1 その男、凶暴につき
池袋は朝が来るのが早い町だ。夜は華やかだが、その分落ち込むのが早く、どの街よりも早く眠りに落ちる。
昨晩の喧騒が嘘のように、レイの住む家は朝の静寂に満ちていた。
広いリビングの中心にある黒革のソファに、レイは眠っていた。昨晩は遅かったので、というよりもレイはいつも夜遅くまで活動することが多い。空が白くなるころに床に就くというのはしょっちゅうで、一度寝たら夕方まで起きないこともあった。
レイが眠るのは自宅のリビングだ。彼の自宅なのだから、自宅で眠るのは当たり前だ。だがレイの家があるのは、池袋から外れた閑静な住宅街のど真ん中なのである。
レイが静かに眠る中、そのそばをぱたぱたという足音が通った。
「レイさん!!起きてください!!朝っすよ!!」
朝っぱらから大きな声を出しながらカーテンを開ける。朝日がリビングに差し込み、暗かった部屋が明るくなる。レイの顔に朝日が直撃し、レイは呻きながら顔をそらした。
だがレイは起きない。それもそうだ。帰宅するのが遅かった上に、眠ったのはついさっきなのだ。ちょうど眠りが深くなる時間である。
だが、同居しているこの男もなかなかにしつこい。
「レイさーん。朝飯冷めちまいますよー。おーい、レイちゃーん」
レイを起こそうと体を揺すってみたり、顔をぺしぺし叩いてみたり、コーヒーのカップを鼻に近づけてみたり。しかしレイは起きる兆しを見せない。
男はめげたが、すぐに自分の顔をレイに近づけた。
「起きないと……」
唇をタコのようににゅっと突き出し、レイに接近する。
「キスしちゃいま」
「あぁ?」
言い切る前に、レイのドスの効いた声と、下から突き出された拳銃が、男の言葉を塞いだ。
男は唇を突き出した体制を維持したまま、すす、とレイから離れ、フローリングの床の上で深々と土下座をした。
「おはようございます、成瀬さん」
レイは構えた拳銃を下ろさない。
体を揺すり、ソファから起き上がって、実に不機嫌そうな眼差しと銃口を、床に顔を埋める男の後頭部に向けた。
「男相手にキスだあ?ふざけやがって、てめえムショ暮らしが長引いて監視官にカマ掘られてそっちの道に嵌ったクチか?」
「冗談よして下さいよ。俺はオカマを掘られたこともないし、そもそも刑務所に入ったことなんかありません」
「それに、レイちゃん、か。ナメた口利きやがって。俺はヒルズのてっぺんに住む肥満野郎の飼い犬か?」
「なあんだ、起きてたんすね」
「てめえの割れたスピーカーみてえな声聞いたら一発で目ェ覚めるわ、霧夜」
この家の本当の主人、成瀬レイはそう吐き捨てた。
起き抜けだがレイの機嫌はすこぶる悪い。霧夜、と呼ばれた男は、自然と西部劇みたいに両手を上げてホールドアップしていた。
レイの場合冗談抜きで拳銃を撃つ。両手を上げて降伏のポーズをしても撃ってくる。この家の壁には、そうやって生成された銃痕や穴が、至る所に出来ていた。
レイは銃口をぶらぶらさせて足を組み、霧夜を見下ろした。まるで主人と奴隷だ。
もっとも、この二人は不良グループのツートップに値する二人で、レイがリーダー。霧夜はレイを補佐する副リーダーのようなもので、こうやってレイの身の回りの世話などの役割を担っていた。そう言った意味では、霧夜はレイに信頼されているし、霧夜は彼に憧れて不良グループに入ったから、互いに良き先輩後輩組と言える。
「朝飯、出来上がってるっすよ」
「……ん」
レイは拳銃を引っ込め、ソファから立ち上がった。その後ろを霧夜がくっついてくる。
「部屋も掃除しときました!」
「ん」
「洗濯もしときました!下着は手洗いっす!」
「ん」
「あとゼニガメのたっくんの水換えと、マリモのクレオパトラの水換えもやっときました!」
「ん」
「ああ、あとそれと部屋にゴキブリが出たんでアースジェットで処理を……」
「いちいち報告しなくていい。それと金魚のクソみてえにくっつくな鬱陶しい」
