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1・卒業式五日前

 この世界の魔法は、天にまします竜王陛下がその大いなる御力を人々に貸し与えてくださったもの。その証拠に全ての人々は魔法の恩恵を受けることはできるが、獣たちはそうではない。……と、いうのが、世界聖竜王教会の教えである。


 確かにただの獣は魔法を使わないが、魔法生物という魔法を使う獣はいるのだから、その教えは始めから破綻しているような気はする。そのせいで、教会と魔法生物学者たちの仲は悪いらしい。


 まあ、世界を創造した主神である竜王陛下はすごいんだぞ、と言いたいのだろう。この世界では国を越えて、創造主たる竜王陛下を尊敬する者は多い。


 だからなのか、魔法を学ぶ為の学校にはどの国でも必ず竜王陛下の銅像が飾られている。竜王陛下を見たことのある人などいないから、形は様々らしい。私の通う三年制の魔法学校である、カエルム魔法学園にも敷地内の中央広場に大きくて厳めしい竜王陛下の銅像が飾られてあるのだ。教師や学生たちの中にも敬虔な信者がおり、毎朝お祈りをしている人もいる。ちなみ私は敬虔さとは程遠く、行事ごとの時にしか教会に行かないタイプだ。


 竜王陛下に不敬なことを言う人なんてそうそういない。たとえ思っていても言うべきじゃないって雰囲気が強いのだ。だから、信仰に対しても難癖をつける人だってそういない。……彼を除いては。



「……あんなオオトカゲを、ただでかくしたような銅像に毎日祈る奴らの気が知れん」

「エヴァン、しっ!」



 校舎の裏にある陽があまり入らない薄暗い森で、エヴァンがまた悪態を吐く。ここは私と彼の秘密基地だ。立ち入り禁止ではないが、ほとんどの生徒はこんな所には来ない。


 全寮制の息苦しさから解放されたくて入学当初に私が見つけた秘密の場所は、後から加わったエヴァンによって椅子や棚が置かれたりして大変に快適だ。野ざらしではあるが、この森は陽が入らない代わりに雨も風も凌いでくれる。夏は涼しいし寒ければ魔法で火を熾して焚火をすればいい。暗さは簡単な光魔法でどうとでもなった。



「お前もそう思うだろう、シャノン。あんなものに祈ったところで魔法の腕など上がる筈がない」



 エヴァンからすればそうなのだろう。彼は天に二物を与えられた側の人間だ。魔力、頭脳、容姿、その全てが他人より優れている。同級生ではあったものの、一生関わり合いにならない人種だなあと思っていた。


 そんな彼だから入学当初からいろんな人に絡まれてうんざりしていたそうだ。私のようにこそこそと隠れることもできない優秀さだから仕方がなかったのだろう。一年生の後期が始まった日、そんなふうに疲弊したエヴァンがこの秘密基地を見つけてから私たちの友人関係も始まった。そしてこうやって三年生の最後までこの関係は続いている。



「それはまあ、そうかもしれないですけど……」

「かもじゃない、そうなんだ」

「ほら、心の支えとか、そういうものなんじゃないですか?」

「……」

「そ、そんなに嫌そうな顔しないでも」



 眉間に皺を寄せて思い切り嫌そうな顔をするエヴァンは、竜王陛下の話題がとにかく嫌いだ。話題というより、おそらく竜王陛下が嫌いなんだろう。けれど、この世界でそんなことを声高に言うべきじゃない。誰に何をされるか分からないんだからと窘めたところで、彼は全く意に介していないから私ももうほとんど諦めている。



「シャノンはどう思う、あの醜い姿を」

「醜いって……。それ、もしかしてあの、銅像のことを言ってます?」

「竜の銅像のこと以外にないだろう」

「もう! せめて竜王陛下って言って!」

「で、どう思うんだ?」



 今日のエヴァンは少しおかしい。前々から竜王陛下に対してあたりがきつかったが、こんなことを聞いてきたことはなかった。戸惑うけれど、答えない訳にもいかないのだろう。私はなんとか答えを絞り出した。



