3話_静かに進み出す何か
唐突だが、自分の名前に不満を感じた事はないだろうか?
苗字は固定、名前は親から譲り受け、自分勝手に名前を付けることは出来ない。
唯一可能だとすれば、ゲームのキャラやペット関係、ハンドルネームやペンネーム。その他諸々とあるのかもしれないが、結局の所、自分の名前は変更不可。まあ、結婚や離婚して苗字が変わるとかはあるかもしれないけれど、とにかく何が言いたいか?
それは、俺は自分の名前があまり好きではない。
そんな事を言ってしまえば親に申し訳ないと思うが、奈緒秀生だぜ?平仮名で見ると”なおしゅうせい”。見方を変えると”名を修正”だ。
小さい頃は、よくからかわれたものだ。
どうせなら、無難な名前にしてほしかったぜ。とは言え、漢字だけ見れば十分落ち着いているが。
そういや、あいつの苗字も……よくからかわれてたな。
聖母と言うだけで神呼ばわりされ、人がいいから特に怒る事もしなかったせいで、掃除当番や雑用を押し付けられたり。まあその見返りで、友達は沢山いたっけか。俺なら速攻キレるわ。
あ。マリアと言えば、先輩の名前もそうだったな。
てか、俺が最近知り合った女は、どうしてあいつの名前が入ってる?
「まさか、俺をからかってんのか?自分に受けた名前の恨みを、俺で晴らして…」
「ないない。秀ってば被害妄想だよ」
時刻は23時を過ぎた辺り。
虹花からの着信で、本日の話の延長戦と言うか、あいつの一方的な世間話。
あまりにも話が長い為、俺は名前について誰か様に語りかけていて、マリア繋がりで俺がどうしても虹花に申し立てをしたく、今に至る。
「本当にたまたまなんだよ。ナギちゃんも祈先輩も。驚いたのは私も同じ」
「しっかし、見事に苗字と名前が逆さに付いたもんだ」
「ねー。もしかして、呼びづらくなったとか?」
「まあな」
「何なに?それは私を意識するからかなあ?」
「ちげえよ。お前といつもいるなら、今日のような事が毎回起きるだろうに」
そう。あいつのそばに七凪歌さんと舞愛先輩が同時にいれば、どっちかが必ず反応する訳だ。
だからナナちゃんと呼ばれているんだと納得するが、俺がその呼び方をしたくない。
「昔みたいにナナちゃんでいいじゃん。なんならナナでもいいよ?」
「断る。理由を聞かれる前に言ってやる。恥ずかしいし、馴れ馴れしい」
「何それ?恥ずかしがる仲でもないじゃん」
と。名前の話題で議論してしまったが、結局の所、俺が虹花をどう呼ぶかは保留となり、本日の通話はこれにて終了。
就寝前。
俺は彼女の攻略法を考える。
フラれたとはいえ、俺と彼女の仲はまだマイナスではない。
何故に?それは、彼女が俺に対する接し方は至って普通。てか間接キスを許してくれる辺り、少しプラスと思いたい。
「だったら攻めの一手しかないだろ」
そう。この手のタイプは押して押して推しまくる。
少しでも引けば負けると思え。
ふふ。明日からが楽しみだぜ。
◆◆◆
月曜日。
「七凪歌さん。そのプリント一緒に持って行こうか?」
「ありがとう。でも間に合ってま〜す」
水曜日。
「七凪歌さん。今日バイト休みならデートでも」
「ざんね〜ん。予定ありますよ〜」
金曜日。
「七凪歌さん。一緒に…」
「ナギちゃん、一緒に帰ろ」
「うん。じゃあ、そう言う事で〜」
「…………」
何なんだ?この完全スルー感は。
てか、最後は虹花の邪魔が入ったが、多分断られてたのかもしれんな。
「奈緒くんだったかな?君がこの階にいるなんて珍しいな」
納得いかない表情で廊下に立ち尽くしている所に、聞き覚えのある声。その正体は。
「七五三祈先輩。七凪歌さんなら、さっき帰りましたよ」
「そうか。では君は暇か?」
