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鋼鐵の海神  作者: 月野原行弥
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第一章

「お休みのところ申し訳ありません」

「いや」

 幕僚を代表して迎えた第二艦隊参謀長の比栖間(ひすま)那奈央(ななお)少将に第二艦隊司令長官 十二月晦日(ひなし)眞悠子(まゆこ)中将は答礼を返した。その人形のように小柄な姿が艦橋に顕われただけで温度がす~っと下がったように感じられたが鈍いのか肝が太いのか比栖間は臆した素振りは見せなかった。

「ところで、長官。皐月(さつき)はどこに?」

「寝ついた子を起こすこともあるまい? それにあれが一度眠ったら主砲を撃った音でも目を覚ますわけがなかろう」

「それもそうですね」

 そこまでいって比栖間は十二月晦が海軍制服のセーラー服をぴしっと着こなしたままだったことに気がついた。

「スカーフを外そうとしただけでからませて自分で自分の頸を絞めてしまうほどぶきっちょな長官の服装が乱れていない……。さては……」

 長官専属の小間使い(メイド)である五月七日(つゆり)皐月(さつき)の手を借りなければ服を着るどころか脱ぐこともできないはず。その長官が小間使いが休んだ後でも制服をきっちり着こなしているということはそもそも寝間着に着替えていなかったということになる。

「長官、またお休みになられず起きておられたのですねっ!?」

「いや、それは……」

「お身体に障るからちゃんとお休みになってといつも申し上げているではありませんかっ!」

「しかし、そなたらが起きているのにわしだけが休むというのもな……」

 小柄なのでよじ登るように長官席にちょこんと踏ん反り返った十二月晦の顔を比栖間は覗きこんだ。こちらは逆に男の中に混ざっても背の高さでは引けを取らないくらい上背があるので腰を折らなければ相手の顔がよく見えない。真っ直ぐ見下ろされた十二月晦は気まずそうに目を逸らした。

「わたしたちなら交替で休みを取ってます! そうでなくても長官は不摂生なのですから睡眠くらいはきちんと取ってください!」

「そうはいっても心配なのだからしかたあるまい……」

「―――ん? なにかおっしゃいましたか?」

「ええい、四の五のうるさいのじゃ!」

 思わず漏れてしまった呟きが聞かれてしまったのではと焦った十二月晦は逆切れしたように喚き散らした。

「歯磨けよ、宿題やれよとそなたは加トちゃんか、それともわしのおかんか?」

「いえ、わたしは宿題やれなんて一言もいってはおりませんが……」

 十二月晦の剣幕に比栖間はたじたじとなった。

「比栖間、今はそれより長官へご報告を」

「―――そ、そうだね……」

 子供の喧嘩のようになった二人の間におかっぱの前髪の下で眉一つ動かさず学級委員長っぽい娘が割って入った。第二艦隊旗艦戦艦 榛名(はるな)艦長の工内(くない)弓弦(ゆづる)大佐だ。

「それではご報告いたします」

 怒鳴られてしゅんとなり短いポニーテールをだら~んと垂らした比栖間の横ににこやかな微笑みを浮かべてどことなく華奢な身体つきの士官が進み出た。通信参謀の軽須(かるす)達郎(たつろう)中佐だった。

「『0ニニ四。発第十二駆逐隊司令駆逐艦 叢雲(むらくも)、宛テ第二艦隊旗艦榛名。0ニ一一敵艦隊海峡ヘ突入セリ。艦型(かんけい)、ノーザンプトン級重巡ニ、ブルックリン級軽巡一、駆逐艦多数』とのことです」

「やっと喰いついてきおったか」

 十二月晦は手を伸ばし軽須から書類ばさみを受け取った。報告書に目を落とすとにやりと口の端を吊り上げる。

「こちらがじっと動かぬのをどうやら補給待ちで動けぬものと勘違いしてくれたようじゃのう」

 十二月晦は書類ばさみを軽須に返すと比栖間に向きなおり命令を発した。その声は顔や身体つきには似つかわしくなくややかすれている。

「第十二駆逐隊は現状にて待機。敵艦と遭遇した場合は極力交戦を避け戦闘海域からの離脱を最優先にせよ。電話線を切り離した後、第三戦隊、第四戦隊、第二一駆逐隊は出撃じゃ」

「はい、長官」

 参謀長の比栖間が命令を復唱し、通信参謀の軽須がそれを書き留めてゆく。

「電話線、切り離し準備。機関長、(かま)の圧力を上げておいてください」

 艦長の工内は落ち着き払った様子で次々と伝声管を通じて指示をだしていった。

「電話線切り離し完了。榛名、出撃準備完了いたしました」

「うむ。出撃じゃ!」

「第二艦隊第三戦隊、第四戦隊、第二一駆逐隊、全艦出撃せよ」

 工内の報告を受け十二月晦はよしと頷いた。それを見て比栖間が命令を復唱した。

「全艦、両弦前進五戦速。単縦陣(たんじゅうじん)じゃ」

『五戦速』というのは帝國海軍独特の速度表示で原速が十二ノット、強速が十五ノット、一戦速が十八ノット、そこから三ノット刻みで二戦速、三戦速と速度を増してゆく。つまり五戦速ならば三0ノットということになる。