「思うって、だから、竜王陛下だなあって……」

「醜いと思うだろう。ここの銅像は特に大きいばかりで翼もない。あれでは本当にただのオオトカゲだ」

「ううん、でも、私、実家にオオトカゲいますし」

「は?」

「私の母が魔法使いって話しましたよね? 使い魔なんですよ、母の」

「何が?」

「オオトカゲが。元々は祖母の使い魔でおじいちゃんなんですけどね、今でも素早いんですよ。すごく頼もしくて、何かあったら母より先に駆けつけてくれるんです」



 この世界の人間は皆魔法が使えるけれど、魔法使いを名乗れるのはごく一部だ。大体の人は魔法を職業に出来る程の魔力量を持たない。しかし私の母の家系は代々田舎で魔法使いとして魔法薬を売っている。私もその跡を継ぐためにこの学校で学んだのだ。


 魔法使いには使い魔が不可欠、という訳でもないけれど、我が家にはオオトカゲのみーちゃんがいる。おじいちゃんだけどみーちゃん。オオトカゲだけど一般的なオオトカゲよりも大きくて、色も白くて日向ぼっこが大好きな可愛い使い魔だ。使い魔なのでこちらの言っていることも分かるし、ちょっとした魔法も使える。田舎では万能なみーちゃんで有名なのだ。



「オオトカゲが使い魔って……」

「うちの地域では珍しくなかったみたいですよ。大体、蛇を使い魔にする人もいるんですから、オオトカゲだって使い魔になります」

「普通、猫とかじゃないのか」

「まあ、猫も犬も問答無用で可愛いですけど、オオトカゲも可愛いですよ。だから、別にあの銅像を見ても、醜いとは思わないですね。これを言ったら怒られそうですけど、むしろ親近感が湧きます」



 竜王陛下に親近感を感じている訳ではなく、あくまであの銅像に対して感じていることだ。銅像はみーちゃんのようにごつごつした皮膚をしていないが、私がこの全寮制の学校で三年間ホームシックにならなかったのはあの銅像を毎日見ていたからかもしれない。学舎が中央広場を囲むようにして建っているので、渡り廊下や教室から銅像はよく見えるのだ。


 ああ、何だか少し懐かしくなってきた。もうすぐ卒業だからだろうか。けれど、そんなふうに思い出に浸っている私をエヴァンが変な目で見てくる。



「……」

「何です、その目は」

「いや? やっぱりシャノンは変わり者だと思っただけだ」

「し、失礼な。私からすればエヴァンの方がよっぽど変わり者に見えます!」

「どこが。俺は成績を弄ったりしない普通の生徒だ」

「私だって弄ってはいません」

「そうか」



 エヴァンはじとりと私を睨みつける。始めの頃はこの端正な顔が向けられるだけで緊張したものだが、最近ではそれなりに慣れた。けど、睨まれたくはない。そっと目を泳がせるが、彼の視線からは逃れられなかった。



「つまりお前は、試験の度に魔力が減って、ど忘れをした上にペンのインクが無くなることを普通だと」



 ひどい嫌味だ。実技試験では魔力が少なく計測されるように調整をして、筆記試験では理解できた五分の三くらいしか書かず、たまにインク切れを装ったりして成績を調整している私への嫌味だ。だって。



「目立ちたくないだけなんですよ」

「好き好んで目立つ必要もないだろうが、勝手に騒ぎ立てる輩なんて放っておけばいいだろう」

「……面倒は嫌です。エヴァンだって、大変な思いをしているからここに休みに来ているんでしょう?」



 私はこの学園に入学する前、母に何度も何度も同じことを言われた。「出る杭は打たれる」と。母もこの学園の卒業生だったらしいが、彼女は所謂“出る杭”だったらしい。日々の嫌がらせやプレッシャーは散々なものだったそうで、その覚悟がないなら息を潜めている方がよっぽど平和に過ごせると教えられた。


 この学園での目的は、勉強だ。心を許せる友人も少ないがいる。私は別に都会で仕事がしたい訳ではないから、学園での順位なんてどうでもいい。学べることさえ学び、及第点で卒業できればそれでいい。


