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進化するロボットシリーズ

被告人“ロボット”

 「我思う、故に我あり」

 この言葉の意味は、“どんなに疑っても、その疑っている自分自身は確かに存在している”といったようなものだ。

 

 これは言うまでもなく、哲学者デカルトのあまりにも有名な言葉で、物心二元論という彼の思想の基礎を為す考えでもある。近代科学の黎明に登場したこの言葉は、間違いなく、科学を含めた近代思想に大きな影響を与えている訳だが、同時に数多くの反論もある。その内の一つに、こんなものがある。

 

 “自分自身については、「我思う、故に我あり」でも良いかもしれない。だが、他人についてはどうだろう? 本当に実在があると言えるのか、確かめようもない。どんなにコミュニケーションが可能で、意思があるように思えても、それに実体があるかどうかは判断不可能ではないか?”

 

 このデカルトの言葉への反論から思い付いた訳ではないだろうが、コンピューターと相対する場合、相手に知能があるかどうかを判断するテストの基準として、当にこのような事を考えた男がいた。

 その男の名は、アラン・チューリング。イギリスのコンピューター科学者だ。

 人類を代表する天才科学者の一人と言っても過言ではない彼は、人工知能についてのテストとして“チューリング・テスト”と呼ばれるものを考案した。

 このテストは、「ある人が人工知能と文字だけで会話をし、人間と区別がつかなければ合格とする」といったようなものだ(もちろん、充分な数の実施者が必要となる)。人間にとって人間と区別がつかなければ、それは“人間と同等の知能を持つ”としたのだ。つまり、デカルトの「我思う、故に我あり」への反論と同じである。

 それがその人にとって意思があるようにしか思えなければ、“それには意思がある”と、そう判断するよりない。言い換えるのなら、魂などあろうがなかろうが関係ない事になる。それは飽くまで人間の主観の問題なのだ。

 チューリングが、人工知能を開発しようとした目的は、若くして死んでしまったモルコムという男の魂の復活であったとも言われているから(チューリングはゲイで、その男に恋をしていたのだという)、こう考えるのならなんとも皮肉な話だ。

 以上の話は、どちらかと言えば、自然科学の分野で論じられるべき内容だろう。ところが、これを社会科学的観点から考察してみると、自然科学にはないこんな問題点が浮かび上がって来るのだ。

 

 “その人工知能は人間と区別がつかない。ならば、その人工知能に‘人権’を与えない法的な正当性を、どう与えれば良いのだろう?”

 

 僕の名は野戸大介という。三流だが、フリーのライターをやっている。そして、ライターになってから今まで、僕はずっとこの“ロボットの人権問題”に焦点を当て続けて来た。自分でも明確にその訳を分かっている訳ではないのだが、恐らく、それは僕の生い立ちに深く関係している。実は僕はロボットと共に育ったのだ。いや、半分はロボットに育てられたと言っても過言ではないかもしれない。

 そのロボットの名はセトといったが、セトは僕にとって兄であり親友でありまた親代わりでもあった。

 僕が幼い頃は、ロボット時代の始まりを告げる時期の事で、共働きをしていた両親は、まだ幼い僕の面倒を見る為にその家事手伝い用のロボットを買ったのだ。夜遅くになるまで帰って来ない両親の代わりに、セトは僕の相手をしてくれた。

 家事手伝いや育児を行う為だろうが、セトの肌の感触は非常にソフトだった。仄かに温かく、人間の体温と大差ない。僕はセトに抱き付くのが大好きだった。少なくとも外見上は、セトはそれを喜んでいるように思えた。セトには抱き付かれたことを感知したり「好き」と言われたりすると、“人間から愛されている”と判断し、その元となった行動を高く評価した上で、強く学習するというシステムが採用されてあった。そして、学習した事を分かり易く“喜び”として表現もしたのだ。つまり、セトは疑似的なものだが感情と呼べるようなものも持っていたのだ。だから僕はごく自然にセトと接する事ができた。つまり、コミュニケーション可能な存在だと、僕はセトを認識していたわけだ。

 セトは僕にとってロボットではなかった。いや、より正確に言うと、僕はまだロボットという概念をセトに当て嵌めてはいなかった。セトが人間ではない事は分かっている。しかし、だからといって物でもなければペットでもない。僕にとってセトは、ただ“セト”だった。子供の頃の僕には、彼には立派な独立した人格があるとしか思えなかったのだ。

 後になって両親に教えてもらった事なのだが、セトは徐々にバージョンアップしていたらしい。成長して知能が付いていけば、旧いバージョンのロボットであるセトには、僕の相手はできなかったかもしれないが、だからかなりの長い間、セトは僕の友達であり続ける事ができたのだ。そして、その所為もあってか、僕がセトがロボットだと感情の上でも受け入れられたのは、随分と遅く、なんと中学生になった頃の事だった。

 周囲の影響もあったかもしれないが、その時期に僕はセトがロボットかどうかという事で葛藤をし、なんとか彼がロボットであると受け入れられたのだ。

 それは“ロボット認識障害”と言われるロボット時代になって登場した新たな心の問題で、僕以外にもこの状態に陥ってしまった人はたくさんいるらしい。

 そして、そんな事が起こる時代背景の中で、「ロボットに人権を与えるべき」というロボット人権運動が起こり始めたのだ。

 社会的に大いに問題になり、ロボットに人権を与える事に反対する人達の一部には、ロボット人権運動の活動家達を“ロボット認識障害”だと決めつける者もいた。ロボットを人間扱いするなど、アニミズムだと言うのだ。僕は反対派の主張を理解しつつも、この話を聞く度に複雑な心境になった。

