11.食後のエクササイズですわ!
華園家の和室。
アーサー団長が国費を投じて空輸した『特選黒毛和牛メンチカツ(桐箱入り)』を平らげた凛音は、優雅に口元を拭い、ふうと満足げな吐息を漏らした。
「ごちそうさまでしたわ。サクサクでジューシーで、お肉の甘みが素晴らしかったですわ。……でも」
凛音は自身のお腹のあたりをそっと撫でた。
「少し、カロリーを摂りすぎてしまいましたわね。やはり『半額シールを巡る攻防』という事前の激しい運動がなかった分、お腹にずっしりと来ますわ」
その言葉に、正座で待機していたアーサーが弾かれたように顔を上げた。
「おお……!やはり、戦わずして得た糧では真の満足は得られないと!しかし凛音様、先ほどから気になっていたのですが……お父様とお母様はどちらに?これほどの大立ち回り、ご家族が心配されているのでは」
「あら?両親なら、今頃ハワイでバカンス中ですわ」
「バカンス、ですか?」
「ええ。わたくしが会社を辞めた日、『たまには羽を伸ばしてくるから、留守番は任せたわよ!』と、笑顔で旅立っていきましたの。だからわたくし、こうして立派に家をお守りしているんですのよ」
「……」
アーサーが感銘を受けたように深く頷く横で、佐藤課長が頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「ダンジョンの入り口がある家を、娘に任せてハワイ旅行!?どんな豪胆なご両親ですか!ていうか、連絡してください!お宅の裏庭が新宿大迷宮の最深部と直通してますって!」
「佐藤様、うるさいですわ。せっかくのリゾートを邪魔するなんて、育ちが悪くってよ?それに、お庭の『穴っぽこ』程度、わたくしのお掃除で十分ですもの。……そうですわね。せっかくですから、そちらにいらっしゃるアーサー君の部下の皆様、わたくしの『食後のエクササイズ』にお付き合いいただけないかしら?」
『マッスル課金:両親も大概スケールでかくて草』
『考察班A:そりゃ、このお嬢様を育てた両親だもんな……』
『ケーキ大好き:食後の運動(国家最高戦力との大乱闘)キター!』
「なっ……!我々精鋭部隊に、直々のご指導をいただけるというのですか!?」
アーサーが歓喜に震える横で、佐藤課長が「ヒッ」と短い悲鳴を上げた。
「ま、待ってください華園さん!住宅街のど真ん中で特務部隊と戦闘なんてしたら、この辺り一帯が更地になっちゃいますよ!!」
「あら、この辺りが更地?それは少し大げさですけれど……確かにお庭の盆栽を壊したら、お父様に怒られてしまいますわね。では皆様、あちらの『穴っぽこ』の中でやりましょうか。あそこなら防音もバッチリですわ」
凛音は自撮り棒にスマホをセットし、いつものバールを肩に担いで、裏庭のダンジョンゲートへと優雅に足を踏み入れた。
地下深く。紫色の岩肌が広がる高濃度魔素領域。
凛音の前に整列した特務部隊『聖十字』の面々は、信じられないものを見るような目で彼女を見ていた。致死量の魔素の中で、何の対策もしていないようなドレス姿の少女が平然と鼻歌を歌っているのだ。
だが、その中で一人、不満げに舌打ちをする若きエリート隊員がいた。
部隊の副隊長にして、氷魔法の天才と謳われるAランク探索者である氷室だ。
「……団長。いくらあなたのご友人とはいえ、我々『聖十字』を舐めすぎではありませんか?そのようなホームセンターの鉄屑で、我々の相手をするなどと」
氷室は凛音を鋭く睨みつけた。
「一部のネットではあなたを神格化する連中もいるようですが、俺の目は誤魔化せませんよ。どうせ、この高濃度魔素空間に立っていられるのも、何か特殊なマジックアイテムの力に決まってる。団長は騙されているんだ!!」
『真実を暴く者:よく言った氷室!目を覚ませお前ら!!』
『お庭の雑草:あら、今すぐお掃除されたい粗大ゴミが自ら名乗り出ましたわね』
『マッスル課金:あーあ、言っちゃったよ。バール(神器)を鉄屑って』
「あらあら」
凛音は全く怒る様子もなく、むしろ困った子を見るような慈愛の笑みを浮かべた。
「鉄屑だなんて。重心計算が完璧な現代の実用美ですのに。……それにあなた、スーパーのタイムセールを舐めていらして?」
「は?スーパー……?」
「ワゴンの前では、最新鋭の魔法もブランド物の鎧も意味を成しませんのよ。必要なのは、踏み込みの速さと、おば様方のタックルをいなす体幹。……さあ、かかってきなさいな。食後の良い運動になりそうですわ」
凛音の言葉に、氷室の額に青筋が浮かんだ。
「ふざけるな……!俺の『絶対零度』で、そのふざけた口ごと凍らせてやる!!」
氷室の杖から、Aランク特有の凄まじい吹雪が放たれた。触れたものを一瞬で氷像に変える、必殺の魔法。
だが、凛音はバールを軽く――本当にただお肉の筋切りでもするように――ふわりと振った。
――パァァァァンッ!!
