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シーン1 もう一度、出会った

シナリオライターとしてのサンプルとなります。

作成時間10時間程度。容量20KB。

ターゲット:15~30歳女性

シーン1「もう一度、出会った」


●とおいこい

 最後に足を運んだのは高校の時だったろうか。

 久方ぶりの生演奏にリョオの心は湧き立っていた。その指先から紡ぎだされる音の束はホール中に波紋を立たせて、私たちは痺れるような音の圧力に心地よく圧倒される。

 そこにはどうしてもレコードからでは伝わらない臨場感があった。ライブならではの独特の空気は体験した者しかわからないだろう。

 ショパン第二番第二楽章だった。恋の曲に相応しく、胸に締め付けるような感動が届く。いや、これは彼女自身が苛む、恋への羨望なのかもしれない。

 ホールの壁に、最後の音が沁みて――消えた。

 ピアノから立ち上がり頭を下げる彼女に、大勢の観客たちとリョオは惜しみない拍手を送る。

 顔を上げた彼女の顔に眩しい笑顔が浮かんでいた。


 幕間となり観客の多くはロビーへと集まっていた。

 普段は演劇などで使われる事が多い都心のホールは、高級感で満ちて広く居心地が良い。

 リョオはタンブラーの無糖コーヒーを口に運びながらパンフレットを眺めた。

 まだ若い彼女。演奏者としてエリートコースを歩み続けた彼女は高校を卒業し、すぐにスイスへ留学した。今回は初めての凱旋公演となる。

 テレビやラジオで、けっこうな規模での宣伝をしているのをリョオは知っていた。だが、それでも本日、ここに来ている客の大多数が、彼女の知り合いや招待客に違いなかった。

 日本人のクラシック離れはますます加速している。

 しがないレコードショップの一店員としては昨今のCD売り上げの激減も辛いとは思うが、……幼少の頃とはいえ、そんな彼女よりもピアノの腕で勝っていたという過去に、誰も興味を持ってくれないほうが正直いって寂しいものだ。


リョオ

「寂しい一人身は今年で脱却するんだっての! その為に私、今朝6時起きで美容院まで行ったんだよ?」

友人A

「その結果が、それ? あのねリョオ。あんまり言いたくないんだけど……色々と雑なんだよね。服とか化粧とか」

リョオ

「えーっ? そんなに変かなぁ? 今回さ、雑誌をよ~く読んでから挑んだんだけども。『ゆるふわ愛されメイク』であなたも言い寄られて困るかもって書いてあったやつ」

友人B

「パンツルックにベリーショートの髪で、ゆるふわだ? はぁ……だから確認したのに、なんでそうなっちゃうのかな!?」

リョオ

「おっかしいなー。あ、ちょっとだけ、き、気合入れ過ぎたのかも……」

友人AB

「「それは無い!」」

 遠慮の無い幼馴染たちの言葉に、リョオは自分の格好と周りを見比べてみた。

 皆、セクシーで色鮮やかなドレスに、胸元に光るアクセサリーと着飾っていた。正装としては多少やりすぎな感はあるが、リョオのようにシンプルな色のパンツスーツではスタッフと間違えられかねないだろう。