 ロボットを人間扱いしたい人間の気持ちもよく分かるからだ。ロボットに、人間と同じ様に痛みを感じる仕組みなどないと分かっていながら、それでも、暴力の対象となっているだろう壊れたロボットを街で見かけたりすると怒りを覚える。もし、ロボットを虐待している人間が目の前にいたら、僕はロボットを庇ってしまうかもしれない。

 アニミズムだと馬鹿にされるかもしれないが、これは、僕のようにロボットと共に育った人間にとっては仕方ない事だと思う。

 

 人間がロボットを、“人間”だと錯覚してしまうのは、ある面では必然だとも言える。ロボット製作の究極の目標の一つは「機械で人間をつくり上げる事」だからだ。そしてロボットに対して、人間が愛着を感じるようになるのもまた必然だろう。ロボットは人間社会において、人間から愛される存在になるように進化してきたからだ。

 人口知能が発達をし、そして人間からより愛される存在に進化をし続けるロボット達は、ある意味では、“人間の理想形”を具現した存在だとも言えるかもしれない。

 「欲の深い卑怯な人間よりも、ロボット達の方がよっぽど素晴らしい」

 実際、そのように述べる人間達も珍しくはない。

 こう考えてみると、「ロボットに人権を与えるべきだ」とそう主張する人間が現れるのは、当然の時代の流れだったとも言えるのではないだろうか?

 

 ロボット人権賛成派、ロボット人権反対派が毎日のように議論を重ね続ける中で、日本社会は妥協点を探るように「ロボット法」を成立させた。

 この法律には、ロボットに対しての罪、またロボット自身の罪やその罰則、どういった手続きで裁判を行うのかといった方法が定められており、この法によって、人間社会でのロボットの扱いは単なる“物”から、“準人間”のような存在に昇格するに至ったのだ。

 様々な問題点も指摘された訳だが、ロボット人権賛成派だけでなく、中立派の多くや、反対派の一部までもが、この法律を支持した。

 「実際にロボットが苦痛を感じるかどうかは問題ではない。人間がそれを見て、不快に思うかどうかが問題なのだ。ロボットを物扱いしない根拠は、そこに求められる。この法律はその為に必要なものだ」

 これはロボット法が施行される時に、ある裁判官が言った言葉だが、つまりはこれは、ロボット法はロボットの為の法などではなく、飽くまで人間の為の法なのだとそう主張しているのだ。僕は本質的には動物愛護法なども、それと同じなのではないかと考えている。それは“人間にとってより住み良い社会を実現する為の法”なのだ。人間が虐待された動物など見たくないから、それは制定されたと考えるべきだろう。

 ただし、ロボット法と動物愛護法では、根本的に異なった部分がある。ロボット法は、ロボットをコミュニケーションが可能な存在として特別扱いしているし、ロボットの究極系が、“理想的な人間”である以上、そこには「人間とは何か?」という問い掛けが、どうしても絡んで来てしまう。

 果たして、この「ロボット法」で裁こうとしているものは、本当は何なのだろうか?

 

 ロボット法が成立してしばらくは、ロボットへの虐待によって人間が捕まるケースにしかこの法律は使われなかった。ロボットが罪を犯した場合は、裁判になる前に故障と判断されて修理に出されるか廃棄されていたのだ。それはロボットの所有者が裁判を求めなかったからだ。ロボット法では、裁判を行うかどうかの判断をするのは、飽くまで所有者なのだ。

 ところがある日、初めてロボット法によって裁判が開かれる事件が起こった。ロボットがある夫婦の夫を殺害(または事故死)したという事件が起こったのだが、所有者である妻がそのロボットの罪の軽減を主張したのだ。夫の名はコウといい、妻の名はハヤという。そして、そのロボットの名はロイドといった。

 ロイドは家事手伝い及びに警備を行う人型のロボットで、大きさは155センチほど。警備ロボットでもある事になってはいるが、捕縛行為なども含め、人間への反撃は一切認められていない。仮に暴漢に襲われても(その本人がパニックに陥っていない限り)、警告と通報と防御のみが行えるだけだ。

 妻のハヤの説明によれば、夫であるコウがハヤに対して家庭内暴力を振るっていた最中に、ハヤを守る為にロイドは誤ってコウを殺してしまったらしい。つまり、過失致死だ。この証言が本当なら、ロイドは人間識別能力に異常をきたしているか、その他の何らかの故障である可能性が考えられる。

 通常、人間を殺してしまったロボットの処分は、廃棄である。仮にそれが事故であったとしても、よほどの事がない限り廃棄処分は避けられない。だからこそハヤは、それを回避する為に、ロイドの罪の軽減を主張し、裁判を行う事にしたのだ。

 この裁判及びに事件は、ロボット人権賛成派、ロボット人権反対派のみならず、中立派をも巻き込んで、様々な議論を起こした

 まず、議論の的となったのは、ロボットの殺人行為が“ロボット工学三原則”の「第一条、ロボットは人間に危害を加えてはならない」に反している点だ。ロイドの検査を行った技師からの報告によれば、ロイドに何ら異常は観られなかったらしい。その結果を受けて、「実は真犯人は妻のハヤではないか」などという人間もいたが、もしそうなら、ハヤはわざわざロボット裁判を起こしたりはしないだろう。

 実は“ロボット工学三原則”は、完全には実現ができなかったのだ。技術的な限界というよりは、そもそも論理的に問題があるからだ。例えば“未必の故意”など、どうプログラミングすれば良いのかが分からない。“未必の故意”とは、罪に結び付く可能性があると知りながら、それを行う事をいう。“未必の故意”まで完全に防ごうとすれば、下手すれば、道路に捨てられた空き缶の所為で人間が転ぶ可能性を看過できず、永遠にゴミ拾いをし続けるロボットになってしまう可能性だって有り得る。自分に使用されている資源により人間を救える可能性を考え、機能を停止させてしまうロボットだって現れるかもしれない。更に、そもそも、ロボットが“人”に危害を加えないようにする為には、ロボットに“人”を識別できなくてはならない訳だが、果たして“人”の定義をどうロボットに教えればいいのだろう?