 エヴァンはある意味もう雲の上の存在だから、母が受けたような嫌がらせはされていないみたいだ。けれど、それでもやっかむ人はいる。エヴァンでさえそうなのに、私みたいな冴えない人間がぽんと頭一つ飛び出してしまえば何をされるか分かったものじゃない。平和が一番だ。



「お前が首席争いに参加しないから、俺はあのきゃんきゃん煩い女とパフォーマンスをする羽目になったんだぞ」



 エヴァンが言っているのは、卒業式で卒業生代表がする魔法パフォーマンスのことだ。毎年、成績優秀者二名が選出されその年のオリジナルのパフォーマンスを行う。それを見る為だけにたくさんの観客も集まるので、この辺りの地域では卒業式をお祭りみたいに持ち上げるのだ。



「それは私のせいじゃないです。成績だって、本気を出したところで上位争いなんてできないです。それに、学園一の美少女と一緒に何かするなんていいことじゃないですか」

「本気で言っているのか?」

「ごめんなさい」



 さっきよりも強い口調と視線を投げつけられ、即座に謝る。怖い、本当に怖い。怒鳴ってもいないのに、エヴァンが怒るとどうしてこんなに怖いんだろう。



「でも、その、そんなに嫌です?」



 エヴァンが言った“きゃんきゃん煩い女”とは、サラという名前の女子生徒のことだ。ふわふわの髪にぱっちりとした目、すっと通った鼻筋。彼女がうふふ、と微笑めば大抵の男子生徒は釘付けになった。始めの内はそんな彼女をよく思わない一部の生徒が嫌がらせをしようと試みていることがあったが……倍でやり返されていた。


 サラは可愛いだけでなく相当えげつない人のようで、しかもご実家がお金持ち。すぐに嫌がらせをしようとする人はいなくなり、代わりに彼女のとりまきが増えた。私たちの学年は、彼女に支配されているといっても過言ではなかった。彼女のその日の気分や一言で授業内容が変わることだってあったし、学食が買い占められることもあった。私のような地味で平凡な生徒は彼女とできるだけ距離をとっている者も多い。


 でも、可愛いのだ。可愛ければそれでいい、という男子生徒はそれなりにおり、サラの人気は絶大だ。彼氏をとっかえひっかえしているらしいが、それでもいいらしい。気分で授業内容を変える以外は授業態度は悪くなく、成績もとても優秀なので教師たちもプライベートのことだとあまり強く言えない。彼女のご実家から学園への寄付金がすごい額なのだとか聞いたこともあるが、まあ、それはあくまで噂だ。……けれど、権力って怖い。



「……嫌だ、吐き気がする」

「そ、そんなに……」



 そんなサラは、エヴァンに興味を持っていた。自分になびかない男が珍しかったのだろう。そうでなくてもエヴァンはとても格好いいから、彼氏の一人に加えたいらしかった。それが、彼の逆鱗に触れ続けている。


 エヴァンは元々、騒がしいのも馴れ馴れしいのも嫌いだ。何というか、縄張り意識が高い獣のような感じなのかもしれない。自分が認めてテリトリーに入れた人間以外は苦手なのだ。サラはそんなことはお構いなしにグイグイとやってくるので、彼の中の評価が嫌いから大嫌いになるのは早かった。



「えっと、えっと、ほら、クッキー焼いてきたので、これで機嫌直してください」

「……ん」



 鞄からがさがさと取り出したクッキーを渡すと、エヴァンは少しだけ声のトーンを上げた。彼は私の作るお菓子が好きなのだ。これは自惚れなんかじゃない。


 甘いものはあまり食べないエヴァンが私のお菓子だけは食べるのだから、もしかすると私にはお菓子作りの才能があるかもしれない。まあ、彼が甘いのが苦手だと知ってからはスパイス入りや甘さ控えめのものばかり作っているから、舌に合っただけかもしれないけど。そんなに嬉しそうにされるのなら、作るかいがあっていい。