「工内、榛名を艦隊の先頭へ」

「はい、長官」

 十二月晦日の命令を受け工内は伝声管に口を寄せた。

「機関長、速力一杯でお願いします」

 ちりんと鐘が鳴りテレグラフの針が『一杯』の目盛を指した。速力一杯とは最大戦速の上、機関に過負荷の状態まで速度を上げることである。

「旗艦榛名より発光信号確認。『我、榛名。艦隊ノ先頭ニ立ツ』」

「いつものことだけど、止めても聞いてはいただけないわよね……」

 信号員の報告を受け艦橋の外へ目を向けると船檣(マスト)中将(ちゅうじょう)旗を翻した榛名がぐんぐんと速力を上げこちらを追い越してゆくのが目に入った。榛名とともに第三戦隊を構成する同型艦の金剛(こんごう)艦長、照陽(てるひ)弐依那(にいな)大佐が小さく首を振ると頭の後ろで短いポニーテールがぷらぷらと揺れた。

「機関長、いざというときは金剛を榛名の盾にします。榛名の前に出られるよう罐の圧力はぎりぎりまで上げておいて」

 艦長席を立って伝声管から命令を伝えた。立ち上がると照陽も比栖間と同じくらい背が高いことがわかる。

「距離二五、000。―――て、敵艦隊、砲撃を開始しました!」

 見張り員の上ずったような声から一拍おいて白い水柱が高く立つのが艦橋から見えた。こちらからはまだかなり距離が離れている。

「進路そのままで砲撃準備じゃ。ただし、命令のあるまでまだ撃つでないぞ」

 水柱の飛沫で一瞬視界が遮られたが十二月晦日は長官席にちょこんと踏ん反り返ったまま小ばかにしたように鼻を鳴らした。

「そんな距離から二0糎砲を撃ったところで当たるわけがなかろう。むだ弾をばんばん撃てるとは羨ましい限りじゃのぅ」

 敵艦隊は狭い海峡を突っ切ろうとしていたため縦一列のいわゆる単縦陣の艦列を組んでいた。その行く手を遮るようにこちらの艦隊は真横から突っこんでいったので丁字(ていじ)戦の布陣を呈していた。

 敵は狭い海峡をこっそりと抜けこちらの背後を奇襲するつもりだったのだろうが、その策を逆手に取られて待ち伏せされた格好だ。浮き足立って各艦てんでばらばらに砲撃を開始した。だが、レーダーが使えた昔ならいざ知らず、光学技術がものをいう測距儀の性能ならこちらのほうが一枚も二枚も上手だ。

「第二一駆逐隊 武笠(ぶりゅう)司令より発光信号受信。『我、対潜哨戒ヲ遂行スベシヤ否ヤ』」

「じゃそうじゃ。さて、参謀長ならどう判断する?」

 信号員からの報告を耳にして十二月晦日は意地の悪い視線を向けた。

「えーっと……。―――そ、それは……」

初緩(はつの)のやつ余計なことを……。そんなのわたしよりよくわかってんでしょ!?)

 十二月晦日はときどきこういった質問をぶつけてくる。同じ質問であっても戦場では状況により答えが変わってくるものだ。助けを求めるように視線を泳がせると、いつの間にか十二月晦日の後ろにぬぼーっと突っ立っていた人影が目に入った。先任参謀の伯峰(はくほう)雫空(しずく)大佐だ。

(ねぇ、くう。こういうときはどうしたらいいと思う?)

「…………」

 目配せを送って助言を求めたがなにも反応が返ってこない。長い前髪で顔が隠れているのでなにを考えているのかはさっぱりとわからないのだ。ただ、少なくとも我関せずとばかりに口を開く素振りすら見せないということだけははっきりとわかった。

(いくら畑違いだからって一言くらいなにかいったらどうなのよ……?)

 伯峰がなにもいわないのはいつものことなので文句をいったところで暖簾に腕押しなのだが、比栖間は短いポニーテールの髪を揺らしながら内心で毒づかずにはいられなかった。

(―――って、さっさと答えないとまた長官のご機嫌が……)

 ちらっと横目で確かめると十二月晦日が射抜くような鋭い視線をこちらへ向けているのに気づいた。比栖間は慌てて頭を搾り始めた。

(戦艦や重巡にとって潜水艦は天敵。とくに今みたいな夜戦で攻撃を仕掛けられたら目も当てられないけど……)

 戦艦や重巡などの大型艦は潜水艦からの攻撃には無防備なので駆逐艦などを対潜哨戒につけて護衛させるのが基本だ。ただしそれはあくまでも基本のことである。戦艦や重巡が主砲で撃ち合っているさなかにのこのこと潜水艦が忍び寄ってくるとは考えにくい。外れた弾はぼんぼんと海中に落ちているのだ。敵だって味方の潜水艦を避けて砲撃するなんて器用なまねができるわけがない。そんなことができるくらいなら、とうにこちらへ主砲を直撃させていることだろう。

