第80話 恐るべき侵入者
エイデン城内に突如として響いた警報は、想定の外も外。何者かの襲撃を報せるものだった。付近では兵士の集結と非戦闘員の退避が入り交じり、混迷は早くも深まっていく。
「戦える者は武器をとれ! 何としても追い返すのだ!」
それだけの騒ぎを前にしても、侵入者は我関せずとばかりに堂々と回廊を進んだ。
中背中肉のローブ姿。威圧感の無い装いだが、何よりも頭頂に並ぶ2つの角が眼を引いた。それは龍の角。龍人の証そのものである。純潔魔王種よりも稀少で、同等以上の力を持つ超人が、邪な企みと共に攻め寄せてきたのだ。
その強さは、まだ全貌を明らかにしない内ですら恐るべきものだった。散発的に現れる守備兵は一瞬の内に倒し、戦闘の余波だけで城内には大きな穴を穿つのだ。それだけの事を仕出かしつつも、何ら歯牙にもかけず進んで行く。
「ば、化け物め」
「陛下に、この事をお知らせせねば……」
せめてエイデンが居たならばと切望しても、今は遠い戦地に居る。一縷の望みをかけて、打ち倒された兵が救援を呼ぶ。だが雑音に阻まれ、会話が通じた実感はなく、名も無き兵士は絶望の淵に意識を投げ落とした。
「止まれ! それ以上進んじゃねぇ!」
階段の最上部をルーベウスの一団が固めていた。最前列に槍兵を並べ、ティコやネミーリアも物陰に配置している。現存する戦力のすべてを集めた形だ。
「そこを退きなさい。早死にしますよ」
侵入者は顔色ひとつ変えずに言葉を発した。声は高く、艶やかで、どこか歌っているかのようでもある。この時になってルーベウスは、向かい合う敵が女である事を初めて知った。
「うるせぇ。退かねぇってんならブッ殺すぞ!」
「弱いだけでなく、頭も悪いと。なんて救い様の無いお方」
「この野郎ッ! テメェらやっちまえ!」
合図とともに総攻撃、極めて苛烈な戦術が採用された。ネミーリアは精神魔法を発動させ、薄霧を敵の足元から這い上らせた。その瞬間にティコが毒矢を放ち、槍兵は手元の槍を投げ、ルーベウスも爪を剥いて飛びかかった。並みの手合いであれば、生き残るどころか肉片にまで姿形を変えた所だろう。
だが、侵入者には一切が通用しない。精神魔法は足止めにもならず、毒矢はあらぬ方へと逸らされた。ルーベウスの突撃もすれ違い様に腹を打たれて迎撃。そして投げ槍など避けるまでも無いとばかりに、そのまま受け止めた。薄皮の一枚すら裂いたようではない。
戦力差は歴然だ。尋常でない強さを前に、一同は思わず怯んでしまう。
「弱き者共よ。道を空けなさい」
侵入者が腕を振るうと爆炎が起きた。その風圧は凄まじく、天井や壁すらも吹き飛ばし、城の一角を破壊してしまった。果敢にも行く手を阻んだ守兵は皆が倒れ伏した。末端の兵卒はもとより、勇ましきルーベウスも、離れていたティコやネミーリアまでもが意識を断たれるという有り様だ。
侵入者はここで欠伸をひとつ。それから3階の回廊へと足を踏み入れた。端の部屋から扉を開けては中を確かめる。同じ動作を続けること数度。ようやく子供部屋を探し当てた。
だが室内の隅々まで視線を巡らせても、幼女の姿はない。臨戦態勢のメイドと、人族の少女がいるだけだ。
「……おや。娘は逃がしたのですか」
侵入者は半開きの窓から標的の行方を察した。おもむろに立ち去ろうとするのだが、それを剣の風切り音が止めた。
「ニンゲン風情が。何の真似でしょうか?」
「貴女が何者かは知りません。ですが、ニコラちゃんの元には行かせません!」
「これは失礼、名乗り遅れましたね。我が名はアーヘルと申します。以後お見知りおきを」
場違いにも微笑み、優雅な振る舞いで一礼をした。それから口許を一層に歪ませると、嘲笑う声が溢れ出る。
「そして、ごきげんよう」
「えっ……?」