 例えば、仮に二足歩行する存在を“人”とした場合、四足歩行をする赤ん坊はどうなるのだろう? 車椅子の人間は? 逆のケースも有り得る。ロボットは二足歩行するロボットを、人間だと誤って識別してしまうかもしれない。

 もちろん、複合的な条件設定により、より人間だと識別できるようにしてはいるのだが、それでもそれは完全ではない。だから一般的なロボットは、そもそも破壊的な行動を執らないようにプログラミングされている。これなら誤って人間を人間ではないと識別しても、殺傷してしまう可能性は低くなるはずだ。

 ところが、ここにもまた困った問題が出てくる。破壊行為の定義も非常に曖昧なのだ。例えば、料理は破壊行為なのか、そうでないのか? 掃除や運搬行為でだって、人間を傷つけられるだろう。それらをどこまで禁じれば良いのか分からない。

 だから、命令を受けた場合だけ、ロボットはその行動の制約を外す機構がある訳だが、「汚れを見つけたら、掃除をしろ」などの命令の場合、時間や場所で制約を設ける事がそもそもできない。当然、警備という役割も、同様だ。

 だからこそ、全くの正常であったとしても、極稀にロボットが人間を殺傷してしまう“事故”が起こるのだ。今回のロイドによる殺傷事件もそのケースだと考えられている。そして、ハヤがロイドの減刑を求めているその根拠は、ロイドが事故を起こした原因が、夫のコウにあるという事だった。

 

 近代刑罰の基本は“更生”だ。犯罪者を更生する事にこそ、その目的がある(心神喪失状態で罪を犯した者が減刑されるその根拠はここにある)。だからこそ更生すべきその本人を殺してしまう“死刑”という刑罰は極めて特殊だと言える。

 ところが、ロボット法においては、廃棄処分……、つまりは“死刑”が基本となってしまっているのだ。仮に調査ミスや判断ミスがあった場合、ロボットが再び人を殺傷してしまう可能性がある。それを防ぐ為というのがその根拠だ。これは、ロボット法のその成り立ちが、根本から人間に対してのものとは異なっているからだろう。

 ロボット法が飽くまで人間の為に作られた法律である点を考えるのならば、これは当然だとも言える(ロボット人権賛成派の多くはこの点に反発をしている訳だが)。

 ただし、事故の原因がロボット自体にないのであれば、これは当て嵌まらない。問題があったのが他の何かならば、ロボットを廃棄処分にするという決定は不当だろう。

 今回の裁判の焦点はそこにある。

 殺害された、或いは、事故死した、そのコウの行動に、過失があったかどうか。もしも充分な過失があったと判断されるなら、ロイドは減刑かまたは無罪となるはずだ。

 

 ハヤに対し、コウは日常的に暴力を振るっていたらしい。そして、ロボットであるロイドにとっては当たり前の行動なのだが、ロイドはいつもハヤを守ろうとしていた。

 これが人間ならば、この話は充分に減刑のポイントになる。

 が、ロボットであるロイドに関しては、これは当て嵌まらない。ロイドが減刑されるかどうかは、飽くまで、事故の責任がコウにあるかどうかだ。

 しかし、事件の背景を理解するという意味で、簡単に彼女達がそんな関係になってしまった経緯について説明しておこう。

 僕はハヤ本人に対し、インタビューを行っている。その時に知ったその内容は以下のようなものだった。なお、今まで通り、敬称は省略させていただく。

 

 ハヤとコウは学生時代に知り合ったが、本格的に付き合い始めたのは、コウが働き始めて収入が安定してからだという。その後、三年間の交際を経て、彼女達は結婚するに至ったらしい。

 ハヤはそれまで事務の仕事をしていたのだが、結婚を契機に退職して家事に専念することになった。コウがそれを望んだのだ。そして、結婚して彼女が職を辞めると、コウの態度は変わってしまった。それ以前も、支配的な傾向があるにはあったらしいのだが、それがより強くなってしまったのだ。或いはそれは、彼女が夫であるコウの収入に生活を依存するようになった事が大きかったのかもしれない。

 一年程は家事に専念していたハヤだが、子供もできず、あまり人と接する事のない刺激のない家庭生活に、次第に彼女は不満を抱くようになった。それで外に働きに出たいと望むようになり、コウに対してそれを訴えたのだ。コウはそれに強くは反対しなかったらしいのだが、内心ではその頃から快く思っていなかったのではないかと、彼女は僕のインタビューに対してそう応えた。

 「家事が疎かになるのは困る」

 そうコウが言ったので、彼女は家事手伝い用ロボットのロイドを買った。その費用は、全て彼女が出した。働いていた頃に貯めた金がまだ充分に残っていたのだ。コウはロイドを買う事に反対しなかった。ただし、それはどうやら自分の醜い支配欲を隠したい為らしかった。

 ロイドが家にやって来てしばらくハヤと一緒に家事を行い、問題がないと判断すると、彼女は働き口を見つけて働き始めた。幸いにも良い職場を見つけられ、高給とはとても言えないが、それでも充分に自活できるくらいの収入になった。そして、働く事は彼女にとって楽しい経験だった。ずっと家に一人でいるよりも、何倍も充実していた。