「この場合は対潜哨戒の必要はないと愚考いたします……」

「うむ。答えるまでにもたもたしておったが、まあよいじゃろう」

 どうにか考えをまとめてはみたが自信はない。びくびくしながら答えてみると十二月晦日はまんざらでもなさそうな表情を浮かべた。

「『ナニカアレバ起コサレタシ。ソレマデ寝テ待ツ』」

「こんなときに寝るんじゃないわよ、初緩のやつ!」

 対潜哨戒の必要はないと命令を送ったらこんな返事が返ってきた。それを聞いて思わず比栖間は大声で突っこんでいた。

「相変わらず肝が太いんだかのん気なんだかわからない()よね……」

 知らず知らずため息が口から漏れていたが、敵艦隊との距離が縮まりつつあったことを思い出して気を取りなおした。

「―――き、距離二0、000!!」

 こちらの艦隊が取り舵を取って敵艦隊の先頭を半包囲するように弧を描いている間に、敵艦隊の先頭も海峡の一番狭まった海域を抜けこちらとの距離をぐんぐんと詰めてきた。周囲に次々と立つ水柱の数が増えてゆき、それとともに水柱もだんだんと艦に近づいてくる。見張り員の声も心なしか震えているようにも聞こえる。

「取り舵いっぱい!」

 双眼鏡に目を当てたままおかっぱの前髪の下で眉一つ動かさず工内が鋭く指示を飛ばした。舵が効き始めるまで一分四十秒もかかる大和ほどではないが、三二、000トンを超える榛名もそれなりに時間がかかる。ようやくと船体が左舷に傾き始めた頃、艦体の右舷すれすれに水柱が高く立ち艦橋の前に水しぶきを上げて視界を遮った。

「―――き、距離一五、000……!!」

 見張り員の声は緊張のあまり裏返ってしまっていた。

「―――――っ……」

 うら若い女の娘らしからず肝が太い比栖間でも、ここまで敵艦隊と距離が詰まってくると思わず唾を呑みこまずにはいられなかった。

「―――き、距離一二、000…………」

 見張り員が泣きそうな声で報告すると、それまでつまらなさそうに長官席に踏ん反り返っていた十二月晦日が軍刀をどんと床に突いて仁王立ちになった。腰の下まで伸びた長い黒髪がふわりと広がる。長官席に座っていると足が床まで届いていなかったので、立ち上がっても座っているときとあまり背の高さが変わらない。

「ばかなやつらなのじゃ。こう深く海峡へ突入してしもうたら喫水の深い重巡ではもう転舵は適わぬぞ?」

 見下げ果てたように鼻を鳴らす。

「第三戦隊、第四戦隊砲撃開始じゃ!」

『不沈艦』と異名を取る十二月晦日がかすれてはいるものの凛とした声で攻撃命令を発した。

「工内、探照灯照射じゃ」

「はい、長官」

 夜戦において探照灯を照射することは砲撃の照準の精度を高めるのに役立つがその反面、敵からの攻撃の目標にされてしまうという危険性もある。しかし工内は躊躇うことなく九六式一一0糎探照灯の照射を命じた。

「主砲、撃ち方始め!」

 続けて主砲の砲撃開始も命じられた。主砲発射準備完了の合図の鐘がちりんちりんと鳴り響き、次の瞬間三万トンを超える鋼鐵の塊をも揺るがして轟音とともに榛名の連装三十六糎砲が火を噴いた。

「初弾、敵艦を夾叉(きょうさ)。誤差修正、第二射発射準備急げ!」

 砲弾が命中しなくても目標を前後に挟んで弾着することを夾叉という。夾叉すれば敵艦までの距離の誤差を修正しやすく、次の砲撃での命中率が飛躍的に高まる。

「本艦も探照灯の照射を開始します」

 榛名が探照灯の照射を開始したのを見て照陽も金剛の探照灯の照射を命じた。

「―――だ、第四戦隊各艦、探照灯の照射を開始してください……」

 榛名、金剛の第三戦隊の後続にはに重巡洋艦 高雄(たかお)愛宕(あたご)摩耶(まや)鳥海(ちょうかい)からなる第四戦隊が続いていた。その旗艦高雄の司令官席の後ろに身体を隠してびくついていたのは第四戦隊司令官 大山(おおやま)主城(かずき)少将だった。十二月晦日ほどではないが小柄でお団子に結った髪がますます幼い印象を与えている。それでも気丈に目だけは司令官席の後ろから覗かせて指揮を執り続けている。

「照陽も大山もさしでがましいことを……」

 榛名に集中しかけた敵艦隊の砲撃が他の艦も探照灯を照射したことでまたばらけ始めた。口ではぶつぶついいながらも十二月晦日はどことなく嬉しそうに見える。箸の上げ下ろしまでいちいち口を酸っぱくしなければならなかった少尉候補生のころを考えれば見違えるようになったものだとしみじみ感じた。

「比栖間、大山の砲戦を手伝ってやるがよい。きっと今ごろは泡を吹いて卒倒しかけておるに違いないのじゃ」

「はい、長官!」

 十二月晦日に命じられた比栖間はうれしさを隠し切れないように敬礼した。すぐに双眼鏡を目に当て第四戦隊の砲戦の観測を始めた。


 ずぅぅぅぅぅん!!

