第38話 ケーキと猫パンチ
202X年、6月下旬 夕方
大学から地下鉄で二駅、東西線に乗り換えてさらに三駅+徒歩七分。
大学から少し離れた住宅街の角にある、小さなパティスリー。
ショーの前に約束したとおり――今日はフユミとケーキだ。
「二名さま、こちらへ」
四角い皿に黄金色のフォーク。窓際の席に、俺とフユミが向かい合って座る。
「……ケーキ見に行きましょう」
「わかった」
座るなり、そわそわしながら、店の入口近くのケースに行く。
実物を見たいタイプ。俺も気持ちはわかる。
ガラスケースを覗く。季節のショートケーキ、チョコレートムース、ベリーのタルト。どれも綺麗だ。
「……迷います」
「わかる」
落ち着いている風を装いながら、楽しんでいるのがわかる。
店員さんと目が合った。
うん、可愛いですよね、この子。
そのまま、フユミが決めるまで待ち、注文し、席に戻る。
俺はバスクチーズケーキとダージリン。フユミは苺のミルフィーユに、ロイヤルミルクティー。トレーが運ばれてくると、彼女が少しだけ身を乗り出す。
「食べましょう」
「うん、いただきます。店選んでくれてありがとうな」
聞いてない。もうちまちま食べてる。
尻尾と耳がぶんぶんしてるのがわかる。
可愛いな。
「タマキさん」
「ん?」
「早く食べて、私にも一口ください」
「わかった」
うん、美味い。
欲しいのを主張するのはいいことだ。
「……しあわせ、ですね」
「美味しいケーキ食べてる時の“今”は、たしかに最強だな」
「はい。あと、ゲームでレアドロ出た瞬間と同率で最強です」
「わかる」
竜槍ゲイボルグとかな。
「そういえば、先日FFしてた時のことなんですが」
「ああ、戦闘中にいきなりフユミがスクショ撮り始めて全滅したときの」
「すみません。……“今しかない”って思ったら指が」
「SS勢の性よ」
「いや、すみませんでした。
そうではなく、レイコちゃんから改めて、『秘密でお願いします』って来てました」
「元々言う気ないけど、わかった。
ちなみにコウメイ先輩から俺にも改めて『秘密で頼む』って来てたぞ」
俺たちは秘密を共有した悪い笑みを浮かべる。
先日、コウメイ先輩と俺と、先輩の彼女フユミの四人でゲームしたのだ。
先輩の彼女は、レイコさん。
薬学部、つまりコウメイ先輩の学部の後輩で、なんと偶然フユミのゲーム友達。
まあ、そういうこと。
「コウメイ先輩的には、今事務局でバレるとめんどくさいって思ってるんだろう」
「攻略難易度で言えば、コウメイ先輩も“高難度”なのに、レイコちゃん、凄いです」
「わかる。あの人、最初にギミックミスると取り返し付かないタイプ」
「タマキさんも“高難度”ですよ?」
「そうか?俺は簡単だよ。フユミの方が難しい」
「私は事務局の中では、簡単に攻略できる方だと思ってますよ」
「自己評価、低くない?」
「……低くないです」
ちょっとだけ、むくれる。耳たぶが、少し赤い。
最近やってるゲームの話、新作の漫画の話。
看護学科の授業が難しいという話。
双方口数が多いわけではないが、趣味嗜好がかなり近いというのはやはり話しやすい。
ケーキが半分ほどになったところで、彼女が俯いて、もぞ、と皿の縁を指で撫でた。
「――昨日、メグミちゃんだけ撫でられてて、ズルいです」
うん、そうだよね。
本題それだよね。
「うん、フユミも書類一緒に作ったもんな」
「はい、私とカズネちゃんも一緒に作りました」
むくれてる。
「えーと、今撫でる?」
「正気ですか?部室でもギリなのに、こんな外で触れたら引っかきますよ」
でしょうね。
「じゃあ、この後うち来るか?」
「行きます」即答。
逡巡がない。もともとそのつもりだった、と言わんばかり。
「そういえば、一昨日――女子会として、カズネちゃん達も泊まったって聞きました」
「あー……俺、許可してないし、そもそもいなかったけどな。勝手に会場に指定されてた」
「ズルいです」
「あー……なるほど、そこまで計算ずくか。なら今日泊まるか?」
「バレました?はい、泊まりますので、帰りに私の部屋寄ってください。着替え持ちます」
「わかった。パジャマとか好きに置いてっていいぞ」
「徹夜で何かクリアしましょう。クロノトリガーか聖剣伝説とか」
「いいねぇ、最高に大学生な時間の使い方だ」
彼女の口元に、音にならない“やった”が浮かんだ。
全部計算づくか。
まあ、別にいいや。
ケーキの皿が空になる速度が、会話の弾みとちょうど釣り合った。
食べ終わり、会計。
外に出て、地下鉄までの並木道を歩く。
フユミの歩幅が少しだけいつもより速い。
「ところで、さっきちょっと言いたかったんですけど」