ゴンっと拳銃の胴身で霧夜の頭を叩く。霧夜が悶絶するのも興味なさげに、レイは朝食の置かれたテーブルに着席した。
意味不明の小物が置かれたテーブルには、ブルーのマグカップに注がれた漆黒のコーヒーが白い湯気を立てて品のある香りを部屋中に漂わせている。そこにベーコンエッグと両面軽く焦げ目がついたトーストが置かれ、質素なテーブル上が一気に賑やかになっていた。付け合わせのサラダも添えられ、彩りが増している。その横にはコーンクリームスープ。
「えらくまともな朝飯だな」
「何言ってんすか。いつもまともっすよ」
「一週間前は焦げたメザシだった気がするが」
「いや、まあ、人は成長する生き物っすから」
たはは、と着席しながら笑う。レイはそんな霧夜に一瞥もくれず、黙々と朝食を口に運んでいた。別に霧夜を嫌っているのではなく、今の興味が朝食に向けられているだけの話だ。こんなまともな食事は、彼にとっては久しぶりなのだから。
レイの仕事というのは、警察の手に負えない凶悪犯罪者を影で成敗する始末屋、簡単に言うと殺し屋、少しキザな言い回しをすると、必殺仕事人のような職業である。警察が表立って活動出来ないような任務に横槍を入れるのがレイの作業だ。単なる不良集団のトップというわけではない。
昨晩の若者たちも、拳銃による強盗殺人を繰り返す、凶悪犯のグループだったのだ。そうじゃなかったらただでさえ入手が困難な拳銃を中高生が所持するわけがない。レイは最初から全てを理解した上でやっていたのだ。レイ自身、無差別に人を殺害するような人間ではなく、きちんと人間を選んで沙汰を下しているのだ。
ただ、レイが勝手にやっているので、警察からはむしろマークされている。いわば合法殺人であり、ボランティアなのである。それでも金は発生するので、この仕事をやめるわけにはいかない。
そんな彼の下には多くの部下がおり、レイは彼らが祭り上げる集団のリーダーなのである。
判断力、行動力、戦闘力。どれをとっても非の打ち所のない完璧な男として評価されている。銃火器に関する知識はピカイチで、狙撃と早撃ちの名手としても知られている。愛銃であるコルトガバメントといった自動拳銃からリボルバー、スナイパーライフル、サブマシンガン、果てはロケットランチャーまでと、どこで身につけたのか分からない銃に関する知識が豊富なのである。一部では元グリーンベレーであるという噂が一人歩きし、レイの凄さと神秘性を上げていた。
「おまけに、レイさんは美丈夫っすからね。レイさん目当てにメンバー入りする奴もいるくらいっすよ」
「美丈夫って、おめえはいつの人間だ。男相手に気持ちのわりい」
しかし事実、レイは顔が整っていた。恐ろしいことに。
日本人にしては白すぎる肌、格好の良い高い鼻梁、薄い唇、凛々しい眉毛。アメリカ人と日本人のハーフだと言われるレイの髪の毛は、日の光を浴びて銀糸の如く光る銀色で、日本人が染めたような偽物などではなく、本物のプラチナブロンドであった。
彼は全てにおいて、容姿でさえも完璧な男だった。町で見かければふと振り返ってしまうような、そんな綺麗さを兼ね備えた殺し屋なのだ。
そんな彼に欠点があるとすればそれはたった一つ。
「おい、クソ豚。醤油取れ」
「えーと、このタコさんのやつでしたっけ?」
「タコはおめーだ。それはソースだって何回言や分かんだボケ。醤油は隣の黒いやつだ」
「あっ、すいません。はいっ、どーぞ」
「ああ……ってこりゃラー油だ!てめぇとうとう醤油とラー油の区別もつかなくなったか。使いもんにならねえ脳みそなんざドブに捨てちまえ!!」
「わあ、すいません見てませんでしたー!」
彼の欠点。それは性格を置いて他は見当たらないだろう。
レイは性格の悪さで有名だった。
圧倒的に口が悪かった。
天はレイに二物を与えたが、一つだけ余計なものを置いていってしまった。これは神様の発注ミスと揶揄されるほど、レイの性格の悪さと口汚さは知れ渡っているのだ。
