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鋼鐵の海神  作者: 月野原行弥
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第七章

「音は聞こえるけど、いったいどこなの……?」

「よく目を凝らせ。機体は見えなくても排気炎が微かに光って見えるはずだ」

 上空から微かに響いてくるエンジン音を耳にして見張り員たちは双眼鏡に目を当てながらあたふたとしていた。それを艦載機のパイロット上がりのマクファーレンが的確な助言を送って落ち着かせる。

 ちなみに排気炎とはエンジンの排気ガス中に燃え残った燃料が高温になった排気管を通過する際に発火して炎の尾を引くことである。明るい昼間には目立たないが夜になれば見つけやすい。

「艦長、いました! 八時の方向です!」

「その後ろにもう一機いるようです」

「偵察機が二機?」

 見張り員の報告を耳にしたバスカヴィルはもの問いた気な目をマクファーレンに向けた。

「三座なら夜間飛行も可能ですがそれでも危険は伴います。ですが二機一組で飛ばせば遭難の危険はずっと少なくなります」

「なるほどね」

「さすが十二月晦日提督だけのことはあります。こちらの直掩機が飛ばせない夜間偵察を仕掛けてきた上に二機一組の編隊を組んでくるとは」

 艦載機に関する知識や実際の運用ではバスカヴィルは叩き上げのマクファーレンにはまだまだ及ばなかった。パイロットを大切にする十二月晦日のやりかたにマクファーレンの口調にも賞賛が滲んでいた。

「でも、司令官。敵艦隊はこちらの位置を的確につかんでいるようですが当初の予定より半日ほど遅れがでてますね。このままでは敵艦隊の予定海域への到達が明るくなってからになってしまいますが……」

「しかたないわ……。向こうだってこちらの艦載機を警戒して迂闊には近づいてこないでしょうし」

 視界の利かない夜間飛行で闇雲に偵察機を飛ばすとは考えられなかった。つまり、敵の偵察機がこちらの上空へ到達しているということは、敵がこちらの位置をある程度まで正確につかんでいる証拠だった。

 逆に、こちらが艦載機による攻撃を仕掛けないことに疑問を抱かせないため、わざとそれからでは艦載機の発艦が不可能な夕方近くに敵上空へ到達するよう時間を見計らって索敵を行っている。その報告によれば敵は一定の距離を保ったままこちらの艦隊を追撃しているようだった。

「どうしますか? 予定海域への到達が明日の夜になるようもっと速度を落としますか?」

「さすがにそれはリスクが高すぎるわね。こちらが向こうの主砲の射程に捉えられてしまうのはごめんだわ」

 速度を落とすか訊ねてきたサザーランドにバスカヴィルは真っ平だと鼻を鳴らした。

 敵が主砲の射程内にまで距離をつめてくるとすればこちらの艦載機が飛ばせない夜の間しかない。そして予定海域への到達時間を調整するためにここで速度を落として、敵がこちらとの距離をつめるために速度を上げていたとすればこちらは反撃する暇もなく戦艦の主砲の餌食にされてしまうだろう。

「偵察機がこちらへ接触してきたということは、敵がこちらとの距離をつめつつある可能性もあります」

 マクファーレンの指摘にバスカヴィルは思案顔になった。

「艦長、前回の偵察で敵との距離はどれくらいだったかしら?」

「おおよそ150キロといったところです」

「ということは、金剛級の主砲の最大射程が約35キロで、こちらが20ノットで航行中、金剛級の最大速力が30ノットですから……」

 サザーランドが素早く敵艦隊がこちらを主砲の射程圏内に捉えるまでの最短時間を暗算した。

「真っ直ぐこられたら約7時間で敵の射程圏内ですよ!」

「夜が明ける前に敵の射程圏内に入るかもしれないってことよね? 冗談じゃないわ!」

 自分の計算結果にサザーランドは目を円くした。それを聞いたバスカヴィルはやってられないとばかりに吐き捨てた。

「艦長、速度30ノットまで増速。夜の間に追いつかれないようにしないと。それと、夜明けを待ってすぐに直掩機の発艦を」

「はい、司令官」

 バスカヴィルの指示にマクファーレンは頷いて見せた。



「艦長、まだですかねぇ……?」

「今回の獲物はまたとない大ものだぞ? そんなに焦っていると釣り逃がすぞ」

 ガトー級潜水艦グラニオンの艦長は司令塔の上から双眼鏡で周囲を見回しながら部下をたしなめた。

 潜水艦は通常夜間は海上に浮上して発電機を回してバッテリーに充電し、昼間は水中に潜って充電したバッテリーによりモーターを駆動することで推進する。

 グラニオンも陽が落ちるのを待って海上へ浮上しバッテリーの充電を行っているところだった。周囲には同じく海面に浮上して充電を行っている僚艦のガトー級潜水艦アンバージャック、アルバコア、バラオ級潜水艦エスカラーの艦影も見えている。

