高一の春1
「今日は?個人練1時間?
そのあと全体合奏?ほーん。」
俺は一年の時どころか、高校入学前の春休みから部活に参加していた。
田舎あるあるだと思うが、中学と高校のパイプが太く、部活のOBの先輩が数多く俺が今通っている高校に進学しているため、仲のいい後輩を、高校に合格したら春休みから部活に呼ぶのだ。
なので、俺は一年のくせに既に合奏メンバーに選ばれている。
割と進学校である上に、割と強豪でもある我らが吹奏楽部はなかなかに厳し目の練習量がある。
しかし毎日のように残業していた私にとって、こんな練習量は屁でもない。
何時間だってこなしてやろう。
大人の思考力と子供の体力って個人的に無敵だと思うの。
楽器を準備するといそいそと個人練習ができるスペースを探しに行く。
「ここ、ここ!」
俺が陣取ったのは崖の端っこ。
我が高校は小高い丘の上にあるため、敷地の端っこが崖のようになっている。
そこから楽器を吹くとなんとも気持ちが良い。
変に響かず、自分の音色をしっかりと見つめることができる。
無心でひたすらにロングトーンをしているとあっという間だった。
遠くから、けいじーーー!!と呼ぶ声が聞こえる。
全体合奏の時間だろう。
「おまたせ。」
音楽室で合奏体系に置かれた椅子の、自分の席に座りながら言う。
「今日だいぶ集中しとったね。
音全然途切れんかった。」
「そう?
だってたかが1時間だし。
てかむしろじかんたりねー。」
「お、言うねぇ。」
「ほら、一年!喋らない!」
出た、こういうところ。
こういうところが本当に嫌い。
喋ってもええやん。
指揮者待ちの今は瞑想でもする時間か?
「なんですか?」
注意されてしゅんとするみなみを尻目に
半ギレで先輩を睨みつける。
「えっ、」
まさか先輩も食ってかかってこられるとは思っても見なかっただろう。
「なんです?
ほら、一年、喋らない、でしたっけ?」
「そ、そうよ!
今は先生を待ってるんだから!」
「全然理解できんっすわ。
まず、俺の名前じゃなくて一年っていう全体名詞で呼ばれたのも納得できんし、たかだか講師でもないこの学校の音楽教師を待つだけでこの空気感?
意味わかりませんわ。
そんな無言で背筋ただして微動だにせず待ち続けるほどうちの先生って偉いんでしたっけ?」
「いや、それは、
「偉いんか偉くないんかどっちなんすか?
俺らにそこまで強制できるほどの権力の持ち主なんすか?」
空気凍っとるわ。
そりゃそうやな、一年坊が先輩に食ってかかったらこうなるわな。
「そ、そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、迷惑かけるほどの大声で話しとるわけでもないんでほっといてもらってもええですか?
別に俺、金もらってここにおるわけでもないんで。」
もし俺がプロのプレイヤーでお金をもらってここに座ってるのなら別だろう。
プロとしての振る舞い、全ての所作にお金を払うほどの価値があるかどうかを見定められている。
でも、たかだか学校の部活でそこまで強制される謂れはない。
空気は死んでるが、変な宗教みたいと言われるような、吹奏楽部の聖域。そこに一石を投じることができてよかった。
そうこうしていると先生が来た。
ただの音楽教師なのにまるで巨匠みたいな立居振る舞いをするこいつが俺はとんでもなく嫌いだった。
指揮台に立つや否や一言。
「はい、じゃあチューニング。」
チューニングは中音域の楽器が鳴らして、それにみんなが合わせて行って一つの音を作っていく。
先生がキーボードのB♭の音を鳴らす。
今日の一番手は、中低音セクションでテナーサックスを吹いている俺だ。
しっかりと音を聴いて自分の音をさらに重ねる。
先程の基礎練のロングトーンがしっかりと効いている。
申し分ない音色だと思う。
8拍のロングトーンのうち、後半の5拍目から隣が合わさってくるのだが入ってこない。
俺がソロで8拍吹き切った。
「えっ?」
みんながこっちをみている。
「おい、東田。
お前その音何した。」
「いや、なんも。」
「お前先週と音違いすぎだろ。」
「変なになってます?」
「逆だよ。とんでもない、前からは考えられんような音や」
「あ、そうですか。
じゃ続きお願いします。」
先生はしばらくポカンとして、
思い出したように少し笑った。
気を取り直して再度チューニング。
よしよし、今度はうまく入れたね。
合奏は恙無く進んでいき、やっと夏のコンクールの課題曲に入った。
俺は一度目の時にこの曲を吹いている。
つまり、みんなとは違ってこの曲を吹くのは二度目だということだ。
二度目ともなれば大体どんなこと注意されるかなんて手に取るようにわかる。
特に今はまだまだ吹き始め。
課題曲をまずちゃんと楽譜通りに吹けるようになるところだ。
そんな時に注意されることなんて
音程、リズムくらいしかない。
一度目の時に吐き気がするほど聴いたこの曲。
リズムや音程なんて、ほっといてもかっちり決めることができる。
うーん、やたらと指揮者と目が合う。
間違えてないはずなんやけどなぁ。
「あい、ストップ。」
指揮者の掛け声で、前半部分を吹き終わったところで曲をとめられる。
「はい、東田の音聞こえた人。」
お?
