貴様、俺が結婚することが信じられんのか!!
『隊長、私が結婚するって本当でありますか!!』の続編。
俺がまだ紅顔の美少年と誉れ高く、世の中を斜めに見ながら高等部に通っていた頃、君は穢れを知らない可憐な妖精だった。
俺がまだ自分が最強と信じて疑わなかった青二才で、王立防衛軍士官大学で誰かれ構わず喧嘩をふっかけていた頃、君は大人の階段を昇り始めた天使だった。
俺がまだ世の中白黒つけたい正義漢で、王立防衛軍でひたすら己の正義を振りかざしていた頃、君は花も恥らうばかりの美しい姫君だった。
俺が数多の戦場で赤い血にまみれ、敵味方から鮮血の悪鬼と恐れられていた頃、君は清き光で民衆を導く聖女だった。
俺がすでに灰色の世間に埋れ、過去の栄光にしがみつくくたびれた中年になった頃、君はまるで救世の女神のように俺を救いにやって来た。
ああ、なのに。
なのに、何故。
誰も信じてはくれないのか。
朝一番、出勤してから付きまとってくる男が一人。
なんだその面は。
顔ぐらい洗え、髭を剃れ。
制服を着て締まりのない顔をするな。
だいたい貴様の部隊はそんなに暇なのか?
だから何だと言っている。
「……何か用か」
「いや、お前が正気なのか心配になって来たんだよ」
貴様が正気なのか?
顔が青いぞ?変なものを拾い食いでもしたのか?それよりこの前貸した金返せ。
「いたって普通だ。問題ない」
「普通ってお前、だってスレイマン准将のお見合いぶち壊して略奪愛しちまったんだろ?出勤して大丈夫なのか?」
この男、エヴァン・ロジャースと腐れ縁になって二十年。こいつにこんなにも驚かせられるとは思わなかった。
ロジャースによると、その昔鮮血の悪鬼と恐れられたこの俺、ディーノ・デ・サンクティス少佐は、どうやら俺が最も敬愛する恩師であるスレイマン准将のお見合いをぶち壊し、その相手を略奪したらしい。
……って、んなわけあるか!!
奴が聞いた噂、その一
A「この間シュメルツァーのオバハンがお見合いするって言ってたじゃん?」
B「うん、それ聞いたわ。それどうなったの?」
C「お見合い相手ってスレイマン准将だったんでしょ?」
A「それがさー、お見合いがぶち壊しになったらしいよ」
C「ジジイにも相手にされないとか、ウケるわ」
B「玉の輿なんて十年遅いんだよ」
ABC「「「ザマーミロ」」」
奴が聞いた噂、その二
D「この前のシュメルツァーのお局のお見合いに男が乱入したらしいな」
E「その話知ってるっす! 男がお局曹長を略奪したらしいんすよね」
F「俺も聞いたぜその話。でもよ、その男って……鮮血の悪鬼だろ?」
E「何すか、鮮血の悪鬼って」
F「しっ!声がでけぇよ」
D「それマジかよ?どうすんだ」
F「冗談であって欲しいよな…」
奴が聞いた噂、その三
G「スレイマン准将の結婚話はお流れになったようですな」
H「サンクティス少佐が勧めてたって話でしたけどね。」
G「奴も何を考えているのか…戦争の後遺症でも悪化したのか?」
H「准将も可哀想に、可愛がっていた少佐から裏切られるなんて」
なんだそれは。
そんな話になっているのか?!俺の知らないところで俺のお見合い結婚話が、何故にスレイマン准将のお見合い話に?
しかも略奪愛だと?
泣いてもいいか?いいよな。俺の愛するヒルデガルト・シュメルツァー曹長は、スレイマン准将の多少強引な協力があったお陰でやっと婚約に漕ぎ着けた相手なんだぞ。誰からも略奪なんかしていない!
第一、お見合いは俺がしたんだ。この俺が、ヒルデガルトと、お見合いをしたんだ。
噂話は大いに結構。だが、間違いは訂正せねば。
特に彼女をオ、オバハンなどと口に出すのも汚らしい言葉で貶めた女共と、お局呼ばわりしたクソガキ共は粛清せねば俺の気が済まん。
あ?
