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6・卒業式当日/後

 三年学園に通っていたけれど一度も入ったことのなかった理事長室には、高級そうな調度品やソファが置いてあって随分緊張したけれど、すぐにそれどころではなくなった。ちなみに理事長は一度だけ顔を出してくれたが、すぐに『お好きにお使いください』と行ってしまった。何でも、やることがあるらしい。


 エヴァンの説明は、こうだった。


 竜王とは確かにこの世界を創った創造主だったが、けれど永遠の命は持っていなかった。しかし竜王の魔力がなければ、この世界はすぐに形を失ってしまう。せっかく創った世界が消えてしまうことを惜しんだ竜王は、子孫をもうけることにした。世界を創るよりは簡単だろうと思われたそれは、しかしどうにも上手くいかなかった。世界を創った時に、魔力を使い過ぎたのが原因だったらしい。


 では、世界にいつの間にか湧いていた動物たちのように番を娶ればいいと竜王は考えた。けれど竜王は一体のみで生じたので、対になる生き物などいない。何年も考え抜いた竜王は、そういえば自身のほかに高度な知性のある生き物が世界に生じていたことを思い出した。それが人間だ。竜王は人間の娘を娶り、五体の子をなして死んだ。


 五体の子どもはそれぞれ、火、水、土、光、闇の属性を持ち、竜王と同じく竜の体を持っていたが、人間の体も持っていた。彼らは竜でもなく人間でもない自身たちを、竜人と名乗った。エヴァンたちはその子孫なのだという。


 五体の竜人は魔力でもってこの世界を保つ存在だが、竜王と同じく永遠の命は持っていない。むしろ人間の血が入ったからか、長生きな人程度の寿命しかなかった。だからこそ竜王と同じく人間を娶り、竜王の血を残し続ける必要があったのだ。


 そして、私とヴァイオレッタは、エヴァンとクライヴさんの花嫁に選ばれたそうだ。そこまで聞いて私は話を理解をしようと頭を抱えたが、ヴァイオレッタは怒りのままに声を荒げた。



「納得できるわけがないでしょう、ふざけないでよ!」

「ふざけてはおりませんとも、私の純白」

「わたしの名前は純白じゃないわ!」



 ヴァイオレッタはクライヴさんに向かってぎゃんぎゃんと叫んでいるけど、クライヴさんは何故か嬉しそうににこにことしている。……多分、この人、ヴァイオレッタがかまってくれてるのが嬉しいのだ。内容はどうでもいいのだろう。


 私はゆっくり息を吸って、ゆっくりと吐いた。これは母の教えだ。どんな状況下でもパニックに陥ることなく、できる限り落ち着いて行動すること。大きな魔力を持っている人間が混乱のまま暴走することがないように。私はまだまだ未熟で、冷静でいられないことも多いけれど、今は取り乱している場合ではない。



「ヴァイオレッタ、落ち着いて」

「で、でも、シャノン!」

「お願い、聞きたいことがあるの」

「……分かったわ」



 ヴァイオレッタがソファに深く座りなおすのを確認して、私はエヴァンに向き直った。



「エヴァン、サラが言っていたことは本当ですか?」

「……あの女が、何か言っていたか?」

「『竜王陛下の血を引く方が、綺麗な色の魔石を作り上げた魔法使いを迎えに来る』と言っていました。つまり、貴方たちは“綺麗な色の魔石を作り上げた魔法使い”が目的なんですか?」

「違う。正確には、自分と同じ色の魔石を作り上げた魔法使いだ」

「自分と? エヴァンは既に魔石を持ってるんですか?」



 私の問いに答えたのは、クライヴさんだった。



「いいえ、漆黒。我々には魔石など必要ないのです。同じ色というのは、竜の姿のこと。私は真っ白な竜で、エヴァンは真っ黒な竜なのです。貴女が仕上げた魔石のように。どういうわけか、エヴァンは自身の竜の姿を嫌っているようですが」



 クライヴさんのその言葉に、エヴァンはむっつりと口を閉ざした。その態度が既に肯定しているようなものだ。竜の姿の話ももっと聞きたいけれど、今はほかに聞くべきことがある。私はそのままクライヴさんに質問を投げた。



「では、もう一つ。貴方たちの花嫁に選ばれて、それを拒否することは可能ですか?」

「不可能ではないかもしれません。が、前例がありません」

「それは、貴方たちの血統が途絶えたら世界が崩壊するからですか?」

「……漆黒は賢いですね。それに関しては、否定も肯定もできません。すぐにどうにかなるとは思えませんが、確かに我々の内のどこかが途絶えれば、何かしらの影響はあるでしょう」



