E男の場合
この教護院の前に捨てられていた子も居た。
御包みに包まれて生後10か月で捨てられていたのは、E男だった。
母親は苦渋の選択をしたのだろう。
オムツとミルク、へその緒、そして手紙が入った買い物かごがE男の傍にあった。
「この子の名前はE男です。
昭和○○年○○月○○日、午後○○時に生まれました。
どうしても育てられなくなりました。
申し訳ありません。
子を捨てる酷い母親です。
許されないことをしていると分かっています。
こんな母親のこと、この子には話さないで下さい。
どうか、どうかお願い致します。
どうか、この子を育てて下さい。
どうか、よろしくお願いいたします。
育てて下さい。
子を捨てた母です。
二度とE男に会うことは致しません。
E男の人生の邪魔をしないように致します。
ですので、どうかE男をお願い致します。」
そう書かれていた。
警察に届け出た時に、この母親の手紙も提出した。
E男の母親は見つからなかった。
どこで暮らしているのか、その生死すら分からないのだ。
E男はやんちゃな男の子に育った。
教護院の中で友達も増えた。
E男が成人する中で、母親のことを話す時が来た。
「E男くん、君をうちの……この教護院の前に置いて……
君のお母さんは姿を消したんだ。」
「この……どこですか?」
「うん?」
「俺が捨てられてた場所。」
「正面玄関だよ。門の中に入って……正面玄関の庇の下に……。
雨に打たれないように……その場所を選ばれたんだと思っている。」
「どうして門の中に入れたんですか?」
「その日、たまたま見学する方が大勢おられてね。
その人たちに紛れて入ったとしか考えられないんだ。
人が多かったからね。直ぐに君を見つけられたけれども……。
お母さんの姿は誰も見てなかったんだよ。」
「正面玄関………。」
「大丈夫?」
「はい。大丈夫です。
前に、おじさん、おばさんに教えて欲しいって言ったから、俺……。」
「そうだね。」
「俺に頼まれたから教えてくれるんでしょ。」
「そうだね。でもね、それだけじゃないんだよ。」
「それだけ…じゃない……って、何?」
「君のお母さんのことを知って欲しいんだ。
君が愛されていたことを……。」
「俺のこと、お母さんは愛してくれてた?」
「そうだよ。君は綺麗な御包みに包まれていた。
お母さんが作った物みたいだったよ。
そして、E男くん、君の隣には買い物かごが置いてあってね。
その中に、オムツ、ミルク、へその緒、そしてお母さんの手紙が入ってた。」
「手紙……。」
「その手紙に君の名前と生年月日が書かれていたんだ。
だから、君は推定年齢じゃない。
誕生日が拾われた日じゃないんだよ。
君の誕生日はお母さんから教えて貰った誕生日なんだ。」
「本物の誕生日………。」
「そうだね。
………これは君が包まれていた御包みだよ。
そして、その時の買い物かご。へその緒。
………そして、これは……お母さんの手紙だ。
渡すよ。ここを出て行くE男くんに……。」
E男はお母さんからの手紙を読んだ。
そして、嗚咽を漏らした。
「E男くん、泣いてもいいのよ。
我慢しちゃ駄目よ。
泣きたい時は大きな声を出して泣いていいの。
ここでなら、泣いていいのよ。」
堰を切ったようにE男は泣いた。
母の愛を感じられたのだろう。
そして、E男は言った。
「おじさん、おばさん。
ありがとうございました。
俺、捨てられたけど……嫌われてなかったんだ、って分かって……
良かったです。
でも、俺……分からない。
母の存在を…知らないから……最初から居なかったから……。
面会に来る人は俺には居なかったから……。
そういう人が居たんだ、って分かって……
嫌われて捨てられたんじゃなかった……ってことが分かって……
それが俺は嬉しかった。」
「そうか……。」
「俺、頑張ります。」
「うん。身体には気を付けなさい。」
「はい。……行ってきます。」
「?」
「また帰って来ます。」
「……待ってるよ。」
「おじさん、おばさんが……家族だから、ここが俺の実家。
だから、さようならじゃなく……行ってきます!」
「!……ありがとう。行ってらっしゃい。」
「行ってらっしゃい。身体には気を付けるのよ。
辛いことがあったら来てね。」
「うん。もう……三回目だよ。」
「何が?」
「三回目。行ってきます。……もう、これで終わりだよ。
行ってきますって言うのは、今日はこれで最後。」
「行ってらっしゃい。」
「行ってらっしゃい。」
大きく手を振ってE男は教護院を後にした。
E男は短い人生だった。
交通事故でこの世を去った。
家族を持つことを夢見た青年は、家族を持つことなく逝ってしまった。
E男の笑顔、泣き顔、拗ねた顔、はにかんだ顔……その全てが今は愛おしく懐かしく……そして、会いたいE男の表情だ。
今はあちらで夫と話しているのだろうか。
「おじさん、おじいさんになったね。」などと言ってるのではないだろうか。
夫はそんなE男に笑みを見せているだろう。
いつか、私もそちらに行く日がやって来る。
私にもあの様々な表情を見せて欲しい……そう願っている。