4・卒業式一日前
結局、私は退学にも除籍にもならなかった。その代わりサラもお咎めなしだった。まあ、その場でやりかえしたので私は別に構わなかったのだけれど、ヴァイオレッタは「お咎めなしって何よ!?」と怒っていた。
卒業前に騒ぎを起こして、退学まで行かなくても何かしらの処分を下された時点で、就職先から人格に難ありだと内定取り消しを受けるかもしれないから、これは仕方のないことだっただろう。
私はサラが不幸のどん底に落ちればいい、なんて思っていないからいいのだ。このまま後三日、私に関わらないでくれたらいい。むしろこの件で彼女が咎められるような正常な学園経営をしていれば、彼女もあそこまでつけあがらなかったような気もする。
サラと一緒に呼び出された時、学園長先生がもっともらしく「学生同士のぶつかり合いも青春の一コマですからね」と言って、私たちの手を握らせたことは不可解だったが、逆に言えば不満はそのくらいだった。
午前中にそういう茶番をさせられたので場所取りが遅れたが、今日は午後から卒業式のパフォーマンスのお披露目があるのだ。わざわざ理事長先生も来るらしい。待っていてくれたヴァイオレッタと共に、中央広場へ向かうと既に準備はされていて今から行うといったところだった。
「あー、さすがにちょっと真ん中は見えないなあ」
中央広場の周りは卒業生だけでなく、在校生も集まっていて大賑わいだった。確かに真ん中に立っている筈のエヴァンとサラは見えない。
「そうですね。ごめんなさい、ヴァイオレッタ」
「いいの! わたしが好きで待ってたの、だからそれはもう言わないの!」
私にもヴァイオレッタにも他の友人はいる。その友人たちと先に行っていて、と言ったのだけれど彼女は待っていてくれた。……実は、こういうのは本当に嬉しい。一人でも大丈夫だと思うし、一人の時間も嫌いではないけれど、でも嬉しい。
「もう、嬉しそうな顔しちゃってぇ」
「う、からかわないでください……」
「あ、始まるみたいよ!」
ヴァイオレッタがそう言った途端、広場の真ん中で火柱が立つ。私たちは大分離れた所にいる筈なのに、かっと火の熱が広がったのを感じた。熱い。やっぱりエヴァンは飛びぬけていると確信せざるを得ない。この火柱はただ強大な魔力を放出しているだけにも見えるが、観覧している生徒たちに炎が行かないよう繊細な調節を行っているのだ。
「すごい……」
その一言に尽きた。それ以外にエヴァンの魔法を言い表す言葉はない。ほとんどの生徒が呆然と彼の魔法に釘付けになっていたが、それを金切り声が引き裂いた。
「もう! ひどいじゃない、エヴァン!」
それは金切り声ではあったが、どこか甘えた色も乗せていて気持ちのいいものではない。勿論、それはエヴァンの隣にいるサラから発せられたものだった。広場全体に緊張感が走る。
「どうしてアタシのことを考えてくれないの? 一昨日だって練習に来てくれなかったし、こんなじゃアタシ、パフォーマンスできないー!」
サラの叫びは聞きようによっては、もしかすると可愛い声なのかもしれない。複数の男子学生は心配そうに彼女を見て、エヴァンがいかに紳士的でないのかを議論し始めている。とりまき以外の私やヴァイオレッタを含めたほとんどの女子学生は、本気かという目でその人たちを見ていたが、彼らはそのことに気づいていないようだった。
「では、止めておしまいなさい!」
ざわつく広場に怒声が轟いた。それだけの大声だった訳ではない、おそらく魔法に声を乗せて拡張しているのだ。皆が、その声の主を一斉に見る。
「……ぇ? り、理事長先生?」
サラは静まり返った広場で突然の叱責に目を白黒させながらも、すぐに可愛らしい仕草で声の主である理事長先生の方を振り向いた。ここからでは見えないが、おそらく目に涙をためて哀れっぽくしているのだろう。それが彼女の常套手段だった。彼女がそうやって、自身の身の潔白と相手がいかに悪いかを主張すれば、事実なんて簡単に捻じ曲がるのだ。
「あ、あの、アタシは悪くなくって、エヴァンが――」
「お黙りなさい」
厳しく凛とした声がまた響く。理事長先生がすっと指を横に動かすと、サラは口に手を当てて黙り込んでしまった。あれは多分、声を奪う魔法だ。あんなに簡単にかけてしまうなんて、さすがは魔法教育連盟と魔法協会の重鎮である。
ここカエルム魔法学園の理事長は他にも複数の学園の理事を務めており、学校の経営管理の他にも世界規模の魔法に関わる仕事をしている為、滅多に現れることはない。名前だけ貸している状態、とも言える。役職は理事長だが名誉理事といった方が正しいだろう。しかし数年に一度でも、世界的に有名な魔法使いが学園に来てくれるというのだから、学園としても何の不満もないのだ。
しかし、これは一体どういうことだろう。広場に集まっている者は皆、固唾をのんで中央のエヴァンたちを見守った。