 ふむ、と、頷いて、ヴァイオレッタの方を向く。彼女は顔にはでかでかと、腑に落ちないと書いてあった、私もそうだ。いやきっと、エヴァンにこのことを隠されていたというのも、影響している。……でも。



「でも、ヴァイオレッタ。クライヴさんに付いていけば、少なくとも家に連れ戻されることはなくなるんじゃないですか?」

「そういう問題じゃない! ……って、言いたいけど、それはわたしもちょっと思ったぁ」

「もう、深く考えるのはちょっと置いておいて、付いていっちゃいます?」

「……シャノンは何でそんなに、あっちに協力的なの?」

「いやもうなんか、なんかもう無理そうですし……」

「こんなわけの分からない状態で諦めないでよ!」

「……でもね、ヴァイオレッタ。私、あのランチした日に本当は貴女のこと連れ去ってあげたかったんです。子どもで、力のない自分が惨めでした」

「……シャノン」



 私は、ヴァイオレッタがどれだけ頑張って就職を決めていたのかを知っている。自国以外で魔法使いとして就職するのは、そこまで珍しいことではない。しかし、教員となると話が変わってくる。


 魔法学校の教員はその土地の風土や歴史を交えた魔法を教えなければいけないので、自国出身者が有利になってくるのは当然のことだ。しかしヴァイオレッタの両親は初め、教員であれば他国での就職を認めると言っており、実家を出たかった彼女は死に物狂いで勉強をして就職を勝ち取った。


 それなのに、ヴァイオレッタの両親は約束なんて初めからなかったみたいに、簡単に彼女の就職を潰したのだ。彼女の両親は自国では権威と呼ばれる古代魔法の使い手らしい。魔法協会にも顔が利くらしいから、きっと一言で終わるようなことだったのだろう。


 私はただの友人で、本来、こんなことに口を出すべきじゃないのかもしれない。けれど、やっぱり、そんな人たちのところにヴァイオレッタを帰したくはない。



「今の状況は偶然ですけど、でもやっぱり、ヴァイオレッタはご両親のところに帰るべきじゃないって思うんです。……ヴァイオレッタは諦めない人だから、もしかしたら自分で状況を変えられるかもしれないけど、それでもわざわざ辛い思いをさせたくない」

「……そんなふうに思ってくれてたんだ」

「あと、私、既にエヴァンと契約しちゃってるっぽくて……」



 昨日、エヴァンが深刻そうに言っていた『約定』とはこのことだろう。竜人という存在が本当であるなら、私は高位の存在と契約をしてしまっている状態になる。魔法使い同士であっても、人同士の口約束ならそこまで大事にならない。けれど、魔法生物とのそれであるなら話が違ってくるのだ。竜人を魔法生物としていいのかは、また考察するとしても、『エヴァンの故郷について行く』という口約束は『約定』であり『契約』だ。破ったらどんな目に遭うか分からないし、そもそも破れなさそうである。


 そこまで聞くと、ヴァイオレッタは口調を早めた。



「うんうん、だよね。エヴァンと絶対、何かあったよね。むしろ貴女たちが名前で呼び合う仲なのもわたし今日初めて知ったの。シャノンが“さん”付けもしてないのも気になるしさ。わたし、そっちを先に詳しく聞きたいなあ」

「それはおいおい。おいおい話しますから、ね。それにほら、彼ら親戚っぽいですし、付いていったら今後も私たち一緒にいられますよ」

「わたしも実はそれ思ってたけど!」



 そう叫んで、ヴァイオレッタは頭を抱えた。正直、私も一緒に頭を抱えたかった。私が話したことは、何というか全て子どもの理屈なのだ。それは自分でも理解している。友だちと離れなくても済むから、ヴァイオレッタが嫌なことをしなくて済むから、と人生の選択をさせようとするなんて、まともな大人が考えるようなことじゃない。



