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2・卒業式四日前

 昨日の内に書いた母への手紙を購買の職員に渡し、出してもらった。


 この学園の生徒は、基本的に三年間学内で生活をする。皆、滅多に外出をしないので、手紙の発送なんかも購買でやってくれるのだ。長期休暇や緊急事態などで帰省する生徒ももちろんいて、それは禁止されてはいない。ただ、休み期間中も講師の特別講習などがあるので、学べるだけ学びたいという生徒は多い。


 カエルム魔法学園とは、世界的に見てもレベルの高い学校なのだ。そこに集まる生徒も自然とレベルが高くなる。けれどその中でもやはり上下は出来てしまうものだ。


 母からも「地元じゃ天才、神童などと言われていた人ばかり集まるのに上には上がいて、それに絶望して辞める人は毎年相当数いる」と、聞かされていた。私もその下位の人間だと思っていた、平々凡々な類だと。でも、蓋を開ければそうではなかった。母の言っていたことは正しかったのだ。それを察した時に母が何度も「出る杭は打たれる」と教えてくれていたことも一緒に思い出した。


 打たれたくはない。あの気の強い母でさえ辟易したというそんな状況に陥ったら、私はきっと生きていけない。そうやって息を潜めて私は三年間を過ごしたのだ。



「あー! こんにちは、シャノンちゃん!」



 やっぱり少ししんみりしながら廊下を歩いていると、後ろから甲高い声が私の背中に投げつけられた。思わず背中がびくりと震える。しかしそのままでいることもできない。私はそっと後ろを向いた。



「こんにちは、サラさん」



 害のない笑みを心掛けてにこりと笑うが、心臓はばくばくと鳴っている。私に声をかけてきたのは、あのサラだ。珍しくとりまきはいないようで一人だった。



「何してたのー、お買い物? もう卒業で寮の部屋空けなきゃなんだから、買い込んじゃだめだよ。シャノンちゃんってぼうっとしてるからアタシ心配だなっ」

「ありがとうございます、気を付けますね」

「うんうん、そうした方がいいよお」



 何故こんなにも馴れ馴れしく話しかけられるのだろう。どうして自分が上位に位置していると信じられるのだろう。まあ、サラを取り巻く環境がそうさせているのかもしれないけれど、実を言うと彼女の実力は私から見ればそうでもない。


 しかも本当は、サラの魔力を凌駕できる生徒は他にも複数いるのだ。しかしサラとやり合うのが面倒で放っている状態で、彼女はそれを理解していない。そもそもだけれど実力云々に限らず、本来この学園に通っている生徒としては皆同列なのだが、彼女はきっとそれも分かってはいない。


 ……多分、サラはこの学園を出た後の方が苦労をする。何でも、有名な魔法協会に就職が決まっているらしいが、まずその鼻っ柱を折られるだろう。そしてそれを自業自得だと笑っている人は僅かだが既にいるのだ。


 私は笑いはしない。でも、その話は置いておいて、今すぐ解放してほしい。サラと話すのは心臓に悪いのだ。彼女を慕っている派と嫌っている派、どちらに目を付けられても厄介だった。しかし彼女は自分が話したい時に好きに喋るし、それを遮る人を許さない。予定があると言って彼女の話を断れるのは、それこそエヴァンくらいだ。他の人がそれをしてしまえば、一気にやり玉にあげられて面倒なことこの上ない。



「ねえねえ、シャノンちゃんってさ、ガラス玉真っ黒になったって聞いたんだけど本当?」

「え、ええ、そうです。真っ黒であんまり綺麗じゃなくて」



 これは、嘘だ。確かに始めは色が気に入らなかったけど、私のガラス玉は真っ黒でピカピカで綺麗だ。エヴァンだって褒めてくれているのだから。でも、本当のことを言って興味を持たれたら困る。さすがに欲しいなんて言われはしないだろうけれど、サラとは極力関わり合いになりたくないのだ。



「えー! かわいそうー! でも大丈夫だよ、この学園に通えただけで一般人にとっては快挙なんだから。私みたいにすっごく有名な魔法協会は難しいかもしれないけど、下っ端でいいならきっとどこでも雇って貰えるから元気出してね!」

「ありがとうございます……」

「じゃあねえ、ばいばーい!」



 それだけ言うと、サラは廊下をパタパタと走っていった。……。疲れた。たったあれだけしか話さなかったのに、とんでもなく疲れた。卒業はやっぱり寂しいけれど、彼女と離れられるのなら悪いことじゃないかもしれない。