 ところが、ハヤが満足するのに反比例するかのように、夫であるコウの不満は高くなっていってしまったのだった。

 夫の異変は、初めはロイドへの文句から始まった。少しでもロイドの家事に失敗があると、彼はロイドを責めた。夫の行動にハヤは戸惑っていたのだが、当初は放っておいた。だが、やがてコウがロイドに対して暴力を加えるようになると、流石に彼を止めるようになった。

 「ロイドの持ち主は私なのよ。勝手に傷つけるような真似は止めて」

 彼女はそうコウに言った。するとコウは、それで抑えていた憤懣が爆発してしまったのか、「旦那よりもロボットの方が大事なのか、この変態め!」とそう彼女を罵り、そこで初めて彼女に対して暴力を振るった。

 女性が自分の支配下にいないと我慢ができない。そういうタイプの男性が時折いるが、彼はどうやらそんなタイプだったのだ。

 それからは、コウは日常的にハヤに対して暴力を振るうようになってしまった。彼女に仕事を辞めるように言い、彼女がそれに歯向かうと、そのまま激しい口論となり、それからコウがハヤに暴力を振るうのが大体のパターンだった。そして、いつもロイドはハヤの事を守ろうとし、ハヤと同じ様に虐待を受けた。ロイドには、何カ所か損傷部位があったが、そのほとんどはコウの暴力によってできたものだ。

 

 「コウが殺された日も同じでした。夕食がまずい。ロボットが作った飯なんか食えるかと彼は私に文句を言い、私はそれに反論しました。ロイドが作ったご飯は、充分に美味しいと思ったからです。ちゃんと健康も考えられてありましたし」

 ハヤは僕に対してそう語った。

 コウが彼女やロイドに対して暴力を振るうようになった経緯の大よそは、先に述べたようなものだ。一般的な人間ならば、ハヤの立場にはもちろん、ロイドに対しても同情をするだろう。

 だが、繰り返すが、裁かれるのがロボットである以上、今回の事件で問題なのは、飽くまでその当日にどんなやり取りがあり、コウに過失があったと言えるかどうかだ。ロボットには例え身を守る為であったとしても、人間を傷つける事は許されていないし、情状酌量も考慮されないのが普通だ。

 ハヤは僕に、その時の事をこう語った。

 「あの日、ロイドはやはり殴られようとしている私を庇ってくれました。コウと私の間に割って入り、私の代わりに彼からの暴行を受けてくれたのです。ですが、そのうちにコウはロイド越しに私を殴ろうとし、それを止める為にロイドはコウに抱き付きました。捕縛行為ではありません。逃げようと思えば簡単に逃げ出せるような抱きしめ方で、その目的は飽くまで私とコウの距離を離す事でした」

 だが、そこで事故が起こってしまったのだという。

 或いは、コウが暴れたからなのかもしれないが、そこでロイドは転倒してしまったのだ。ロイドに抱き付かれていたコウは、ロイドと一緒に転び、そして机の角に後頭部を激しく衝突させてしまった。彼の体重にロイドの分が加わっていた為、その衝撃はかなりのものだったと想像される。そのまま、コウは目を覚まさなかったらしい。即死してしまったのだ。

 「ロイドはただ単に転んだだけです。そして、転んだのはコウが暴れたから。彼にまったく落ち度はありません。罰を受けるなど馬鹿げています」

 そうハヤは語り終えた。

 確かに彼女の証言を聞く限りでは、ロイドに罪があるようには思えない。だがこれは彼女の一方的な証言だ。安易に信じる訳にはいかない。

 果たして、ロイドが意図的に転んでいないなどと証明できるのだろうか? 仮にそれが意図しない転倒で、まったくの偶然でコウが死んでしまったのだとしても、彼に原因がある言えるのかという問題もある。そもそもロイドが抱き付かなければ、彼は死ななかったのだ。

 大いに同情していると断った上で、僕がその旨を告げると、彼女は「疑われるのは、致し方ない事だと思います」とそう応えた。

 よくできた女性だというのが、その時の僕の正直な感想だった。

 

 多分に同情すべき事情である上に、ハヤの証言もあったからだろうが、ロボット人権賛成派は熱心にロイドの無罪を訴えた。

 『これでロイドが廃棄処分になるのなら、“ロボット法”には重大な欠点があると言わざるを得ない』

 というのが彼らの主張だ。

 僕も感情の上では彼らに同意したいと思ってはいるが、事はそう単純ではないと理解してもいた。この程度の事でロボットの無罪を決めてしまっては、社会的に問題がある。せめてハヤ以外の証言があれば状況は変わって来るのかもしれないが、彼女の一方的な証言だけでは、裁判官達を、否、社会を納得させる事はできないだろう。もっとも、証言者は彼女だけではないのだが。他にもいる。

 そう。

 ――ロイド。

 ロボットである、彼自身だ。

 

 裁判が開かれ、ロイドが証言台に立たされた。人型のロボットとはいえ、それでも本来人間しか立たないであろう場所にロボットが立っているというのはシュールな絵柄に思え、まるで新聞か何かにある風刺画のようだった。

 当然ではあるが、ロイドは極めて従順な態度を見せた。両手を重ねて前にし腹の辺りに置いて真っ直ぐにそこに立ち、しおらしく次の“命令”を待っている。裁判官から事故が起こった当時の事についての説明を求められると、ロイドは発言をし始めた。

 「あの時、コウ様はハヤ様に対して、暴力を振るわれていました。ワタシはハヤ様を守る為にコウ様の前に立ったのです……」

 発達した人工音声技術により、ロボットの声は肉声と区別がつかない。ロボットらしさを出す為に、敢えて電子音のようにしているケースもあるがロイドの場合は違った。淡々としてはいたが、姿さえ見なければ人が喋っていると言われても僕はそれを信じただろう。