『艦長、2時の方向、機関音多数!』

 そのとき、艦内の発令所からソナー担当員の報告が伝声管を伝って届けられた。

 ソナーにはアクティブとパッシブの二種類がある。

 アクティブソナーはこちらから音波を発信してその反射により対象を探知する。これは探られる潜水艦にソナーの発する音波で逆にこちらが接近していることを知らせてしまうという欠点がある。

 パッシブソナーはこちらからは音波を発せず対象の発する音を拾うことによりそれを探知する。アクティブに比べて有利にも思えるが、敵が音を発していなければなにも探知できないし、目標までの方向は容易に判別できるが距離を判定するには特殊な技能が必要になるという欠点がある。

 潜水艦の場合はこちらの位置を逆に知らせてしまう危険性のあるアクティブソナーはほとんど使用せずもっぱらパッシブソナーを使用している。

「やっときたか……」

 部下にはああいったが内心では艦長も焦れていたのだろう。やはりいつくるかはっきりしないものをじっと待ち続けるというのは神経をすり減らされるものだ。

「発光信号確認。第38任務部隊第4群です!」

 やがて姿を顕した艦影から送られてきた発光信号を見張り員が読み取ってゆく。

「返信送れ。『コチラ太平洋艦隊潜水艦部隊所属潜水艦グラニオン……』」

 艦長は信号員を司令塔に上げて発光信号の返信を送らせた。

「敵艦隊推定距離後方150キロ。敵ハ夜間偵察ニヨリ当方ヲ正確ニ追尾シテイルモノト思ワレル」

「どうやら敵さんは空母という美味しそうな餌に食いついてくれたみたいだな」

 第38任務部隊第4群旗艦エンタープライズから送られてきた情報を聞いてグラニオンの艦長はにやりと口の端を吊り上げた。

「敵艦隊ノ当海域ヘノ推定到達時刻ハ明朝0600(マルロクマルマル)。貴艦ラノ健闘ヲ祈ル」

「ちっ……。明日の朝か……」

 作戦では第38任務部隊第4群がこの海域へ十二月晦日の艦隊を誘いこむのは夜のうちのはずだった。電子機器が大幅に退化しているこの時代では潜水艦を発見する一番有効な手段は視認である。海面に突き出た潜望鏡や透明度の高い海域では潜望鏡深度まで浮上した艦体を見張り員によって見つけるのである。つまり視界の利かない夜間では潜水艦の発見は非常に難しくなるのでその分潜水艦には有利になるということである。こちらの優位が一つ失われたことに思わず舌打ちが漏れた。

「艦長、どうします? 明日の夜まで攻撃を待ちますか?」

「ばかをいうな。海上でも21ノット弱、水中では9ノット弱しか出ないこの潜水艦が30ノット以上だせる金剛級に追いつけるわけがないだろう? ここでの待ち伏せが一度しかないチャンスだぞ?」

 戦艦、それも不敗の名提督の座乗する旗艦を沈める機会などこれを逃せばもう二度と訪れないかもしれない。グラニオンの艦長は多少条件が不利になったくらいでこのような千載一遇のチャンスを逃すつもりはさらさらなかった。

「エンタープライスからの情報では敵艦隊のこの海域への到達は早くても明朝0600だということだが、念のため早めに潜って待ち伏せるぞ。それまで乗員は交代で外の空気を吸っておけ」

「はい、艦長(Aye aye sir)」

 艦長の命令に水雷長は敬礼を送って頷いた。



「司令官、予定海域において潜水艦部隊とコンタクトに成功しました」

「ありがとう、艦長」

 マクファーレンの報告を受けバスカヴィルは小さく口の中で息を吐いた。これでこの第38任務部隊第4群に課された任務は果たしたことになる。

「進路転針。第38任務部隊本隊と合流する」

「はい、司令官」

 バスカヴィルの命令を受けマクファーレンは航海長へ進路変更の指示を出した。

「それにしてもストーナー大将(太平洋艦隊司令長官)も意外にやりますよねぇ、潜水艦で待ち伏せするなんて。空母の艦載機だとこちらもある程度の被害は覚悟しなくちゃならないですけど、潜水艦ならうまくいけば一方的に沈めることだって有り得ますもんね」

「…………」

 のほほんとした顔でコーヒーカップを差しだしてきたサザーランドをバスカヴィルは不機嫌さを隠そうともしない顔でじろりと睨んだ。

「あの十二月晦日提督相手にそう上手くいくかしらね?」

「でも、これは一種の心理作戦ですよ? 8隻の大型空母を前面に押しだされたらそっちにばかり気が取られて潜水艦のことなんかに頭が回らなくなるんじゃないですか?」

「ふん。まぁ、ここで潜水艦なんかにやられるくらいだったら十二月晦日提督もその程度だったってことよ」

 ふてくされたようにいうバスカヴィルにサザーランドとマクファーレンは顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。



