第22話 最北大学学生事務局における『好き』とは
202X年、5月XX日 昼
午後の部室は、穏やかな光で満たされていた。
机の上にはレポートと紅茶。
窓をすり抜ける風が、紙を一枚めくる。
「みんな~! 質問いいですか!?」
扉が開く音と同時に、突然の声。
本日の天気は晴れ時々カズネの号令。
…昨日の続きをここでやる気なんだろうな。
監査役の腕章(紙)を二の腕に巻いたアキハが、溜息まじりに微笑みながら一緒に入ってくる。
「私は監査。暴走したら止める係」
「止める気ある?」
「必要ならね」
まあ、見守るか。
……メグミはいつもどおり、ブランケット半分かぶって“すみっこ定位置”。
「また唐突だな」
「事務局OGのヒカリさんという方が今度のショーで“好き”をテーマにしてるって聞いて、みんなの“好き”を集めてるんです!!」
「ああ、あの人か。なるほど、ならば協力しよう。
“好き”とは“力を入れなくていいこと”と俺は定義する」
コウメイ先輩はペン回しを止めずに即答した。
さすがコウメイ先輩、判断が早い。
「“力を入れなくていい”、ですか?」
「ああ、努力しなくてもいいと言い換えてもいい。
どれだけ努力せずに付き合えるか、の深度を、形を問わず“好き”としたい」
「か、かっこいい!」
「コウメイ先輩、今彼女は?」
「ノーコメントだ」
先輩は、アキハの追撃をサラッと交わす。
笑いが広がる。
……黙っておこう。
「対象その2!シンジ先輩は!」
「“好き”って言葉で誤魔化すやつ、僕嫌いなんだよな。
……でも、本気の“好き”は、言葉にしなくても伝わるんだよ。
故に、“言わなくても共有できるもの”と答えようか」
「おー!なんか頭の良さそうな回答ですね!!」
「カズネ、騙されるんじゃない。こう見えて、シンジは結構女の子とっかえひっかえしてる」
「やかまし」
実際シンジは顔面偏差値も相まって、モテる。
イズミとはまた違った意味で、彼女が途切れないタイプだ。
……だからこそ、言わなくても共有できるもの、とシンジが答えたのは俺もちょっと興味深い。
こういう時、ごまかさないのが、シンジのいいところなんだよな。
「対象その3!メグミちゃんは!」
メグミがストローでバニララテを吸って、半分眠そうにしている。
「……“サボっても、一緒にいてくれること”」
「サボる前提っ!?」
「サボる時間が、いちばん“素”が出る。そこで嫌な顔されないの、好き」
「わかる~~~~!」
「それって大事よね」
カズネとアキハが大きく頷いている。
俺も頷く。
メグミのそういうところ、良いと思う。
「さて、なんか聞くのが怖い気もしますが、大本命!ナツキさん!」
「待ってました♡
『私が全力を持って愛をぶつけるもの』ね」
「ぉぉ……」
「うっわ」
「ナツキ、去年、二人目と別れた理由『相手が全力に耐えきれなくなった』じゃなかったけ」
「あれはすごかったよな」
「何よ、なんか文句あんの!?」
カズネが言葉を失っているうちに二年生三人の集中砲火を食らうナツキ。
まあ、非常にナツキらしい、とは俺も思う。
その時、部室の扉から音がする。
「……遅れてすみません」
「歓迎。いま、君の番だよ」
「?」
ある意味タイミング悪く、フユミが来た。
アキハが柔らかく促す。
「“好き”ですか。
今まで私、好きになった人っていないのですが……」
「まぁまぁまぁ、いい機会だし、考えてみて!!」
カズネのこういう押しの強さ凄いけど、真似できん。
「そうですね…………」
両手の指先で、マグの取っ手を一度なぞってから、言う。
「“寄り添いたいと思えること”でしょうか」
息を足して、もう一言。
「……一人は楽です。
でも、それでも誰かに“寄り添いたいと思えること”があれば、それは、私にとって“好き”と言えると思います。」
誰も口を挟まない。
フユミは、言い切れた、と自分で分かったのか、肩の力が少し抜けた。
メグミがふにゃっと笑って、カズネが「いい~~!」と手を叩く。
シンジは無言で書類に顔を戻し、コウメイ先輩は頷き一回。
「監査所見:概念設計が秀逸。満点」
「点数制だったのかよ」
「カズネ、ちゃんとヒカリさんに送っておいてな」
「はーい!集まった“好き”送っておきます!!」
笑いがほどけて、取材は終了。
ブランケットはたたまれて、紅茶のカップは流しへ。
扉が閉まる直前、春の光が白い床をひとつ撫でた。
◇
部屋の灯りを少し落として、歯を磨き終えた頃。
布団を敷いていると、ベッドから、柔らかい声が飛んできた。
「タマキ、今日はこっちで寝なよ♡」
いつもの調子で、いつもの声。
だからわかる。
今日の取材の影響だろうな。まあそんな気はしてた。
「……なに企んでんの?」
「んー、なんとなく?♡」
…思うところがあるのはわかるが、中身はわからん。
とはいえ、この手の呼びかけに逆らって勝てた試しがない。
「……逆らっても無駄なんだな、ハイハイ」
「よろしい♡」
ベッドに潜り込むと、ナツキは待ってましたとばかりに腕を回してきた。
抱きしめるというより、捕まえられるに近い。
ナツキの腕は、意外と力が強い。
俺は黙って頭を撫でる。
同じシャンプーのはずなのにいい匂いするから困る。
「今日の取材どう思った?」
「ナツキらしいなって」
「タマキはなんて答えたの?」
「“その人の幸せを見たい”」
「やっぱりそういうこと言う。ほんとバカ」
……俺は泣いていいかもしれない。
「……」
「……」
沈黙。
心臓の音がバレないといいが、まあ無理だろう。
…あれ?時計が進む微かな音がしない。
「……襲われても怒んないことくらいわかってるでしょ?」
「その場合、ナツキが合鍵を置いていくことくらい分かってる」
「ならよし♡♡」
抱きしめる力がさらに一段階上がる。
ほくそ笑む気配もする。
この“線引きの確認作業”を、彼女は儀式みたいに大切にする。
俺も、それをわかってて受け入れている。
……が、しかし。
それはそれとして、問題はある。
「……」
「……ねえ♡」
「だまれ」
「固くなってるよ♡♡」
「言わない優しさ不足!!」
思わず突っ込むと、ナツキは肩を震わせて笑った。
笑いながら、指先が俺のシャツの袖をいじる。
「手でしてあげよっか?」
「絶対手だけで終われないからダメ」
「ちぇー♡♡」
ひとしきりふざけ合って、呼吸がゆっくり揃っていく。
「タマキ」
「ああ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
エアコンの送風がカーテンをほんの少しだけ膨らませる。
抱きしめる腕はそのまま、二人の呼吸が、ゆっくり、深くなっていった。
結論だけ言うと、その夜『も』――
本当に、何もなかった。
抱きしめて、撫でて、少しふざけて、ちゃんと眠った。
ちなみに、やっぱり目覚まし時計は止まっていたので寝坊した。