無表情の彼女から送られる突然の誘い。
いつもの俺ならお断りするパターンだが、彼女の事を色々と聞き出せるチャンスなのかもしれない。そう思った俺は、先輩の誘いを笑顔で受け入れた。
「…………で。何でココなんすか?」
「ご主人様が、時間を持て余しておられたようですので、私でご満足いただこうかと」
「要するに、売上に協力しろと言ってますね?」
「フフ。ご主人様は冗談が得意なのですね」
「……そのようで」
「では、精一杯おもてなしいたします。少々お待ち下さいませ」
店の壁際に4人用のテーブル席が見え、俺はそこで座っている。先輩は俺に軽く手を振り、厨房の方へと歩き出していた。
この場所は、他の席とは少し距離があいていて、居心地はいい。
察しの通り、ここはメイドーレ。
先輩の誘いにホイホイついて行った結果がこの様よ。とは言え、先輩に悪意はないし、正直この店でいる先輩の方が安心して話せる。
それに……彼女のメイド姿は、可愛くて美しい。
じゃなくて、いや、本当は可愛いいし美人だ。でも本当に言いたいのは、彼女はこの店の時だけ”表情と口数は増える”。
だから、今のうちに彼女の事を聞き出して、少しでも俺の好感度を上げてみせる。
「お待たせしました。祈の、特製お絵描きオムライスでございます」
な。ん、だと?
テーブルの上に丁寧に置かれる白いお皿。その上には形の整った黄色の楕円形。更にその表面に赤い文字で描かれた”いのり”からの、その文字を”ハートマーク”で囲っている。そしてとどめは、お皿の周りにも赤く染まる文字、”とくべつだからね”。
震えるくらいのクオリティ。彼女同様の美を感じ、俺は言葉が出ない。
かつて、このようなオムライスを俺は見た事もない。
てか、そもそも頼んでないのだけれど?
「あの、先輩?」
「今は祈りでございます」
「……い、祈さん?これは?」
「祈りの特製お絵描きオムライスでございます」
いや、それは知ってるんだよ。
「俺はまだ、注文をしていなかったはずですが?」
「本日、ご主人様は祈を独占する権利があり、ご主人様に尽くす事が、祈の務めでございます」
「ど、独占ですか?そんな事ありなの?」
「ええ。だって、この席はVIP席でございますから」
VIPとな?これはかなり高くつきそうな……
先輩の曇りなく晴れやかな笑顔が、俺にとってはかなり恐怖となってしまっている。
とりあえずこちらも笑って対応すると、隣に寄り添うように彼女は座り、耳元で誰にも聞こえないように事情を説明する。
先輩の説明ではこうだ。
暇をしていた俺をメイドーレへ連れて来たのは、先輩が俺の話し相手になってあげたい良心だった。が、今日はバイトが入っていた為、業務をこなしながら俺との時間を設けてくれたらしい。しかもここの支払いは先輩がこっそり支払うとの事だ。
余談だか、メイドーレでの先輩の立ち位置は、かなり高い位にいるらしい。全ての業務を1人でもこなせるお人。ま、何故こんな所でトップに立ってしまったのかと疑問が浮かぶが、才能だと割り切れば納得してしまう他ない。
説明が終わり、耳元から離れると、今度はスプーンでオムライスをすくい、俺の口に近づいて来る上半身。衣装の魔力で実りある果実が際立ち、視線が釘付けになる。
「はい、あぁん」
「ちょっ、祈さん。いくら何でもそこまでは」
「ご主人様。これもサービスです。それとも……祈の事、お嫌いですか?」
若干困り顔で見つめられ、秒で首を左右に振り否定すると、彼女の持つスプーンが、俺の口に押し込まれた。
照れる俺と奉仕の喜びに浸る先輩。
彼女が近づく度に、ほのかに香る香水と、至近距離で見つめて来る瞳に、俺は翻弄されつつある。