 唯一、気合を入れ過ぎているメイクのおかげで近寄られていないだけだ。

 ……一応、スーツも新しくしたのにぃ。

 友人もそれぞれ、若さを最大限に生かすシンプルなメイクに、めざとい短めのワンピースと明らかに目的を持った服装となっていた。

 それもそのはず。本日この後、ついに念願の『4大出身者との合同コンパ』が待ち構えているのだ。女子高出身のリョオたちにとって千載一遇のチャンスである。

 甘酸っぱい恋の予感は、恋愛慣れしていないリョオにとってとても魅惑的な味がする。


 メイクの手直しを終えたリョオが戻ると、友人たちに取り囲まれる彼女の姿があった。

 彼女、石動千晴は久々の故郷の友を前に、はじけるような笑顔を返していた――ように、リョオには見えた。

 後ろから声をかけると、千晴はあの頃と変わらない大きい目をまんまるにして、思い切り抱きついてきた。

千晴

「あはは、あんたなんて恰好してんのよ? でも変わんないわリョオは。一目でわかるもん」

リョオ

「えへ、面目ない。そうそう、演奏すごい良かったよぉ。感動して鳥肌立つなんて、やっぱプロだわ」

千晴

「ありがと。えっと、呼べたのはこれで全員かな。……みんな、ほんとうに今日は来てくれてありがと。平日で忙しかったでしょ?」

リョオ

「平気へーき。同窓会みたいで楽しいし、大人になったみんなと会えて良かったよ。ん? これで全員だっけ?」

千晴

「いや、さすがにそれは無理だったわ。先生の旦那様に、無理言って当時の名簿をお借りしたけど、連絡がとれない人が何人かいてさ」

リョオ

「そいつは残念。まぁ、仕方ないか。あの頃はまだ小学生だったもんね、わたしたち」

 ピアノやバレエの教室は少し特殊だと思う。

 小学校低学年という多感な時期。クラスメイトは夕方のアニメや放課後の遊具の話で盛り上がる頃に、習い事で多忙な人々は自然と話題から取り残される。

 だから教室内で団結するかといえば、そうでもないのだ。一つのコンクールが終われば、また次の課題曲と他人との競争の日々は心安らぐ日は無い。

 つまり――リョオたちの今ある友情というのは、生存競争に敗れた末の慣れ合いなのかも知れない。

リョオ

「……あ、薫だ」

 不意の呟きが漏れた。

 昔の記憶を辿っていたリョオは、いつも一緒にいた子の事を思い出していた。常にトップを義務付けられていた私の、唯一の味方であり安らぎだった子の事を。

 薫は今日も来ていない。突然、引っ越してしまった子の事はみんなの記憶から失われてしまったのだろうか。


友人A

「ちょっとリョオ。聞いてる? 本当にいいの? あんなに楽しみにしてたじゃん」

リョオ

「あ、うん。……え?」

千晴

「嘘! ありがとう、本当にごめんねーっ! やっぱり持つべきものは親友だよね。嬉しいっ!」

 返事にかぶせるように、千晴が大声で感謝を述べた。

 夢想に陥っていた頭を現実に戻す。友人たちの話を統合すると、なんでも、この後の合コンに千晴の知っている男子が来ると、ぽろりと漏らしてしまったらしい。

 主催者が千晴と同じ、県内の進学校出身なのだから偶然とも言えないのだが。

 だが、それを聞いた千晴は神妙な面持ちをした後、切羽詰まった勢いで合コンへの参加を迫ったそうだ。

友人B

「人数が変わるのは嫌だって言ったら、だったら誰か変わって欲しいって、それで……」

 白羽の矢が立った、という事らしい。

リョオ

「ちょ、ちょっと待って!? い、いきなりなんて千晴も無理でしょう? 公演の後なのに忙しいだろうし」

千晴

「心配には及ばないわ。元々この後は用事が無かったの。……もしかして、本当は嫌だった?」

 リョオがそんな風に言う筈無い、けど……、と悲しそうにうつむく千晴。

 戸惑うリョオへ、友人たちがフォローを入れてくれた。そういえば昔からこんな関係だった事を思い出す。