「そろそろ0600か……」

 グラニオンの艦長は非常灯だけが灯った薄暗い発令所の中で夜光塗料がぼんやりと文字盤を浮かび上がらせている腕時計に目を落とした。

「地獄への片道切符用意してやってるんだから早くきやがれっていうんだ」

 我慢できなくなったのか水雷長が小声で毒づいた。

 水中ではモーター推進の潜水艦は止まっていれば音を発することはない。なので乗員が黙ってじっとしている限りは無音ということになる。そうでなくても性能が高いとはいえないパッシブソナーは水上艦の場合自分が立てる機関音や波切り音に邪魔されてある程度速度が上がるとほとんど役に立たなくなる。だから潜水艦内の人の話し声がなんキロも先の敵艦のソナーに拾えはずもないのだが潜水艦乗りは水中で敵艦を待ち伏せしているときは小声になる癖がついてしまっている。

「…………」

 水雷長の悪態には誰も応ぜずまた艦内は無言になった。

 空調など備えられていない艦内は潜っている時間が長くなるにつれ蒸し暑くなり空気もだんだんと澱んで息苦しさが増してくる。

「艦長、2時の方向から微かに機関音が」

 息を殺してじっとしているだけだと時間感覚が麻痺してくる。それからどれくらい経ったのかわからなくなっていたが、ソナー担当員が小声で報告を送ってきた。

「メインタンク・ブロー。潜望鏡深度」

 パッシブソナーで探知できる距離はおおよそ3~4、000メートルといったところだ。これくらい離れていればいくら敵艦隊の見張り員の視力が優れていても目視で潜望鏡を発見することは不可能なはずだった。グラニオンの艦長は海上の偵察のため潜望鏡深度まで浮上を命じた。

「いたぞ!」

 潜望鏡の視界に艦影を捉えたグラニオンの艦長の口調には嬉しさが滲み出ていた。

「煙突が二本見える。金剛級に間違えないだろう」

 その艦影はそのまま進めばこちらの目の前を横切るような航路で進んでいたため斜め前からの姿を見せていた。そのため全体の形状まで細かく視認することはできなかったが、帝國の戦艦で煙突を二本備えているのは金剛級だけだったはずだ。

「雷撃戦用意。艦首発射管1番から6番開け」

 艦長は潜望鏡をすぐに下げながら魚雷の発射準備を命じた。

 ちなみに、映画やアニメでは艦長が潜望鏡を上げたままずっとそれを覗きこんでいるシーンがでてきたりするが実際にはそういうことはやらない。海中に身を隠せることが潜水艦にとっての最大の武器なのである。だから潜望鏡のように小さなものであっても海上へ上げる時間は短いほどいいのだ。できるだけ短い時間で海上の様子を正確に観察できるのもベテランの潜水艦乗りに求められる技量なのである。

「それにしても旗艦が単艦で突出するってのはほんとのことだったんですね。てっきり眉唾ものだと思っていたんですけど」

「ああ。ふだんは直衛の駆逐隊に護られているので潜水艦では手がだせないが、いざというときは旗艦が先頭に立って指揮を執るらしい。それが十二月晦日提督の命取りになったな。戦艦では潜水艦には手も足もでんからな」

 命令を受けたときは半信半疑だったが、こうも作戦通りにいくとは思ってもみなかった。駆逐艦に護られていない戦艦など潜水艦にとってはいい鴨でしかなかった。

「機関音、接近」

「よし、もう一度潜望鏡を上げるぞ」

 敵艦隊が30ノットで航行していて、最初にソナーで捉えたのが4、000メートル先だったとするとこちらの目の前を通過するまで約5分ほどかかる計算になる。ソナー担当員からの報告を受けグラニオンの艦長は魚雷の照準を合せるために潜望鏡を上げた。

「煙突が二本。後部砲塔の間にカタパルト。間違えなく金剛級だ」

 潜望鏡の視野の中にほとんど真横を晒して艦影が見えた。

 艦体の中央に真っ直ぐ上に伸びた煙突が二本と、後部の第三、第四砲塔に挟まれるように水上偵察機発艦用のカタパルトが設置されているのが金剛級の特徴だ。十二月晦日の艦隊に配属されている高雄級重巡洋艦も煙突を二本備えているがそちらは一番煙突が斜め後方へ傾斜しているので容易に判別がつく。

「敵艦、方位003。距離1、400。敵速20ノット。敵針267」

 素早く敵艦の方位と距離、速度、針路を読み取り魚雷の照準を合わさせる。この艦だけでなく他の三隻も十二月晦日の旗艦だけを狙っているのだ。各艦六本ずつ、合計二十四本もの魚雷を浴びせられれば少なくともなん本かは命中させられるだろう。

「はっし…………」

 発射命令をだし潜望鏡を下げようとしたところで艦長は思わず潜望鏡を上げなおしていた。

「―――そ、そんなばかな……」

 潜望鏡の視界の中から金剛級がみるみる後方へ下がってゆくのが見えた。その金剛級の向こう側に隠れるように潜んでいた駆逐艦がこちら目がけて艦首を回頭して突っこんでくる。

「艦長、ソナーの探信音多数! 感10以上……」

「―――ま、まさか……。―――こ、こちらが待ち伏せしていることに気づいていたのか……?」

 待ち伏せしていたつもりが、敵は対潜水攻撃の準備を整えて気づいていない振りをしてなに気ない顔で進んできたのだ。

「雷撃中止! 急速潜行!」

 

 どがぁ~~~ん!

