり空母で射程外(アウトレンジ)から叩くのが一番確実なのではないでしょうか? 戦艦の最大射程外から攻撃できれば自分たちは被弾の心配をしなくてもすみますし」

「ならば、その戦艦が単騎で先頭を突っ走るようなばかな癖があるとすればどうじゃ?」

「織田信長じゃあるまいし、単騎で先頭を突っ走るようなばかは長官しか―――――」

 司令官自らが陣頭に立って指揮を執るのは帝國海軍の伝統のようなものだ。第二次大戦中の第一次ソロモン海戦において第八艦隊司令長官三川軍一中将は旗艦である重巡鳥海を先頭に立てあまつさえ探照灯を照射して敵艦隊を照らし出すということまでやっている。(第一次ソロモン海戦は夜戦だった)

 十二月晦日もその伝統を色濃く受け継いだ司令官であった。ここぞというときには平気で旗艦が文字通り先頭に立って敵艦隊へ切りこむことなど珍しくはなかった。それを実際に間近で見てきた比栖間は十二月晦日がいっているのは自分自身のことのように聞こえてつい思った通りのことを口を滑らせてしまった。

「比栖間……」

「―――も、も、申し訳ありません!」

 いくら十二月晦日が部下に理不尽な鉄拳制裁を加えたりするような上官ではないといってもこれはいいすぎだった。眉間に皺を寄せてとがめるような視線を工内は比栖間に送った。

「ふん。やはりばかの教え子からはばかしか育たぬようじゃのぅ」

 しかしがばりと頭を下げた比栖間を見て十二月晦日は自嘲めいた苦笑いを浮かべただけで怒ろうとはしなかった。

「武笠もそうじゃが、そなたも御池も駆逐隊の司令じゃったころはしょっちゅう先頭に立って突撃しておったではないか。どうやらばかは伝染するようじゃのぅ?」

「お言葉ですが、長官。司令官が後方でのうのうとしているようでは戦線の兵士の士気など上がるはずがないと教えてくださったのは長官ではないですか」

「確かにそう教えたがのぅ……」

 自分に喰い下がってくる比栖間を十二月晦日はさもおかしそうにちらっと横目で見た。

「旗艦が陣頭に立たねば麾下の艦隊の士気は上がらぬ。かというて旗艦が被弾してしもうたら艦隊の指揮にも滞りが出てしまう。これは板挟み(ジレンマ)というやつじゃな」

 そこで言葉を切って十二月晦日は工内の方へ目を向けた。

「じゃからわしは自分の旗艦の舵はずっと工内か大山だけに握らせてきたのじゃ。工内と大山が避けられぬ弾なら他の誰が舵を握っておっても避けられるはずがないからのぅ」

「長官、そこまでわたしの腕を買っていただいて光栄です」

 いつもなら感極まってがばっと頭を下げるのは比栖間の役なのだが、今日ばかりは工内ががばっと頭を下げた。

「じゃがのぅ、御池はまだましじゃがそなたの酔っ払い運転以下の操艦指揮でよぅ弾が当たらなかったものじゃ。わしはのぅ、そなたが先頭で突撃するのを見るたびに肝が冷えて寿命が縮まったものじゃ」

「―――そ、そうだったのですか……」

 十二月晦日を見習って自分も駆逐隊の先頭に立って指揮を執っていたのだが、十二月晦日にそういう目で見られていたとは今の今まで気づかなかった。がっくりきた比栖間は泣きそうな顔になった。

「なんでもわしのまねをすればいいというものではないわ。できることとできないことをよく見極め、できないことは無理してやらぬか、それができるような人材を見つけるなり育てるなりせねばならぬ。それも上に立つものの務めというものじゃぞ」

「わたしは別に昇進して人の上に立ちたいわけじゃないのに……。長官の下で戦っていられればそれでいいのよ」

「なんぞいうたか、比栖間よ?」

「――――い、いえ……。なにもいっておりません!」

 比栖間に一日も早く独り立ちしてほしいと願う十二月晦日と、ずっと十二月晦日の許に仕えていたい比栖間。親の心子知らずとはよくいったものである。

「まぁ、それは措いておくとして大山を榛名に呼んではくれぬか? 航路の再計算の打ち合わせがしたいのじゃ」

「はい、長官。ただちに高雄に信号を送ります」

 軽須は十二月晦日に敬礼を送ると信号員の方へ歩いていった。

 敵艦隊の作戦の予想も立ち会戦へとまた一歩近づいた。

 知らず艦橋の空気がすっと冷たくなったような気がした。

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