何だロジャース、まだいたのか。俺の顔が恐いだと?問題ない、生まれつきだ。
さて、粛清……いや、噂話を訂正する前に彼女の様子を見てこよう。もしかしたら噂話を聞いてしまっているかもしれない。優しい彼女が心を痛めていないか確認しなければ。待っていろ、ヒルデガルト。
「おい、待てよ! 結局どうなんだよ」
ロジャース、貴様もしつこいな。
「見合いをしたのははじめから俺だ。ヒルデガルトを略奪した覚えもない」
なんだ。なんでそこで間抜け面をする必要がある?
「嘘だろ? お前、結婚すんの? ヒルデちゃんと? お前が?」
ロジャース、貴様、本気で殺されたいのか?
「ありえんだろ、お前マジで後遺症か? いくらヒルデちゃんが好きだからって……おいっ、危ねえだろうがっ! こっちに魔銃向けんなって!!」
さらばだロジャース、骨くらいは拾ってやる。
「おい、いくら結婚したいからって妄想すんなよ!!」
なん、だと?
貴様は戯言といいたいのか?
すべては俺の妄想とでもいいたいのか?!
「貴様、俺が結婚することが信じられんのか?!」
思わず魔銃の引鉄を引いてしまったが仕方が無い、必然の事故だ。
「シュメルツァー曹長はいるか?」
ヒルデガルトが出勤するであろう時間を見計らい待機室に来たはいいが……
「何だこの悪臭は」
狭い、臭い、汚い。貴様ら掃除しろ!
「曹長は今日は休みなもので」
なんだ、今日は休みだったのか。しかし、彼女が休みなのとこの部屋が汚いことに何の関係があるというのだ?
「いつも曹長がやってくれているんですよ」
「貴様がやれ」
で、貴様は何故しない。 男所帯に紅一点とはいえ、彼女に掃除を押し付けるな。
「あ、すいません。やっぱり女性の方が丁寧な掃除」
「貴様の階級は何だ? 伍長か。伍長が曹長を顎で使ってもいいのか。それは知らなかったな」
こいつは次の異動で飛ばすとしよう。
すまないヒルデガルト。俺が頼りないばかりに嫌な思いをさせてしまった。おっと、伍長。貴様は今さら取り繕っても遅いぞ。
彼女が休みなら用はない、戻るか。
張り合いがない。
やる気がおきない。
華やかさがない。
なんで俺の部隊はこんなにもむさ苦しいのか。
今日はヒルデガルトもいない。こんな日はさっさと帰って寝るに限る。早く時間にならないものか。
「ディーノ! さっきは本当に死ぬかと思ったぞ!!」
また貴様かロジャース。むさ苦しい奴の際たるものだな。
「おい、無視すんなって」
「髭を剃れとは言ったが、随分斬新だな」
「お前が魔銃をぶっ放したからだろうが!!」
若干あご髭がチリチリしているが、よく似合っているじゃないか。
「まあ、すっきりしていいと思うぞ」
「よくないわ! 詫びろ、俺様に詫びやがれディーノ! 今日はクリスティーン嬢とデートするはずだったんだぜ?」
「行けばいいじゃないか」
「こんなんで行けるかっ! よしディーノ、お前今日は俺様におごれ、それでチャラにしてやる。いいな」
ロジャース、目が血走ってるぞ。そんなにクリスティーン嬢とやらに入れ込んでいたのか?まあ確かにその髭のは俺のせいかもしれんがな。
「仕方がない」
「よし、決まりだ。場所はいつもの"木漏れ日食堂"だからな。仕事終わったらすぐ来いよ」
何が悲しくて野郎二人で飲み屋なんかに。
ヒルデガルト、君は今何をしているのか。
無性に会いたい。
「ちくしょう、クリスティーン嬢ぉぉ!」
で、何でそんなに酔っているんだロジャース。まだ飲み始めて一時間も経っていないぞ。
「ディーノも飲め、飲み尽くしやがれ」
俺はもうジョッキ五杯は飲んだ。認めたくはないがもう年だ。四十になってから体力の衰えを感じる。
「エールはもういい。ビスカンティの蒸留酒を水割り」
「オヤジ、マルメロの火酒の原酒をロックで!」
マルメロだと?俺でも流石にきついな。
「何だ、“鮮血の悪鬼”が酒を断るのか? 俺はいけるぜ」
何を。ロジャースごときに誰が負けるか。
「ふん。これくらい何ともない」
