第9話 春合宿二日目、猫の笑顔はあたたかいけど眠い
202X年、4月29日 朝
「おい、そこの見るからに寝不足なバカ二人」
ギクッ。
見回すと食堂は朝の戦場だった。
配膳口のトレイがカタンと鳴って、列が一瞬詰まる。味噌汁の湯気が眼鏡を白くする。
…現実逃避にも限度がある。
リン先輩が明らかにこっちを向いている。
「タマキくん、呼ばれてるゾ♡」
「いやいや、ナツキさん。きっとあなたですよ」
「二人っつったろ、バカども」
逃げられないようだ。
「あのな?一年生に無理させないためにも、二年生以上が率先して寝ろよ?わかってるな?」
「「タマキ(ナツキ)が寝かせてくれなくて」」
「それ以上言い訳したら拳骨な」
「「ごめんなさい」」
「今日一日一回でもあくびしたら拳骨」
超高難度ミッションが追加されてしまった。
テーブルの向こうでは、カズネがトーストを両手に持ちながら叫んでいる。
「見てください! パンに顔描いたらメグミちゃんになったんですけど!」
「やめてぇぇ!」
メグミが全力でツッコミ。
フユミはその横でちまちまと眠そうにしながらソーセージを食べている。ハムスターかな。
シンジが「アキハ、その服どこで買ったん?」と話題を振り、
アキハに「黙って食べなさい」と微笑んで返されている。
美男美女の会話は絵になるな。
にぎやかさと静けさの混ざった朝。
今日も一日忙しくなりそうだ。
◇
午前。
春合宿のメイン――班別発表会の準備時間が始まる。
テーマは「大学生活をもっと面白くする企画プレゼン大会」。
「はい、じゃあ各班、準備に入ってねー!発表は午後から!」
「一番出来の良かった班は、夜の片付け免除な」
カオル先輩の号令とリン先輩の発破で、全員が教室サイズの会議室に散っていく。
俺たちの班は、アキハ、カズネ、メグミ、フユミ、そして俺。
「さて、何かアイデアある?」
俺が聞くと、すぐに手を挙げたのはカズネ。
新入生たちは、昨日テーマを聞いてから夜通し議論していたらしい。
こういうところで、すぐ手を挙げられるのは貴重な資質だ。
「はいっ、“春の推し先輩ランキング”とかどうですか!?」
「却下!」
「えぇぇぇぇ!?」
アキハが即座にツッコむ。
「それ昨日の延長戦でしょ!?」
「楽しいのに~!」
メグミがバニララテを飲みながら呟く。
「“癒やしルーム”とかどうですか~。疲れた人が休めるスペースをつくるとか~」
「悪くない。イベントとして成立しそうだ」
…バニララテなんて自販機にあったか?
メモを取りながら、フユミが静かに続ける。
「安全対策とやれることのバランスが必要ですね」
「たしかに!挑戦も大事だけど、癒しにはバランスが必要だよね!」
「わからないところは先輩を素直にたよりましょ~」
「…おお、いいじゃん」
アキハが褒めつつ、少し考え事をしている顔をしている。
うん、まあ、これ、昨日の卓球場の騒動聞かれてたな。
でも、まあ合宿で素直に寝る奴らなんていないので突っ込まない。
そのまま、企画用ポスター作成に入る。
一年生主体で、アキハが補佐に入っているが、こうなると俺は役立たずだ。
女性陣がきゃっきゃとお絵描きをしているところに口は出さない。
「色合い、どうします?」
「春だから明るめがいいね」
アキハの言葉を受け、フユミが淡い桃色の画用紙を選ぶ。
「似合ってるな」
思わず口をついてしまった。
「色が、ですか?」
「うん。なんか、フユミっぽい」
「……そうですか?」
頬がほんの少しだけ赤くなった。
メグミが横からにやりとつつく。
「ふふ〜、青春してる〜」
「し、してないですっ!」
「してるよね~」
「ネー。センパイ、私も似合ってるって言われたいです!!」