これはマジでヤバい。
今の俺の頭の中は、先輩で埋め尽くされて行っている。どうりでメイドーレでトップに立つ訳だ。身をもって体験するとは正にこの事。
「ご主人様。程よい時間にお飲み物をお持ちします。その時に、祈とお話いたしましょう」
先輩の言葉で、忘れかけていた目的を思い出す。
俺は分かったと言う言葉の代わりに頭を少し下げ、オムライスをたいらげた。
~ 3話_静かに進み出す何か ~
晴れた夜空に、一筋の星が流れた事には全く気づかない帰り道。家路に向かう俺の隣には、まだ彼女がいた。
「祈に付き合ってくれて感謝する。迷惑を掛けたね」
「いえ。こちらこそ、俺なんかとずっと……密着と言うか……」
「それは構わない。仕事だから」
「で、ですよね」
「それに、君の話の内容は、他人には公表出来ない個人情報だ」
最もな返事。
店で七凪歌さんの事を大声で話していて、不逞の輩に聞かれてしまう事は危険だ。まして彼女は、あの店でメイドをしているしな。これも先輩なりの配慮であろう。
店を出ると途端に無表情になり、口調も変化する。知ってはいるが、こちらの先輩は少々話すのに困ると言うか、緊張してしまう。年上って事もあると思うが、失礼のないように言葉を選びがちだ。
「やはり、この話し方は嫌か?」
「いえ、そんな事……ただ緊張しちゃうんです」
俺の返事に少し首を傾ける先輩。
そして、その体制のまま俺の顔を見て質問する。
「祈は祈だ。可愛い服を着ようが着まいが、口調が変わるが変わるまいが、同じ存在。奈緒くんは祈が2人いると、脳内で勘違いしてないか?」
「……確かに、そう考えてるのかもしれません」
彼女の場合、普通の人に比べると、振り幅が極端過ぎる。だから別人と解釈して、頭で処理しているのだと気づいた。
でも何故ここまで自分を変えている?あの店でやって行くのには、ああでもしないとダメだったのか?
歯切れも表情も悪いまま答えると、先輩は少し口角が上がり、静かな笑顔でこう言った。
「素直だな。朱の話してた通りだ」
「え?俺がなんです?」
「あ。全く……我々は、呼び合うのもややこしいな」
この時彼女は何かを理解し、俺は何も理解していなかった。
しばらく沈黙の時間が続いたが、これはこれで居心地がよかった。
たまに目が合っては、微かに微笑む先輩。無言は失礼と思っていたが、優しい表情が今の時間を生み出した。おかげで自然と緊張もしなくなり、少しだけ世間話でも口にして、それに答える先輩。
数分後、世間話を続けるつもりが、興味本意で言葉を漏らす。
「先輩は、彼氏さんいます?」
「唐突だな。奈緒くんは、彼女探しに必死のようだが」
「否定はしませんが、先輩には野暮な質問でしたか?」
歩幅を合わせながら互いに並んで歩いていたが、突然彼女は走り出し、俺の目の前で立ち止まる。
当然このままではぶつかるので、自然と歩みを止め、次なる行動を待っていると、彼女の右手が谷間の中心へと動き、手のひらをそっと当てながら答えた。
「奈緒くんの彼女候補に、祈はいるか?」
「え?……それって」
彼女の不意打ちにより、驚いた声を出し、彼女の瞳から眼が離れなくなってしまっていた。
「それが野暮という事だ。ではまた会おう」
彼女は俺に背を向け、小走りに去って行く……。
「祈……さん」
今のは何だ?じゃない。俺には2つの答えが浮かんだが、まあ自己評価を高く持ってしまっては、足元をすくわれかねん。ここは素直に先輩には彼氏はいないと思っておこう。
「あたしより、先輩を選ぶんですか?」
背後から耳元で囁いて来た声に驚き、振り返りながら数歩下がって声主を確認すると、そこに立っていたのはまさかの彼女。