「何しようとしてたんでしたっけ……?」



 ぽつりと零れた独り言にハッとして私は学内のカフェテリアに急いだ。手紙を出した後は、カフェテリアで友人と待ち合わせているのだった。


 卒業まで後四日になると、もう講義はない。三年生たちは最後のこの期間を図書館に籠ったり、最後まで就活をしていたり、地元に戻る準備をしていたりと忙しくしている。私は魔法協会や組合、学校に就職するつもりがなかったからのんびりしているが、皆本当に大変そうだった。


 そんな大変な時期に時間を作ってくれた友人を待たせてはいけない。転移魔法を使ってもいいのだけれど、人の多い場所でこの魔法を使うのはマナーとしてよくないのだ。足を使うのも大事だと言う講師もいるので、転移魔法をたくさん使っているのを見られると成績にも関わるから生徒にとっては死活問題だった。もう卒業するとはいえ、最後の最後でお説教なんてされたくない。私は一生懸命に足を動かした。


―――


「遅れてごめんなさい、ヴァイオレッタ」

「大丈夫よ、シャノン。私も今来たところだから」



 カフェテリアに着いた時、約束の時間からはもう十分以上経っていた。サラに捕まったとはいえ、もっと余裕を持って動いておけばこんなことにはならなかったのだ。友人であるヴァイオレッタは約束に遅れるような人ではないから、今来たなんてことはあり得ない。



「本当にごめんなさい、ここは奢ります」

「いいのに。でも、そう言ってくれるなら甘えちゃおうかしら?」

「是非、そうしてください」



 息を吐いて、席に着く。カフェテリアの職員がすぐに注文を取りに来てくれたので、アイスコーヒーを注文した。急いだので喉が渇いて仕方がない。



「何か、今更なんだけど、シャノンがコーヒー飲むのやっぱり違和感があるわ」

「初めからこうなんですから、慣れてください」

「そうなんだけどさ……」



 そういうヴァイオレッタは甘いミルクティーを飲んでいる。私だって甘いものは好きだ。けど、ブラックコーヒーも好き。ただそれだけなのだから。



「それで、ヴァイオレッタ。話って?」

「……うん」



 ヴァイオレッタはそっと、耳に髪をかけた。これは彼女の癖だ。しんどい時や辛い時、言いづらいことがある時もそうだが、こういう仕草をする。



「わたし、やっぱり地元の魔法組合に入ることになっちゃったの」



 そう言って、下を向いてしまったヴァイオレッタは唇をぐっと噛んだ。私は咄嗟に言葉が出なかった。だって彼女はご両親との折り合いが悪く「地元には帰らない、その為に勉強しているの」と言って憚らなかったのだ。二ヶ月前には故郷とは別の国にある魔法学校で講師の助手になることが決まっていた筈だった。


 私は口を開きかけて、一旦止めた。どうして、なんで、魔法学校の仕事はどうするの。そんな言葉はきっともう意味をなさない。聞いたところで、もうどうしようもないのだとヴァイオレッタの表情がそれを物語っていた。



「そっか……」

「うん、あのね、魔法学校の就職試験、シャノンは応援してくれたのになんか、ごめんって思って。だから」

「私のことはいいんです。……ヴァイオレッタ、私に何かできることはありますか?」

「……ありがとう。本当にありがとう、シャノン。貴女はきっと何も聞かないでくれるって、思って」

「ヴァイオレッタ……」

「詳しくは、言いたくないんだけどね。わたし、悔しくて……っ。でも、どうしようもなくって……!」

「うん」



 どうにかしてあげたい。でも、きっとどうしてあげることもできない。その事実があんまりにも辛くて、ヴァイオレッタの背中を撫でながら私も一緒に泣いてしまった。一番辛いのは彼女なのに、私まで泣いたらどうしようもないのにどうしても涙が止まらなかった。


 カフェテリアだったけれど、奥の席でよかった。ここはあんまり他人の目に映らないから、二人して泣いていても誰にも見咎められることはなかった。



「……話を、聞いてくれてありがとう、シャノン。ねえ卒業しても、わたしたち、友だちよね?」

「当たり前です。……必ず手紙を書きますね」

「ふふ、本当? 待ってるわ。絶対書いてね、約束よ?」

「はい」

「……シャノン、貴女は変わらないでいてね。今のまま、そのままのシャノンでいて。貴女がのんびり暮らしていてくれたら、それがわたしの希望だから」

「え……?」

「変なことを言ってごめんなさい。わたし、実はずっと貴女のことが羨ましかったの。シャノンにも、シャノンの悩みがあるって知っていたのに……」

「……」

「家族と仲がよくって、それなのに戻って来なくてもいいって言ってもらえる環境で。……できるだけでいいから、卒業してもそのままの貴女でいてほしいの。そんな人生もあるんだって」