 

 潜望鏡を下げながら大声で命令を怒鳴ったのと、壁を伝った爆発音とともに艦体が大きく傾ぎ身体が横に吹き飛ばされたのは同時のことだった。



「両舷全速後進」

 照陽の命令で戦艦金剛は機関を逆推進させて急激に速度を落とした。

「両舷前進五戦速。面舵いっぱい。戦艦なんかいたって対潜攻撃の邪魔になるだけだからこの海域から離れます」

 照陽は艦橋の窓際を離れると艦長席へ戻った。

「さて、後は頼んだわよ、(はっ)ちゃん」

 潜水艦に対して攻撃手段を持たない戦艦は足手まといになるだけだ。駆逐艦に追い回されている潜水艦が戦艦を狙って魚雷を放つ余裕があるとも思えないが、破れかぶれに撃った流れ弾が当たらないという保証はどこにもない。それどころか第二次大戦中、潜水艦伊一九が空母ワスプを狙って放った魚雷六本のうち三本はワスプに命中したが、外れた三本の魚雷は十キロ先を航行していた戦艦ノースカロライナと駆逐艦オブライエンに一本ずつ命中したということさえあるのだ。

「よろしいのですか、艦長……。一隻だけ戦闘海域を離れたりしたら……」

「あら、だいじょうぶよ? これ以上わたしに悪評が増えたところでどうということなんてないわ」

 心配そうな顔の副長に照陽はなんでもないと軽く手を振って見せた。

「それに、わたしの名よりこの金剛に傷がつくほうがたいへんだわ」

 しかし、いくら戦艦が足手まといだからといっても友軍が戦っているさなかに一隻だけ撤退するなどという判断はよほど冷徹な判断力を備えていなければ下せるものでもない。照陽は女の娘好きのただの同性愛者(レズ)ではなかったようである。



「さぁ~て、ちゃっちゃと片づけちゃうとしますか……。まだ寝足りないしぃ……」

 駆逐艦初春の艦橋で武笠は大あくびをしながら背伸びをした。

若葉(わかば)初霜(はつしも)は金剛の護衛について。姫、あんたんとこの駆逐艦借りるよぉ~」

 拳で口許についた涎の跡を拭いながら武笠はまだろろんとした目のままで対潜攻撃の指揮を執り始めた。

「全駆逐艦、九三式水中探信儀作動開始ぃ~」



「第二九、三十駆逐隊はこれより第二一駆逐隊武笠司令の指揮下に入って」

 第六水雷戦隊司令官御池希沙姫少将は旗艦夕張の司令官席で不機嫌そうに口をへの字に結んだまま命令を発した。

「本艦はどういたしますか」

「手の空いた乗員は残らず見張りに回して。もし潜望鏡かシュノーケルが見えたら遠慮なく主砲を叩きこんじゃって」

「わかりました、司令官」

 夕張の艦長に不機嫌さを隠そうともせず答え、腕組みをする。

「それにしてもなんで長官はあたしを敵機動部隊への殴りこみに連れていってくれなかったのよ! ちきしょう、空母の土手っ腹に魚雷をぶちこんでやりたかったのに!」

 座ったまま足をじたばたとさせて地団駄を踏んだ。

「そうだわ、潜水艦だって浮き上がってこれば魚雷を叩きこめるじゃないの!? よし、雷撃の準備もしておいて!」

「わかりました、司令官……」

 夕張の艦長はいやな汗を浮かべながら砲雷撃戦の準備を命じた。潜水艦は水中高速艦と呼ばれる伊二0一型やドイツのUボートXXⅠ型などの一部の特殊な艦を除いて水中より海面に浮上しているときのほうがはるかに速力がだせる。そうはいってもせいぜい二0数ノットが限界なので、浮上したところで三0ノット以上は軽くだせる駆逐艦を振り切って逃げられることなどまず考えられなかった。



「水測より司令。水中探信儀、感四。方位二0五、二五三、二七一、三一一」

 索敵を開始した九三式水中探信儀、これはアクティブソナーであるがその担当員からの報告が武笠の許へ届けられた。

 九三式水中探信儀は最大探知距離一、七00メートル、速力十四ノットで航行中の場合一、000メートルほどである。

「こりゃまた雁首(がんくび)揃えて横っ腹を狙ってたみたいねぇ~。でも残念でした~、これは榛名じゃなくて金剛なんだよね~」

 武笠は囮の役を終えて後方へ下がってゆく金剛をちらりと振り返った。

「まずは九八式水偵が見つけたやつから()っちゃいますか」

 武笠は低空で海面の哨戒を続けながら潜水艦発見の発光信号を送り続けている九八式水上偵察機にぼんやりとした目を戻した。

「いやぁ、さすがくうだわ。九八式を積んできてなきゃこう先手を打って潜水艦を見つけられなかったわ~」

 九八式水上偵察機は夜間の哨戒や弾着観測を主な目的として開発された艦載水上偵察機である。夜間なら敵戦闘機との遭遇の心配がないため最高速度がわずか二二0キロ弱と非常に低速であるが、その代わり低空を長時間飛行できるという特徴を持っている。低空で安定して飛行できる機体でなければ目視で潜水艦を上空から発見することは難しい。