「うまい」

「よかった」



 さっそくクッキーをまりまりと食べるエヴァンは何となく可愛い。


 この学園は全寮制だから、食事も三食全て用意されるので自炊の必要はない。けれどどうしても甘味の類は後回しにされるので、それらは購買で買うか作るしかないのだ。しかし購買のお菓子は入荷しても甘味に飢えている生徒たちにすぐに買い占められるので、結局作る方が早かったり安かったりする。


 必要に迫られてやっていたお菓子作りだったけれど、分量を正確に量ったり焼き時間を調節したりと魔法薬作りに共通する面もあったから意外と楽しめた。エヴァンにあげるようになって別の楽しみも増えたから、特にだった。……ああ、でももう後一週間で卒業だ。寂しくなる。



「……ねえ、エヴァン。話は変わりますが、結局貴方、入学の時に配られたガラス玉は見つかったんですか?」



 ちょっとしんみりしてしまった気持ちを振り払うように話題を変えてみる。入学時に全生徒に配られたガラス玉を、エヴァンが失くしたと言っていたのがどうなったのかも気にはなっていたので丁度よかった。



「さあな」

「さあなじゃなくて、あれ、肌身離さず持ち歩いて卒業式の日に必ず持っているようにって通知があったでしょう。どうするつもりなんです?」

「シャノンが心配することじゃない、大丈夫だ。それより、お前のを見せてくれ」

「何がどう、それよりなんですか」

「いいから」



 エヴァンはたまに私のガラス玉を見たがった。ずい、と出された手は私がガラス玉を渡さない限り引っ込められないのだろう。はあ、とため息を吐いて制服の内ポケットに入れてある小袋を取り出して、それを彼の手の上にぽんと乗せた。



「いつ見ても、見事な漆黒だ」

「本当にそうですよね、真っ黒で」



 小袋から出て来た私のガラス玉は、何故か真っ黒に染まっている。貰った時は透明で、綺麗に光を通していたのにいつの間にかそうなっていた。他の生徒たちのガラス玉も様々な色に変色していたので、きっと持ち主の魔力か何かに反応して色が変わるようになっていたのだろう。


 でもなんか、黒って何か……。友人のガラス玉は暗いところで光ったり、燃えるような赤色だったり、穢れのない白色だったりするのに、私のガラス玉は黒。魔法使いにとって黒は悪い色ではないけれど、もう少し鮮やかな色でもよかったのにと思ったこともある。


 でも、エヴァンはその真っ黒なガラス玉をすごく気に入っていて、よく見せろと言ってくるのだ。彼がすごく綺麗なものを見るように真っ黒なガラス玉を眺めるから、私も段々と自分のガラス玉を好きになることができた。



「エヴァンのも見てみたかったですけど」

「難しいな」

「きっと部屋のどこかにありますよ。卒業式まで後五日なんですから頑張って探してみてください」

「……そうだな」



 私の真っ黒なガラス玉を返しながら、エヴァンは困ったように笑った。そんなに部屋が汚いのだろうか。いや、これ以上プライベートに踏み込むべきではないのかもしれない。誰にだって触れられたくない場所はあるだろう。……友人といってもエヴァンと私では住むべき場所が違う。この関係も学園の中だけのものだ。割り切るには時間がかかるかもしれないけれど、でも、そういうものだから仕方がない。



「卒業したら、どうしたいのかって話を前に聞いたよな。シャノンは今も実家に帰るつもりなのか?」

「それが、どうしようかなって……」



 学園に入学する前は当たり前みたいに実家に戻って家業を継ぐものだとばかり思っていた。でも、元々母は、私に家業を継いでほしいとは考えていなかったようだ。それ自体は知っていたが、学園に入って私もようやくどうして母がそう言うのか、その意味が分かった。


 私は田舎の出身だ。田舎では、そもそも特殊な魔法薬などそうそう必要にならない。害獣はいても、強い魔法生物が襲ってくるような危険もない平和で長閑な田舎では、普通の薬より高価な魔法薬はそんなに売れないのだ。なのでうちでは、魔法を込めていない普通の風邪薬や湿布なども販売していて、どちらかというとそっちの方が売れ筋商品になっている。