  ずぅぅぅぅぅん!!


「高雄、ちょい前、ちょいちょい右。愛宕、ちょいちょい後ろ方位そのまま」

 高雄と愛宕が続けて撃った主砲の弾着を確認して比栖間が誤差の修正の指示を口にした。具体的な距離や角度が一つもない指示に信号員は「えっ?」という顔をする。しかし通信参謀の軽須がそのまま送信していいと頷いて見せたので割り切れない表情のまま信号を送り始めた。

「旗艦榛名の比栖間参謀長より『高雄、チョイ前、チョイチョイ右。愛宕、チョイチョイ後ロ方位ソノママ』との信号です……」

「―――あ、ありがとう、ななちゃん……」

 高雄の信号員は榛名から送られてきた信号に戸惑ったような表情を浮かべた。しかし参謀長から戦隊司令官宛の信号のため首を傾げながらもそのまま報告した。それを聞くと大山の真っ蒼だった顔に血の気が戻ってきた。

「―――し、主砲誤差修正。高雄、距離マイナス四00、方位右一・七度。愛宕、距離プラス七00でお願いします……」

「主砲、誤差修正」

 大山はもともと囁くようにしか喋らない。その上、今は砲戦中で絶えず主砲の発射音が轟いている。大山の口にしたことを聞き取れたのは傍に控えていた先任参謀だけだ。(戦隊には参謀長がおかれておらず先任参謀が一番上位の参謀)大声で射撃指揮所へ命令を伝えた。


 ずぅぅぅぅぅん!!


「敵艦、夾叉しました!」

「よし。ここまでとらえれば当たったようなものだ。次は外すなよ」

 高雄の砲撃は命中こそしなかったものの敵艦すれすれに弾着した。先任参謀はそのまま砲撃を続行するように命じた。

「それにしても司令官、よくあんなあやふやな指示でなにがいいたいのかわかりましたね?」

「―――な、ななちゃんって途中の思考過程をすっ飛ばしていきなり結論に辿り着いちゃうようなところがありますから……」

 大山は人差し指を唇に当てて首を捻った。アイドルとかがやったらあざとくて鼻につく仕種だったが大山がやるといかにもさまになっている。

「―――な、慣れればなんとなくなにがいいたいのかわかるようになってくるんです……。―――そ、そうだ」

 ちょうどいいたとえが思い浮かんだようで大山はぽんと手を叩いた。

愛玩動物(ペット)でも可愛がっていれば言葉は通じなくてもなにを考えているのかわかってくるようになったりしますよね? そんな感じなんですよ」

「―――は、はぁ……。そういうものなのですか……」

 司令官にとって参謀長は犬や猫と同じペットのようなものなのかと先任参謀はどう返事をすればいいのか言葉に詰まった。

「ななったらかっちゃんのことばかり気にかけて。妬けちゃうじゃないの」

 艦長席で頬杖を突いていた照陽は榛名から高雄に送られた発光信号にちらっと横目を向けると口の中で呟いた。顔には微笑みを浮かべているがどう見ても目は笑っていない。

「ちょっと意地悪したくなってきたわ」

 にやっと口の端を吊り上げると通信長を手招きした。

「金剛の照陽(てるひ)艦長より意見具申を受信。『敵艦隊ノ先頭ヘ砲撃ノ集中ノ要アリト認ム』」

 双眼鏡に目を当てた信号員が金剛からの発光信号を読み上げると比栖間はしまったという顔をして目を泳がせた。

「照陽のいう通りじゃ。そなた、この海域へ敵艦隊を誘いこんだ意味がわかっておるのか? 弾を当てるのは砲術長の役目でどれを狙うのが一番効果的か考えるのが参謀の役目なのじゃぞ?」

「―――は、はい。長官……」

 じろりと横目を向けられた比栖間は脂汗を滲ませて直立不動の姿勢になった。

「第三戦隊、第四戦隊各艦に命令。敵艦隊の先頭へ砲撃を集中せよ」

「はい、参謀長」

 すでに通信文はしたためてあったようで軽須が頷いて見せると信号員はすぐに発光信号を送り始めた。

「それにしても夜戦で弾着観測ができぬとはいえ当たらぬものじゃのぅ……」

 やれやれといった気持ちを隠そうともせず十二月晦はため息を吐いた。弾着観測とは敵艦隊の上空へ観測機を飛ばし味方の砲撃が目標に対してどれだけずれているかを知らせることで照準の修正をやりやすくすることだ。

「前の大戦では独逸(どいつ)古強者(ベテラン)の戦車兵なら距離一、000までなら命中率九割以上を誇っておったというぞ? そこまでとはいわぬが、そろそろ当てて見せぬか」

 敵の砲撃の衝撃で艦体が大きく揺らいでも艦橋に仁王立ちで踏ん張ったまま十二月晦はここが正念場とばかりにかすれた声を張り上げた。

 旧日本海軍の軍艦の砲撃の命中率は演習で真っ直ぐにしか進まない標的艦を狙う場合でも一0~一五パーセント、実戦では一~三パーセントくらいだったといわれている。第三次ソロモン海戦では戦艦霧島は主砲を一一七発発射して命中は一発きりであったので、命中率は0・八五パーセントということになる。