次の瞬間、メイの剣は粉々に砕かれた。更に体の至るところが、ほぼ同時に殴打されてしまう。回避どころか眼で追うことすら叶わぬ神速に、何ら抗う事も出来ぬままに崩れ落ちた。
「おのれ……よくもッ!」
憤激したマキーニャが殴りかかる。だが、それすらも許されなかった。拳を振り下ろす寸前に胴を激しく爆撃され、下半身を粉々に吹き飛ばされたのだ。
「クソッたれめ……!」
残された体が宙を泳ぐ。そのまま床に倒れそうになるが、髪を鷲掴みにされた事で免れた。
「なぜそうも死に急ぐのですか。黙っていれば生き永らえたものを」
「アァ……。ガ……」
「まぁ好きになさい。それよりも、魔王の娘をどこへやりましたか?」
「……ガ」
「死ぬ前に教えてもらえますか? それくらい役に立ってくれても良いでしょうに」
マキーニャは掠れた声で囁いた。何かを伝えたいらしいが、音の輪郭が辛うじて分かる程度である。
「聞こえませんね、もう一度お願いします」
アーヘルがマキーニャの口許へ耳を寄せた。すると、唾棄する音と共に、アーヘルの頬が汚された。粘性のあるテラテラとした液体が、アゴ先を伝って滴り落ちていく。
「……そうですか。極めて無礼な態度ですが、弱者なりの度胸は称賛に値します」
アーヘルはマキーニャの髪を握りしめたまま、頭上まで掲げた。空いた方の手には、凶々しい程の魔力が込められ、朱い霧のようなものが昇り始める。これまでの攻撃とは比較にならない一撃が放たれようとしていた。
「2度と復元できぬよう、粉々にして差し上げましょう!」
拳が振り上げられた、まさにその時だ。室内の窓が割れると共にけたたましい音を響かせた。振り返るアーヘル。しかし、襲いかかる漆黒の塊は異様に素早く、彼女に強烈な一撃を浴びせて床に転がした。
その弾みでマキーニャも部屋の端へと投げ出された。隣には、身動ぎすらしないメイの体が並ぶ。
「大丈夫か、しっかりしろ!」
黒い影は人語を放った。やがて人型に姿を変えると、倒れ伏すメイに駆け寄った。回復魔法の煌めきが辺りを染めると、やがて失われていた意識が元に戻された。
「……お父様?」
「まだ動くんじゃない。じきに魔法が全てを治してくれる」
「わ、わかりました」
エイデンは次にマキーニャの傍へ寄った。千切れた胴体に手を添えて、膨大な魔力を注ぎ込んだ。目眩を覚えるほどに力が吸い込まれていく。しかしその甲斐あって、方々に散らばった破片が瞬時に集まり、マキーニャの体が完全に復元した。
「お手数を、おかけします……」
そう言うと、足を数回曲げて感触を確かめたのち、ゆっくりと立ち上がった。
「ニコラは今どこだ?」
「隠れんぼをしましょうと提案したきり、いずこかへ」
「そうか。では、この不審者を撃滅したのち、探し出してやらねばな」
「助太刀いたします」
エイデンとマキーニャが肩を並べ、敵と向かい合う。一方でアーヘルは既に立ち上がり、胸元から取り出した短刀を構えた。ほの光る刃には、何らかの魔法が込められている気配である。
「想定外にも魔王が戻りましたか、面倒な事になりましたね」
「貴様の事は知っているぞ、アーヘル。ゴーガンに雇われているアサシンだな?」
「人聞きの悪い。私の役目は、殺しが全てではありませんよ」
彼女は愉快そうに笑うのだが、短刀の切っ先が無言のままで否定した。これまでに大量の血を吸い続けた刃は、妖しさすら感じさせるようだ。
「些細な事はどうでも良い。ニコラに何の用がある?」
「魔界へと連れ去る為です」
「何故そのような事を!」
怒りのあまり一歩踏み出そうとするエイデンを、マキーニャが袖を引いて諌めた。
「陛下。あまり深入りなさらぬよう。世の中には業の深い性癖も存在します。この女も、そういった類いなのでしょう」
「妙な勘違いをされてるようですが……。煩悩から赴いたのではありませんよ。ゴーガン様直々の命令なのです」