「あの、ヴァイオレッタ……」

「分かった!」

「え?」

「とりあえず、シャノンはもう契約をしていて、エヴァンと一緒に行くことは決まっているのね?」

「え、ええ……」

「じゃあ、分かった。わたしも一緒に行く。心配だし、実家帰りたくないし!」

「え」



 説得をしておいてなんだが、そんなに自棄になっていいのかと私が聞く前に、クライヴさんが声を上げる。



「ああ、私の純白! 決断してくれたのですね!」

「アンタの為じゃないの分かってる? わたし、今、高次の存在である竜人閣下に対してかなり無礼を働いている自覚はあるのよ?」

「貴女が私と一緒に来てくれるというのなら、内容など誤差です」

「あっそ、アンタがそれでいいなら、わたしには都合がいいからいいわ。でもそういえばアンタたち、家は近いんでしょうね」

「近くはありませんが、まあ、貴女が望むならそうしましょう」

「そう、じゃあよろしく。聞きたいことはまだ山ほどあるんだけど、ありすぎるからとりあえず一つだけいいかしら」

「どうぞ」



 ヴァイオレッタは、ほとんど睨みつけるような視線をクライヴさんに向けた。対するクライヴさんはやはりにこにことしている。私はそんな二人の会話にハラハラしながら、エヴァンを盗み見た。エヴァンもこちらを見ていたようで一瞬視線が合ったけれど、すぐさま外されてしまう。不思議に思ったけれども、追及はできなかった。



「魔石のことよ。シャノンの魔石は今夜完成するとして、わたしの魔石は完成しなかったわ。もう一度作り直して同じように真っ白の魔石になるか、なんて保証はないんじゃないの? そもそも魔石って魔法使いの証明証以外に使い道がないはずだけれど、あんなに怒る程の何があるの?」

「魔石は必ず同じ色になりますよ。あれは生まれ持った魔力の色を映しているだけですからね。確かに人が見る分にはどんな性質の魔力を持っているか、どの地域・学園の出身なのか程度の証明証にしかならないでしょうが、我々の場合、あれがないと子どもが作れないんです」

「繁殖方法が人間と違うの?」

「ヴァ、ヴァイオレッタ、そんなデリケートなことを……!」

「こら、シャノン。恥ずかしがらないの、大事なことよ」



 そうぴしゃりと言われてしまえば、黙るしかない。確かに大事なことだ。


 でも、そうか……。花嫁は次の竜人を生まないと世界が崩壊するかもしれなくて、それで。あ、あれ、つまり私が、エヴァンの子どもを?


 彼らの説明を聞いて、分かったつもりでいたのに現実味が一気に押し寄せてきて頬が熱い。



「そうですね。安心してください、繫殖方法は同じですとも。ただ事前準備であれを花嫁の腹に仕込――」

「分かった、もういいわ」

「え、え、ヴァイオレッタ? ど、どういうことです?」

「あとでエヴァンに聞きなさい」

「まあ、そのほうが無難ですよ、漆黒」



 ヴァイオレッタとクライヴさんは何故か急に意気投合して、話を止めてしまった。事前準備で……のところで、ヴァイオレッタが止めに入ったからよく聞こえなかったのに。でもまあ、やっぱりデリケートで大事なことだし、また今度ちゃんと聞いておこう。



「さて、我らが花嫁たち。一応の説明がこれで終わったわけですが、ほかに何か聞きたいことはありますか。なければ、そろそろ我々の家にご案内したいのですが」

「待って、まさかこれからすぐに一緒に住むってこと?」

「そのとおりですよ、私の純白。けれど、貴女が私を受け入れることを納得しないのであれば、決して何もしませんよ。我々はそういうところは動物的なんです。動物というのは大抵の場合、雌側に決定権があることが多いでしょう?」

「言い方が引っかかるけど、まあ、分かったわ。消極的な選択ではあったけれど、ついて行くことを決めたのはわたしだもの。あ、でも魔石の種が……」

「さきほどの女性から既に貰っていますので、あとで渡しますよ」

「そう。じゃあ、わたし荷物ないし、このまま連れて行ってもらって構わないわ」

「え、ヴァイオレッタ、いいんですか?」

「ええ、いいの。条件だけなら、あたしにとっても得が多いからね」



 思わず声をかけてしまったけれど、ヴァイオレッタは何でもないことみたいにあっけらかんとしていた。さっきまであんなに騒いでいたというのに、こうと決まったら思い切りがいいのが彼女らしい。



「『外のものは何も持って帰ってくるな、身一つで帰って来い』とか言われてたから、もうこの姿で帰ってやろうと思ってたのよ。この学園で使ってたものは全部処分したし、皆で買ったお揃いのペンとハンカチはポケットに入れてあるから大丈夫」

