第1話:夢の異世界生活
「……まさか、こんな歳で来るとはのう」
声の主は、白髭をたくわえた老人だった。ローブに身を包み、どこまでも続く白い空間に佇んでいる。
「今回は特別に、とびきりの能力から選ばせてやろう」
老人――いや、“神様”を名乗る男が、宙に3つの光を浮かび上がらせる。
一つ、自分と周囲の時間を操る力。
二つ、考えるだけで全ての答えがわかる力。
三つ、すべての生き物に好かれる力。
「いずれも、通常の転生者には与えられぬ“上位の力”じゃ。さあ、選ぶがよい。次に目覚めたとき、おぬしは16歳の姿となって、この世界で生きることになる――」
……その瞬間、映像のように情景が流れ込んできた。
剣を振るう自分。
炎を操る少女。
魔法を放つ、小柄で静かな少女。
そして――黒い霧の中に佇む、巨大な影。
それを前に、誰かが泣いていた。
少女が、震える声で名前を呼ぶ。
――よしのぶ……もう、行かないで……
「……!」
意識が揺らぐ。
光の中に包まれ、選択肢も、声も、姿も、すべてが霞んでいく。
(俺は……どれを……)
そして、光が弾けた――。
* * *
「……また、異世界の夢か」
結城 慶信、24歳。
福岡で暮らす、ごく普通の社会人だ。
最近、毎晩のように――不思議な夢を見る。
森、迷宮、ジャングル、無人島。
まるで“異世界”のような場所で、生き抜く夢。
そして、その夢は妙にリアルだった。
ある日から、夢の内容をノートに書き留めるようになった。
表紙には、自分の手書き文字でこう記されている。
――『異世界日記』
最初は、ただの暇つぶしだった。
けれどある日、夢の中で前の記憶が役に立つことがあった。
それから、記録の意味が変わった。
《夢メモ(抜粋)》
・北の川沿いに獣道。罠を仕掛ければ高確率でイノシシがかかる。
・西の崖下は夜間に濃霧。視界が極端に悪くなる。
・岩場の近くに蜂の巣。接近時は注意。
・南の泉で飲水確保可。毒性なし。
夢を「攻略」する。
それが、今の俺の夜の過ごし方だった。
日記に今日の記録を書き足しながら、ふと思う。
(もしかして……夢が現実で、現実が夢なんじゃないか?)
現実は、どこまでも平凡だ。
朝から晩まで働き、帰ってきても誰もいない部屋が待っている。
食卓にはコンビニ弁当。テレビもつけず、ただベッドに倒れ込む毎日。
話し相手といえば、時々かかってくる母からの電話くらいだった。
父は、自分がまだ物心つく前に亡くなっている。
父に関してはほとんど覚えてはいないが、1つだけ、あの言葉だけは覚えている。
――「何が起こるかわからない。だからこそ、今を楽しめ」
その言葉が、どこか好きだった。
* * *
仕事を終えて帰宅すると、スマホが震えた。
表示された名前は「母」。
「もしもし?」
『あ、慶信? 元気にしてる?』
「まあね。今ちょうど帰ったとこ」
『何だかいつもより元気ね?』
「そう? 仕事は相変わらずつまらないし、休日も特に予定ないけど」
『そっか、でも大丈夫。慶信には神様がついてるから』
「またそれ?」
『本気で思ってるのよ。……あんたは昔から、なんだか守られてる感じがしてね』
昔から、母はよくそう言っていた。
根拠なんて何もない。けれど、まるでお守りみたいに、繰り返し。
「ありがと。じゃあ、そろそろ寝るよ」
『うん。おやすみ、慶信』
* * *
布団に潜り、ノートを枕元に置く。
(さて、今夜はどんな夢だろう)
目を閉じると、心がふっと沈み込んでいった。
* * *
――次に目を開けたとき、世界は真っ白だった。
重力も音も曖昧で、空間すらあやふや。
正面には、あの白髭の老人――神様が立っていた。
「おぬし、目覚めたか」
「うわ、また夢か。今回は神様系ね」
「ワシはこの世界の案内人じゃ。伝えねばならぬことが――」
「ごめん、急いでる。異世界の夜は短いから、なるべく長く楽しみたいんだよね」
「……ま、待て! まだ何も――!」
足元に光のゲートが開く。
慶信は迷わずそこへ飛び込む。
「んじゃ、神様。いってきまーす」
老人は深いため息をつきながら、ぽつりとつぶやいた。
「……やれやれ、話す暇もなかったわい。まあ、どうせまた会えるじゃろ」
* * *
――深い森。陽が差し、木々の間を風が抜けていく。
草の匂い、湿った空気、鳥の声。
「また森スタートか。まあ、慣れてるけどな」
いつものように、水場を探し、食料を確保。
過去の夢で身につけた技術が、体に染みついている。
手近な枝で即席の槍を作り、地面の踏み跡を確認する。
丸い蹄――イノシシだ。これも見慣れた光景。
(罠を張るなら、ここだな)
いつもと同じように行動しながら、ふと、足元の“それ”に気づいた。
――一冊のノート。
「……これ、まさか……」
拾い上げたそれは、現実で使っていた『異世界日記』だった。
中身は、すべて現実で書いたまま。
だが、ページをめくった先――
そこに、見覚えのない一文が書かれていた。
『夢の世界に入ってはいけない。だってここは――』
手が止まる。
「……俺、こんなの書いたか?」
字体もペンの跡も、自分のものに見える。
けれど、記憶にまったくない。
胸の奥が、ざわりと揺れた。
何か、大きな謎の扉を開けてしまったような――そんな感覚だけが残った。
* * *
【ステータス】
名前:結城 慶信
年齢:24歳
能力:―(空欄)
レベル:1
筋力:14
俊敏:15
魔力:10
知力:18
幸運:20
所持金:0G