バールの先端が空気を叩き潰し、不可視の衝撃波が発生。氷室の放った絶対零度の吹雪は、まるでガラスのようにパリンと粉々に砕け散った。
「えっ?」
氷室の間の抜けた声が漏れた直後。
「氷はもう少し細かく砕かないと、お魚コーナーの鮮度が保てませんわよ!はい、ワン!ツー!スリー!メンチカツ!コロッケ!メンチカツ!」
凛音がスッと前傾姿勢になったかと思うと、一瞬で氷室の懐に潜り込んでいた。
バールの「腹」の部分を使った、優しき峰打ち。その一撃はAランクの魔力障壁を紙切れのように貫通し、氷室の体を空高くカチ上げる。
そのまま凛音は、部隊の面々の間を「タイムセールのワゴンに群がる主婦を躱すような滑らかなステップ」で駆け抜け、屈強な男たちを次々とバールで弾き飛ばしていった。
『ケーキ大好き:掛け声が全部揚げ物www』
『考察班A:一切の無駄がない……!魔法の発生源をバールで物理的に叩き潰してる!』
『真実を暴く者:ワ、ワイヤーアクションだ!絶対にワイヤーで吊ってる!!』
開始からわずか三十秒。
ダンジョンの隅には、気絶した氷室を含む特務部隊の面々が、見事なピラミッド状に積み上げられていた。
「ふぅ……。軽く汗をかきましたわ。良い腹ごなしになりましたわね!」
凛音が清々しい笑顔で額の汗を拭う横で、アーサーは目を輝かせて手帳に猛烈な勢いでメモを取っていた。
「なるほど……ワゴンの前では大振りをせず、重心を低く保つ……コロッケとメンチカツのリズムで敵を捌く……!これが、真の強者の極意……!!」
「ちがう!絶対に違うからアーサー団長!!」
佐藤課長が胃薬の瓶を丸ごと飲み込みながら絶叫したその時、ピラミッドの頂点からゴソッと音がした。
「……う、うぅん……」
気絶していた氷室が、ゆっくりと目を覚ましたのだ。
彼は弾かれたように身を起こし、周囲を見渡した。自分の放った必殺の魔法が、ただの鉄屑の一振りで粉砕された記憶が鮮明に蘇る。あれは、魔法の威力を超えた何かだった。空間そのものを掌握し、絶対的な「理」でねじ伏せる、神の如き一撃。
(俺は……なんという御方に、あんな暴言を……!)
氷室はガタガタと震えながら立ち上がり、凛音の前に進み出た。
そして、日本の最高戦力であるAランク探索者のプライドを完全に投げ捨て、深々と、それはもう見事なスライディング土下座を決めた。
「も、申し訳ありませんでしたぁぁぁ!!!」
「あらあら、急に大きな声を出して。まだ寝足りませんの?」
「違います!俺は……いえ、私は!自らの傲慢さと無知を恥じております!あなた様のその深淵なる力……バールによる完璧な重心移動と、メンチカツのリズム!まさに神業!私は、神の御業を前にして、鉄屑などと……っ!」
氷室は感極まってボロボロと涙を流し始めた。
「凛音様!どうかこの愚かな私を、あなた様の『下僕』として……いえ、お庭の草むしり係としてお側に置いてください!!」
「え?お庭の草むしりなら、先日わたくしが終わらせましたけれど」
「では、その抜かれた雑草として踏み躙ってください!お願いします、凛音様ぁぁぁ!!」
『マッスル課金:ファッ!?氷室がぶっ壊れた!?』
『考察班A:Aランクのプライドがジェノサイドされてて草』
『お庭の雑草:……!まさか、私と同じ境地(雑草)に至る者が現れるとは……!歓迎いたしますわ、新入りの雑草さん!』
「……アーサー君。あなたの部下、少し頭のネジが外れていましてよ?労災で病院に連れて行って差し上げて?」
「はっ!氷室め、一度打ちのめされただけで凛音様の偉大さに気づくとは、なかなかに見所のある男です。私が責任を持って、凛音様への忠誠心を叩き込んでおきます!」
「絶対意味ちがうけど!?華園さん、あなた何人の国家戦力を狂わせたら気が済むんですか!!」
佐藤課長の血を吐くようなツッコミをBGMに、氷室の「最高ですわー!」という謎の歓声が、閑静な住宅街の地下深くに虚しく響き渡っていた。




