あいの子
今なら「ハーフ」と呼ぶのだろう……あの子たちは「あいの子」と呼ばれていた。
その子らの多くが日本女性が設立したエリザベス・サンダー・ホームで育ったのだ。
エリザベス・サンダース・ホームは、澤田美喜女史が昭和23年(1948年)2月1日に乳児院として創設した施設である。
私はテレビで見たのだ。育った子らのその後ことを……。
アメリカやイギリスの家庭に迎えられて養子になった人が居たことをテレビで知った。
テレビが探し出したのかどうか覚えていないが、イギリスの家庭の養子になった娘に母親が「会いたい!」と言っていた。
「今まで貴女は……この子がどんな暮らしをしているか気になったの?
今更……何なの?
イギリスで裕福なご家庭で育てられたからって……お金目当てなの?」
テレビを見て憤った私を夫は制した。
「見て御覧。子どもは会いたくないと拒絶しているよ。
自分の親はイギリスで育ててくれた母だけだと……。
子どもにとっての母親は幼い頃はホームの職員なのだよ。
そして、イギリスで育てて下さった方なのだよ。
母親も苦労を重ねたんだろう。
したくなかった売春だったろう。
そして、産みたくなかったかもしれないね。」
「そうね。」
「産みたくなかった子でも、その子のことを心配する気持ちがあれば…
違っていたもかもしれないね。
会いに来ていただろうからね。ホームに居た時に……
会いに来れなかったとしても手紙を書いて出していたかもしれないね。
そういうことが全く無かったから拒絶されたんだろうね。」
「そうね。」
「子どもはちゃんと見ているんだよ。
幼くても見ているんだ。大人を……。」
「あの子……B男、元気で良かったわ。」
「あぁ……出生のことは伝えないままだったね。」
「ええ、伝えたら可哀想だから伝えてないのよ。
でも、伝えるべきだったかしら?」
「私たちは伝えないと決めたけれども、それが正解かどうかは分からないね。」
「強姦によって、この世に生を受けたなんて……言えなかったわ。
あの子の母親自身が被害者だし、中学生だったもの。」
「あの子の母親は、あれから……幸せを感じる人生であって欲しい。」
「ええ。B男……手紙、送ってくれているでしょう。定期的に……
手紙を読んで、いつも思うのよ。
元気そうで本当に良かったわ!って……。
仕事も頑張っているようだし、家庭も持てたし……。」
「頑張り屋さんだからね。兎に角、頑張っていたね。
そして、今もあの子は頑張っているんだよ。」
「あの子の場合は、親は捨てざるを得なかった。」
「捨てられた子といっても色々よね。」
「そうだったね。」
そう色々な事情の子ども達が居たのであった。