「それなら行きましょうか、私の純白。では、エヴァン、漆黒、お先に」



 クライヴさんはヴァイオレッタの手を取ると、移動魔法を使った。閃光のような眩しい光が一瞬だけ理事長室に溢れる。目を開けると、二人はもういなかった。



「……」

「……」

「……えっと、私は、荷物取ってきていいです?」

「ああ、俺も行く」

「女子寮なんですが?」

「行く」

「……私の部屋だけですよ」

「当たり前だろうが」

「そんな顔しないでください。あ、でもその前に理事長先生にご挨拶とか」

「いい。放っておいてもあっちから来るだろう」

「……そういうものなんですか」

「そういうものだ」

「えっと、じゃあ行きますよ」



 世界的な魔法使いに対して、そんな言い草なのか。なんだか、王様と召使いって感じだ。本当の王様なんて知らないけど。……私は本当にすごい人に嫁ごうとしているらしい。いや、うん。今は考えないようにしておこう。


 考えないでおこうと思ってもどうしても意識をしてしまって、エヴァンの手でなく裾を掴んで転移魔法を使う。


 理事長室から私の使っていた寮の部屋へ。理事長室が明るかったから、灯りを落とした部屋は月明かりがあるとはいえ余計に暗く寂しく感じた。備え付けのベッドの横に置いてある小さなトランクが、私の荷物の全てだ。着替えは必要ないと言われたけど三日分の服と貴重品、思い出の品などが入っている。



「このトランクか?」

「え、ええ、そうです」



 エヴァンは、トランクを拾うと私に向かって手を差し出した。改めて、彼がこの部屋にいる違和感がすごい。



「じゃあ、俺たちも行こう」



 思い返せば、やっぱり変な話だ。今まで飛びぬけて優秀ではあったけれど、普通の同級生だと、そして大切な友人だと思っていた人が竜王陛下の子孫で、私は彼と結婚することになるらしい。ヴァイオレッタたちと一緒に話してた時は平気だったのに、納得したつもりだったのに。何だろう、やっぱりすごく、落ち着かない。



「……シャノン」



 ざわり、と肌が粟立つ。多分、エヴァンが魔力を放出しているのだ。空気が重くるしい。でも、その手を取る気になれない。いや、何を今更。ヴァイオレッタは先に行ってしまったのに。エヴァンと一緒に行く以外は許されないのに。



「シャノン、お前は俺と約定までした。拒否など――」

「だって!」

「……っ」



 でも! だって!



「私、プロポーズされてない!」

「そっちか!?」

「そっちもどっちもないでしょう!? つ、付き合ってとかも言われてない!」

「それは……」

「クライヴさんは今夜いきなり来たからあれですけど! エヴァンは三年間、私と一緒にいたのに! 思わせぶりなことばっかりして! 言葉の一つもくれないで!」

「……」

「わ、私、故郷に来るかって言われて、びっくりしたけど嬉しかったの! でも! エヴァンは私のこと友だちだって思ってると思って、だっ、だから、自惚れちゃ駄目だって、ずっと苦しかったのに……」



 駄目、こんな時に泣いては駄目だ。吐いてしまった言葉たちだって、言ってはいけないことだったのに、これ以上は駄目だ。駄目なのに、頬を伝っていく涙が憎い。ついさっきまで楽観的に、ヴァイオレッタにだってあんなに気軽に一緒に行こうと言ったのは私だ。エヴァンと一緒に行く気がなくなったわけじゃない。世界がどうとか、そういうのもあるけど、それ以前に彼と一緒に行きたいと思っている。


 それなのに、でも、ああ、苦しい。エヴァンは、初めから私を連れて行くつもりだったの? 私のガラス玉を何度も見ていたのは、花嫁を探していたから? どうしてギリギリまで何も言ってくれなかったの? どうして、竜人のことを教えてくれなかったの? せめて、一言、何か言ってくれていたら……。


 ああ、もう、支離滅裂にも程がある。ヴァイオレッタだって、エヴァンたちの故郷できっと私のこと待っていてくれている。エヴァンにも謝らなくちゃ。さっきまで訳知り顔で、冷静に話せていたのにきっと吃驚してるだろう。約定と契約は破れないし、世界の安定に比べたら私の気持ちなんてどうでもいいんだ。



「……あの、ごめ――むぐっ」



 いきなりに顔を押さえつけられて、謝罪の言葉は途切れてしまった。いや、押さえつけられたんじゃない。抱きしめられてるんだ。後ろで、何かが落ちる重そうな音がした。



「悪かった」

「む、え……?」

「意気地がないくせに、許されているからと調子に乗った。本当に、すまなかった」



 エヴァンの声が、萎れている。自信家で皮肉屋の彼はいつだって堂々としていて、それは声にも表れていた。そんなエヴァンが、こんなに素直に謝るなんて、正直なところ思ってもみなかった。


