第1話 新入生、二千人。
※この作品はフィクションです。実在の団体・個人とは一切関係ありません。
※作中の登場人物はすべて20歳以上です。
202X年、4月1日
「新入生のみなさん!! 入学おめでとうございます!!」
巨大な体育館の反響が、胃の裏にドンと来る。ざっと見積もって二千人。黒い海だ。
なんで、俺がこんな大人数相手に声を張らねばならないんだ。
マイクを握って、用意してきた台本の一行目をもう一度だけ目でなぞる。
「この大学は、敷地がえげつないです。
端から端まで――えー、二十キロ?歩くと死にます。
自転車か、校内バスをぜひ。健康は大事ですが、命はもっと大事です」
笑いが波打った。よし、固さが少し取れた。
「大学では、いろんなサークルや部活が歓迎してくれます。
面白そうだなって思ったら、とりあえず顔を出してみてください。
合わなきゃやめればいい。合えばラッキー。
大学の四年は長いようで短いです。やりたいことは“今”始めるのが一番コスパいいです」
予定にはない言葉が、口から勝手に出る。
マイク越しに、前列の何人かがうなずいたのが見えた。
……ああ、俺も、去年あそこで頷いてたなぁ。
「それでは――この後の説明会、楽しんでください!」
拍手が広がる中、一礼して舞台袖に滑り込んだ。
「おつかれ」
最初に声をかけてきたのはシンジだった。
ウェーブ気味の前髪をかきあげながら、薄く笑う。
「やっぱタマキが喋って正解だな。新入生が親近感持ちやすい」
「シンジが喋ったらイケメンすぎて女の子が話聞かねーからだろうが」
「イケメンは罪か……」
「謙遜って知ってる?」
横からスカジャンをギラつかせながらイズミが肩を組んできた。
「去年の文化祭、シンジが即興やって台本吹っ飛ばしたの忘れたんか? だから喋らせなかったんだろが」
「お前はスカジャン脱げよ。それでも、俺よりもっと適任がいただろ――」
「はいはい、じゃれ合ってないで働け男ども。忙しいんだから、案内係まわってー」
アキハがタブレットをひらひらさせて近づいてくる。
175cmのモデル体型の美女がヒールを履いているせいで圧があるが、するりと仕事を渡すのが上手い。
「このあと中央棟→学食→体育館の順。遅れたら私のせいにしていいから」
「優しい」
「でしょ? 私は問い合わせ窓口としてここで休んでるから」
「優しいって褒めたの返して?」
「クーリングオフは不可能でーす」
緊張していたことを誤魔化すように、舞台裏でじゃれあっていると、向こうから、せかせか歩き回っているコウメイ先輩が紙束を抱えて近寄ってくる。
あ、これは時間切れだ。ターゲットは……俺か。
シンジとイズミ、アキハがサッと動き出してるし……こいつら。
「タマキ、午後の全体スケジュール最終確認。三分くれ」
「はい」
「その後、玄関案内の補助後、持ち場へ。やれるな?」
「はい」
……さあ、今日もブラック企業顔負けの労働開始だ。
◇
昼は“人の波を捌くゲーム”だった。
中央棟で迷子が十人。学食の席取りでプチ戦争が三回。
体育館の案内中にルール違反のサークルが新入生を連れていこうとしてリン先輩に制圧されていた。
「心配すんな、ちょっと、オハナシしてくるだけだ」
そう言って両手に人間一人ずつ持ってる四年生のリン先輩は、マジで頼りになる兄貴って感じだけど、なんでうちのサークルにいるんだろうな。
のっしのっし歩いていくリン先輩を見送っていると、そばにいた新入生が話しかけてきた。
「あの、先輩」
「ん? なんでも聞いてくれ。」
「あの、リンって名札つけてるめちゃくちゃ強そうな先輩、何者なんですか?」
「ごめん、わかんない」
なんでも聞いてくれって言ったのに答えられなくてごめん。
笑って、走る。走りながら先輩面をする。
水を配って、ごみ袋を替えて、質問に二十秒で答える。キッツ……。
でも去年の先輩達もこれやってたんだよなぁと思うとちょっと回復する。
昼。学食の端っこ。紙コップの味噌汁がやけに沁みる。
ふと視線を向けると、学食の入り口付近で一年生が固まって、緊張しながら会話をしている。
うんうん、交流せよ、大志を抱け、若者たちよ。
あそこは、上級生の出番じゃない。
俺は紙コップをくしゃっと潰して、ゴミ箱のリングに放った。
すぽん、といい音がして気持ちよく入った。
「お、入った」
「タマキ、そういうのだけ無駄に入るよな」
「“だけ”言うな」
シンジが笑って肩をどついてくる。
通りすがりの一年女子が小声で言った。
「今の人、さっきマイク持ってた人じゃない?」
「そうそう。なんか、程よいレベルで安心する見た目してる」
「もう一人の人は超イケメンだったね!!」
安心する見た目、って初めて言われたジャンルだな……。褒め言葉だと信じたい。
◇
夕方。体育館脇の仮設テントで備品の数を数えていると、スマホが震えた。ナツキからだ。