リョオ

「――いいよ、大丈夫。もともとそういうの、向いてなかったしね。あーっ!? 恋愛が似合わないって顔したでしょ!? 酷いなぁ~」

 そんな時、私の返事はこうだった。

 少しセンチメンタルになっていたリョオの選択は、過去の思い出を汚さないまま終わらせる事だった。


 電車の窓から差し込む夕日が眩しい。

 友人たちのメールを一読し、スマホをバッグにしまう。ぼーっと車内広告を眺めていると、惨めさが増していく気がした。

 寂しくないはずがなかった。

 でも、正直どうやって付き合うのかわからないのだ。今回だってチャンスとは言いながら、実際はなんの進展も無く帰るのが関の山だろう。

 井野リョオ22歳。春はいつ来るのだろうか。


●あかいいろ

 駅ビルに入っている職場に顔を出すことにした。親には遅くなると言った手前、このまま帰るのは癪に障るからだった。

 事務室には店長の前田の姿があった。

リョオ

「うっす。今日も暇みたいですね。アキコちゃんサボってたんで、喝いれときましたよ」

前田

「おう、悪いね。……あれれ? 今日ってなんかあるって言ってたような」

リョオ

「黙ってて下さい。けっこう落ち込んでるんで」

 ひと回り年上の前田は、いつもくたびれた顔によれよれのスーツを着ている、いわゆる冴えないおっさんだ。

 共働きの奥さんは大学で働いているとかで、給料の格差を嘆く彼だが、言うほど本当に困ってるようには見えなかった。現状でうまくやってはいるのだろう。

リョオ

「こんな人でも結婚してるのに……」

前田

「ん、そんなに見つめないでよ? ダメだよ俺、奥さんの事愛してるから。不倫とかはノーサンキューね」

リョオ

「変な勘違いしないで下さい! 気持ち悪いっ」

 リョオは制服代わりのエプロンをかけて、アルバイトの指導でストレスを発散する事に決めた。


リョオ

「違う、そっちじゃないって! あーっ、逆、逆に傾いてきた……そう! そこ! あっ、そこって言ってるでしょうが!? ダメだよ~それじゃ……。はい、もう一回」

 店舗の入り口、お客様から見て一番目立つ場所の飾り付けを変えていたのは、明日発売の男性アイドルグループの新作アルバムの販促の為だ。

 入社して一年以上。リョオがようやく店舗運営を任された最初の仕事。その為に休みを削ってまで手作り看板などの飾りを作ってきたのだ。

 少し半泣きになるアルバイトにも手を抜かず、ようやく納得のいく仕上がりになった。

リョオ

「……うん! いいんじゃない、これ! アキコちゃんなかなかセンスあるわね。偉い!」

前田

「忙しい所悪いんだけど……ちょっと、いい?」

 達成感で、アルバイトと抱き合って喜ぶリョオに、店長が尋ねた。

 振り向きギョッとした。普段から生気の無い顔が土気色になり、声色もどこか頼りない響きである。これは、嫌な予感しかない。

 そして――当然、予感は現実となった。


 向かいのホームに到着した電車の中が帰宅ラッシュの会社員で箱詰めになっているのを、リョオは冷めた目で見つめていた。

 自分の判断の浅はかさを後悔するのは、これで何度目か。

リョオ

「さっきも都心にいたのに、何でまた電車乗ってるのよぉ……。あの男、やっぱり使えない!」

 リョオと目が合ったサラリーマンがびっくりした顔で視線を逸らした。

リョオ

「でも、一番馬鹿なのはわたしか……」

 がらがらに空いている上り電車の中で、リョオは深いため息をついた。


リョオ

「CDが来ない!? だって発売日明日なんですよ? どう考えたっておかしいでしょお!」

前田

「僕もそう言ったんだよ。でも本社じゃどうしようもないんだって。噂だけど、限定版の売れ行きが芳しくなくて、明日の通常盤、出し渋ってるなんて噂が2○ゃんで書かれてたり……」