口が悪いだけならまだ可愛い。レイの場合、同時に手も出るから始末に負えない。出会い頭に拳銃を向けられるなど日常茶飯事、否応無しに発砲してくるのも当たり前。
新入りは、一見彼の美しさに必ず勘違いを起こし、言い寄る女も後を断たなかった。しかし全員見事に玉砕。拳銃を頭蓋に押し込まれ、引き裂かれ、惨い言葉で嬲られて再起不能になる人間も続出。中には本当に撃たれてしまった仲間もいる。彼に色目を使った人間は、例外なく銃弾恐怖症にさせられる。
まさに鬼に金棒。
改め、鬼に拳銃である。
だがメンバーからの信頼が篤いのも事実である。まさに男が惚れる男を地で行く性格だったのだ。
その男気に惚れたのが、今レイの前でにこにこしている、霧夜才斗という男だった。
「味はどうですか?美味いですか!そうですか~」
「何も言ってねえだろ」
「黙ってるってことは美味いってことっすよ!」
「じゃあ聞くな」
「いやあ、俺レイさんみたいに料理上手くないから自信なくって……」
「強いて言うなら黄身が半熟じゃねえ。あとベーコンの焼きが甘い。それとコーンスープが下に溜まってる。あとトーストが全然焼けてねえ」
「う……手厳しいなあ」
前述の通り、霧夜はレイに次ぐ影の実力者で、彼に憧れてくっついてきた不思議な男だ。唯一レイのそばで犬みたいになついてくるが、殺し屋としての実力は確かで、レイが銃による遠距離なら霧夜はナイフによる接近戦を得意とする。瞬時に相手の懐に踏み込み、首を切断する鮮やかな芸当はレイにも真似出来ない。これで見た目はスポーツマンシップ溢れる人当たりのいい好青年なのだから、人間は見た目では判断出来ない。
レイから見れば、レイのような危ない人間を慕う変な奴だ。こうやってレイの家に頼んでもないのに朝飯を作りにくるし、何かと世話を焼きたがる。どんなに口きたない言葉で罵られようとも、例え銃を向けられようともついてくる。本当の意味での変人であった。
「レイさん、自動拳銃じゃなくてリボルバーみたいな回転式に変えたらどうっすか?後詰まりの心配もないですし」
「確かにジャムらねえのは魅力だが、弾が6発しか入らない上に、弾を込めるのに時間がかかる。マガジン式の方が俺は使いやすい」
「オートマチックのせいでレイさん何発も撃ってくるからなあ……そのせいで部下が怪我しちまったし」
「あ?誰だ?」
「忘れちまったんですか?ほらあいつっすよ。副幹部No.5の……」
「……ああ、吉田のクソ野郎か」
「吉山田っすよ。もう、人の名前覚えないんだから」
レイは沸点の低い男として名を馳せている。少しでも機嫌を損ねようものなら、有無を言わさず鉛弾が飛んでくる。その性格のせいでカリスマ性はあるが、無駄に人を殺しすぎると、支持するものと否定するものとが二分するのだ。
「けっ。勝手に俺の財布いじくりまわすのが悪い。命を取らなかったのは温情なんだぜ」
「いやいや、もっとこう、平和に、手を取り合っていきましょうよ。お互いに……」
「あぁ?」
レイの目がぎらりと光る。その間に、レイの銃は霧夜の額にピタリと当てられていた。
霧夜も強張った表情をし、再び両手を上げた。霧夜も反応が遅れるほどの素早さだ。手を上げる間に霧夜の頭は撃ち抜かれていただろう。
「てめぇは赤毛のアンか?手を取り合ってだと?薄っぺらな冗談は顔と態度だけにしとけよ。俺らが一体どんな仕事をしてんのか忘れたのか?」
「………」
「おめぇは人を殺す時に他人と手を取り合って一刺しずつ刺して万歳三唱でもしてんのか?ちげえだろ。人間を殺すのに助け合いや協力なんかいらねえ。必要なのは独自の判断力、素早さ、目標を知る観察力、非情さ。それのみだ。生温い馴れ合いがしてえなら、グリーンゲイブルズか役場のふれあいセンターに行きやがれ。どの道このメンバーから抜ける時にゃ、おめえはこの世にいねえけどな」