「お披露目は終了です、皆さん解散してください」
理事長先生は学園長先生や他の先生たちに何か指示を出し、エヴァンとサラに近づく。サラは声が出せないなりに理事長先生へアピールをしようとしたけれど、何かを言われて先生の一人に連れて行かれた。そのまま理事長先生はエヴァンに話しかけ、二人でどこかに歩いていく。
「何が起きてるの? ここからじゃ、何言ってるのか聞こえなかったわ!」
「そうですね……」
広場中央の会話は、声を張り上げていなければ私たちのいる場所までは届かなかった。何が起きているのかもエヴァンがどうして連れて行かれたのかも分からない。それは集まった皆も同様で、特にサラのとりまきたちは近くにいる先生にくってかかっていたが、何の情報も得られていないようだった。
「とにかく、今日はもう帰りましょうか。解散って言われたし、ここにいてもどうにもならないわ」
「……私、ちょっと購買と図書室に用があるので、ヴァイオレッタは先に寮へ戻っていてください」
「そうなの? もう明日卒業式なんだから、あんまり遅くならないようにね」
「はい」
ヴァイオレッタと別れた私は、どきどきと早まる鼓動を感じながら、そっと集団から離れた。
……大丈夫、きっとエヴァンが怒られる訳じゃない。だって、彼の魔法は完璧だった。そう、もしかすると逆に褒められているのかも。……でも、じゃあ、どうしてエヴァンは連れて行かれたの? 褒めるだけなら、その場でもよかった筈なのに。
ぐるぐると悪い考えが渦巻いて、どうしようもない。自分が動揺しているのは理解していたけど、だからこそ余計に周りを確認して転移魔法を使った。
―――
暗い森は、やっぱり暗いままだった。さっき連れて行かれたエヴァンがいる筈もないのに、いたらいいな、なんて馬鹿みたいだ。
光を灯して黙ってベンチに座り、膝を抱えた。ここにいても、エヴァンは来ないかもしれない。でも、待っていたら来るかもしれない。何があったのか、大丈夫だったのか教えてくれるかもしれない。やっぱり心臓がばくばくと落ち着かない音を立てていたけれど、私はここで待つことにした。
何かをする気にはなれなかった。ポケットには小さな本が入っていたし、この森に置いてあるチェストの中にはレース編みの道具も入っているけれど、とてもそんな気にはなれない。私はじっと目を瞑って、エヴァンが来るのを待った。
―――
「――ノン、シャノン!」
「んえ」
「んえ、じゃない。こんな所で寝る奴があるか!」
「エ、エヴァン!」
いつの間にか眠ってしまっていたらしい私の目の前に、エヴァンがいた。
「風邪をひいたらどうする。ああ、こんなにも手が冷えて」
「そ、そんなことどうでもいいんです! それよりも大丈夫だったんですか!?」
「そんなことってなんだ! そんなことって! この世で一番重要なことだろうが!」
「……それはさすがに言い過ぎだと思うんです」
「事実だ!」
エヴァンは怒鳴りながら魔法でブランケットを取り出して、起き上がった私の肩にかけてくれた。怒りながらも私の世話を焼く心情は一体どういうものなのだろう。
「寝るんならせめて防寒魔法をかけてからにしろ。風邪をひいてからでは遅すぎる」
「はい、えっと、ありがとうございます……?」
「まったく……」
エヴァンはまだぶつぶつと言いながら魔法で火を起こして、私の隣に座った。彼の魔力だけでできた火は地面にはつかずに浮遊して、この一帯を暖める。本当にすごい魔法技術だ。私では浮遊させることまでは出来ても、それを温度を上げるまで維持させることなんてできない。それどころか草木のどこかにあててしまって、燃え広げてしまうだろう。エヴァンがいつも何気なく行う魔法の一つ一つが、彼の凄さを表している。……って、違う!
「エヴァン、あの後、大丈夫だったんですか? 何があったんです?」
「あの後……? ああ、あれ見てたのか」
「見るに決まっているでしょう。エヴァンの晴れ舞台なのに」
「……それにしては、昨日ここに来なかったじゃないか」
「それはその、ちょっといろいろあって。……もしかして、待ってました?」
「……」
「ご、ごめんなさい、エヴァン。本当にいろいろあって、連絡もできないまま夜になっちゃって」
「別にいい、約束をしていた訳じゃない。俺が勝手に待っていただけだ」
「そんなふうに言わないで、ちゃんとお詫びをしますから……」
むつりと口を引き結んだエヴァンは横目で私を見た後、ん、と手を広げた。えっと、これは、どうしたらいいのかな。でも、そんなことを聞けるような雰囲気でもない。戸惑いながら片手を彼に預けると、ぐい、と引っ張られた。
「わ、わわっ!」
引っ張られた私は、エヴァンの膝の間にまるでお姫様抱っこされているみたいに置かれた。しかもそれだけじゃなくて、ぎゅうと抱きしめられている。え、な、何で!?