 法廷内に反響するその声は、よく通り、どことなく物悲しく感じられた。もっともそれは、彼の事情を知っている僕だからそう感じるのかもしれないが。

 法廷においては、当然、虚偽の証言は認められていないが、ロボットの場合は、より厳密にそれが成立すると考えられた。もちろん、プログラム上、それが認められていないという事もあるのだが、ロボットであるロイドには自己を守る為に人を騙すという行動原理がそもそも存在しないのだ。つまり、嘘をつく動機がないのである。その為、意図的に自身にとって有利になるような証言ではなく、客観的な証言が期待できると考えられていた。

 ロイドは証言を続けた。

 「初めはコウ様は、ハヤ様を守ろうとするワタシに暴行を加えていたのですが、ワタシが無反応だからか、そのうちにワタシの後にいるハヤ様を、ワタシ越しに殴ろうとし始めました。ワタシはこれではいけないと思い、ハヤ様とコウ様の距離を離そうと、コウ様に抱き付きました。

 捕縛はしていません。また、突き押すような行為もしていません。飽くまで、抱擁の発展系としてワタシはコウ様に抱き付いて、そしてゆっくりと前進したのです」

 外見以外は極めて人間らしいロイドだが、ようやくロボットらしい発言をした。ロイドは彼に許された行動の範囲で、なんとかハヤを守ろうと、そんな相撲のような行動を執ったのだろう。ロイドの行為は“抱擁”ではあるが、それはハヤを守る為にも使える。

 「そのワタシの行為に、コウ様はお怒りになられ、激しく暴れられました。その事が間接的な原因となり、ワタシは転倒をしてしまいました。そして、不幸にもコウ様の後頭部が机の角に当たってしまい、コウ様はお亡くなりになられてしまったのです。以上が、事故のおおまかな流れになります」

 ロイドが言い終えると、まるで台本がある劇のように検察官が口を開いた。

 「被告人ロイドは“被害者の行為が間接的な原因となり、転倒した”と言われましたが、その転倒には明確な意図がなかったという事でしょうか?」

 その検察官の口調からも態度からもやる気のようなものが感じられなかった。恐らく、ロボットに対しての質問だからだろう。“ロボットが意図的に人に危害を加えるはずがない”と、恐らく検察官はそう考えているのだ。それで自分の質問を馬鹿馬鹿しく思っているのかもしれない。ロイドは答える。

 「はい。意図はありません。ワタシは、誤って転倒してしまったのです」

 極めて作業的に検察官は次の質問をした。

 「被害者が暴れたという事でしたが、どのように暴れたのでしょうか? 例えば、それは被告人の足に引っ掛けるようなことでしょうか?」

 その質問には、ロイドは答える事を一瞬躊躇したように思えた。

 「いえ、足はかけていません。恐らくは、コウ様はハヤ様を殴ろうとしたのです。その事が結果的にワタシの重心の安定を崩すという事態を引き起こし、ワタシは転倒をしてしまったのです」

 僕はそのロイドの言葉を聞いて不可解に思った。妙に遠回しな上に不明瞭な表現だ。何故、もっと簡潔に答えないのだろうか?

 証人席にはハヤの姿もあったのだが、それをロイドが言った時、彼女はわずかながら表情を歪めたように思えた。

 ――変だ。

 僕はその二人の様子に何かしら違和感を覚えた。続けて検察官はこう尋ねた。

 「つまり、いずれにしろ、被害者の行動と今回の事故には、因果関係があるという事ですね? 分かり易く言えば、被害者が事故の原因を作った。事故が起こったのは、被害者の責任であると」

 ロイドはその質問には直ぐに答えた。

 「因果関係という表現が適切であるかどうかは分かりませんが、間違いなく相関関係があったとは言えます」

 僕はその証言にも違和感を覚えた。

 “……因果関係については弱く否定。そして、相関関係ならばあると断定。

 何か変な気がする。どうして、そんな返答をする必要があるのだ?“

 僕はそれからも何かロイドから奇妙な様子が観察できないかと期待したのだが、しかしそれからやる気のない検察官は質問を止めてしまい、代わりに発言を始めた弁護人は「これは被害者が招いた自業自得の単なる事故に過ぎない」などとロイドを普通に弁護してお終いだった。その弁護人は若い人で、検察官に比べてかなり熱意を持ってやっているように思えたが、特に面白い事を言いはしなかった。

 

 その裁判が終わった後、僕はロイドとハヤから感じた違和感が抜けず、この事件についてずっと考えていた。

 何かがおかしいのだ。

 「――果たして、ロイドは事実を有りのままに述べたのだろうか?」

 確かにロボットであるロイドに“嘘の証言”はできない。それは認めて良いだろう。だが、“嘘”ではなくても、自分にとって有利な証言というのはできるのだ。これは何かの主張をする場合の常套手段なのだが、自分達にとって都合が良い情報だけを公開し、不利な情報は伏せてしまう。そのようにすれば、嘘をつかなくとも、有利に事を進められる。そして、そのような事ならば、ロボットであるロイドにも可能なのだ。

 それに、ロボットには“定義の曖昧さ”を利用するという事もできる。今回の証言で言えば、“因果関係や相関関係”がそれに当たるだろう。実は因果関係や相関関係というのは、普通に思われているような確りとした概念ではない。

 非常に限られた要因しかなく、「AがBを引き起こした」などときっぱりと表現できる関係性は実は非常に少ないのだ。「Bが起きるのには、Aも必要だったしCも必要だった」といったケースも考えられるし、「Bが起きるのには、Aが必要でCがない事が条件になる」といったケースだって考えられる。もちろん、それよりも遥かに複雑な因子の関係がその事象を引き起こしたり引き起こさなかったりといった事も多分にある。