 潜水艦による待ち伏せまで予想したわけではないだろうが、あらゆる局面を想定して九八式水偵まで搭載させたことはいかに伯峰が航空機に関して見る目を持っていたのかを証明したいた。これが素人であったら、より速く高く飛べるという性能に目を奪われて零式艦上観測機ばかりを搭載していたかもしれない。だが、零観ではそういった使いかたは難しい。

「初春、取り舵いっぱい。子日(ねのひ)はついてきて。第二九、三十駆逐隊はこの海域を包囲。敵潜水艦を袋の鼠にしちゃって」

 第二一駆逐隊所属の四隻のうち二隻を金剛の護衛に回した武笠は残る一隻の子日を従え金剛の裏側から躍り出ると左舷へ舳先を向けた。金剛の後ろに続いていた第六水雷戦隊の駆逐艦も速度を一気に落とした金剛を避けるように左へ舵を切った。

「爆雷、深度四0。反転後、深度八0でよろしく~」

 爆雷は水圧を感知し一定の深度に達するとそこに潜水艦がいようがいまいが爆発する。アクティブにしろパッシブにしろ電子機器の性能が低いこの時代のソナーでは潜水艦の方位と距離まではわかっても深度まではわからない。従って爆雷の深度設定は攻撃する駆逐艦と攻撃される側の潜水艦の肚の探り合いになる。できるだけ深く潜って攻撃を(かわ)そうとしているのか、それとも相手の意表を突いて浅いところに留まっているのかを見極めるのも駆逐艦側の腕の見せどころということになる。

 武笠は一回目の攻撃は潜行が間に合わなかったと見て浅めの四0メートル、反転して再度の攻撃はそこから深く潜るだろうと予想して八0メートルの深度を指示した。

 ちなみに武笠らの駆逐艦が搭載している三式爆雷は炸薬を一00キロ装填してあり爆発深度は四0、八0、一二0、一六0、二00の五段階に調節できる。もっとも、潜水艦の安全潜行深度は一00メートルほどしかないので後の二つはあまり役に立ったとも思えないが。

 この爆雷を投射するのが九四式爆雷投射機、通称Y砲である。これは見た目がYの字のような形状をしていてその先端に爆雷を設置して投射したことからそう呼ばれていた。爆雷は単射で一0五メートル、両方の斉射で七五メートル飛ばすことができた。次発装填には五秒ほどしかかからず連続投射も可能であった。

 初春型駆逐艦はこの九四式爆雷投射機一基と爆雷投下軌条を一基装備している。爆雷投下軌条というのは円筒形の爆雷を横倒しにしてその上に沿って転がして海中へ投下するものである。そのため潜水艦の真上を通過しないと効果がないので命中率は高くない。

「第二九、三十駆逐隊は本艦が反転に入ったらこの海域を包囲しつつ深度八0で二斉射よろしく~」

 初春と子日の二隻でまず九八式水偵が潜水艦を発見した辺りに突っこんで爆雷をばら撒く。その辺りを通り過ぎたら反転して再度爆雷攻撃を仕掛けるが、反転が完了するまでにはどうしても隙ができてしまう。武笠はこの隙を突いて脱出を試みる潜水艦がいるに違いないと考えて包囲しながらの爆雷攻撃を命じた。二斉射に限定したのは駆逐艦が積んでいる爆雷が十六~三十六発ほどしかなかったからである。ぼんぼん大盤振る舞いで撃っていたら使い切るまで二分とかからない。

「よぉ~し、爆雷投射開始~」

 九八式水偵が上空を旋回している少し手前で武笠は爆雷の投射を命じた。

 両舷に一つずつ爆雷を投射できる九四式爆雷投射機で二回投射を行えば□の四隅に一個ずつ爆雷を落としたような形になる。この□の中に潜水艦を捉えることができたら一番攻撃威力が高い。

 

 ずぅ~~~~ん!

 

 初春と子日が通り過ぎた海面から白い水柱が上がった。爆雷は潜水艦に当たらなくても水圧だけで爆発するのでこれだけでは命中したかどうかは判別できない。当たっていればしばらくして重油なり船体の破片なりが海面に浮いてくるはずだ。

「面舵いっぱい。次いくよ~。爆雷、深度八0~」

 第二九、三十駆逐隊の包囲網の輪をすり抜けると武笠は初春と子日に回頭を命じた。

「爆雷、投射開始!」

 その間に、あらかじめ命じられていた通り第二九、三十駆逐隊は爆雷の投射を開始した。発射音が二回響き、それぞれの駆逐艦が四個の爆雷を輪を描くように投射投射した。三式爆雷の沈降速度は秒速五メートルなので起爆深度の八0メートルに到達するまでには十六秒かかる計算になる。

 

 ずぅ~~~~ん!

 

 ずごぉぉぉぉぉ~~~~ん!