「ヴァイオレッタ……」



 無理矢理に笑ったヴァイオレッタは様々なことを諦めたようでもあったけれど、瞳の中に苛烈な気性を隠していた。そうだ、彼女はこういう人だ。今はどうしようもなくて故郷に帰らざるを得ないのかもしれないけど、きっとまだ彼女は全てを諦めてはいない。彼女は強く、美しい人だ。



「私は、私です。それが変わることはありません」

「……本当に、変なことを言ってごめんね。ありがとう、シャノン」



 そう言ったヴァイオレッタはもう、卒業後の話をしなかった。これまでの思い出話をしたり、卒業式の後にあるパーティーにどんなドレスを着ていくのかを二人で話した。彼女の故郷に訪ねたところで、きっともうこんなふうに話すこともできないのだろう。でも、後悔がないように楽しい話ばかりをした。まだ卒業までは後、四日ある。それまでは二人とも泣かないようにと約束をした。


―――


 卒業の準備があると言うヴァイオレッタと別れて、私はまた廊下を歩いていた。正直、特に目的もなく歩いている。この時期は友人も後輩も皆忙しくしていて、誰かと会う約束もしていない。図書館に行く気分ではないし、中央広場でのんびりと風に当たりたい訳でもない。でも、何となくまだ寮に帰りたくないのだ。まだ一人になりたくない。


 ふう、とため息を吐きつつ、顔をあげるとそのタイミングでエヴァンが角を曲がって来るのが見えた。私は慌てて知らないふりをして、そっと目線を下げる。この友情を知られたら厄介なのでどうしても内緒にしてほしいと頼んだから、私たちは廊下で会っても挨拶や立ち話をしない。お互いに興味などありません、という顔をして通り過ぎる。それが学舎内での取り決めだった。


 しかし、何故だろう。今日は視線を感じる。これはエヴァンの視線だ。彼のプレッシャーを私が間違える筈がない。けれど彼を見ることはできない。気にし過ぎかもしれないが、どこで誰に見られているかなんて分かったものじゃないのだから。最後の最後でへまをしたくはなかった。


 目線を下げたままで、エヴァンとすれ違う。大丈夫、何もない。いつも通りの筈――。



「今すぐに森へ来い」



 ひえ、と肩が震えた。声は辛うじて漏れなかったが、何とも恐ろしい声だった。エヴァンは私とすれ違うその時に、小さく低い声で「森へ来い」と命じたのだ。


 さすがに驚いて顔をあげてしまったが、その時にはもうエヴァンは転移魔法を使っていてその場にはいなくなっていた。……なにあれ、すごく怖い。しかし行かなかったら行かなかったで、怖そうだ。私は急いで人気のない所まで行き、転移魔法でいつもの森に向かった。


―――


 ふ、と体が浮く感覚がなくなり、地に足が着く。森はいつも通りに真っ暗で、人の気配はなさそうだ。でもおかしい。さっきエヴァンは私に「森へ来い」と言って転移魔法を使っていたから、すでに森にいるものだと思っていたのに森が暗いまま。まあ、いいか、と魔法で光を灯す。



「え!? きゃあ、エヴァンいたんですか!?」



 いないとばかりと思っていたエヴァンは、光を灯すとその姿を見せた。見せた、というか、元々そこにいたのだろう。



「当たり前だ。お前より先に魔法を使っていたところを見ていただろうが」

「それはそうですけど、じゃあ真っ暗なままにしないでくださいよ。せめて明かりを灯してください」

「……」

「な、何ですか? 何か嫌なことでもありました?」

「こっちの台詞だな。誰に、何をされた?」

「んえ?」



 返事がかなり気の抜けた音になってしまったのは、エヴァンが私の顎をがっと掴んだせいだ。昔に近所の人が犬のしつけ中にその子の顎を掴んでいたような感じと似ている。……それよりも、え? 何の話?