レイはどかりと椅子に踏ん反り返った。トーストを齧りながら新聞をばさっと広げる。
霧夜は銃口を向けられ震え上がって……いなかった。
「……~ッ!!!」
霧夜は怯えるどころか、顔を赤くして握りこぶしを作り、ぶるぶると震えて悶えていた。恐れをなしているのではない。興奮しているのだ。
「カッコイイ~!!マジ痺れます!!やっぱレイさん最高っす!抜けるなんてあり得ないっすよ、一生ついていきまっす!!」
「なんだおめえ……」
霧夜はテーブルをバンバン叩き悶えている。レイは呆れながら拳銃を懐に戻した。
「もう、レイさんの言葉は深すぎっす!今の台詞いただきました!えーと生温い馴れ合いがしたいならグリーンゲイブルズかふれあいセンター……」
「なんでそこをチョイスした。ったく、おめえは本当に変な奴だな」
「へへ、褒め言葉っす。レイさんに言われることは全部」
霧夜はにかっと笑い、メモ帳に目を落とした。
レイはその様子をじっと見つめる。
本当におかしな奴だ。およそ殺し屋では見かけない類の男である。
「そういやおめぇ、昨日はいなかったな」
レイがおもむろに呟く。
霧夜は顔を上げ、レイを凝視した。
「そうだ、レイさんに言って無かったすね。俺、ちょっと出かけてたんですよ」
「なんだ。てめぇのことだからゲーセンかコミケかのどっちかじゃねえのか」
「惜しい!実は……じゃじゃん!」
どこから出したのか、霧夜は両手に抱えきれないほどのグッズをテーブルに置いた。
それだけでテーブルの上が埋め尽くされる。朝食の皿がグッズの波に押されそうになった。テーブルに様々な種類のグッズが散乱し、大変な状態となる。おまけに全部、キャラクターのグッズだったのだ。
当然これだけ見せられて、昨日霧夜が何をしていたのか、理解できるはずもない。
大量のグッズを前に、レイはトーストを咥えたまま固まっていた。
「……?」
「実は、とあるアニメのオンリーに行ってたんですよ〜」
霧夜は上機嫌で、グッズの山に埋もれる。グッズに囲まれて嬉しそうだが、レイにとっては何の価値もないゴミと同じだ。アニメのオンリーと聞かされてもわけが分からない。レイの頭上に、疑問符がもうひとつ増えただけだ。
「……なんだそりゃ」
「ああ、レイさんはこういうの興味なさそうだからなあ。あのですね、姫騎士オンラインっていうアニメがあるんすけど、そのイベントに行ってきたんですよ」
霧夜は嬉々とした様子で概説を語る。説明を受けても理解出来なかったが、なんとなく把握は出来た。
意外なことに、なんて言ったらどう思われるかわかったもんじゃないが、霧夜はアニメ好きでよくイベントにも顔を出しているらしい。ゲームも嗜み、彼の自宅にはDSやWiiを初めとした様々な種々のゲーム機及びゲームカセットが置かれている。ゲームのジャンルは問わず、とにかくゲームと名のつくものが大好きなんだそう。暇さえあればゲーム、アニメ、三度の飯よりアニメのアニメ三昧だ。
「いやあ~楽しかった!色んなレイヤーさんと写真も撮らせて貰って!俺もう幸せっすよ~」
「ほーうそうかい。だったらとっととこのガラクタ片付けろ。早くしねえとガスコンロに放り込むぞ」
「わわっ、やめてくださいよ!いくらレイさんでも怒りますよ!」
アニメを語る時の霧夜の顔は、普段見せる人懐っこい笑顔よりも数倍明るく見える。それは彼がアニメに対して真剣であり、心の底からアニメを愛しているがゆえだろう。当然ながらレイはアニメにもゲームにも興味がない。こういう人間の頭脳は、レイの理解の範疇を軽く越えているのだ。
「今度レイさんも行きませんか?息抜きがてら」
「興味ねえ」
レイはどうでもいいと言う風に呟いた。霧夜は実力もあって信頼できる男なのだが、どうも話題が限定されるきらいがある。こうして聞いてもいない謎知識を披露してくるのは珍しいことではなかった。