 

 次々と起爆深度に到達した爆雷が爆発を起こして水柱を上げていったが、一箇所だけ爆発音も水柱の高さも明らかに違うところがあった。

「お~。袋から逃げようとした鼠が一匹まんまと引っかかったみたいだね~」

 高く上がった水柱にぼんやりと目を向けながら武笠は他人ごとのように独りごちた。

「針路三四0。さっきの鼠が引っかかったとこと反対側を狙ってみようか~?」

 回頭を完了した初春と子日は第二九、三十駆逐隊が包囲する輪の中へ再び突入した。武笠は、その輪の中の先ほど一隻的潜水艦を撃沈したのと反対寄りへ舵を切らせた。爆雷攻撃が始まってしまえばアクティブもパッシブもソナーはもう役に立たない。特にパッシブはマイクで水中の音を拾っているのだから、水中で爆雷が爆発しているときに使ったりしたら過負荷でソナーは壊れるし、水測員は耳をだめにしてしまう。なので、潜水艦を発見した辺りを勘に頼って攻撃するしか手はないのだ。

「よぉ~し、爆雷投射開始~」

 武笠の指示で初春と子日は爆雷を投射しつつ包囲網の輪からすり抜けていった。

 

 ずごぉぉぉぉぉ~~~~ん!

 

 その背後で一際高い爆発音とともに水柱が上がった。

 

「これで二匹目~」

 相変わらずぼんやりした目のままで武笠はちらりと後ろを振り返った。

「そろそろ追いこんでみますか~」

 ソナーに引っかかったのは四隻だったので、残りは二隻。武笠はもう爆雷を出し惜しみしなくてなんとかなるだろうと数を頼んだ攻撃に打って出ることにした。

「第二九、三十駆逐隊は包囲網の輪を狭めつつ爆雷攻撃を開始~。深度八0と一二0を交互に~」

 安全潜行深度を超えるが一か(ばち)か深く潜ってこの海域からの離脱を試みる潜水艦がでてくるころかもしれないと武笠は起爆深度一二0メートルを混ぜての攻撃を命じた。第二九、三十駆逐隊の八隻の駆逐艦が艦尾から爆雷を投射しつつ包囲網の輪を狭めていった。

 

 ずごぉぉぉぉぉ~~~~ん!

 

 第三十駆逐隊の弥生(やよい)の後ろから大きな水柱が上がった。

「よぉ~し、残りは一隻だよ~。こちらももう一回突入するよ~」

 また一隻、包囲網を突破しようとした敵潜水艦が爆雷の餌食で海の藻屑となった。

「深度八0。これで決めるわよ~」

 残る敵潜水艦は一隻。武笠は全駆逐艦による爆雷斉射で逃げ道を封じて仕留めようと勝負に出ることにした。

「針路三一五。突っこ―――……」

「―――て、敵潜水艦浮上!! 方位一九七!」

 回頭を終え包囲網の中へ三度(みたび)突入を命じようとした瞬間、見張り員が上ずった声で上げた報告が耳を打った。眠た気だった目をかっと見開き武笠は舌打ちを漏らす。

「し、しまった……!!」

 運悪く回頭を終えた直後に敵潜水艦が背後に浮上してきた。それも包囲網の外で、敵潜水艦の艦首は数キロ先に停泊していた金剛をぴたりと捉えていた。敵潜水艦と金剛の間を遮るものはなにもない。

「逃げ切れないと悟って道連れにするつもりなの……?」

 続けざまに爆雷攻撃を受けていたのだから敵潜水艦もソナーが使えたはずはない。なのでせめて一隻でも道連れにしてやろうと爆雷の雨霰を掻い潜って視界の開けた浮上攻撃という大博打に打ってでたのかもしれない。そうしたら、目の前に戦艦というこの上もない獲物がいたというわけだ。

「二番、三番砲塔砲撃準備! ―――い、急いで!」

 初春型駆逐艦は後部に十二・七糎連装砲と十二・七糎単装砲をそれぞれ一基ずつ搭載している。戦艦や重巡の主砲より短いとはいえ、それでも最大射程は約一八、五00メートルほどはあるので充分に弾が届く距離ではあった。しかし、対潜攻撃中に主砲を撃つことなど通常では考えられず、当然のことながら発射準備など整っているはずもなかった。

「若葉はともかく、初霜が間に合わないわ……」

 二隻の駆逐艦で金剛の周囲を警戒しようと若葉が左斜め後方、初霜が右斜め前方に位置していたのが仇になった。浮上した潜水艦に気づいた若葉は盾になろうと前進を開始した。しかし全長が一一〇メートル弱の若葉一隻では全長二二0メートルを越える金剛の姿を完全に隠すことなどできるはずもなかった。初霜も金剛の舳先を越えて左舷側へ回りこもうとしていたがそれにも時間がかかる。

「にな、逃げて!」

 金剛も敵潜水艦に船腹をさらす態勢から逃れようと右舷に回頭を開始した。だが、三二、000トンを越える金剛が動き始めるより、敵潜水艦が魚雷の発射準備を終えるほうがきっと早いだろう。