くっ、久々に喉が焼ける。最初に飲んだエールのせいで酔いが回りそうだ。
「オヤジ、もう一杯追加だ」
何だその余裕の笑みは。貴様には負けんぞ。多少頭がクラクラするが、まだいける。
「さすがはディーノだなぁ」
なんだ、ほめても、なにも、でないぞ。
「ホント、惚れ直すわ」
きしょくがわるい、かってにほれるな。
「ヒルデちゃんも惚れるはずだ」
「あたりまえだ。あと、あいつをなまえでよぶな」
「お前、酔ってる?」
「よってない」
にやにやするな、きもちがわるい。
「そうかそうか。で、ヒル……シュメルツァー曹長とは一体どうなってるんだ?」
「けっこんする」
「じゃなくて、お見合いの話だよ」
「おれと、ひるでがるとがみあいをした」
「そこんとこ、詳しく」
「そうか、そんなにききたいか」
「聞きたいです、聞きたいであります!!」
ふむ、そこまでいうなら、おしえてやらんでもないな。
いいだろう。そのつまった、みみのあなかっぽじってよくきくがいい。
「ならば、みあいのとうじつから、はなしをしてやろう」
◇◇◇◇◇◇◇◇
待ちに待ったお見合い当日。
俺はいつもより三時間も早く目を覚ました。
いつもは朝風呂なんか入らんが、この日は念入りに身体を洗い、丁寧に髭を剃る。
この日のために用意したダークグレーのスーツはフルオーダーしたものだ。知り合いのヴァンパイアに、俺の濃く深い色合いの金髪と碧眼によく似合う生地を選んでもらったので間違いない。時計はドワーフが作り上げた自動巻の精密な腕時計。ドラゴンの鱗から削って作ったドラゴナール社のタイピンとカフス。
値段は知らんが問題ない。
鏡に映った自分を見ながら手早くネクタイを締め、いつもは無造作な髪も櫛をいれて整髪剤で固め整える。
うむ、完璧だ。
隙のない鋭い眼差しの“鮮血の悪鬼”はまだ健在だな。
「おお、若造。随分とめかし込んだな」
スレイマン准将の家に迎えにいくと、開口一番そう言われた。
「もう若くはありませんよ。先生」
准将は俺の恩師だ。戦場でやさぐれていた俺を引き抜いてくれたことには感謝している。が、正直お節介すぎるのが玉に瑕だ。このお見合いも、元はと言えば准将が仕組んだものだ。中々結婚しない俺に業を煮やした准将が、ある時俺を酔いつぶしたうえでその理由を聞き出したのだ。
近年稀に見る失態だ。俺も年なのか。
さらに准将はヒルデガルト側の付添人も指定した。ヒルデガルトの叔母にあたるブリギッテ・シュメルツァー事務官だ。事務官のことは俺も昔から知っているのでお願いするとしよう。最近、准将と事務官が頻繁に連絡を取り合っているが、付添人なのでそんなもんか。
あぁ、柄にもなく緊張してきた。
こんなに緊張するのは初陣以来だ。
「本日はお日柄もよく……」
俺はお見合いの定番の文言を交えながら挨拶をしたが、正直緊張してよく覚えていない。
しばらくしたら洒落た料理が運ばれてきた。ヒルデガルトの希望で、個室ではなくレストランの一角を低い衝立てで囲っただけの席を頼んでいたが……少し首を伸ばせば他の客が見えて邪魔だ。
料理はうまいのかまずいのかよくわからん。ちまちま出されるフランシーア料理は俺には似合わんな。
それにしてもヒルデガルトは美しい。
緑のドレススーツはフェアリーハンドメイドだろうか。彼女の栗色の巻き毛とエメラルドの瞳によく似合っているな。虹色真珠のアクセサリーは控え目だがこれもいい。いつか彼女にアクセサリーを……いや、指環を送ろう。
いつまでも彼女を見つめていたいが、准将や彼女の叔母がいる前ではまずい。それにしても、シュメルツァー事務官はよく気が付くよいお人だ。相変わらずヒルデガルトによく似た可愛らしいご婦人だな。
和やかな雰囲気のなか食事も終わり、デザートと飲み物だけになってしまった。
いよいよここからが本番だ。打ち合わせでは准将がヒルデガルトに一歩踏み入った質問をする手はずになっている。
「ヒルデさん、とお呼びしても?」
「はい」
准将、逝きますか?