「な、な七凪歌さん。違うんだ。俺は……」
「ふふふ。冗談ですよぉ。大体、あたしらはそんな関係にはなりませんし」
最近理解した事がある。それは、この子は悪意のない笑顔で、俺の心を折る事だ。計算しての行動なのか?単に天然で発動しているのか?その答えを知りたい所だが、今は話題を転換させる。
「こんな時間にどうしたのさ?」
「気になります?」
彼女は俺の顔を一瞬だけ見て、空を見上げた。
「今日は天気いいからな。星が綺麗に見えただろ?」
「ほう。少しだけ、奈緒くんの好感度を上げておきます」
分かりやすいヒントを出しておいてよく言うぜ。でも、君の好みは先輩から聞けた。
「そりゃ光栄だ」
君は星好きって事じゃないよな。実際は星の輝きが好きなんだ。もっと砕くと綺麗な光が好きなんだ。
「でも。あたしは、星を観察するのは好きじゃないよ?」
ああ知ってるよ。でも今は知らない事にしとくさ。
それから俺は、彼女と久々に2人だけの時間を過ごす事となる。とは言え、帰る方向が途中まで一緒だったからなんだが。
「今度、指名してもいい?」
「それはいいけど、どうして?」
「店でなら、ゆっくり2人で話せるし」
「それが目的?メイド姿が目当てじゃなくて?」
確かにメイド姿の君も嫌いじゃない。むしろ好みの方に入る。でも、今は君と言葉を交わしたいんだ。
俺は彼女に頷きで答えると、突然彼女は俺の手を握って走り出した。慌てて彼女に合うスピードでついて行くと、小さなバス停が見えて来る。そのバス停のベンチ付近で立ち止まり、繋いだ手を離しながらベンチを指差した。
「座って」
「それは、バスが来るまで一緒に付き合えと?」
彼女は首を振り、今度は俺の顔を目掛けて指を向ける。なんとも綺麗で細い人差し指だな。
「この時間になるとね、バスはもう来ないの。だからここであたしと話しませんか?」
「それはいいけど……何で?」
「ふふ。奈緒くんはやっぱり面白いね。あたしと話すのに、わざわざメイドーレ限定で、しかも高いお金を払ってもらう必要なんてないんだよ?」
「まあそうだけど。ん?て事はだな、俺はナギさんと無償で話していいんだな?」
少し真剣な顔で彼女の顔を見ながら質問すると、俺に向けている指を自分の頬あたりにくっつけて……
「ねえ?今、あたしの事、名前で呼んだつもり?」
な。また俺をからかってるのか?
いや、待てよ。よく考えてみれば、彼女から俺に名前を言ってくれた事は1度もない。虹花からもちゃんと紹介してくれてもいなければ、先輩にも彼女の名前を……
『素直だな。朱の話してた通りだ』
「もしかして……しゅう……さんなのか?」
ふと、先輩の言葉が頭に過り、思っている事を素直に口にすると、彼女は驚き、頬につけていた指を5本に増やしながら口元を隠す。
そして俺の顔を見ながら、隠れた口から届けられる明るい声。
「とりあえず座ってよ」
「じゃあ遠慮なく」
ベンチで横並びになりながらも、身体は互いの方向に向き、話の続きを語る。
「ざんねんでした。祈さんが言ってたんでしょ?」
「えっと……ああ。先輩に、俺の事を話す女の子なんてのは、2人しか存在しなくて」
「男の子かもよ?」
「俺に親しいヤロー友達なんていないさ。仮にいたとして、かろうじて枠鳴くらいさ」
何故か無言で俺の表情を観察し、彼女の顔が徐々に近づいて来る。
ほのかに香るシャンプーの香りが、彼女の色気を倍増させ、一瞬彼女の顔から視線を背けた。
「そっか。奈緒くんは素直だから信じる。だから、あたしも少し自分の事を教えてあげるね」
そう言って彼女は体制を戻し、ベンチに両手の手のひらを着けつつ、状態を反らす姿勢で少し空を見上げて語ったのだ。