そのやりとりを、アキハが笑って見守っていた。
「タマキのセンスに期待しちゃだめよ」
「おい、待て」
「服も絵もセンスが壊滅的で、服装もほとんど私が揃えてあげてるんだから」
「一年生に言う必要あったか、それ?」
事実だけに強く反論できない。
「そうなんですか!?タマキセンパイ、絵描いてみてくださいよ!!」
「絶対ヤダ。ほら、ポスター作り急げ」
「ごまかさないでくださいよ~」
「ヤダ。いつか、そのうち見ることもある」
「…私も見てみたいです」
「フユミまで!?」
四人が笑う。
まあ、笑ってくれるなら何でもいいか。
◇
昼休憩を経て、広間に机とマイクが並び、班別発表会が始まった。
「はいはーい! 司会はわたし、マシロでーす!」
「ふ、副司会のマヨイです。静かに聞いてくださいね」
双子のコンビ司会が完璧なテンポで進行する。
最初の班、ナツキ班は……まあ、派手だった。
寸劇つき。無駄に完成度が高い。イズミの仕込みだな、あれは。
観客大ウケ。
「次の班がプレッシャーだね」
アキハが苦笑いする。
まあ、うちの班が次なんだけど。
俺が無意識にあくびを呑み込むと、背後からレーザーポインタみたいな視線。
リン先輩、見てる。危ねえ。
「それでは発表を始めます!」
カズネが元気よく手を挙げた。
うん、いいスタートだ。
「まず、大学に必要なものは何か!私たちは、“縁の交差点”だと思います!
大学生活の中で、たくさんの人と出会って、仲間を作って、そしてまた後輩に伝えていく。そうやって“繋がっていく場所”があるといいな!と思いました!」
メグミが落ち着いた口調で補足を続ける。
「“交差点”という言葉には、“通り過ぎる人も大切”という意味を込めました。短い時間でも、この場所で出会った人たちを大事にしたい――そんな思いを込めています」
「そのために、私たちは、“癒やしルーム”という提案をします」
フユミが緊張した面持ちで前に立つ。
けど、声はしっかり通った。
「……大学生活って、自由で、でもちょっと不安で。
その中で、“続けること”が一番難しいと思いました。
だから私たちは、日々の小さな安心と癒やしが得られる場所が欲しいな、と考えました」
「交流の場でもあり、一息休める場でもある。
そんな場所が用意出来たら、きっと、誰かのためになるんじゃないかな、と思いました」
資料を示しながら、淡々と説明していく。
俺とアキハも後ろでフォロー。
だが、正直、思った以上によくまとまっていた。
発表が終わると、小さな拍手が起きた。
マシロ先輩がマイクを取る。
「すごい! 実現したら絶対行きたい!」
「わたしも、休みたい時に使ってみたいかも」とマヨイ先輩。
笑いと拍手。
発表が終わると、カオル先輩が近寄ってきて小声で言った。
「すごくよかったわ。“交差点”って表現、いいじゃない。
本部に提案できる。既存の休憩スペースを“交差点”名義で改装する予算組めるかも」
「であれば、うちの一年生達をメインで。ただし、急がせずに。サポートは俺がします」
「もちろん」
最終審査。
優勝はナツキ班に持っていかれた。
拍手の中、カズネとメグミが言う。
「うー、負けちゃいましたけど、楽しかったです!!」
「ですね〜。疲れましたけど、楽しかったです〜」
「ま、かなり上出来よ。よかったと思うわよ」
アキハがフォローしているが、実際出来はよかったと俺も思う。
フユミが、少しだけ笑って言う。
「……こういうの、悪くないですね」
「ん?」
「みんなで作る感じ。少し、好きかもしれません」
その笑顔は、合宿前よりもずっと自然だった。
紅茶よりも、春風よりも、あたたかい。
鎧が少し脱げた音が聞こえた気がした。