まだ俺すら呼んだことのない愛称をいきなり呼ぶとは。まあ、さん付けなら許すとするか。呼び捨てなら万死に値する。
「了承してくれたんだって?」
「はい」
彼女が隊長室に乗り込んできてくれたあの時のことを、俺は一生忘れない。
「どんなところがよかったのか、聞いてもいいかね?」
「……いつも、見てました。それで、その」
ああ、何ということだ。そんなにも俺を見てくれていたのか。
照れているのかヒルデガルド。そんな姿も可愛いな。
「ははは、すまんすまん。君は年上でも構わないのかね?」
「ええ、年上の方に魅力を感じます」
そうか!!
俺は今まで彼女と同じ時を生きてこれなかったことを恨めしく思っていたが。年上が好きだったのか。ならば八年の差に問題はないな。
「性格もよく気難しいと言われているんだが」
「いいえ、そんなこと思ったこともありません」
准将も余計なことを。
そんなことないぞ、俺は誠実だ。仕事には厳しいが、プライベートは別だぞ。
「そうか、よかったよかった」
「はい、こちらこそ」
今のところ順調だな。
さすがは准将、仲人役も板についている。
「では、結婚を前提としたお付き合いということでよろしいのですかな?」
「はい、よろしくお願いします」
やはり何度聞いても嬉しい。
隊長室で結婚すると息巻いていた彼女にも見惚れてしまったが、またもや見惚れてしまったではないか。
ん?
准将がわずかに腰を上げた?
その合図は…いよいよ二人きりで話すのか。
スレイマン准将、ありがとうございました。
「それでは、後は若いもんにまかせましょうかね」
「そうですわね」
准将は予定通りシュメルツァー事務官を連れ出してくれた。が、何故貴方が事務官と腕を組む必要が?
「ヒルデちゃん、頑張るのよ」
去り際に、シュメルツァー事務官がヒルデガルトに声をかけ、俺にはウインクを寄越す。
「ディーノ、よかったな」
准将も肩を叩いてくれた。
よし、俺も頑張るか……だがしかし、二人きりだと緊張するものだな。
か、可愛い。
俯いてもじもじしているヒルデガルトは最強に可愛い。一体何を考えているのか。いかん、顔がにやける。
「あの隊長、よろしいんですか?」
このにやけ顏を見られるわけにはいかん。ディーノ、平常心を保つんだ。
「あの、隊長?」
「あ、ああ。ヒルデガルト、俺は嬉しいぞ」
はっ、さらにいかんことを。
自分のことばかり考えていてはダメだな。何か、二人のことを……そうだ。
「式はいつにしようか」
「相談しないと、なんとも」
唐突すぎたか。
そういえばそうだ。結婚は俺たち二人だけの問題ではないからな。
「そ、そうだな。まずは両家に報告しないと」
准将が仲人になるのか。頼もしいというか、不安だ。俺には母親しかいないから、准将に父親役も頼むのか?要検討事項だな。
おっといかん、また自分の思考に囚われてしまった。何を言おう。
「絶対に幸せにするから」
なんて陳腐な。
もう少し気の利いたことが言えない自分が恨めしい。
ヒルデガルト、俺は嬉しいんだ。
本当はもっと雄弁に語りたいが、言葉にならない。
この気持ち、伝わっているか?
子供の頃から好きだった。
可愛い隣人に一目惚れしたんだ。
それからずっとずっと……
「隊長、愛してます」
今、何と?