「あ、あの、エヴァン……!?」
「……疲れた」
「え、あ、そうでした。あの、何があったんです?」
抱きしめられているのでエヴァンの顔がよく見れなかったけれど、声が少し掠れて分かりやすく元気を失っていた。理事長先生に連れて行かれた後、何か大変なことにあったのかもしれない。私は高鳴る鼓動を無視して、一生懸命に話を聞いた。
「あの、ばあさんが――」
「まさか、理事長先生のことじゃないですよね」
「……理事長に連れて行かれてあれこれ話をした。長い時間拘束されて疲れたんだよ」
「どんなことを話したか聞いてもいいですか?」
「別に俺の不利になるような話じゃなかったが、つまらない話だったから嫌だ」
子どもがぐずるようにエヴァンがぐりぐりと私の肩に頭を押し付ける。意外と柔らかな彼の髪の毛が頬に当たってくすぐったい。
「……怒られたりとかはしなかったです?」
「まったく。ああ、あの女は卒業式のその時まで寮に戻れないそうだぞ」
「え」
「懲罰部屋行きだそうだ。パフォーマンスも俺一人でやることになった」
「ええ!?」
「学園長や他の職員もただじゃ済まないそうだ」
「それって、どういう……?」
「さあ? まあ、あのばあさん……いや、理事長が常識人だったってだけだろ。今までが異常だったんだ」
いまいち要領を得ないが、とりあえずエヴァンが何かを咎められた訳ではないらしい。とにかくその事実さえ分かればそれでいい。
「……よかった」
「ああ、後たった一晩だが、もうあの女に煩わされることはない」
「そうじゃなくて、エヴァンが怒られてたりしないでよかったって言ってるんです」
「……ん」
それきり、エヴァンは黙り込んでしまった。……何だか、変な雰囲気だ。私たちは、友人なのに。いや、友人なのだ。
「えっと、エヴァン、そろそろ帰らないと」
「……」
「あの、ねえ、エヴァン……」
「俺はお前が憎らしい」
「えぇ……?」
何か嫌なことをしてしまったのだろうか。それとも喧嘩を売られているのだろうか。どちらにしろ、言葉に覇気がなさすぎるのでよしよしと頭を撫でてみた。エヴァンはぴくりと動いたけれど、大人しくしている。
「……はああぁ」
「これ見よがしな溜息ですね」
「シャノン」
「はい?」
「明日、卒業式の日、お前は真実を知る」
「あの、私、占術学はあまり信じない派なんですけど」
「そういう話じゃない」
やっと顔を上げたエヴァンは微妙な顔をしていた。しかしすぐに眉間に皺を寄せる。
「真実を知っても、もう約定がある以上はお前は俺と共に来なければならない」
「……」
「だから、いや、どうか」
「言い回しが回りくどいですよ、結局何が言いたいんです?」
エヴァンはたまにこうやって、回りくどい言い回しをすることがある。占星術の先生の中にもこういう話し方をする人がいるが、正直、あまり得意ではない。せっかちだとも文学的でないとも言われたことがあるが、それでもどうしても結論を早く教えてほしいのだ。
「お前はそういう奴だよ」
「つまり、エヴァンが私のことを騙したり嘘を吐いたりしているって話ですか?」
「……言っていないことがあるだけだ」
「で、それを明日、教えてくれるんです?」
「そうだ」
「まどろっこしいんで、ここで話してほしいんですけど、それは嫌なんですね?」
「……」
「分かりました。では、明日を楽しみにしています」
「……シャノンにとって、いい知らせではないかもしれない。それでも俺はお前を連れて行く」
「一応確認しますが、犯罪とかそういうのではないんですよね」
「違う」
「じゃあいいです、ついて行きますよ。約束しましたしね」
エヴァンの顔がまた歪む。どんな隠し事をしているというのだろう。でも、今の私は驚く程に楽観的だった。彼が私を傷つけることなんてあり得ない、と不思議なくらいに自信があるのだ。
「シャノン、ガラス玉を持っているか?」
「ええ、持ってますよ」
いつものように見せようとすると、エヴァンが私の手をそっと掴む。
「エヴァン?」
「見せなくていい。……必ず、明日の後夜祭の時まで持っていてくれ」
「……分かりました。それも約束ですもんね」
「そうだ、約束だ」
よく分からないが、とりあえず声に元気が戻ったようでよかった。でも、ふと気づくとエヴァンの腕に力がこもって、さっきよりも密着している。これ、これは。心臓の音が聞こえてしまったらどうしたらいんだろう。
「あの、エヴァン? さっきから気になっているんですけど、やっぱりちょっと近すぎるかなって」
「今更過ぎないか」
「やーでも、やっぱり顔が近いし、適切な距離感ではないような気が……」
「ふはっ、顔が赤いぞ」
「わ、笑わないでください! もう帰りますから放してー!」
「あっははは!」
読んでいただき、ありがとうございます。