ラブリーキューティ!
うちの母親はとてもがさつな人だ。女性らしい一面が皆無とは言わないが、繊細という言葉がとことん似合わない。裁縫や料理に凝ったものはないし、文字も声も無駄にでかでかと男らしい。子どもと遊ぶときだってサッカーや野球をしたがるという、男親っぷりだ。
そんな親に育てられたのだ。多少男っぽくても仕方ないと思わないだろうか。
例え料理が壊滅的なまでに下手で、クッキーもまともに作れず、ミシンを使わせれば糸も通せない不器用MAXであっても……仕方ないと、思ってはくれないだろうか!
「いや、ソレはお前が大雑把なせいだろ?」
「ちゃんと書いてあるとおりにやったってば! レシピ通りにやってソレなら、あとは血のせいじゃーん」
特にお菓子作りはプレゼントした人間にダメだしされ、挙げ句、作り直してやると我が家にお招き中である。
多少焦げたり、しょっぱかったり、粉っぽかったり、半生だったり、割れたり、厚さが不均等だったり、形が悪かったりするのは……手作りの醍醐味でしょ?
「んなわけあるか!」
怒るなんて酷くない? 私なりに創意工夫はしたよ?
チョコチップやアーモンドスライスを混ぜ込んだり、紅茶味やきな粉味なんかの種類を増やしたりさ。
我ながら甲斐甲斐しいと思ってるんですけど。
「うん。レシピ自体はまともだっつーの。これで失敗したならお前に原因あんだよ。ちゃんと分量計ったか。準備万端でスタートしたら何とかなるもんだぞ」
ブレザーを脱ぎ、シャツを腕まくりしながら、器具や材料を奴は揃えていく。我が家のキッチンだというのに、遠慮なく棚をあけてくれるものだ。制服を汚さないよう貸してあげた赤白のストライプ柄のエプロンが、意外なほど似合っている。
それにしたって泡立て器でバターを練る姿が様になっていた。手際が良く無駄がないのだ。同じ作業をしているはずなのに、ボウルの中身が全然違う。おかしい。どうしてこんなにふんわりしなかったんだろ。私が作ったものは、この段階でもっとベタ付いていたのだけど。
「何か特別な手法があるとか?」
「んなもんねーよ、レシピ通り。……どうせバター溶かして砂糖混ぜ込んだんだろ」
言いながら奴は天板を持ってくるよう命令してくる。
「でも、私のは気持ちがこもってるもん」
「こんがり焦げてますって気持ち?」
切り返しがイタすぎて辛い。
「拗ねんなよ」
「……拗ねてないもん」
生地をオーブンへ放り込むまでの時間だって、私の半分ほどしかかかっていなかった。変だよ。クッキーってそんな簡単なものだった? あれほど四苦八苦したのに。
片付けも済ませると、焼き上がりを待つまでの沈黙が重い。我が家には現在、私と彼の二人だけしかいない。恋人二人きりなのだ。
本当はね、美味しいねって笑いあってゆっくり過ごしたかった。ふくれっ面してクッション抱えて黙り込むなんて予定は……なかったのだ。
重い沈黙を切り替えるように、奴は鞄から紙袋を取り出した。可愛くラッピングしたそれには、失敗作の烙印を押されたクッキーが入っている。歪に膨らんで、ひび割れて、焦げたそれ。
好き。
好きだよ。
きみが好き。
そんな気持ちを込めて作ったのは、本当だったよ? 頑張って作ったんだよ? 一応まともに見えるレベルまで何度か練習もしたんだよ。渡したものだって見栄えの良いものを厳選したの。
喜んで貰いたかった。
その気持ちまで否定されたようで。
ため息をこぼしていると、隣に座った彼がおもむろに一つかじった。がきんぼりんと、クッキーにあるまじき音がした。「にがっ、かたっ!」と感想を漏らす。
「まったく、どうやったらこうなんのか教えて欲しいぐらいだよな。歯ごたえありすぎ」
焦げたクッキーをしげしげ見つめて、出てくるのはだめ出しのみである。
「もういいよ。無理に食べなくて」
クッキーの袋を引ったくった。これは一方的な想いの残骸だ。これ以上貶されるのは流石に辛い。
私ばかり馬鹿みたい。
すると、頭を撫でられた。
「まぁ、食えないってこたないよ。お前が作ったにしてはな」
無言で寄越せと催促する手。
不意打ちの優しさに言葉が詰まった。文句を言いながらもバキンボリンと平らげてくれるから、何も言えなくなる。何なんだろう。気を遣うならもっと優しくしてくれたっていいのに。こっそり涙ぐんでしまう。
しかし「ピーピー」と無粋な音が、二人の雰囲気をぶち壊した。喜色を浮かべ、奴は立ち上がる。せっかく良いところだったのに!
「お、良い感じにできたじゃんか」
勝ち誇った顔でトレイをつきだしてくる。甘い匂いがぷんと漂った。うそ。すごく美味しそうなんですけど。絶句していると、皿に盛られたチョコチップ入りのロッククッキーを差し出された。
「ほら、プレゼントっつーならこれぐらい作ってくれねーと?」
食えよ、と自信満々に勧められ、焼きたてを恐る恐る一口かじった。熱っ! でもしゅわ、と音がして熱いクッキーがほろほろと口の中で崩れた。控えめな甘さの生地とビターチョコレートがとてもあっている。お店で売ってるクッキーのようだ。
「く、くやしい」
手が止まらなくなった。あまりに美味しかったので、ちゃんと食べるべくお茶の準備もしたくなる。紅茶を淹れようとすると、「やるから座ってろ」ポットと紅茶の缶を奪われてしまった。
「紅茶ぐらい私が」
「いいよ、俺がやる」
ムッとしたけど――奴は意外にも嬉しそうな顔をしていた。……あれ? もしかして照れてる?
小さく笑ってカップどれ、とキッチンに立つ姿が異様なほど似合っていた。先ほどの手際といい、何なんだろう本当に。好きだなって気持ちはどんどん膨れあがっていく。
付き合い始めて一ヶ月。学校で知り合って一年半。こんな特技があったなんて知らなかった。想像したこともなかった。あんな顔で照れる一面も初めて知った。可愛い彼女を演出しようとしたのに、見事お株を奪われたものである。
……完敗だ。どうしようもないほど。
惚れ直しちゃうよ。
「ていうか、お菓子つくれるの知らなかった。料理とかするんだ」
キレイにクッキーを盛りつけて、お茶しながら訊ねてみた。すると、奴はびきりと顔を引きつらせる。赤くなった顔を背け散々逡巡して、
「しゅ……趣味だからだよ。悪いかよ!?」
女として、彼女として、乙女としてのアイデンティティが、ガラガラと崩れていく。
どうしよう、この人、彼女にしたくなってきた。
読んで下さってありがとうございました。