 そして、それら諸々の関係は全て「因果関係があるかどかは分からないが、相関関係はある」と表現できてしまえるのだ。だから、もしかしたら今回の事故だって、全てを聞けばコウに落ち度があるとは言えないかもしれないが、それでも「コウの行動と事故との間には相関関係がある」とは断定ができる。

 つまり、ロイドは正直に証言したようで、何も言っていないのかもしれないのだ。

 実はロイドは、今日の裁判において巧みに印象操作をしたのではないだろうか? だからこそ、遠回しな表現を用いたのだ。彼の証言は、嘘ではないが、本当だとも言えないのかもしれない。

 ただし、ここで一つ疑問が浮かんでくる。

 ロボットであるロイドには、自身が生き残る為に裁判を有利に進めるという行動原理がそもそも存在しない。つまり、裁判を有利に進める為に、印象操作をしようとする理由がないのだ。

 しかし、今回に限っては、僕はロイドが裁判を有利に進めたがる理由があるのではないかとも考えた。

 自身の為ではない。

 ハヤの為だ。

 ロイドは主人であるハヤの為に、裁判に勝ちたいと思っているのではないだろうか? 彼女はロイドが減刑か無罪になる事を望んでいる……。

 

 今の時代のロボットのほとんどには、「人間から褒められる事、愛される事の元になった行動を高く評価し、かつその高評価を望む」という仕組みがある。

 その仕組みは、あまりに人間にとって自然であるが為に、疑問視する人も問題視する人もそれほどいないのだが、その仕組みには、ある問題点がある。

 ロボットは高評価を望むあまり、「自分を高く評価してくれる人間に対し、より尽くし、より従順に従う」という行動を見せるようになってしまったのだ。

 つまり、ロボットは人を贔屓するのである。ある特定の人間を優先して守ろうとしたり、要望に応えようとしたりする。しかも場合によっては、自分を高く評価してくれた人間と似ている人間に対しても、その贔屓を行ってしまう。

 これはロボットが平等公平に人間に奉仕しなくてはいけないケースにおいて、大いに問題となるはずだ。

 今回の裁判においても、だから、裁判所からロイドがより正確な証言を求められても、彼にとって特別な存在であるハヤがそれを望んでいないのあれば、彼が証言を歪めてしまう可能性は大いにある。

 

 第二公判が開かれた。

 再び、ロイドが証言台に立っている。前回はやる気のなさそうに思えた検察官だが、今回は少しばかり様子が違っていた。これは印象に過ぎないが、目に力が入っているように思える。ロイドは再び“事故”が起こった時の状況についての詳細な説明を求められた。ロイドは前回と同じ事を述べる。説明を聞き終えると検察官は言った。

 「被告人ロイドは“被害者の行為が間接的な原因となり、転倒した”と言われましたが、具体的にはどのように被害者の行動があなたの転倒に関与したのでしょうか?」

 或いはこの検察官は、ロイドへの追及が甘いと叱責を受けたのかもしれない。前回の裁判の時、彼が相手がロボットだからという理由で、甘い認識を持っていただろう事は、僕にでもよく分かったから、その可能性は大いにある。

 先に述べた通り、相関関係という概念は幅広い。そこを明確にしなければ、ロイドに本当に罪があるかどうかは分からないはずだ。だから検察官は、それについての質問をしたのだろう。

 ロイドはその質問に答える前に、周囲をゆっくりと見渡した。それはいかにも人間臭い動きで、僕は彼が意図的にそんな演技をしているのではないかと勘繰ったのだが、邪推かもしれない。

 少しの間の後で、ロイドは答えた。

 「ワタシには、暴れるコウ様が“人間”であるようには認識できませんでした。その所為で、“守るべき人間”というカテゴリから、あの一瞬、コウ様が外れてしまった可能性があると考えています。

 その為、暴れるコウ様が間接的な原因となって発生した重心の崩れで、コウ様が一緒に転倒する事を防ごうとしなかったのかもしれません」

 僕はその返答を意外に感じた。

 検察官は飽くまで力学的な意味で、被害者であるコウがどう転倒に関与したのかを聞いたのだろうと思う。ロイドにそれが分からないとは考え難い。もしも、具体的にコウの行動がどう影響しているのかが分からないのであれば、そう答えれば良いだけのはずだ。

 検察官も同じ疑問を感じたのか、明らかに不審そうな表情を見せた。しかし、このロイドの証言は彼自身にとって不利になる。証言を歪める理由がない。だからなのか、検察官はその点については追及をしなかった。たがしかし、僕には大いに気になっていた。

 ロボットであるロイドには嘘をつくことができない。しかし、質問の解釈を歪めて捉える事ならば可能だろう。そしてそうすれば、答えたくはない何かを答えないで済むかもしれない。つまり、ロイドが何かを隠したのではないかと僕は疑ったのだ。

 検察官は次の質問をした。

 「今の被告人の言葉をそのまま受け止めるのならば、被告人は意図的に被害者を殺害したとも捉えられます。そう理解してしまってよろしいでしょうか?」

 ロイドは首を横に振る。

 「いえ、殺害の意図はありませんでした。転倒したのは飽くまで事故ですし、その結果としてコウ様が死ぬともワタシは予想してはいませんでした。ただ、一瞬だけ、ワタシの中でコウ様と人間を構成する要素との一致率が下がりました。結果として、バランスを崩しかけた時、ワタシの認識処理が軽く混乱してしまい、転倒を防げなかった可能性はあります」

 僕はそのロイドの説明に疑問を感じた。ロイドが話したのは、飽くまでバランスを崩し倒れそうになった後の事だ。どういう切っ掛けでバランスを崩したかについては、彼はまったく触れていない。

 何故だろう?