愛してるって、俺をか。
彼女が俺を愛している。
そうか、とても簡単だ。
簡単だが紛れもない真実だ。
「俺も、愛してる」
俺の素直な気持ちだ。
どうか、彼女に伝わるように。
「ヒルデガルト、お前を愛してる」
ヒルデガルトになら膝まづいても構わない。古風だと言われても構わない。どうか、俺の気持ちを受け止めてくれ。
「俺と、結婚してくれ」
そんな驚いた顔をするな。まだプロポーズすらしていなかった俺が馬鹿だった。文句は後で聞く。だから今は応えて欲しい。
「返事は?」
「例えそれが嘘であろうと、私ははいと答えます」
彼女らしいな。
何時だって真剣で、何時だって真っ直ぐで。
そんな彼女は少しだけ仕事人間だ。
「お前らしい、答えだな」
だがそれも含めてヒルデガルトだ。
小さな頃から変わらない。
「『お前がほんの小さな子供のころからずっと見ていた。愛し続けてきた。一緒に幸せになろう』と俺は言った。ヒルデガルトがそれに……おいロジャース貴様、聞いているのか?」
何故そんなに疲れた顔をする。だいぶ酔いが醒め……いや頭がすっきりしたところだというのに。おい、ロジャース、テーブルにもたれるな、みっともない。
「聞きたいと言ったのは貴様だろう」
「い、いえ、もうお腹いっぱいデス」
そうか?
まあいい、やっとわかってくれたようで何よりだ。
しかし、何故周りの客もテーブルに突っ伏しているんだ?どこかで見た奴ばかりだが。
ん?
あそこにいるのは……
「ヒルデガルト。来ていたのか」
「あ、隊長。今来たところなんですが、そこにいるのはロジャース大尉ですよね?」
気にするな。
見ると目が腐るぞ。
「ひ、ヒルデちゃん。おじさんちょっと酔いすぎたみたいだから、そこの隊長とチェンジね」
「え?用件があったんじゃなかったんですか?」
ロジャース、貴様計ったな?俺に黙ってヒルデガルトを呼び出しやがって。
「隊長に伝えてあるよ。じゃ、俺はこれで」
「はあ? お大事に」
明日覚えてろ、ロジャース。
この借りは必ず倍返しにして返してやる。
「ゴチソウサマデシタ」
誰が貴様に奢るかっ!
さっさと帰れ!!
「隊長、用件は」
「まあ、座れ。食事はまだなんだろう? 奢るから、好きなものを頼め」
「わあ! ありがとうございます、隊長!!」
やはり一日一回はヒルデガルトを愛でなければ。
彼女の笑顔には癒しの魔法でもかかっているのか。
癒される。
仕方がない、ロジャースが明日遅刻したらフォローはしてやろう。
翌日、ディーノとヒルデガルトのお見合い話の真相が、軍内部に瞬く間に流れたことはいう間でもない。
木漏れ日食堂からそう離れていないバーの片隅で壮年の男女が二人。
「最近あの子たちの妙な噂が流れているの、あれ貴方の仕業?」
「私は関わってないさ。信じてくれないかな、ブリギッテちゃん?」
「日頃の行ないが悪い男は信用されなくてよ」
「いやいや、本当さ。私は信用に足る男だろう?」
「ふふふっ、冗談ですわよ。でも私、この件に関しては譲れませんの」
「大方、私かディーノを醜聞に塗れさせたい誰かのせいだろうね」
「まあ誰かしらね?心配だわ。それよりムルシド。そのリスト、私に下さらない?」
「これかい?ブリギッテちゃんの手を煩わすまでのものではないよ」
「私の大切な姪たちを陥れようとした罪は重いのよ。ムルシド、それをこちらに」
「……代わりに対価をくれるならどうぞ?」
「あら、意外とあっさりくださるのね。それで何が欲しいのかしら? 最近、幾つかいい情報が入ったのよ」
「そうだな。ではブリギッテちゃん、俺と結婚してくれないか?」
「冗談は嫌いよ」
「冗談ではないさ」
往年の英雄たちにより、噂に便乗してディーノを失脚させようと画策していた軍幹部たちが逆に己の不祥事を暴かれ、世間を賑わすことになったのはまた別の話。
俺が酔いにまかせて見合いの真相を赤裸々に暴露し、七十五日の噂に必死に耐え抜いた三ヶ月後、君は俺の愛する純白の花嫁になった。
隊長の姓名変更。