リョオ

「私、納得できません! 一か月前から準備してきたんですよ? 当日になって無理なんて、社会人としておかしいでしょう!?」

前田

「(君も少しどこかおかしいけどね)……気持ちはわかるけど」

リョオ

「ちょっと行ってきます。今日はとりあえずお疲れさまでした」

前田

「え、ちょ、待って!? どこに行くつもり? 何かあったら僕の責任になるから、あんまり変な事しないで欲しいんだけど」

リョオ

「なめられて黙ってるなんて、私、できません。先方に話つけてきます。じゃあ」


 地下鉄に乗り換え数駅、そこから徒歩5分ほどで目的のオフィスに到着した。

 時刻はすでに八時を回っている。無駄足になる焦りを耐えつつ、リョオはビルのエントランスへと急いだ。

 ――誰も得をしない。そんな事は知ってる。

 でも黙って従う事が正しいなら、私はそんな世界にはいたくないのだ。


 幸いだったのは、まだ責任者と思しき相手が残業で残っていてくれた事。

 不幸だったのは、その男、黒須がリョオの相手をするほど暇では無かった事だ。

黒須

「さっきから謝ってるでしょお? でも、迷惑かけたのはおたくだけじゃないの。わざわざ来てくれたから、おたくにだけ卸すなんて、業界に知れたら大目玉でしょうよ」

リョオ

「お気持ちは察しますけれど、こちらも手ぶらで帰る訳には参りません。せめてある分だけでもいいんで、引き取らせては頂けませんか?」

 地下駐車場へ向かう黒須を見つけたリョオは、逃がすまいとその後を追う。大きな段ボールを抱えている為、闖入者から逃げきる事は難しく、迷惑そうな顔を隠さない黒須。

 早歩きの彼に、リョオは必死に交渉を続けた。

黒須

「これ? ダメダメ、サンプルだから売り物じゃないの。ちょっと、どこまで着いてくるの? こっちは急いでるんだから、どいてくれないかな?」

リョオ

「明日、どうしても売りたいんです! 待ってるお客さまもいるんです! ……特別扱いできないのも充分に承知してますが、今回だけはどうか、お願いします!」

 駐車場で頭を下げるリョオ。一瞬、躊躇する顔を見せた黒須だが、すぐに社会人としての非情さを取り戻す。

黒須

「それ以上しつこいと、会社を通して抗議するから。ほら、いい加減にしてってば!」

リョオ

「ごへっ!」

 白のワゴン車の後部ドアを開ける黒須。それは偶然にも丁度、顔を上げたリョオの顎にヒットした。

 ふらふらとよろけるリョオを、眩しいヘッドライトと鳴り響くブレーキ音が襲った。

 キキキーーッ!! ……コン。

黒須

「ああっ!? おいっ、無事か!」

リョオ

「ご、ごめんなさい。私、ちゃんと前、見てなくてそれで……。ん?」

 背後に怯えた視線を向ける黒須に気が付き、リョオは振り向いた。そこに停まっていたのは煎餅みたいに平べったいスポーツカー。

リョオ

「あ、知ってる。こういうのフェラーリレッドって言うんですよね。……」

 暗い駐車場に映える赤。その光沢がわずかに歪んでいる事に気がついたリョオの顔から、血の気が一気に引いた。

 運転席から降りてきた男へ、黒須は土下座せんばかりに頭を下げる。現実感を取り戻せないまま、ぼんやりとリョオはその光景を眺めていた。


●もういちど

 開店前の店内には重苦しい空気が充満していた。

 パソコンで検索した高級車の相場をじっと睨むリョオ。その目の下には巨大なクマが残り、充血した眼がカッと見開かれていて怖い。

 事務所の端で膝を抱えている前田もまた、死人のような顔色を浮かべていた。何かぶつぶつと呟いているような所も気色が悪い。

 新曲用に作った飾りはすでにゴミ袋にまとめられていた。元の場所は今、代わりにアニメのDVDを特設コーナーとして置いてある。

 二人とも会話もなく、じっと刑の執行を待っているかのようだ。そこへ……。

『ジリリリリンっ!』

二人

「「ッ!?」」

 ベルの音にいち早く反応した前田だが、震える腕は受話器を掴む事ができない。

リョオ

「…………あの」

前田

「うけえええっ!!」

突如、奇声を発しながら店の外へと走っていったのを、同じフロアのテナント従業員が怪訝な目で見送った。

 長い……ため息を吐いた後、リョオは電話に出た。

リョオ

「――お待たせしました。ええ、……そうです、私ですが。……えっ? すみません、もう一度、仰って頂いても宜しいでしょうか?」


 それから10分ほど後。

 両脇を警備員に抱えられて前田が戻ってきた。解放されてもまだ放心状態の彼の背後から、姿を見せるサングラスの長身の男。

 ――リョオは思わず言葉を失った。

「……これ、任せちゃっても、いいかな?」

 むりやり渡された段ボール箱をリョオが開けると、中には本日発売予定だった新曲のCDが入っていた。

 生産が間に合っていないはずの商品が100枚近くも、と前田は驚きの表情を隠せなかった。リョオを見るが、どこか上の空の様子である。

 前田は、男の顔を見た。

前田

「……あ、あ、あ、……こ、こ、こ、……この人っ、これに写ってる人だっ!」

 ぷるぷると震える手に握られたCDジャケットに写る5人の男性アイドル。変装してるにもかかわらず、目の前の男がその中の一人だと気付けたのは、やはり隠しきれないオーラがあるのだろうか。

 リョオは黙ったまま混乱する前田を無視する。突然来た相手の意図が全く読めず動けないのだ。

 まず何で良くしてくれるのかが解らない。昨日、迷惑をかけたのはこっちなのだ。それに、本人自ら来る必要も無い。賠償を求めるなら、会社経由で話を付けた方が早くて確実なのに。

リョオ

(「可能性としてあるとすれば、私個人に賠償させたいとか? ……そう考えるとしっくり来る! 会社同士の貸し借りは無くして、相手に人としてきちんと謝らせたいとか」)