 たまに都市の魔法薬店よりは安いからと小売業者がまとめて買い付けに来てくれるが、それならば始めから都市で売った方がいい。とはいえ、潰れる心配をする程ではない。十分にやってはいけるのだ。



「……帰らないのか。それにしては就活もしていなかったようだが?」



 驚いたような呆れたような声でそう言うエヴァンに一瞬怯むが、これには訳があるのだ。



「いや、帰らないつもりもないんですけど。母が、もうちょっと都会でいろいろ見てきたらって」



 祖母は住み慣れた土地から移る気がないと言っていて、私が入学する前に他界した。母も早くに亡くなった父との思い出があるからと、移住するつもりはないそうだ。でも、私にはそうする必要はないと言う。



「卒業間近で、こんなに悩むとは思ってもみなかったんですよ。まあ、少し旅でもしてみようかなって」



 私だって故郷に思い入れがない訳じゃない。生まれ育った場所だ。長閑で優しい場所なのだ。でも、友人と呼べる人は、もしかしたらいないかもしれない。もちろん、親しい人はいる。けれど私と同じくらいの子どもはほとんどいなくて、皆大人だ。


 子どもが生まれると大体の家族は子どもの学校の為にと都会に引っ越す。戻って来る人もいれば、そのまま都会で暮らす人もいる。私はこの全寮制の学園に入る前までは母が移動魔法で送り迎えをしてくれていたが、そんなこと他の人にはできないから当たり前だった。


 だからなのか、少し、外の世界に興味を持ったのだ。この学園でたくさんの同年代の人と関わったからかもしれない。母も無理に戻らないでいいと言ってくれているし、一度故郷以外の土地を見て、それから将来を決めてもいいかもしれないと思ったのだ。



「……お前、意外と無計画だな」

「若い内は多少無鉄砲でもどうにかなるって、歴史学の先生も言ってたんで、どうにかなるかなぁって」



 確かに、かなりの無計画だった。多分だけれど、この三年間の寮生活で無意識の内にいろんなものを抑圧してきた結果だとも思う。エヴァンに呆れられているのは理解できたけれど、卒業試験が終わってからはバックパッカーについての本を読み漁っているので多少はなんとかなる気もしているのだ。


 それに、何を隠そう私の魔法の腕はそれなりである。……実戦でどこまで通用するかは分からないが、ちょっとしたことなら大丈夫、だと思う。



「なら」

「ん?」

「なら、俺の故郷に来てみるか?」

「エヴァンの故郷、ですか?」

「そうだ、標高が高くて少し辺鄙な所だが不便はない。一人でふらふらするよりはましだろう」

「山の上に住んでたんですか」



 エヴァンが自分のことを語るのは珍しい。一年生の時に生徒の一人が「君はどこの出身なんだ?」と世間話を持ちかけた時、彼が「不愉快だ。何故、お前ごときにそんなことを教えてやらなければならない?」と言って教室を凍らせたことは有名な話だった。


 だから私も彼にその手の話を振ったことはなかった。こんなにもあっさりと話してくれる程度には、私たちは仲良くなれたのかもしれないと少し感動する。



「ああ。……まあ、嫌だと言っても連れて行くが」

「え、そ……ん? いや、おかしくないです?」

「お前にもう少し計画性があれば考えたが、なさそうだからな」

「ええ……。まあ、いいですけど」

「けど、なんだ」

「何か、うん、まあ、いいですよ」



 一応、都会を見てまわるつもりだったのだけれど、他の地域のことを勉強するのも悪いことじゃない。うん、そうだ。それに、エヴァンがそんなに辺鄙な所だと豪語するのなら、長旅になるだろう。必然的にその旅の途中でいろんな所を見られるだろうから、もしかすると一石二鳥なのかもしれない。


 それに、卒業と同時に切れると思っていたエヴァンとの関係が少しでも長引く。それを一番に嬉しく思ってしまう己の俗物さにちょっとした罪悪感を覚えるが、でも本当にそうなのだ。……せめて、エヴァンには私がこんなことを思っているなんてバレないようにしなければいけない。彼はきっと、私のことを友人だと思ってくれているだろうから。