「弓弦、敵はぶっ飛ばしてるみたいよ。ちょいちょい前を狙ってみて」

「わかった」

 比栖間いいたいのは敵艦隊が速力を出しているからそれをふまえて照準を前にずらせということだ。工内は砲撃指揮所へそう命令を伝えた。

「主砲、照準を前に七00ずらして狙え」

 発射準備の合図の鐘が鳴り響きどんと艦体を揺るがせて主砲が発射された。工内は双眼鏡に目を当てて弾着を見守った。

「命中!」

「やった!!」

 榛名の放った三十六糎砲の砲弾が敵艦隊の先頭に命中し、双眼鏡から目を話した工内は比栖間に頷いて見せた。

「今じゃ。信号弾を上げよ。第三水雷戦隊、第六水雷戦隊雷撃開始じゃ!!」

 先頭の艦がもうもうと黒煙を噴き上げがっくりと速度を落とした。敵艦隊は夜陰に紛れてこちらの包囲を突破するつもりだったようだ。しかし、被弾した先頭の艦に遮られるような格好になり、狭い海峡を抜けきっていない後続の艦は速度を落とすことを余儀なくされた。左右へ舵を切ると水深が浅いので座礁する危険があったからだ。

 この隙を見逃さず、十二月晦は海峡沿いの岩礁の陰に潜ませていた麾下の水雷戦隊に雷撃戦開始の信号を送った。島とはとても呼べそうにもなくごつごつした岩がいくつも海面に顔を覗かせているだけだったが、全長が一00~一二0メートルほどしかない駆逐艦なら十分姿を隠すことができる。

「旗艦榛名より信号弾確認。雷撃戦開始の命令です」

「相変わらず長官は恐ろしいことをお考えになるものだ」

 第三水雷戦隊司令官 財津(ざいつ)剛教(たけのり)少将は旗艦の軽巡洋艦 川内(せんだい)の艦橋で太い腕を組んだまま自慢の口髭を震わせた。

「一直線にしか進めない細い海峡へ誘き寄せた上で先頭の艦を叩いて艦隊を足止めとはな。これで当てられなければ、いい笑いものだぞ?」

 敵が引き返せなくなるまで深く狭い海峡へ引きずりこむために、十二月晦はぎりぎりまで反撃をせずに自らが囮になって誘いこんだのだ。

「両弦微速。岩礁の陰から出て射線を確保せよ」

 岩礁の陰に隠れたままでは魚雷が発射できない。財津は艦をゆっくりと進ませて魚雷の発射準備を命じた。

「演習でさえ止まった標的なんかは狙わんのだぞ? 外しておれに恥を掻かさんでくれよ」

「―――は、はい……。司令官……」

 野太いどら声で命じられた水雷長はプレッシャーに押し潰されそうになって言葉を詰まらせた。

「あー、こんなとこでこそこそ隠れてるのは性に合わないわよね。やっぱ、水雷戦隊ってのは敵に肉薄して土手っ腹に太ぉ~い魚雷を叩きこんでやらないと」

 第三水雷戦と海峡を挟んで反対側の岩礁には第六水雷戦隊が身を潜ませていた。その旗艦軽巡洋艦 夕張(ゆうばり)に座乗した御池(おいけ)希沙姫(きさき)少将はツインテールの髪をぴこぴこと振り立てながら待ってましたとばかりに司令官席から勢いよく立ち上がった。

「全艦岩礁から離岸。雷撃戦用意。いい、おやじには負けられないんだからね!」

 御池はぐっと拳を握ると力強く叫んだ。

 司令官の性格を反映しているのか第六水雷戦の各艦は岩礁沿いで水深が浅いところがあるにもかかわらず無造作にも思える速度で岩礁を離れて魚雷の発射準備を始めた。

「全発射管、発射」

「よぉ~っし、いっけぇ~っ! 全管発射!!」

 財津と御池はほぼ同時に雷撃を命令した。

 第三水雷戦隊の軽巡洋艦川内と、哨戒中の第十二駆逐隊に所属する叢雲、東雲(しののめ)、白雲を除いた十一隻の駆逐艦吹雪、白雪、初雪、、磯波、浦風、敷波、綾波、天霧(あまぎり)、朝霧、夕霧、狭霧(さぎり)からいっせいに魚雷が発射された。

 第六水雷戦隊からも旗艦の夕張以下麾下の八隻の駆逐艦 追風(おいて)疾風(はやて)朝凪(あさなぎ)旗風(はたかぜ)睦月(むつき)如月(きさらぎ)弥生(やよい)望月(もちづき)が魚雷を発射した。

「流れ弾がくるかもしれんぞ。微速後進。岩礁に身を隠せ」

 海峡を挟んで向き合うように魚雷を発射したのだ。敵艦に命中しなかった魚雷は当然こちら目がけて突き進んでくることになる。財津は流れ弾に当たらないよう艦を元の岩礁の陰に隠すよう命じた。