 つまり、今日は賠償金の請求に来たのだ! と思い、リョオは頭を抱えてしゃがみこんでしまう。

リョオ

(「ローン。借金。……慰謝料、退職! 夜の仕事! 薬!? 廃人! ダメ絶対!!」)

「――変わんないなリョオは。一目でわかるもん」

リョオ

「うう……え?」

 ちょっと涙目で振り向くリョオに、男はサングラスを取って、たれがちな優しい目で微笑む。

 ………。


 ………。

 赤いスポーツカーの腹を愛おしそうに撫でて、ようやく男は振り向いた。まるで今、相手がいたことに気がついたみたいに。

 リョオはその顔を見て、きれいな男の人だなって思った。

黒須

「く、クンペイさん、申し訳ありませんっ! ほら、おたくも謝って!」

リョオ

「……あ、私が、悪いんです。ぼさっとしててつい。本当にごめんなさい」

「……ち」

 端正な顔が近寄って来て、リョオは顔を赤らめる。その細い指が顎にかかり、口元に滲む血をすくって、見せた。

リョオ

「これは別の、その、あの人にやられて……って、それも自分が悪いんですけど」

黒須

「そうなんです! いきなり来て、しつこくて、でも、俺は何もしてないのに勝手にぶつかってきて」

 あたふたと言い訳をする黒須を眼中に入れずに、リョオの顔をじっと見る男。時折、眉をしかめて、何か考えている様子だった。

『ピリリリリ! ピリリリリ!』

 携帯が鳴って、ようやく男がリョオから視線を外した。受け答えの内容から、遅いことを咎められているらしいことが窺える。

黒須

「えっと、とりあえず車は俺が。クンペイさんは急いで下さい。社長がお待ちなんで」

リョオ

「私は……」

黒須

「おたくは、名刺置いてとっとと帰りなさい。こちらの対応は追って連絡しますから。……逃げようなんて思わない事」

「……」

 冷たい言葉が身に沁みて、それ以上口ごたえする気力は無かった。背後に視線を感じつつ、リョオはすごすごとその場を後にしたのだった。


 自宅までの帰路の途中に公園がある。

 休みの日となればイベントなどで賑わう大きな公園だった。中にはプールや池、サイクリングコースまでもが併設されていて、市外からも家族連れが訪れるような憩いのスポットとなっていた。