やるんか?
ワシを吊し上げにするつもりか?
臨戦体制に入ろうとしたところで、手を挙げた部員が結構いた。
「おぉ、よう聞こえとるな。
東田どうしたんか。
昨日と違いすぎるじゃろ。」
「そうっすかね。
じゃあ調子いいかも知んないっす。」
「音程はほぼ完璧、リズムは全然狂わん、音色も昨日と全然違うくらい良い。
お陰でみんながちゃんとお前の音聞くけぇ、今の時期にしては考えられんくらい合うとったわ。」
「うっす。
がんばります。」
「あい。
じゃあ、続き。
みんなよう東田の音、聞いてみ?」
イチ、ニィ、どうぞっ!
というよくよく考えたら意味のわからない掛け声と共に曲が再開される。
その後も合奏練習はどんどん熱を帯び、19時の下校時刻になったところで解散となった。
部活が終わり、楽器を片付けていると、誰かが後ろに立った。
「慶次どうしたの?」
声をかけてきたのはパートリーダーで、俺が中一の時同じ中学で同じ吹奏楽部の部長だったカワノさんだ。
頬のニキビがかわいい先輩である。
「どーしたもこーしたもないっすよ。
ただフツーに吹いただけっすね。」
「いや!
いやいや!
明らかに音違うって!」
「それうちも思った!」
会話に乱入してきたのは、俺と同じ中低音セクションのセクションリーダーで、猫目が可愛く、さらに気が強いくせに身長は150そこそこという、可愛さが渋滞しているニャンコ先輩だ。
本名は中山さん。
吹奏楽部は変なあだ名をつけがちである。
「うーん、なんでなんすかね?
よくわからんっす。
そんな持ち上げられたら明日が怖いんで、こういう日もあるってことで。」
「えぇ?」
「おぉん…?」
2人とも明らかに釈然としてないが、この場を収めてくれた。
そうして楽器を片付け終わったところでみなみが声をかけてくる。
「けいじ!帰ろ!!!」
「みなみは元気だなぁ。」
「そうかな!?!?そうか!!!」
ちなみにみなみは、一度目の時はテストのたびに赤点を取る補修常連の、少し頭の出来が悪い子だった。
2人で駄弁りながら、電車に乗って帰る。
最新の記憶では、電車といえば満員電車だった俺にとって、地元の通学電車はガラガラで、懐かしくもあり少し寂しくもあった。
「じゃあね!」
「ういーす。」
自宅の最寄駅で解散し、俺は塾へ。
みなみは自宅へと帰っていった。
「こんちは〜」
懐かしい記憶を思い出しながら塾の扉を開けて挨拶。
タイムカードを切って、授業を受ける。
DVDで授業を受けるタイプの塾だったのでかったるくてかったるくて仕方ない。
これなら自分でやったほうが早くね?
と思いながらあくびを噛み殺して授業を受ける。
なんとかノルマをこなしたところで小テストを受けて、久々の満点を叩きだして、塾をあとにして、母の迎えの車に乗る。
「どしたん。」
やっぱり母さんは鋭いね。
「聞く?」
「話したいんじゃろ。」
「まぁね。」
そこで、一度目の人生を送って、今二度目の人生を送っている様な気がすると正直に話す。
一度目の人生はなんとなく碌でもなかった。
親元を離れてから努力することを怠り、親を何度も泣かせて、やっと生業とするものを得ることがてきて働いた。
だけど、仕事は激務で、30代の途中からの記憶はない。
心が思い出すことを拒否しているような気がする。
前の人生の最後の記憶は、会社の最寄駅のホームだった。
その後のことは想像でしかないので、あえて口には出さないでおく。
話を聞いた後の母は一言だけ呟いた。
「よう帰ってきたね。」
「うん、ただいま。」
ただいまと言い切るよりも前に、涙で声が出なかった。
東京に出て孤軍奮闘。
何年も家に帰られず、母のおかえりの声を聞いたのは何年ぶりだろう。
やっと自立できたこともあって、心配をかけまいと仕事に邁進したが潰れ、実家とはだんだんと疎遠になってしまった。
それが一番親不孝だったことに、今気づいた。
「帰ってこられてよかった。
また母さんに会えてよかった。」
「何言いよるんよ。
ご飯作っとるんじゃけはよ帰るよ。」
「はいはい。」