「……言ったな?」

「え?」

「行く、と言ったな。これは約定だ、違えるなよ」

「約定って……。違えるつもりはありませんけど、エヴァンってたまに大袈裟ですよね」

「そうでもないさ。じきに嫌でも分かる」



 一瞬、エヴァンの瞳が光ったように見えたけれど気のせいだろう。光の具合でそう見えたのかもしれない。



「でも、じゃあ、どういう感じで行くんです? 卒業後すぐに出発するとか、数日この辺りに留まる人もいるみたいですけど」

「卒業式が終わったらすぐに出る。シャノンはどうせそう荷物はないだろうが、必要なものだけはまとめておけ」

「どうせってなんです、どうせって」

「あるのか、荷物?」

「後輩に譲ったり捨てたりして処分しましたけど……!」



 確かに荷物はもう減らしてある。一応バックパッカーをしようと思っていたのだから、身軽な方が動きやすいと調子に乗って処分してしまった。私の部屋は今とても殺風景だ。



「なら貴重品だけまとめておけばいい。必要なものは向こうで揃えられるから着替えも必要ない」

「え、いやでも、途中で買い揃えるのに資金が」

「そんなことは気にしないでいい」

「え、あ、エヴァン!」

「じゃあな、準備はしておけよ」



 さっと立ち上がったエヴァンはもう転移魔法でいなくなってしまった。はあ、とまたため息を吐く。資金のことは気にしないでいい、とはつまり、多分出してくれるつもりなんだろう。彼はかなりのお金持ちであるらしい。らしい、というのはやはり彼の素性を全く知らないから不確定の情報であるということだ。


 知り合って友人と呼べる関係になってから、エヴァンは何度か私にものを買ってくれている。食べ物だったり服だったり、授業では使わないけどあれば研究が進むような高価な魔導書や魔導具、魔石だったり……。


 魔導書などは一応購買で手に入れられるものだから高額といっても目が飛び出る程のものではないが、うん、学生がぽんぽんと買える値段ではなかった。いや、始めは普通に断ったのだ。高額なものはもちろん、少額のものだってそんなの貰ういわれがない。


 けれど、断っても断ってもエヴァンは私が受け取るまで持ってくる。しかも断る度に不機嫌さを増して眉間に皺をくっきりと刻んでくるからかなり怖い。その上「この前のあれが駄目だったなら、これはどうだ」と更に値段の高いものを渡してこようとするので、もう折れた。


 お菓子をあげるようになったのも、そのお礼の一環だ。私は自由にできるお金をそんなにたくさん持っていないので、よければ、と渡したのが始まりだった。


 ……もしかしたらエヴァンも、私と一緒で今まで同年代の友だちがいなかった口なのかもしれない。さっき故郷は辺鄙な所だと言っていた。だから普通は友だちにものを買い与えることはしないということも分からないのかも。



「よし……!」



 これは、私がエヴァンのあのプレゼント癖を止めないといけないのだろう。彼はお金持ちらしいので余計なお世話かもしれないが、誕生日でもない友人にものを贈る義務はないのだと教えた方がいい。彼は人好きする方ではないので騙される可能性は低いが、変な人に付きまとわれたりしたらことだ。


 それから、旅の道中で私も魔法薬とか作ってお金を稼ごう。エヴァンが私にくれたものの総額は何となく分かっている。お金で返すというのも色気がないから、できれば私も何か贈り物をしよう。


 ……何だか、少し楽しくなってきた。卒業が寂しくて、じんわりと落ち込んでいた気分が久しぶりに浮上していくのを感じる。



「あ、お母さんに手紙を書かなくちゃ」



 卒業してもすぐには帰らないと伝えてあったけれど、行く場所が決まったら教えてと言われていたのだった。善は急げだと、私もエヴァンと同様に転移魔法を使って寮の自室へ戻った。



読んでいただき、ありがとうございます。

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