 私の鼻が、すんと鳴る。あんまりにも驚いたからか、涙は止まっていた。



「……エヴァンって、謝れるんですね」

「おい」



 驚いたついでに、落ち着いてしまった。今更ながら、癇癪を起こしたみたいで恥ずかしい。みたいというか、起こしたのだけれど。



「許してあげてもいいですけど」

「……けど、なんだ」

「せめて、形だけでもいいから、なんかこう、ないんですか。愛の告白みたいなの」



 恥ずかしさのあまり場を濁したくて咄嗟に出た言葉は、見事に恥の上塗りを成し遂げた。いや、きっとエヴァンは「馬鹿を言うな、もう行くぞ」と言ってくれるはず。そう、エヴァンが私に愛の告白なんてするわけ――。



「……好きだ」

「き゜ぁ」

「初めて見た時に、シャノンが俺の花嫁なんだってすぐに分かった」

「あ、そ、そう、ナンですか」



 頭が真っ白になるとは、こういうことだ。こんなことを言う人だとは、思ってなかった。何とか返事をしたものの、私の声は変に裏返っていて不格好なことこの上ない。



「だが、初めは無視をしようと思った」

「え……?」

「……俺は、竜の自分が嫌いなんだ。あんな醜悪な姿を自分だと思いたくなかった。花嫁を求めるのは竜の本能だから、無視しようと、思った」

「……」

「何故竜人なんかに生まれたのか、何故普通の人間に生まれなかったのか。そんなことばかり考えていた。どうしようもないことを、ぐだぐだと、ずっと。本能に抗おうともしたんだ。……結局、成功しなかったが」



 私の背中に回った手に力がこもって、少し痛い。でも、エヴァンの動揺のあらわれみたいで、放してほしいとは言えなかった。



「巻き込んで、すまない。だが、シャノンでなければ駄目なんだ……!」



 力のない声のわりに、腕の力は強いままだ。……言いたいことが多すぎて、どれから話せばいいのか。でも、これだけははっきりさせておかないと。



「エヴァン、貴方……。重苦しく考えすぎです!」

「重苦しい話題なんだよ! 何なんだ、お前はさっきから! さっきまで泣いてたくせに!」

「泣いてません!」

「泣いてた!」

「泣いてません! ちょっと緊張とか怒りとかが、いっぺんに来ただけです!」

「お前っ、だから、……ああ! もう!」



 暗い部屋の中の、緊迫した空気は一瞬で消え去った。これでいい。このくらいの気安さが、きっと私たちにはまだ合っている。力が抜けたどさくさに紛れて、私はエヴァンを抱きしめ返した。



「いきなり癇癪を起こしてごめんなさい。貴方の謝罪も受け入れます。ですが、いいですか、エヴァン」

「……」

「私は、貴方の今の気持ちが聞きたいんです。竜人だとか、そういうのは置いておいて、エヴァンは結局私のことをどう思っているんですか。……私が騒いだから、好きだと言ってくれたのなら、それは――」

「違う!」

「……何が?」

「俺は……。俺は、シャノンのことが好きだ。言わされたわけじゃない。……信じてほしい」

「そ、その、友だちとしてとかじゃ」

「ない」



 エヴァンは少しだけ腕を緩めて、私の顔を覗き込んできた。……恥ずかしい、けれど、ここで照れている場合ではないのだ。私はまた頬が熱くなるのを無視して、ぐっとお腹に力を込めた。



「私は、エヴァンのこと、ずっと友だちだと思っていました」

「……」

「……そう、思おうとしてました。貴方が私のことを、友だちだと認識しているとばかり思っていたから。恋愛感情なんて持ってしまったら、きっと今のままではいられないから。あの関係が心地よくて、意気地がなかったのは私も一緒なんです。……私も、エヴァンが好きで、んぎゅ」



 言い切る前に、私はまたエヴァンに抱きしめられた。やっぱり苦しいし大事な話も途中だし、さすがに文句を言おうとした時、エヴァンの鼻がさっきの私みたいに鳴ったように聞こえた。