 とはいっても、日が暮れると人の気配はほとんどなくなってしまう。

 ターミナル駅から離れているせいか、静かな公園にありがちな不純なカップルもおらず、一人で歩いていると少し心細さを覚えるほどだった。

 ――ベンチに座る人影が見えた。

 きょろきょろと見渡した後、念のためにとスマホを取り出した。暗がりに画面が光る。リョオはさっきやり取りしたメールフォルダを開く。

 『薫』と、差出人には書いてある。約束の時間に間違いが無いことを確認したリョオに、ベンチの人影が手を挙げた。

「リョオ。こっち」

 頷き、座っている薫の元へ歩いた。

 僅かな距離をとって、隣に腰を下ろす。街頭で照らされた彼の顔は、やはりどこからどうみてもテレビ番組の中で見るアイドルと同じだった。

 いや、実物はいっそう整って見えた。

「お疲れ様。いきなりでごめん。本当に予定とか無かったの?」

リョオ

「う、予定とかあるように見えるかなぁ。……まあいいけど。そっちこそ色々とごめん。平気だったの?」

「え? ああ、まあね。その事は気にしないで」

 どこか歯切れの無い返事に、リョオは追求する事はよしておいた。昔とは……、何も知らなかった、あの幼い頃とは、違うのだ。


 初めこそ互いに緊張していた二人。でも話すにつれて、だんだんと当時の距離感の無さを思い出していく。

 10年の歳月は永いけど、その間、互いに思い出を忘れずに大切にしてきたから、こうやって顔を合わせて笑う事ができるのだろう。

リョオ

「私の事、すぐにわかった?」

「うん。驚いた。他人の空似かと思ったけど、話してみてリョオだって思った。だって本当に変わらないんだもん」

リョオ

「何よそれ。まだ子どもだっていいたいのぉ? 酷い!」

 無邪気に笑う彼。子どもの頃は女の子に間違われるほど美形だった顔は、年齢を経て、男性らしい逞しさをも併せ持つ造形美となっていた。

 アイドルとして女の子からもてはやされるのも納得できる、とリョオは思う。

リョオ

「ねえ、なんでアイドルになったの?」

 ……笑わない? と前置きをしてから、薫は恥ずかしそうに口を開いた。

「初めはさ、お小遣いあげらんないから自分で稼げばって、姉ちゃんが応募したんだ。正直言えば、本当は嫌だった。顔の事で昔はけっこう虐められてたし」

 寂しそうな横顔を、リョオは黙って見つめる。

「突然、引っ越ししたろ? 母ちゃんが離婚して、逃げるように爺ちゃんの所に逃げ込んで、あの頃の友達に、誰もさよならって言えなかった。……だからもし、この仕事で有名になったら、気付いてもらえるかなって」

 今までわからなかった事が恥ずかしい。その気持ちを読み取ってか、フォローを入れる薫。

「でも、いざやってみると、これがなかなか楽しくてさ。音感はあったし、ダンスとか体動かすのも嫌いじゃなかったから」

 そう言って笑う薫に安心する、と同時に、あの頃と変わらない笑顔に胸が暖まる。

「間違ってなくて、よかった」

リョオ

「アイドルで成功した事? そうだよね、いまや有名人だもん、すごいよ薫。私なんて、薫のCDを売るのが関の山ですから」

「ううん。そっちじゃなくて、もう一度、会えた事。アイドルを続けたから、本当に会いたかった人と会えたから」

リョオ

「……ちょ、ちょっと何うれしい事言ってくれちゃってんのさぁ!? 私だって子どもながらに精一杯、連絡とるように頑張ったんだよ? 自分ばっか苦労したみたいに言うの、やめてくれるっ!」

 骨格も肉付きも子どもの頃から成長した彼の、唯一変わっていない垂れた目がリョオを見つめて、高鳴る胸の鼓動が訳わかんなくて、たまらず冗談で誤魔化してしまった。


 フェラーリ458の凶悪なエンジン音にびびり、親が寝ている団地から少し離れた場所で降ろしてもらう事にした。

 近所迷惑だし、こんな目立つ車だとすぐに噂になるだろうし。

 助手席のドアから、温かな車内へ秋の夜が吹きこみ、リョオは思わず身震いした。

「大丈夫? ちょっと寒いね。風邪ひかないように気をつけて」

リョオ

「うん。送ってくれてありがと、また連絡する。……あ、でも忙しかったりするのかな? 電話とかだと仕事中は迷惑でしょ」

「迷惑、って事はないけど、レッスンとかだとすぐに出られないからなー。リョオはいつなら大丈夫?」

 デパートの営業時間準拠の仕事だと説明すると、薫は納得だと頷いて笑った。

 ドアを閉めようとしたリョオへ、体を乗り出した薫がじっと見つめてきた。

「ねえリョオ。次の休みの日に、また会えないかな」

リョオ

「え? いいけど、まだ決まって無いし、それに平日だと思う。けど……薫こそ平気なの?」

「夜までなら時間とれると思う、たぶん。いや、なんとかして作るから。決まったら連絡してくれる?」

リョオ

「そう? そしたらさ、あの頃の友達も呼んでとかも、いいよね! そうだっ!? 千晴ちゃんがね、今、日本に戻って来てるんだよ。覚えてるかなぁ、あのツンツンしてた娘……」

「二人きりで――じゃあ駄目かな?」

リョオ

「……あら、まだ人見知りの癖が治ってないみたいねぇ。しょうがない、それはまた今度。薫は二人きりでもいいの? どうせまた、こんな話しかできないだろうけど」

「違くて、二人きりが、いいんだ。他の人は別に興味無いし」

リョオ

「そんな冷たい事言わないでさ……」

「リョオ、――俺、あの頃からずっとお前の事が好きだった。子供ながらの疑似恋愛かもって思ったし、また、こうして会うまでは正直忘れてた。でも再び会って気付いた。今も――いや、今の方がずっと、リョオの事が好きだって」

 車内灯で照らされる彼の顔から、真面目で本気だという熱意が伝わってくる。

「改めて言うけど、リョオ、もし良かったら……俺とつきあって欲しい」

リョオ

「……はい」

 夜中の涼風が火照った頬に気持ちが良かった。リョオ22歳。木枯らし吹く夜に、春がやってきたらしい。


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