「絶対ハマると思うんだけどなー。あ、そうだ。コスプレしてみません?レイさんほどのイケメンなら絶対似合うと思うんです!姫騎士オンラインにナルサスっていうキャラクターがいるんすけど、やりませんか?」
「俺を見せ物にする気か?てめぇん所に置いてあるガラクタを産業廃棄物処理場にぶち込んでもいいってんなら考えてやるぜ」
レイが凄むと、霧夜はおとなしくグッズを引っ込めた。
「それより、ビジネスの話をしようぜ、霧夜」
レイは足で朝食の皿をはじに寄せ、懐から二枚の紙を取り出し、霧夜に放った。
霧夜は紙を広げてみた。紙には細かな字で打ち込まれた何かの情報が書かれている。二枚目は人の名前がずらっと並んだ紙だった。
「これは?」
「俺の見合い相手」
霧夜は紙を手元から落とした。
「ほら、分かんねえもんだろ。そいつらは単なる会社の社員だ」
「ちょっと驚いただけっすよ。もう、冗談なんてレイさんらしくない。で、こいつらがどうかしたんですか?」
「そいつらもそうなんだが、見て欲しいのは一枚目のほうだ」
霧夜の目が一枚目の紙に移る。
「外資系コンサルタント……裏じゃ銃の密売をやってる会社の内部情報だ。二枚目は社員のリスト」
霧夜は舌を巻いた。白い一面に表には出せぬであろう内部の情報が、事細かに記してある。おまけに社員の名簿をコピーしたものもあった。顔写真まで添付してある。写真に写る社員は人種がバラバラであった。
「ひえ~相変わらずすごいっすね……どうやって情報を?」
「それはちっと言えねえ。その会社の社員、名簿見りゃ分かる通り、ほぼ全員が外国人だ。人身売買とまではいかねえだろうが、外から輸入してきた奴らばっかだろう」
「なるほど、警察にチクるんすね?」
「いや」
レイはにやりと笑んだ。
「ビジネスの話と言っただろ。それを企業の連中に見せて脅すんだ」
「お、脅す?」
「そう。なんでもいい。ヤクかテストの零点でも構わねえ。脅して金をぶんどる」
レイはまったく悪気がないといった笑顔で、凶悪なことを話す。
さすがの霧夜も呆れていた。
「それ単なる恐喝じゃないすか」
「ハッ、悪いことしてんのは向こう。それに合意させちまえば合法だ。あくまで取引に行くんだからな」
レイの恐ろしい所は、どんなにこちらが不利でも、どんなにこちらに非があろうともこちら側を有利にする話術である。反論のしようがない理屈を次々と並べ、相手を完膚なきまでに論破する。聞いている周りも自然とレイが正しいように思えてくるから不思議だ。弁護士に向いていると言われることも多かった。
ただ、その話術を持っている人間がいけない。その話術は罵詈雑言で塗り固められ、しまいには拳銃をちらつかせて脅すのだ。ほとんどヤクザかマフィアの手法である。
「はあ~……これまでもレイさんの毒牙にかかり、路頭に迷っている人が……まったく、本当に無慈悲ですね」
「こんな違法をしてる奴らに慈悲なんかいらねえ。違法には違法だ」
その時だ。玄関の方が何やらがちゃがちゃと慌ただしい音が聞こえた。それからリビングに通じる扉を荒ってぽく叩き、扉が開かれる。
「すいやせん、成瀬さんは起きてま……」
ガンガンガンガンガン。
という轟音が男の台詞を遮った。
レイの持つ銃口からは煙が立ち上っている。弾丸は全て男の頭の周囲をかすめ、壁に綺麗な円を描いていた。
男はその場で腰を抜かし、霧夜は耳を塞いで絶句している。静寂の中で、レイだけが忌々しそうに舌打ちした。
「……おい、グズ」
ゴキンと撃鉄を起こし、銃口を男に向けた。
「てめぇ、ノックも無しに入ってくるとはとんだ度胸持ちだな」
「え……いや、の、ノックしました…」
男は半ベソをかきながら、なんとかそう声に出してみる。本来なら言い返さずに言う通りにするというのが暗黙の了解なのだが、突然の出来事すぎてつい言い返してしまった。
「……あぁ?」
レイは椅子を蹴飛ばし、恐ろしいほどの眼力で足元の男を睨み据えた。