「歴史は繰り返すってよくいうけど……」

 武笠の頭をいやな考えが過ぎった。第二次大戦中の原型(オリジナル)の金剛は潜水艦シーライオンが放った六本の魚雷のうち二本が命中したことが原因で沈没していたことを思いだしてしまったのだ。

「…………」

 後部主砲の発射準備完了の報告はまだ届かなかった。

 武笠は唇を噛んで艦橋の壁に拳を打ちつけた。戦場ではどんな考えも及ばなかったようなことも起こり得るのだ。念には念を入れ主砲の発射準備を命じておかなかったのは自分のミスだ。

() 式四十 (みり)機銃、敵潜水艦の司令塔を狙って~!」

 武笠は対空機関砲による攻撃を命じた。

 毘式四十粍機銃は水平射撃で最大射程が約三、五00メートル、当たってもたいして効果があるとも思えなかった。だが、敵潜水艦の艦長が視界の開けた司令塔に昇って指揮を執っていれば、かすっただけでミンチになってしまうだろう。また、こちらに気を取られて魚雷の発射を遅らせることができるかもしれない。

「ほんっと、役立たずだわ~……」

 敵潜水艦目がけて射撃を開始した毘式四十粍機銃は、なん発か撃っただけで弾詰まりを起こして沈黙してしまった。いつもはぼんやりした表情しか浮かべていない武笠が苦虫を噛み潰したような顔になった。

「あ~、こんなことなら無理してでも二十五粍高角機銃に換装しておくんだった……」

 毘式四十粍機銃は故障が多い上に命中率が低い。その後継として採用された九六式二十五粍高角機銃ならば照準に難はあったものの銃自体の性能は優れていた。

「詰まった弾の除去を急がせて~!」

 機銃手たちが弾槽を外し詰まった弾を取り除こうと慌ただしく動き回っていた。武笠は銃撃の再開をじりじりしながら待った。

「主砲も発射準備急いで~……。お願いよ……」

 武笠にできるのはもう祈ることだけだった。すがるように艦橋の窓に身を寄せると額がこつりとガラスに当たった。

 

 どぉごぉぉぉぉぉ~~~~ん!

 

「―――な、なに……!?」

 外から響いてきた爆音で額をつけていたガラスがびりびりと震えるのを感じた。武笠は片方の頬をガラスにくっつけるようにして後方へ目を凝らした。

「―――て、敵潜水艦が沈んでゆく……」

 武笠の目に飛びこんできたのは、敵の潜水艦が艦体の真ん中辺りで真っ二つに折れて爆発を続けながら海中へ没してゆく姿だった。

「―――た、助かったの……?」

 最悪の事態を脱して気が抜けたのか武笠は艦橋の壁にへばりつきながらずるずるとへたりこんでしまった。

「なにがあったの……? 子日の砲撃……?」

 まだ気が動転しているのか頭が上手く働かなかった。子日が砲撃をくわえたのなら砲撃音がしたはずであることすら武笠は気づいていないくらいだった。

「夕張より発光信号受信。『探信ニ感ナシ。対潜警戒ヲ解除セヨ』」

 そのとき、信号員が夕張が発した信号を確認し報告してきた。

「夕張……? もしかして潜水艦を沈めたのは姫なの……?」

 報告を耳にして武笠は気を取りなおした。

「第二一駆逐隊、戦艦金剛の直衛へ戻って~。第二九、三十駆逐隊は御池司令官の指揮下へ復帰してね~」

 この海域にいる艦隊の中で一番階級が高いのは少将である御池だ。武笠は自分の麾下の駆逐隊は金剛の護衛に編成を戻し、他の駆逐隊の指揮権は御池に返した。

「司令、戦艦金剛へ集まるようにと御池司令官よりの命令です」

「わかったわ~。内火艇の準備、よろしく~」

 信号員が旗艦夕張より発せられた命令を伝えてきた。ようやくと気が落ち着いてきた武笠はいつものペースを取り戻して間延びした口調で返事をする。

「にな、ごめんね~……。油断してたわ~……」

「まぁ、破れかぶれとはいえ浮上して雷撃を狙ってくるなんて思わないものね。それに、わたしももっと金剛をこの海域から離しておくべきだったし」

 金剛の艦橋に姿を顕した武笠はすかさず照陽に頭を下げた。照陽はこちらにも落ち度はあったからと肩をすくめた。

「いやぁ~、にな危なかったね!」

 武笠に遅れて御池も金剛の艦橋に姿を見せた。見るからにご機嫌の様子でひらひらと手を振っている。

「あの潜水艦を沈めたのは姫なの~……?」

「そうだよ。のこのこ浮上してきたから魚雷を叩きこんでやったわ!」

「対潜攻撃中に雷撃の準備しとくなんて姫らしいわ~……」

 どうりでご機嫌なはずだ。御池はなんだっていいから魚雷が撃てればそれで満足なのだ。爆雷投下軌条だけで投射機を備えていない夕張は対潜攻撃能力が劣ってはいるが、それでも戦艦とは違ってやろうと思えば対潜攻撃は可能である。それにもかかわらず対潜攻撃を手伝おうともせずに雷撃戦の準備をして手ぐすね引いているのだから御池の魚雷ばかも筋金入りだ。武笠は思わず苦笑いを漏らした。