「全艦、岩礁の陰まで後進。討ち漏らしの追撃に備えて砲撃準備しといて」

 性格的には猪突猛進だが、この若さで水雷戦隊の司令官に任じられるくらいだから御池もまるっきりのばかではない。麾下の艦隊を岩礁の陰まで下げるよう命じた。

「まったく歯痒いったらないわよね。うちんとこにも次発装填装置つきの艦が配備されたらもう一撃お見舞いしてやれるのに……」

 魚雷をもっともっと撃ちたくて御池は歯噛みをした。

 初春型か朝潮型以降の駆逐艦なら次発装填装置つきの発射管を装備しているので雷撃が二回行える。しかし、次発装填装置を備えていなければ雷撃は一度きりしかできず、どこかの港に寄港しない限りは魚雷の再装填は不可能だった。

 第三水雷戦隊も第六水雷戦隊も旧式の駆逐艦しか配備されていなかったので、雷撃は一度きりしかできない。

「そうはいっても新型艦と長官の指揮のどちらを選ぶかっていわれたら、迷うまでもないんだけどねぇ……」

 双眼鏡で敵艦隊の様子を探りつつ御池は小さくため息を吐いた。いくら新型艦を麾下に配備されても、それで戦果を上げられなくては意味がない。

「長官、敵はこちらに気を取られて水雷戦隊にはまだ気づいていないようです」

「ふん。待ち伏せされたとわかった時点で伏兵を予期せぬとはのぅ」

 敵艦隊の砲撃は相変わらずこちらにだけ向けられているので水雷戦隊に気づいた様子は窺えない。双眼鏡で敵艦隊の動きを見ていた比栖間は頬を紅潮させた顔を十二月晦に向けた。興奮する比栖間をよそに十二月晦は敵を嘲るように鼻を鳴らしただけだった。

「そろそろ魚雷が到達してもいいころですが」

 帝國海軍の魚雷といえば酸素魚雷が有名だ。これは帝國海軍しか実用化に成功していなかった。酸素魚雷は燃料を酸素と混合させて燃焼させるため排出される排気は炭酸ガスだけになる。そして炭酸ガスは水によく溶けるため酸素魚雷はほとんど航跡を発生させずに水中を進むことができる。そのため日中でさえ肉眼で雷跡を視認することはほぼ不可能だった。

 だが、第三水雷戦隊と第六水雷戦隊に所属する駆逐艦は設計の古い睦月型、吹雪型なのでこの酸素魚雷が搭載できず通常の空気式魚雷しか装備していなかった。しかしいくら探照灯で照らしていてもさすがに雷跡までは確認できるはずがない。

 比栖間は信号弾を上げてからの時間を逆算してそろそろ敵艦に魚雷が命中してもいいころだともう一度双眼鏡を目に当てた。


 ずがぁぁぁぁぁん!!


 合計二十一隻の軽巡、駆逐艦から発射された魚雷をもろに喰らい、敵艦は次々に爆発炎上を起こしていった。

「敵艦隊全艦に命中!」

「全艦、轟沈または大破のもようです」

 比栖間は興奮して声を上げ、工内は冷静に戦果を観察していた。

「長官、今度はこちらが海峡を抜けて敵の本隊に攻撃を仕掛けますか?」

「いいや、これで当初の目的の時間稼ぎはできた。後は遅れていた第一艦隊の長門(ながと)陸奥(むつ)に任せておけばよいのじゃ」

 この勢いに乗って敵の本隊と一戦交えるかどうか尋ねてきた比栖間に、十二月晦は長官席へ腰を戻しながら答えた。

「図に乗ってしゃしゃり出るとノースカロライナ級やサウスダコタ級とかち合うのがおちじゃぞ?」

「四0糎砲搭載艦とどんぱちやるのはあまりぞっとしませんね……」

 高速戦艦の榛名と金剛は速力こそ巡洋艦に引けを取らない三0ノット以上出せるものの、その分装甲も薄いし主砲の威力でも見劣りがする。敵の主力の戦艦相手では夜戦で奇襲でもかけて相手の懐に飛びこみでもしなければまず勝ち目はない。

「それでは、敵艦の生存者を救助の後、航行不能に陥った敵艦は雷撃処分させます」

 機関の損傷などで動けなくはなった危険違憲性がある。確実に沈めておかないと厄介なことにもなりかねない。

「それにしてもなにやらちぐはぐじゃのう……」

 十二月晦日は制服のスカーフ留め代わり使っている勲章を玩んだ。考えごとをするときの癖になっているようで、すっかり表面の塗装は剥げてしまっている。しかし、それはどう見ても騎士鉄十字章にしか見えなかった。

「罠と疑っておるのか海峡への突入に慎重じゃったのでなかなかできるやつかと思うておったが……」

 勇敢に突き進むことのできる指揮官ならありふれているとまではいかないがそうお目にかかれないこともない。しかし、進むべきでないとわかっていて踏みとどまれる指揮官や引き際をわきまえた指揮官となるとぐっと数は減ってくる。