「……ノックと同時に入ってきたらよぉ……」
レイの殺気のメーターがぐんぐん上昇していく。
レイは睨みをきかせたまま席を立ち、男の元まで歩み寄って銃口を脳天に置いた。
そのまま銃口を頭のうえで、ぐりぐりぐりと回す。
「ノックの意味がねえだろうがあああああ!!!」
「ひいいいすいません!!」
男は平身低頭、床に額を擦り付けて謝った。隣で一部始終を見ていた霧夜は、倒れた椅子を直しながら「あちゃー」と呟いている。
レイはふんっ、と鼻を鳴らし、憤然とした様子でソファに踏ん反り返った。
「何の用だ」
「え、えっと、その……」
「これのことならもう出回ってるぜ」
レイはいつの間にか霧夜から奪った資料を男に見せた。
男が「なんでそれを」という顔になる。レイはやっぱりなと呟いた。
「この資料、お前が調べあげたもんだろう。勝手な行動されちゃ困るな」
「す、すいやせん、俺は……」
「以後気をつけろ。例え組織のためだとしても、お前の独断があらぬ結果を招くことに繋がる。肝に銘じておけ」
男は「へい」と返事をして、すごすごと退散した。
霧夜はレイが持つ資料をじっと見つめる。
「……そういうカラクリっすか」
「ああ。俺に内緒で小遣い稼ぎをしようとしていたらしい」
レイは資料を床に放り捨てる。
「つーわけだ、霧夜。あいつらの遊びに付き合ってやれ」
「ああ……この会社に殴り込みに行けばいいんすね……って、レイさんは?」
「俺はパス」
レイは手をひらひらさせて、自分は行かないという意を示す。
「なんでっすか!お金の絡むことは必ず行くのに!」
「金は貰う。今回はお前が指揮を取れと言ってんだ」
「え……それって」
レイは端整な顔に、柔らかな微笑を浮かべた。
「そう。今回のリーダーはお前だ。存分に暴れてこい」
レイの言葉を受け、拍子抜けしていた霧夜の顔に、みるみる喜びの感情が浮かび上がってくる。レイからリーダーを任されるということは、レイのチームを自分の手で動かせるということだ。よほどの信頼がなければこんなことは言われない。
あまりの名誉に、霧夜は涙声で喜びを叫んだ。
「やっっっっぱレイさんは最高です!ついてきてよかった!マジ半端ねえ!」
「うるせえ、分かったらとっととメンバーに知らせに行け」
「はい!レイさんは?」
「寝る」
レイはあくびを噛み殺した。どこかの馬鹿が起こしたせいで、圧倒的に寝不足だ。
そしてその馬鹿は爽やかな笑顔で水飲み鳥みたいに頭を下げている。
「本当にありがとうございます!!尊敬してます!つーか愛してます!」
「うっせえ視界をウロチョロすんな消えろ!」
霧夜は「頑張ります!おやすみなさい!」と最後まで大声を出して、部屋から去っていった。
ようやく静かになり、レイはため息を漏らす。霧夜はあんなんだが、頼れる部下である。ヘマを侵すようなことはしないだろう。したらしたで撃ち殺すのみだ。
あんな風に慕われているが、元々銃を撃ちたくてこの仕事をしている。悪人を成敗するのはおまけのようなものだ。犯罪者という言葉にかこつけて殺人を正当化しているだけで、自分のしていることを正しいと思ったことなど一度もない。
これでも昔は普通だった。この家も今は亡き親がレイのためにと、ローンを組んで買ってくれたものだ。今やそこらじゅうに弾痕があるという始末だが、一応レイの帰る場所である。レイに、買い与えられたこの家を大切にしていた。
いつからこんな風になっただろう。
少しだけ、考えてみる。
初めて銃を手にしたのは、確か……
「……」
レイは首を振った。過去のことを考えるのはなしだ。
ふと、テーブルに目をやる。霧夜が作ってくれた朝食がまだ残っていた。
「……」
再びテーブルに着席して、冷めたベーコンエッグを食べてみる。
「………まっじぃ」
そう唸りながら、もくもくと朝食を食べ進める。
霧夜の作るベーコンエッグは、甘いお菓子のような味がした。