「エヴァン」

「何だ」

「泣いてます?」

「泣いてない」



 声が思い切り濡れていたけれど、さすがにそれを指摘するのは大人げない気がしたので止めた。



「初めは、本当にただの男友だちだと思っていました。でも、いつの間にか好きになってたんです。エヴァンは意地悪も言うけど、優しかったから」

「……俺は、一目見た時から好きだった。可愛かったから」

「……エヴァンは、好みが変わってますね」

「シャノンは、世界で一番に可愛い。外見だけじゃなく、中身も」

「え、あ、あの、エヴァン……?」



 エヴァンの顔が、そっと近づいてきて、私は。咄嗟に彼の口を手のひらで押し返した。



「……」

「あの! ほら! もう行かないとじゃないですか!? ヴァイオレッタたちも先に行ってるし!?」

「はあぁ……。まあ、それもそうだな」



 エヴァンが何かを言いたげに私のことを睨みつけたけれど、いきなりそんな! そんなことできない! 心の準備ができてない!


 相変わらず意気地なしな私に思い切りため息を吐いたあと、エヴァンは落とした私のトランクを持ち直す。そのため息にはさすがに文句が言えなかった。でも、では、どう振る舞えばいいのか。今にも心臓が破裂しそうなくらいなのに。



「俺も自分の巣穴のほうが落ち着けるしな」

「わっぷ!」



 ふ、と浮遊感を感じる。エヴァンがいきなりに転移魔法を使ったのだ。


 人の転移魔法に相乗りする時は、自身でコントロールができないのでこの浮遊感がいつくるのか分からず少し心もとないような気分になる。これは魔法使いあるあるらしく、魔法が使えない人はこれが普通の感覚なので特に何も思わないらしい。私も転移魔法が使えなかった子どもの頃、母に学校の送り迎えをしてもらっていた時は何も感じてはいなかった。ようは慣れなのだろう。


 地に足が着いた感覚がして目を開けると、そこはもう私が三年間を過ごした寮の部屋ではなくなっていた。



「え、え!? なにここ!」

「俺の巣穴。人間風に言うと、家だな」



 エヴァン曰くの“巣穴”はおそらく洞窟の中らしく、壁があるべきような場所に岩肌がある。床は平らにされており歩きやすいが、絨毯や木の板張りではないので不思議な感じだ。パーテーションやカーテンのようなもので区切られてはいるが、とんでもなく広い空間に家具や魔道具が配置されていた。


 乱雑なようでどことなく規則性があり感じのよい配置は、あの学園で過ごした森の中の秘密基地を思い出させる。そしてこんなにも広いのに、暑くも寒くもないのだ。ここがどこだかは分からないが、おそらく温度調節も魔法か魔道具でどうにかしているようだった。



「広い! 魔道具がいっぱいある! 広い! あっち側ガラス張りなんですか!? わ、すごい、星が……!」



 洞窟の入り口側だろうか、ぽっかりと空いて一見外と繋がっているように見えるそこは、透明なガラスのようなもので覆われていた。そこから見える星があんまりにも大きくて綺麗で、エヴァンから離れてそちらに行こうとしたのだけれど、それは許されなかった。



「おい、シャノン、探検は明日にしろ。こっちに来い」



 手を引かれそのままずるずるとソファまで引きずられ、私はやっと現状を思い出した。また意味もなく慌ててしまう私を尻目に、エヴァンはどかりと一人でソファに沈み込む。手は掴まれたままで、けれどその隣に座るのは何故か躊躇われた。



「え、あ、あの、エヴァン。そういえば、ヴァイオレッタたちは」

「クライヴの巣穴だろう。明日には近くに来るだろうが、俺は今の奴の巣穴の場所は知らん」

「そうなんですね、そうじゃあ、えっと」

「シャノン」



 エヴァンが下から私を覗き込み、ひどく弱い力で手を引く。耳がかっと熱くなるのを感じながら、私は彼の隣にそっと腰かけた。ああ、胸が煩い。



「シャノン、俺は、お前が俺の巣穴にいてくれるというのなら、ほかには多くを望まない。お前の嫌がることはしないし、望みがあるというのならできる限り叶えてみせる。だからまあ、ちょっと落ち着け」

「すみません、やっぱり緊張してしまって……」

「……何となくは分かるが、そんなにあからさまに嫌がられると傷つく」

「エヴァンが傷つく……? あのエヴァンが……?」

「そういうのはもういい」



 じっと睨み合って、どちらからともなく笑いが漏れた。エヴァンが私の髪を耳にかけて、顔を近づけてくる。



「……嫌か?」

「……いいえ」



 そっと触れた唇があんまりにも優しくて、私は少し泣いてしまった。



読んでいただき、ありがとうございます。

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