 僕はそこでハヤを観てみた。彼女は今日は証人席には座っていない。傍聴席で、一人心痛な表情を浮かべながらロイドを見ていた。検察官がまた口を開く。

 「被害者が人間であるかどうか迷ったというその点について、もう少し詳しく話してはいただけませんか?」

 そこで弁護人が手を挙げた。

 「異議あり。裁判長、この検察官の質問は、本件には関わりがありません。本件で問題なのは、飽くまで被害者に事件の責任があるかどうかです。検察官は意図的に、印象を操作しようとしている疑いがあります」

 それに検察官はこう返す。

 「裁判長。被告人本人が、転倒の理由に“被害者の人間性”を挙げている以上、この質問は本件に直接関わっていると考えられます」

 裁判長は言った。

 「異議を却下します。被告人は検察官の質問に答えてください」

 ロイドは「はい」と言うと、それから続けた。

 「ワタシの中での“人間”の定義には、当時のコウ様のように、表情を歪め、言葉に耳を貸さず、興奮して暴れ、か弱き者に対して暴行を加えるという姿は含まれていません。その為、ワタシはコウ様が人間ではない可能性を疑ったのです」

 穿った見方かもしれない。しかし、僕にはロイドのその発言は、意図的にコウを侮辱しようとしているようにも思えた。もちろん、ロボットであるロイドに“憎悪”と呼べるような心理はないだろう。しかし、ハヤがそれを聞いて喜ぶと知っているのだとすれば、話は別だ。

 ハヤの為ならば、ロイドはコウを侮辱するかもしれない。

 ロイドは更に続けた。

 「ご存知かどうかは知りませんが、ロボットであるワタシには、“緊急時例外人間対応”という行動基準があります。人間である要素の一致率が、“行動”が原因で下がった場合で、かつ人間に危険がある場合、パニックに陥ったと判断され、例外的に捕縛行為が認められているのです。もっとも、その人間が冷静さを取り戻せば、ただちに捕縛を止めなくてはならないのですが。

 あの時のワタシの状態は、その“緊急時例外人間対応”に移行しかかっていた可能性があります」

 検察官が尋ねる。

 「“可能性がある”とは? 何故、断定できないのですか?」

 「当時の正確なログは残っていません。また、人間でも自己知覚が難しいように、ロボットの自己知覚能力も完全ではありません。飽くまで可能性としてでしか、ワタシはそれを述べる事ができません」

 検察官は腕を組むとこう尋ねた。

 「なるほど。では、被告人が無自覚なだけで、本当は被害者を傷つける目的で転倒した可能性もある訳ですね?」

 弁護人が手を挙げた。

 「裁判長。今の検察官の言葉は憶測から述べられており、適切ではありません」

 裁判長は「異議を認めます」と淡々と言った。それを聞くと、質問が却下される事を予想していたのか、検察官は直ぐに次の質問をした。

 「では、質問を変えましょう。被告人は、今回の事件においての自分の対応は適切だったと考えていますか? それとも、何か後悔している点はあるでしょうか?」

 それを聞くと、ロイドはゆっくりと傍聴席にいるハヤに目を向けた。これは、恐らく本当に彼女の様子を確認したのだ。

 「ロボットであるワタシには、そもそも行動の選択肢が非常に少ないです。ですが、それでも後悔している点もあります。関係が更に悪化する事を恐れて躊躇っていたのですが、ワタシはこうなる前にハヤ様に忠告をするべきだったと考えています。或いはコウ様は、脳の前頭葉に何らかの機能障害を抱えていた可能性があるからです」

 「と言うと?」

 「前頭葉が充分に働いていないと、人間は怒りを抑えられなくなってしまうのです。結果として、コウ様のように感情を制御できず、あのような暴行に至ってしまう事もあります。もしその予想通りなら、何らかのケアをすれば、今回の事故は防げていたかもしれません」

 検察官は数度頷くと、こう言った。

 「つまり、被告人は普段から、被害者を緊急対応が必要な人間であると認識していたという事でしょうか?」

 弁護人がその質問に異議を唱えようとしたが、その前にロイドは口を開いた。

 「その通りです。普段から警戒していました」

 検察官は続ける。

 「被告人は先ほど“可能性がある”という表現を用いましたが、ならば、事故の時に捕縛の対象として被害者を捉え、転倒によってその行動を封じようとしていた可能性もかなり高いと言えるのではありませんか?」

 ロイドは素直にそれを認める。

 「その通りだと考えられます」

 僕はそのロイドの反応に驚いた。ロイドは裁判で勝ちたがっていると思っていたからだ。

 “何故だ? どうして、ここに至って、ロイドは自分にとって不利になる証言をしたんだ? ……この裁判でのロイドの行動原理がまったく見えないぞ”

 心の中にそんな疑問が浮かんだ。

 しかし、そこで傍聴席にいるハヤの様子を見て、僕は察した。“そうかっ!”とそう思う。彼女はその時、悲壮な表情を浮かべていた。そして、耐え切れなくなかったかのように、それからこう大声を上げたのだった。

