置いていく側の言葉
「お前な、もうちょい冷静に戦ってくれよ」
息を整えながら、ノエルがぼやく。
剣を鞘に納め、額の汗を拭う。
「冷静だったろ? 俺、いつも冷静だし」
ラークが軽く肩を回しながら笑った。
その左手には、しっかりと使い込まれた盾。表面は傷だらけだ。
「斧持ったオーガに正面から突っ込んで“冷静”は無理がある」
「じゃあ何だ、背中向けて逃げろってか?」
「いや、そうは言ってないけど……せめて、もうちょい指示出してくれたら助かるのに」
「ノエルが俺の考え、読めばいい話じゃね?」
「……バカかお前」
二人のやりとりは、いつものことだった。
気づけば、もう何年もこうして並んで戦ってきた。
幼馴染というやつは、良くも悪くも距離が近い。
ラークの軽口も、ノエルのため息も、もう日常の一部だ。
ギルドのカウンターで報酬を受け取りながら、受付嬢がクスッと笑った。
「ほんと仲いいわね、あんたたち」
「まぁな。こいつ、昔から俺の盾だったから」
「逆。俺がずっと“盾役”だよ。お前の前でずっとヒヤヒヤしてんの、こっちだからな」
口は悪いが、信頼はある。
たまに喧嘩もするし、時には戦術のことで本気で言い合いもした。
でも結局、どんな依頼でも並んで帰ってくる。
それが、ラークとノエルのバディだった。
***
「……やっぱ、お前すげぇな」
訓練場の隅、木製の人形に剣を打ち込むラークの動きを見ながら、ノエルが小さく呟いた。
盾を使ったカウンターのタイミング。
踏み込みの深さ。
そして、瞬間的に相手の位置を奪う体捌き。
どれも、数年前とは段違いだった。
「おっ、ノエルさんに褒められた! 今日も酒がうまい!」
「……調子乗るなよ」
ノエルは剣を肩に担いで笑い返すが、その目はほんの少しだけ沈んでいた。
もう気づいてはいた。
ラークとの距離が――徐々に開いてきていることに。
冒険者としてのセンス。戦術眼。判断力。
ノエルが“努力して追いつける”と信じていた範囲を、
ラークは、今や軽々と飛び越えていく。
ノエルが苦戦した魔物に、ラークは盾で突っ込み、
敵の動きを封じた上で、まるで遊ぶように仕留めてしまう。
悔しいと思うより、**「あ、違うんだな」**とどこかで思っていた。
ある日の帰り道。
ギルドの掲示板前で、ラークがふと指さした。
「見ろよ、これ。Bランク以上限定の討伐依頼。……そろそろ俺らも行けるんじゃね?」
無邪気な笑顔。
手応えを感じて、前のめりになってる顔だ。
「……うん。お前は、な」
「……?」
「なんでもない」
その夜、ノエルは久々に剣を抜いて、人気のない訓練場で素振りを繰り返した。
夜風が涼しい。
でも、流れる”汗”は止まらなかった。
***
ギルドの裏手に、小さな事務室がある。
職員用の出入り口。書類の提出窓口もある。
冒険者が普段立ち入ることのない場所だ。
ノエル=グランデは、そこにいた。
カウンター越しに、職員に一枚の紙を渡している。
それは、ギルド職員転属申請書。
「……いいんだな?」
職員が確認する。
「ああ」
ノエルは迷いなく答えた。
自分の足で、決めたことだった。
今のままじゃ、ラークの隣に立ち続けることはできない。
それなら――
進む道を譲る。
彼が背負うべき未来に、しがみつくわけにはいかない。
その帰り道だった。
「なあ、ノエル」
聞き慣れた声が、背後からかけられた。
振り返ると、そこにラークが立っていた。
いつもの、軽い笑みを浮かべて。
「……見てたのか」
「見ちまった」
ラークは頭をかきながら近づいてくる。
「転属、出したんだな」
「……ああ」
「なんで、何も言わねぇんだよ」
ラークの声が、少しだけ、掠れていた。
ノエルは、目を伏せた。
「言ったら、お前、引き止めるだろ」
「当たり前だろ!」
ラークが一歩踏み出す。
「お前とじゃなきゃ、俺はここまで来れなかったんだぞ!」
「違うよ」
ノエルは、静かに首を振った。
「俺は……お前の隣に立てる器じゃない。
お前は、もっと、遠くまで行ける。
俺がいたら、それを……止めちまう」
「そんなこと――」
ラークが言いかけた言葉を、ノエルは手のひらで制した。
「……最後に、一緒に行こうぜ」
ノエルの笑顔は、いつもと変わらなかった。
だけど、それは、“終わりを決めた人間の顔”だった。
「最後の依頼だ。……一緒に、やろう」
ラークは、歯を食いしばるようにして頷いた。
「……ああ。最後まで、バディだ」
二人は、並んで歩き出した。
まるで、いつものように。
でも、心の中では、もう――。
***
討伐依頼の現場は、森の外れにある廃村だった。
夜の帳が降りかけた頃、黒い煙のような魔物――シャドウビーストが、ゆらりと姿を現した。
「左、来るぞ!」
「任せた!」
ラークが盾で突撃を受け止め、
ノエルがその隙を狙って剣を振るう。
連携は、これまでで一番滑らかだった。
まるで何年も積み上げてきた二人の時間が、最後にすべて噛み合ったかのように。
戦いが終わり、
ノエルが剣を納め、深く息を吐く。
「……終わったな」
「ああ。上出来だ」
ラークはそう言って、盾を背に回した。
どこか名残惜しそうに、ちらりと横を見る。
「まだ……考え直すって手もあるぞ?」
「それ、今日だけで三回目な」
「何回でも言うわ。俺は、お前が……」
「ラーク」
ノエルが一歩前に出て、はっきりと目を見た。
「お前は、この先もっと強くなる。
そういう目をしてる。
俺は、その隣に立つには、もう――足りないんだ」
ラークは、言葉を失ったまま立ち尽くしていた。
いつもの軽口も、強がりも、出てこなかった。
ノエルは笑った。
「それに……なんだかんだ、お前、また誰かに出会う気がするんだよな。
変なガキとか拾いそう」
「やめろ、なんかフラグ立つだろそれ」
「な? そういうとこだよ」
冗談交じりの別れ。
でも、それは本気だった。
二人はそのまま、ギルドまでの帰り道を歩いた。
途中で、いつものように飯屋に寄って。
いつものように、ビールを飲んで。
いつものように、からかい合って――
そして。
次の日の朝、ノエル=グランデは、ギルドの職員棟に姿を移した。
受付の向こう側から、ラークの姿を見つけると、
軽く右手を挙げて、静かに笑った。
ラークは、何も言わず、頷いた。
その日から、バディは解散した。
でもその日から、ラークは――
次に“背中を預けられる相手”を、探し始めた。
そして、1年後。
ギルドの玄関先で、丸くなって座っていたガキに、
つい軽口を叩いた。
「おーい、筋肉予備。腹鳴ってんぞ」
パンを押しつけるみたいに。
かつて、誰かにしてもらったように。