《今日の飲み会は二次会か三次会まで出ておこうかなって思うけど、タマキは?》
《俺は疲れたし、一次会だけにする。》
《了解。じゃあ先に寝てていいゾ♡》
「緊急案件か?」
イズミが予定表を確認しながら聞いてくる。
「いや、飲み会どこまで出るかの確認」
「あー、タマキはどうする?」
「一次会→片づけちょい→帰宅、の予定」
「今日くらい片付けせずに帰れよ……まあいいや。じゃあ一次会は俺が幹事やるから、早めに抜けろ」
「二千人全員は来ないけど、二百人くらいは新入生来るだろ。いいのか?」
「なんとかなるだろ。夜が本番のやつ多いし、任せとけ」
「ありがたや」
イズミのこういうところは、ほんと助かる。
代わりに、たぶんあとで面倒事で相殺されるのだけど。
◇
一次会は、騒いで、騒いで、騒いだ。
俺はビール一杯で押し切る。乾杯のあとにすぐにウーロン茶を頼むのがコツだ。
先輩が率先してソフトドリンクにいくと、新入生の中にも「ああ、無理しなくていいんだな」と読めるやつがいる。
……今、目があった黒髪の女の子とかな。ああ、なるほどって顔してたし。
途中、アキハが背中を小突いてきた。
「タマキ、これ。部室の鍵。寄るんでしょ?」
「……なんでバレてんの、マジで。アキハに隠し事する方法ないの?」
「見てりゃわかる。私はどうせ帰りにばらばらになる新入生を、ある程度面倒見てから帰るわよ」
「悪いな、任せて」
「どっちもどっちでしょ。帰ったら寝なさいよ。あと、明日も新入生に見られるんだから、私が用意した服着なさいよ」
「……はい」
優しい。そして観察眼が鋭すぎる。これがアキハだ。
全体が落ち着いてきたタイミングで、俺はイズミに目で合図。イズミが肩で「任せろ」と返す。
心の中で手を合わせて、店を抜けた。
◇
学校に戻り、部室が近づいてくると、電気がついていた。
誰もいないはずなのに、と思いつつ、何となく心当たりがあるなぁと考えながら鍵を開けて入ると――やっぱり。
奥の長机の端に、三年生のコウメイ先輩がひとり。書類を広げて、赤ペンで線を引いている。
相変わらず眉間に皺を寄せているが、正直この人がいないとうちは回らない。
最強の頭脳だ。
「片付けは明日でもいいぞ」
「それ、先輩が言うと説得力がゼロです」
「……気になってな」
「わかります」
俺は椅子を引いて、掃除機のコードを伸ばす。
床に落ちたホチキスの針、ガムテのちぎれ、紙屑。
掃除機の先をすべらせるたび、今日のざわめきが少しずつ遠ざかっていく。
三十分ほどで軽い片付けを終えると、扉がバン! と開いた。
「おいっすー、帰れ帰れ、男ども!」
四年生のカオル先輩が片手をひらひら振って入ってくる。白すぎるほど白い肌。
……黙ってりゃ美人なのに喋ると一気に賑やかな空気になる。
「カオル先輩だって来てるじゃないですか」
「あんたらがほっといたらこのまま仕事始めるのがわかってるから、わざわざ来てあげたんでしょーが」
「……タマキ、逆らうだけ無駄だ。帰る準備しよう」
「はい、解散。今日は“帰る日”。明日は明日でうちのサークルの新入生歓迎会があるんだからね」
「はい」
カオル先輩は常にニヤニヤした笑顔を絶やさない。
でも、スイッチが入ったときの顔は完全に“仕事の顔”だ。
そういう二面性が、うちのサークルにはちょうどいい。
俺は二人と一緒に戸締りを確認し、部室を出る。
外に出ると、夜風がちょうどいい冷たさだった。春の匂いがする。
二人におやすみなさいと告げ、自分の家に向かってわずか三分の距離を歩きながら、ふとスマホを見る。
ナツキからだ。
《二次会なう。多分三次会もある》とだけ書いてある。
スタンプ一個で返事して、部屋に帰る。
玄関の鍵を回す。カチャ、と音がして、扉が軽く開く。
施錠し、下駄箱の上に、ハートのキーホルダーが着いている鍵を無造作に置いて、部屋に入る。
今日も本当に疲れた……。
司会みたいに人前に出る仕事はできるだけ誰かにお願いしたいところである。
さっさとシャワー浴びて寝よう。
シャワーから戻り、パジャマに着替えて歯を磨いたら布団に入り、電気を落とす。
真っ暗じゃない。カーテンの隙間から、街の光が細く伸びる。
布団に潜り込みながら、どうでもいいことを考える。
今日の歩数と、明日のやることリストと、プリンの補充。
そして、春合宿のこと。
玄関からカチャという音と「ただいま」という寝ているか確認するような小さな声がした気がした。
返事はしなかった。どうせナツキだし、たぶん俺は、もう半分寝ていた。
耳の奥で春の風の音と、何かが始まる気配が聞こえた気がした。
本当に騒がしくなるのは、きっと明日からだ。
そんな根拠のない予感だけが、胸の奥に残っていた。
読んでくださり、ありがとうございます。
初めて文章を載せたので、少しでも面白いと思ってもらえたら嬉しいです。