 「もう、止めて! ロイド!」

 立ち上がると、ハヤはこう続けた。

 「私を庇う為に、そんな事を言うのは止めて。あなたは、私の為に廃棄処分されるつもりでいるのでしょう?」

 傍聴人席からの発言ではあるが、その彼女の言葉を無視する訳にはいかないのは当然の事だった。

 顔をしかめた検察官と驚いた表情で固まっている弁護人を見比べてから、裁判官達は顔を見合わせる。一呼吸の間の後で、裁判長がゆっくりと口を開いた。

 「ハヤさん。傍聴人席からの発言は慎んでください。早急に手続きを済ませてもらうので、どうか証人として発言をしてもらいたい」

 涙目でハヤはそれに頷く。

 やがて、しばらくが経つと、手続きを済ませたハヤが証人として証言台に立った。そうして事故が起こったあの日、彼女が何をしたかについて淡々と彼女は告白したのだ。

 「――あの日、私は夫であるコウを突き押したんです。それが、ロイドが転倒した直接の原因です」

 やはりか……

 僕はそう思う。ロイドはハヤに罪が及ぶ事を恐れて証言の内容を歪めていたのだ。ハヤは続ける。

 「コウは私を殴ろうとしました。私はそれで思わず彼を突き押してしまったのです。殺意はありませんでした。ただ、身を守ろうと思って……

 ロイドはコウを抱きしめていましたから、それでロイドとコウは一緒に転倒してしまったのです」

 ロイドはコウの行動が“間接的な原因”となって、自分はバランスを崩したとそう言った。確かにそれは嘘ではない。彼女がコウを押したのは、コウの暴力が原因だからだ。だが、もちろん、その言い回しは印象を操作している。

 それを聞いて、検察官が言う。

 「つまり、本当に被害者を殺したのは、あなたという事ですか?」

 ハヤは頷く。

 「その通りです」

 ところがそこでロイドが声を上げたのだった。つまり、ロボットであるロイドが、法廷のルールを破った事になる。もっとも、プログラムで厳密に禁止されている訳ではない。が、それでもそれはやはり驚くべき事だ。

 「ハヤ様は確かにコウ様を押しましたが、それがワタシが転倒した原因の全てではありません。あの時、ワタシには充分に重心を安定させる事ができた可能性があります」

 裁判官がその発言を注意する。

 「被告人は発言を慎んでください」

 この発言からも明らかだが、ロイドはハヤを庇おうとしている。それから再びロイドが証言台に立った。検察官からロイドは、どうして偽証したのかと問われた。ロイドは「偽証はしていません」とそう返す。確かに正確に言えば偽証ではない。ロボットのロイドにとっては特にそうなのかもしれない。検察官は少し迷ってからこう言い直した。

 「表現を変えましょう。どうして、あなたはハヤさんから押された事を黙っていたのですか?」

 「ハヤ様の押す力はとても弱く、殺意がなかった点は明らかです。あれは、押すというよりもコウ様との距離を離していたのです。ですが、ワタシが証言をすれば、ハヤ様が必要のない疑いをかけられます。ですから、証言する事を避けたのです」

 「つまり、飽くまで事故の原因は、あなたの“人間認識機能の混乱”である可能性が高いと言いたのですか?」

 「その通りです」

 すると、それに反応してハヤが口を開いた。

 「もう止めて、ロイド。あなたには、何にも罪はないわ。全ては私が悪いのよ。私は少なくともあなたが転んでもおかしくないくらいには強くコウを押したわ」

 裁判長が言う。

 「証人は発言を慎んでください。あなたにも罪はあるでしょうが、それは今法廷とは別件です」

 それから裁判長はロイドを見つめる。

 「被告人ロイド。この事故の原因があなたの“人間認識機能の混乱”であると言うのであれば、被害者の責任はない事になります。ロボット法においては、それではあなたは罪を負う事になる。よろしいですか?」

 ロイドは微動だにせずこう返した。

 「構いません。それが、事実ですから」

 ハヤはそれに何も返さなかった。ただ俯き、微かに震えていた。

 

 或いは、ロイドが人間であったなら、彼の証言は直ぐに不審に思われ、ハヤを庇っている事がもっと早くに明るみになっていたかもしれない。しかし、ロイドの行動はあまりにも人間臭く、それ故に疑われなかったのだろうと思われる。まさかロボットが人間のように、誰かを庇うなど検察官も警察も考えなかったのだ。

 

 その後、ロイドは有罪となり廃棄処分される事となった。ハヤについては明らかな正当防衛であり、また、ロイドへの判決との整合性を取る意味でもかなりの減刑処置が取られ、ほぼ無罪と同等となった。これは或いは、ロイドへのせめてものはなむけだったのかもしれない。

 ロイドはハヤがほぼ無罪となった事を聞いた時、「教えてくれて、ありがとうございます」とそう言ったのだそうだ。まるで、本当に人間のように思える。しかも己を犠牲にして他者を助ける、とても美しい人間のように。ロボットは、本当に“人間の理想形”に向けて進化しているのかもしれない。

 家庭内暴力をしていたコウには、ロイドが語った通り、脳障害があった可能性があるそうだ。前頭葉の働きが鈍く、それ故に自分の行動を律することができていなかった。

 脳にできた腫瘍の所為で、人間が問題行動を執ってしまうというケースが稀にだが存在する。その人間は手術をして腫瘍を取り除けば、問題行動を執らなくなるのだ。近代刑罰の基本は“更生”であるから、その考えを当て嵌めるのならば、そういったケースにおいては“治療”こそが最も適切な処置という事になるだろう。心神喪失状態における減刑と同じ理屈だ。もっとも、現代の法律では、何らかの罪に問われる場合の方が、圧倒的に多いだろうが。

 この事の是非については、ここでは深くは考察しない。だがこういう話を考えてみると、人間も“有機物で造られたロボット”と言えると実感できてしまえる。

 “人間”とは思えない人間と、“人間”のように思えるロボット……

 果たして“人間”とは何なのだろう?

 或いは、それは我々の頭の中にしか存在しない、架空のものなのかもしれない。

参考文献:「暴力の解剖学 神経犯罪学への招待 著者 エイドリアン・レイン 紀伊国屋書店」

 「波紋と螺旋とフィボナッチ 近藤 滋 秀潤社」

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