「長官は姫に対潜哨戒とかの地味な仕事も覚えてもらいたいってこっちの囮艦隊に回したんだけどね~。やっぱり姫は今のままでいいのかもね~」

「はぁ……、どうりで。潜水艦を殺るんだったらあたしなんかよりおやじのほうが比べものにならないくらい上手いからおかしいと思ってたのよ」

 十二月晦日の目論見を聞かされた御池はそんなことをしてもむだだと肩の辺りで両手を広げて見せた。

「長官も歳のせいかいらない気苦労ばっかりするわね」

「また、そんなこといって~。長官に聞かれたらこっぴどく叱られるわよ~?」

「へへんだ! いくら長官が地獄耳だってここで口にした悪口が聞こえるわけがないじゃないの」

「まぁ、それはともかく」

 武笠は苦笑いを引っこめるといつもののほほんとした顔に戻って続けた。

「姫は雷撃一本槍、わたしは対潜哨戒から鼠輸送までのなんでも屋でいいのかもね~?」

「そうそう。どうがんばったところであたしは香車、真っ直ぐにしか進めないのよ。痒いところに手が届く金や銀の役目はになや初緩の役目なんだからね?」

 御池は照陽のほうへ目を向けると軽くウィンクをした。

「ね、そうだよね。照陽長官?」

「初ちゃんが金っていうのには異論はないけど」

 長官と呼ばれた照陽はすっと目を細めた。その顔は知らない人間が見たら背筋が寒くなるくらい冷たい表情を浮かべていた。だがそれも一瞬のことで、すぐにいつものとぼけたような顔に戻っていた。

「わたしなんてただの()よ。それも相手の一手を逸らすためにはる捨て駒みたいなものね」

「にな……」

 顔は笑っているがどことなく捨て鉢で危うい感じがして武笠は顔を曇らせた。

「わたしは長官のご期待に応えることができなかった。いえ、それどころか償い切れないようなご迷惑をおかけしてしまったわ」

「あれはになのせいじゃないよ。そんなこと長官だってあたしらだってよくわかってるって……」

 つい冗談めかして口が滑ってしまったが、照陽がいまだにあの事件を引きずっているのがいやというほどよくわかった。焦った御池はわたわたしながら照陽をなだめようとした。

「だからね、わたしは長官のためならどんなことだってやるって決めたの。まともな人なら眉を顰めるような汚い手だって躊躇しないわ」

「にな、そう思い詰めることないって……」

 自分が口にした慰めの言葉がまるで耳に入っていないような照陽に、御池も困ったように口ごもる。

「そういうわけだから、姫」

 照陽はそれまでのどことなく危うい雰囲気を引っこめ、いつものひょうひょうとした態度に戻っていた。

「さっきの『歳のせいか』って悪口、長官の報告させてもらうわね?」

「―――ちょ……。あれは言葉の綾っていうか……」

 口の端をにやりと吊り上げた照陽の肩を御池はがくがくと揺さぶった。

「でも、わたしだって記憶力が完璧ってわけじゃないわ。うっかり忘れてしまうこともあるのよ?」

「―――ど、ど、どうすれば忘れてくれるのよ……?」

 照陽の口調からなにかを要求しているのを悟った御池は、警戒しながら条件を訊ねた。

「そうね、気持ちよぉ~くなったらそれに溺れて他の余計なことは忘れてしまうかも」

「あたしはそっちの趣味はないんだけどな……」

 返事を待たずに、すでに照陽の手は御池の制服のスカーフに伸びてそれをしゅるしゅると外しにかかっていた。

「まぁ、それくらいで長官に怒られないですむなら安いもんか」

 頭をぼりぼりと片手で掻きながら御池は顔をしかめた。だが、自分の服を脱がせようとする照陽の手は押し止めようとはしなかった。

「兵学校のときから長官に怒鳴られると身体がびくっとなるように染みついちゃってるからねぇ……」

「それじゃ、初ちゃん。後はお願いね?」

 さすがに照陽も、艦橋で御池を産まれたままの姿にしない程度には理性が残っていたようだ。自分より背の低い御池の肩をそっと抱いて艦長室に向かってエスコートをした。

「女同士でどこが気持ちいいんだかあたしにはよくわかんないんだよね。やっぱ、男なら誰でも一本は備えてるあの魚雷がないと」

 魚雷なしでは生きていけない御池は、男が生来備えた魚雷も大好物だった。

「あ~、めんどくさい……。わたしはもう寝たいんだけどなぁ~……」

 艦橋から姿を消す二人の後姿に目を送ると、武笠は深いため息を吐いた。疲れ切ったように艦長席にぐにゃりと座りこむ。

「悪いけど珈琲貰えるかな~。わたしの眠気でも吹っ飛ぶような濃いやつをね~」

「―――しょ、少々お待ちください……」

 武笠の寝ぼすけがどれほどのものかよく知っていたのだろう。金剛の艦橋に詰めていた下士官は冷や汗を浮かべながら厨房へ急いだ。

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