「いざ突入してみれば猪武者のように突き進むだけではないか。どうにも腑に落ちぬのぅ……」

 ぶつぶつ呟きながら浮かない顔の十二月晦日を見て比栖間は小さくため息を吐いた。こういうときの十二月晦日にはなにをいっても聞こえてはいないことはよくわかっている。比栖間は十二月晦に敬礼すると軽須通信参謀を呼び寄せて第二一駆逐隊へ雷撃処分の命令を発信させた。



『十二月晦日中将、またも大戦果!!』

 これでもかというくらい大きな活字が一面を飾る新聞を苦々しげに折り畳むと、鏡のように磨きこまれた両袖のマホガニーの執務机の上に叩きつけるように投げ捨てた。

「ちっ……。第一艦隊をわざと遅らせたのが裏目に出てしまいましたか……。まったく目障りですこと!」

 革張りの豪華なハイバックチェアに背中を預け、軍令部総長 新見(にいみ)智恵奈(ちえな)大将はいらいらと制服の金モールを玩んだ。ちなみに軍令部とは陸軍における参謀本部に相当する機関で作戦と指揮を統括した。

「第一次真珠湾奇襲攻撃作戦の立役者というだけでももてはやされているというのに、これ以上目立たれては後々このわたくしが政界へ打ってでるときの障害にもなりかねませんわ……」

 端整な顔を歪ませて不機嫌そうに呟く。

「かといって、五十幡(いそはた)のように華々しく戦死されても軍神として祭り上げられてしまうのでそれもよろしくはありませんわね……」

 肘かけを神経質にとんとんと指で叩きながら考えを巡らせる。

「要はばかな國民や一般兵士に十二月晦が期待していたような英雄ではなかったと失望させてしまえばいいだけのこと」

 せっかくお膳立てしてやったというのに自分の期待に応えられなかった第一艦隊の司令長官にも腹の虫が治まらない。

「それにしても、第一艦隊もふがいないといったらありませんわね。敵主力艦隊を警戒するあまり最大射程からすれ違いざまに撃ち合って幕切れなんて。これは更迭ものですわね」


 コンコン


 考えに耽っているところをノックの音で邪魔され、新見はいら立たしげに舌打ちを発した。

「お入りなさい」

「失礼いたします」

 豪華な彫刻が施された分厚い一枚板の扉を開いて入ってきたのは新見の副官だった。

 新見は不機嫌さが滲み出た声を隠そうともしなかった。だが、なにかもっと気がかりなことでもあるのか、上司の顔色を窺うことには長けたはずの副官が気が急いたように近寄ってきた。

「―――そ、総長。哨戒作戦中の伊二三が消息を絶ったという報告が……」

「伊二三? 確かジョンストン島方面の哨戒に当たっていたはずですわね?」

「―――は、はい。そのようです……」

 副官は手許の報告書にちらっと目を走らせてそのことを確認すると、内心で舌を巻いた。主力の艦隊ならともかくたかが潜水艦一隻の作戦行動まで覚えているとは信じられない記憶力だった。

「しかし、ジョンストンから我が帝國占領下のウェーク島までの間には目ぼしい島はなかったはずです。そんなところへ敵艦隊がのこのこと進出してきたというのですか?」

「その件に関しまして、第一課と第五課の課長が総長にご面談を求めておられます」

 矢継ぎ早に質問を重ねられ、副官は冷や汗をかいた。そんなことまで訊かれても自分に答えられるはずがない。副官はその説明の役をまる投げすることにした。

「よろしいでしょう。両課長をただちにここへ」

「はい、総長」

 敬礼を送ると、副官は慌ただしく総長執務室からでていった。

「案外、これは使えるかもしれません」

 ジョンストン島はいわばハワイの出城のような存在だ。帝國支配化のウェーク島やマーシャル諸島からハワイへ向かうにはジョンストン島が喉に刺さった小骨のように邪魔になる。逆にいえば、合衆国海軍からすればジョンストン島がハワイの最終防衛線ということになる。

 太平洋艦隊司令部のある真珠湾近海ならともかく、いくら戦力物量でこちらを圧倒している合衆国海軍でも目ぼしい島すらないジョンストン島より先の海域にまで戦力を常駐させておける余裕などないはずだ。つまり、伊二三はなんらかの目的を持って進出してきた敵艦隊か、それともこれから進出してくるであろう主力艦隊を察知されないよう派遣された掃討部隊に撃沈された可能性が極めて高い。

「肝心なところは隠してどうでもよい情報だけを十二月晦につかませて敵艦隊と一戦交えさせてぶざまに負けを喫しさせる。その後で温存しておいた主力艦隊をぶつけて完膚なきまでにこれを叩く。いいかもしれません」

 考えがまとまり満足そうに口許の端を吊り上げると、新見は卓上のマイセンの白磁のティーカップに手を伸ばした。贅沢に慣れ親しんだ舌はいつもなら冷めた紅茶など受けつけはしないのだが、今日ばかりは味など気にならなかった。

