A子の場合
日本全国での取り組みではなかったかもしれないが、私が住んでいる町では教護院は夫婦が主体になって運営している。
家族の温もりを子どもに感じて貰うためである。
子ども達は、私の夫のことを「おじちゃん」と呼び、私のことは「おばちゃん」と呼んでいる。
その教護院にA子が入所してきたのは昭和47年だった。
A子は売春をしていて補導されたのである。
A子に売春を強要していたのは実の母親だった。
小学6年生からさせられていた売春で補導されたのはA子が中学3年生になった春のことだった。
「今日から、ここがA子の家なのよ。
私のことは『おばちゃん』と呼んでね。
皆もそう呼んでるから……。」
「………………お母さんは?」
「お母さんは、まだ帰られないのよ。」
「いつ? いつ? 帰って来てくれるの?」
「ごめんね。おばちゃんには分からないのよ。」
「……………お母さんは悪くないの! 悪くないのに連れて行かれたの……。」
「そうなのね。」
「お母さんを助けて! お願い! 何でもするから……。」
「おばちゃんには出来ないのよ。」
「大人のくせに出来ないの?」
「ごめんね。A子ちゃんと一緒に暮らすことしか出来ないのよ。」
「うわぁ~~ん。」
A子は大きな声で泣いてしまった。
大粒の涙を流し続けている。
入所した日の夜は眠れない子ばかりだ。
A子も眠れない夜を過ごしたようだった。涙で枕を濡らして……。
「あなた、A子ちゃんだけど……。」
「眠れなかったようだね。」
「ええ……。それで、勉強だけど九九も出来ないのよ。」
「あの子も家事をさせられていたようだからね。
家事をして学校へ余り通わせて貰えてなかったようだ。
家事だけなら良かったのに……。」
「母親に会いたがってるのよ。」
「そうだね。」
「あんなことさせられたのに、『お母さんは悪くない!』って言うのよ。」
「今は、そうだろうな。
でも、させられたいたことが何なのか知ったら、自分の身体を嫌うだろう。
良く見てくれ。」
「はい。」
「職員にもそう伝えておくから……。」
「お願い!」
分かった後が怖かった。
もしかしたら命を絶とうとするかもしれない……それが怖かった。
「あんたに何が分かるのよ!」
「うん。分からないわ。
分からないから教えてよ。」
「私は、あんたなんか大嫌いよ! お母さん! お母さ~~ん!」
「お母さんに会いたいのよね。」
「会わせてくれない! あんたが!」
「A子ちゃん……。」
泣いているA子を抱きしめると、A子は反発した。
「離せぇ―――っ!
あんたなんか、あんたなんか大嫌いだぁ―――っ!
お母さん! お母さ~~ん!」
暴れるA子を身体で受け止めて怪我をしないようにすることくらいしか出来なかった。
母親の十分な愛情を受けたことが無かったA子は、母親を求めた。
A子は売春をさせられていたのに母親を庇ったのも、母親の愛を信じたかったからだったのかもしれない。
しかし、母親は自分が出所した後もA子には連絡すら取らなかった。
A子は親に捨てられたと理解した。
「おばちゃん……。」
「どうしたの? A子ちゃん。」
「私、どうなるの?」
「どうなるのかはA子ちゃんの気持ち次第よ。」
「私の気持ち?」
「そう。これから、どんな職業に就きたいのか?
どんな大人になりたいのか?
それを応援するのが私達よ。」
「……もう……あんなこと……二度としたくない!」
「うん。私もして欲しくない!
だから、なりたい職業を考えようね。
看護婦とか、美容師さんとか…ケーキ屋さんに勤めたいとか……。
いっぱい職業はあるからね。
そのために勉強しようね。」
「うん。………おばちゃん。」
「なぁに?」
「………勉強、教えて!」
「A子ちゃん………。頑張ろうね。
やりたいことを見つかったら未来が見えてくるわ。」
「見つかるかなぁ?」
「見つからなくてもいいのよ。」
「いいの?」
「ええ、だって私も見つからなかったのよ。」
「そうなの?」
「ええ、でも仕事してるでしょう?
生きるために、食べていくために働くのよ。
ちゃんと胸を張って『仕事してます』って言える仕事を私も探すからね。」
「うん。」
それからのA子は勉強を頑張った。
全く出来なかった九九も出来るようになった。
それからのA子は多くのことを学んだ。
就職は「なりたいものが見つからなかった」A子に何とか見つけて来たのが「蕎麦屋」への就職だった。
この店は過去にも教護院の女子を受け入れてくれていた女性が店主の店だった。
住み込みでの就職だったので、定期的に訪問してA子の様子を見続けた。
そんなA子が恋をした。
店に来るお客さんだった。
相手が大卒の人でA子自身も叶わない恋だと分かっていた。
それもA子にとって大切な経験だったと思っている。
そして、A子が24歳になった時、店主の紹介で出逢った男性と結婚した。
過去のことを分かった上での結婚だった。
彼もまた、親で苦労した人だった。
5歳上の男性との結婚はA子に「安定した家族」を与えてくれた。
20年後、A子が退職した私達夫婦に会いに来てくれた。
「おじさん、おばさん、ご無沙汰しております。」
「A子ちゃん、元気そうで良かった。」
「ご主人さんも、お元気そうで……。」
「ありがとうございます。」
「北海道に行ってから、本当にご無沙汰してしまって……。」
「元気だったらいいのよ。ねぇ、あなた。」
「そうだよ。遠いのに来てくれてありがとう。」
「あれから、母親が会いたいって言ったって聞いた時に……
私に一度も会いに来てなかったのに……凄く腹が立ったんです。
でも、この人が『放っておいたら!』って言ってくれて……
おじさん、おばさんに『もう母親は居ないと思っています。』って
話せたんです。」
「捨てたくせに今更……会いに来るなんて!って思ったんですよ。」
「気持ちを教えてくれてありがとうね。
教えてくれたから断れたからね。」
「おじさん……私、この人と結婚して良かったと思ってます。」
「うん。僕もそう思うよ。」
「ありがとうございました。育てて頂いて……。
親になってより一層感謝の気持ちが大きくなりました。」
「元気で居てくれたら、それだけで十分だよ。」
「これからも二人で幸せに暮らしてね。」
「はい!」
「はい。必ず!」
この後、この二人に会ったのは私の夫が亡くなった葬儀の時だった。
二人は今も仲良く暮らしてくれている。
感謝しかないと私は思った。
「母親に捨てられても、あんな目に遭わせられても……
お母さんを求めたA子ちゃん。
やっと、お母さんへの愛を求める子どもから……
ご主人と子どもを愛する大人になってくれて…ありがとう。」