「なんだ」
「タマキさん、さっきの『いいねぇ』の言い方、小物の中ボスっぽかったです」
「俺、中ボス好きだもん」
「中二病卒業した方がいいですよ」
◇
帰り道にコンビニで牛乳と晩御飯と称してカップ麺の補充。
ついでに、コントローラーを汚さず食べられるタイプのお菓子。
…ナツキとアキハに見られたら怒られるな。
フユミの部屋に寄って、リュック一つ。化粧ポーチ、薄手のパーカー、歯ブラシ等の一般的な女の子お泊りセット。
「パソコン用コントローラー何使ってます?」
「プレステ4」
「何個あります?」
「予備込みで3つ」
「なら同じの使ってますし、大丈夫ですね」
多分そこ心配するのは一般的な女の子ではない。
でも、大事。
部屋に着くと、フユミは廊下でそっと靴を揃え、エコバッグをキッチンに運び、洗面台で手を洗ってから、ソファの端にちょこんと座る。
「緊張してる?」
「してます」
「なんで」
「“撫でてほしいです”って、ちゃんとお願いするの、人生で初めてなので」
「まあ、中々聞かないお願いだよな」
「……変でしょうか」
「いや、上手にお願いできて偉い」
「にゃふ」
笑いが少しだけほどける。
テレビとパソコンを繋いで、視線を送ると、彼女が先に言った。
「ゲームは、あとでいいです。……今は、撫でるのが先です」
「はい」
彼女は膝を揃えてソファに座り直し、両手を膝の上で組んだ。深呼吸一回。
「……いっぱい、撫でてほしいです。だだ甘えモードで、お願いします」
「承りました」
「もう、めんどくさくなったので、諦めて、がっつり甘えます」
「外面って大事だけど大変だもんな」
「我慢して距離取って、気にしないふりして、そういうの、めんどくさいので――」
ちょこん、と俺の胸元に額を預けてきた。
十分。二十分。指先のテンポを変えずに、時々手のひら全体で包み、また指の腹に戻る。彼女の頬がうっすら熱い。膝の上に置かれた手が、そっと布をつまむ。“ここにいる”の印。
「……あの、タマキさん」
「うん」
「“何もしない”って、言ってくれますか」
「何もしない。安心していい」
「……ありがとうございます」
信頼を裏切るくらいなら、舌嚙むっつーの。
スマホが、机の上で震えた。画面を覗く。ナツキ。
《今日の飲みは宅飲みに移行しそう。そのまま泊まる。》
《了解。おやすみ》だけ返す。
「……ナツキさん、ですか」
「正解。今日は友達ん家泊まりって」
「ラッキーです」
「未だ怖い?」
「……見られる可能性の有無は、甘え心地に直結します」
「そんなもんか」
「ふにゃ」
そんなやり取りのせいか、何も考えずに発言する。
「――そういえばさ」
「はい」
「ナツキの仮面が外れたのも、大体去年のこの時期だったなぁ」
ぴしっ、と猫パンチが胸元に入る。痛くはないが、意味は強い。
「タマキさん、デリカシーないって、よく言われません?」
「なんで知ってんの?」
「…“よく言われる”って、自覚あるんですね」
顔を上げる。すごい目。声は優しいのに、刃はちゃんと立ってる。
「女の子と二人きりの時に、他の女の子の名前出すのは、デリカシーに欠けます」
「すみませんでした」
「よろしい」
ぴと、と額が胸元に戻る。猫パンチ→添い寝までが一連の動き。芸が細かい。
「じゃ、和解のしるしに、もっとしっかり甘えます」
「はいはい」
そのまま、するりと俺の膝に体を乗せてくる。
丸くなって、腕の中。俺は、撫でるだけだ。
「……眠いです」
「寝れば?」
「…ゲームは起きてからやります」
「夜食を食べながらな」
「先にやっててもいいですけど、シルバード手に入れるところは見たいです」
「わかる」
「撫でられると眠くなるのは、仕様なので、悪いのはタマキさんです」
はいはい、と頭をまた撫でる。
呼吸がゆっくりになる。
フユミの指先が少しだけ布をつまむ。
「おやすみ」
返事はない。必要もない。
膝の上の重さは、もう完全に夢の重さだ。
ちょっとでも動くと、眉が困る。動けない。
なら――
「……仕方ない」
テレビの接続を切り替えてパソコンに繋いでゲームを起動。
コントローラーを片手で持てるポジションに、そっと、そっと体勢を合わせる。
タイトル画面。時計の振り子。
この曲大好きなんだよなー。
「今夜一晩でクリア、か。まあ無理だな」
フユミの指が、睡眠中の子どもの癖みたいに、シャツの裾をつまむ。
つままれた布が、呼吸に合わせて小さく引っ張られる。
「……はいはい。離れないよ」
大学生の夜は、こういうのでいい。
起きたときに進めすぎてたら文句言われる気がするので、程々に。
――何かが進んだあとの、普通の夜を、ひとつ。
こういう夜も、悪くない。