「何故、目が赤い。誰に何をされた」

「こわ……」

「怖い? 安心しろ、そいつのことは俺が責任を持って灰にしてくれる!」



 だから、何の話!? 私はエヴァンの腕をどうにか振り払って、彼の目を見た。



「何の話です? 私は何もされてませんし、冗談でも灰にするなんて物騒なことを言ってはいけません!」

「じゃあ、何で泣いた痕がある!?」

「そ、それは、その……」



 何故泣いたかなんて、少し、いや大分言いづらい。しかし、ここでようやく気付いた。エヴァンは私が誰かに泣かされたと思って怒ってくれているのだ。自分の察しの悪さにちょっと反省しつつ、彼に向き合う。



「もうすぐ卒業だから寂しいねって、友だちと話を……」

「ヴァイオレッタか」

「待って待って待って! どこに行くつもりなんですか!?」



 話が終わる前にエヴァンが私と距離をとって転移魔法を使おうとしたので、思い切り腕にしがみつく。


 エヴァンとヴァイオレッタは仲がいいわけではないが、知り合いだ。二人とも成績優秀者なので、サラが受講していない授業でペアを組んでいたこともあった。話の流れでエヴァンは私とヴァイオレッタが親しくしていることを知っているが、ヴァイオレッタにはエヴァンのことは言っていない。そもそもが勘違いだし、ヴァイオレッタにいい迷惑だし、彼女からしたら何でエヴァンが文句を言いにくるのかも訳が分からないだろう。絶対に止めなければならない。



「誤解です! ヴァイオレッタが私に何かする訳がないでしょう!? 落ち着いてください!」

「……では、何で泣いていたのかを教えろ」

「それは……。ヴァイオレッタの個人的な話なので、教えることはできません」



 ヴァイオレッタの話はとてもプライベートなことだ。彼女はきっとそれを私だからと話してくれた。だから、エヴァンであっても話すことはできない。ただ彼はこのままでは本当に彼女の所まで行ってしまいそうだ。



「でも、そうですね。この世の不条理というか不平等とか、そういうどうしようもないことが悲しかったんです。あと、自分がいかに恵まれているのかも思い知りました。ただそれだけなんです」

「……何を以て恵まれているとするのかは人によって違うだろう。俺としては、シャノンがあの煩い女を気にすることなく、のびのびと実力を出せるくらいには恵まれていてほしかったがな」

「それはちょっと違う話なんじゃ……?」

「一緒だ。あの女は自分の親の金と地位を自分のものだと勘違いしているが、それを生徒だけでなく教員までもが受け入れている。この三年間は本当に異常だった」



 そろりと腕を放しながら、ほっと息を吐く。とりあえずヴァイオレッタの嫌疑は晴れたようで、話題が変わったことに安心したのだ。



「本当に、誰にも何もされていないんだな?」

「大丈夫です。それに私だって子どもじゃないんだし、ちゃんと自分で対応できます」

「……」

「何です?」

「……頼りない」

「何ですって? 何ですって!?」



 顔を背けられてぼそりと言われたその台詞は、どうしても聞き捨てならなかった。エヴァンはたまに私のことを小さい子どもか何かと勘違いしているような言動をすることがあるが、これはいけない。ずいずいと詰め寄るが、何故か彼は笑いだしてしまった。



「く、はは! そうだ、その意気だ。いつもそうやっていられたなら、俺も安心できるんだが」

「……知らない人には無理です」

「知らない人とは誰のことを言っている?」

「友だちじゃない人……」

「はあ」

「これ見よがしにため息吐かないでください!」

「はあーあ」

「エヴァンったら!」

「……っく」

「笑うのも駄目です!」

「は、はは!」



 大口で笑うエヴァンはそれでも顔が崩れない。何となく悔しい。と、悠長にそんなことを考えていたのだけれど、そういえば距離が近いことに今気が付いてしまった。



「どうした?」

「い、いえ、ちょっと近づきすぎたなって。すみません、どきますね。え、きゃ!」



 足を後ろにやろうとした時に、ぐいと引っ張られてエヴァンにぶつかってしまった。



「ちょっと、エヴァン!」

「別にいいだろう、近くても」

「そ、いや、でも、は、恥ずかしいので!」

「慣れろ」

「え、ええー?」



 どうしてハグされているのか分からないけど、エヴァンは楽しそうで離してくれる気配はない。まあ、うん。嫌じゃないし、別に。……ちょっとくらいなら。



「シャノン、後四日、あの漆黒の石を絶対に肌身離さず持っていてくれ」

「え? ええ、それは別にいつものことだから」

「約束だ。後四日、必ずだぞ」

「分かりました……」



 エヴァンはやっぱり、私の黒いガラス玉が好きみたいだ。サラが私のガラス玉に興味を持たないで本当によかった。早まる鼓動を無視しつつ、私はもう開き直ってエヴァンに少しもたれながら制服の内ポケットをそっと押さえた。



読んでいただき、ありがとうございます。

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