「失礼いたします」

 副官が軍令部の第一課と第五課の課長を伴って戻ってきた。ちなみに第一課は作戦、第五課は合衆国情報を担当する部署である。

「まず、こちらをご覧ください」

 第五課の課長は新見の執務机の上になん枚かの写真を広げた。

「これは過日、真珠湾近くにまで潜入に成功した伊七が持ち帰った画像です」

 写真に映しだされていた画像は光量が不足しているのか粒子が粗く解像度の低いものだった。それでも特徴的な平べったい外観の大型艦がそれより小型の艦を数隻従えて港へ向けて航行する姿がはっきりと見て取ることができた。

「画像を詳しく解析し護衛の駆逐艦と大きさを比較してみた結果、これはエセックス級の大型空母と見て間違えないものと思われます」

「エセックス級……。ついに復元に成功してしまいましたか……」

 新見の頭の中には第二次大戦中の主要な連合軍艦艇のデータが収められていた。エセックス級は大戦中に一隻も沈まなかったという合衆国海軍の主力空母だ。

「この他、残念ながら画像を捉えることはできませんでしたが真珠湾周辺を監視中の第二潜水戦隊の各潜水艦が合計七隻の空母と思われる大型艦が続々と集結しているのを確認しております」

「大型空母が七隻……」

 新見の声が微かに震えた。

 こちらも掻き集めれば中型・大型の空母は赤城(あかぎ)加賀(かが)蒼龍(そうりゅう)飛龍(ひりゅう)翔鶴(しょうかく)瑞鶴(ずいかく)大鳳(たいほう)の七隻あることはある。しかし、これら全てを一つの作戦に投入するのは戦力配置的に考えるとまず不可能だった。

 だが、合衆国海軍はどうやら一つの作戦のために七隻の大型空母を投入できる余裕があるように見える。

「それだけの戦力を集めて敵はいったいなにを狙っているというのですか?」

「伊二三が消息を絶ったという報告は既にお耳に入っているかと思いますが」

 第五課の課長の後を受けて第一課の課長が説明を続けた。

「これは真珠湾からジョンストンを経てウェーク島あるいはマーシャル諸島へ進出する前哨として、我が軍の哨戒活動を掃討に入ったものと思われます」

「ウェーク、マーシャルの先はマリアナ、さらに先へ進めば……」

「はい。東南アジアへ到達します」

 わかりきった答えだったが、それでも言葉にするとずんとのしかかるように重くなったような気がして新見は小さくため息を吐いた。

「五課長、確か連合王国東洋艦隊が戦力を増強しつつあるという情報がありましたね?」

「はい、総長。イラストリアス、インドミタブルの両装甲空母が配備されたことを第八課が確認しております」

 第八課は連合王国情報担当の部署である。

「つまりこれは」

 喉がからからになっていたことに気づいて新見はマイセンのカップに手を伸ばした。だが、カップはもう空になっていた。

「合衆国と連合王国が東南アジアにおいて東と西から我が帝國を挟み撃ちにしようという作戦なのですね?」

 いら立たしげにカップをソーサーに戻すと、新見は第一課の課長へ目を向けた。

「その可能性が高いと思われます」

「南方へ合衆国の勢力が及ぶことを許してしまえば、我が帝國の石油の補給線は大打撃を蒙ってしまいます。至急、反抗作戦の立案をなさい」

「はい、総長」

 新見の命令を受け、第一課の課長は背筋を伸ばして返事をした。

「それと、ソロモン方面に第二艦隊が展開していたはずです。これを至急マーシャルで補給の後、ジョンストンへ向かわせるように」

「しかし、総長……。第二艦隊には空母が随伴しておりません。もし、敵が七隻の空母を投入してきたら……」

「それが、どうかしましたか?」

 恐る恐る反論してきた第一課の課長に新見は冷たい目を向けた。

「こちらが主力の大型空母で機動部隊を編成できるまでの足止めになれば儲けものではないですか。石油と老朽艦、どちらが重要だと思っているのですか?」

「―――そ、それは……」

 新見ににぴしゃりといい放たれ第一課の課長は言葉に詰まった。

 新見が十二月晦日を嫌っていることを知らないものは海軍にはいない。

 いや、新見だけでなく連合艦隊司令長官の圓福(えんぷく)遥汐(はるせ)大将を始め海軍の中枢にいる高官はみな十二月晦日を嫌っている。というよりも、自分たちの地位を脅かすかもしれない存在として恐れているといったほうが正しい。開戦以来無敗というその戦暦はもはや伝説と呼んでもいいくらいなのだ。十二月晦日が指揮を執っていると知って戦う前から敵が撤退してしまったことさえ珍しいことではない。それだけに國民や前線の将兵から寄せられる信頼は絶大なものがある。その名声と人気は政界での椅子を狙うものにとっては脅威でしかなかった。

「ただちに第四課に補給の手配を依頼いたします」

 軍令部第四課は出動・動員・運輸補給を担当する部署である。

 第一課の課長はこれ以上総長に異を唱えれば自分の首が危うくなるとあっさり前言を撤回した。

「では、わたしたちはこれで」

 副官たちが敬礼を送ってから部屋をでてゆくと、新見はハイバックチェアを後ろへ回してしばし考えこんだ。

「念には念を入れて、もう一手打っておくことにいたしましょう」

 新見は肩にかかった縦ロールの髪を片手で優雅に払い除けながら執務机の上の内線電話に手を伸ばした。

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