「ほぉ。するとゴーガンという老いぼれが幼女に興味津々である、と。控えめに言って処刑対象ですね。貴女を手始めに、不埒者は滅ぼさねばなりません」
「あのですね……。そんな下世話なものでなく、娘を人質にとって魔王を制するという策で……」
自らの正当性を述べる言葉を遮るかのように、エイデンは剣を引き抜いた。クラガマッハである。頼るべき彼の愛剣は、柄から切っ先までが漆黒の霧を纏っていた。
それに順じてマキーニャも態勢を整える。利き手を大きな刃に変化させ、腰を深く落とした。
「口上は十分だ。要は貴様を撃滅すれば終いなのだから」
「私を打ち倒すつもりですか。疲弊しきった体で、そんな大それた事が出来るとでも?」
「魔王に二言は無い」
「痩せ我慢はおよしなさい。先程は霧化してまで駆けつけたようですが、随分と魔力が目減りしていますよ? 最早まともに闘う力は残されていない筈」
アーヘルの瞳が赤みを帯びた。魔力視の証である。
虚勢を見透かされたエイデンだが、微塵も揺らぎはしない。むしろ剣をより強く握りしめ、闘志をより鮮明に表した。
「父親は無敵にも成れる。愛する子の為ならば」
「念のため聞いておきますが、ゴーガンの軍門に降るおつもりは? そうすれば、無用な煩いからは解放され、平穏無事に暮らせる様になりますよ」
「そのような世迷い事を信じられるほど、我らは良好な間柄ではあるまい」
「……そうですか。ならば結構、塵となって消えなさい」
それからは言葉も無かった。黙したままで隙を、先の手を探り合う。達人同士のにらみ合いだ。互いに、僅かな視線の動きすら見逃さす事なく、機が熟すのを待ち続けた。
そんな最中、思いがけず部屋の扉が開いた。そしてニコラが顔を覗かせたのである。
「おとさん、まんま! おなかすいた!」
「だめだニコラ、逃げろ!」
「ふえぇ?」
全員がニコラ目掛けて同時に駆け出した。しかしアーヘルが1番近い。エイデン達にとって極めて不利な形勢である。
「ふふっ。魔王の娘はいただきますよ!」
アーヘルが手を伸ばす。少し遅れてエイデンも続くが、どう足掻いても間に合いそうにない。このままでは敵の手に落ちてしまう事は確実だ。
そう思われたのだが……予期せぬ出来事は更に続いた。
「ヤダァ! あっちいって!」
ニコラが絶叫とともに、金色に染まる光線を放った。過去に見たものよりも遥かに巨大なそれは、真っ直ぐアーヘルの頭部を貫いた。衝撃は相当なものであり、龍人という絶対者であっても、物の見事に弾き飛ばされてしまう。
「大丈夫か、ニコラ!」
エイデンが慌てて抱き上げる。特に変わった様子はない。
「おとさん、あれ。わるいこ!」
ニコラが興奮したように憤る。彼女の小さな指が糾弾するのは、壁を背に倒れるアーヘルだ。彼女は両手足を投げ出し、床に尻を着きながら痙攣を始めていた。
訳がわからぬエイデンたちに為す術はなく、成り行きを見守るばかりになる。すると、アーヘルは敵視を顧みることなく、腹の底から盛大にわめいてみせた。
「んっほぉぉぉ! きもひ、きもひ良いのぉぉぉぅうんにゃぁぁーーッ!」
その言葉を最後に白目を剥き、気絶した。室内に残されたのは、途方もない後味の悪さだけである。
「陛下。今なら容易く殺せると思うのですが」
「そうだな……。とりあえず捕縛しよう。何かに使えるかもしれん」
「承知しました。可能な限り厳重に管理しましょう」
ともかくは事情聴取である。城内から水晶石をかき集め、弱体化の魔法陣を敷いた牢に閉じ込める事にした。敵意に塗れた侵入者の無力化に、一応は成功したのである。
だが先ほどの様子から察するに、敵意だけでなく狂気までも付け加えてしまったかもしれなかった。もしそのようであれば、即座に処刑するしかない。娘の安全の為にも、父として判断せざるを得ないと、エイデンは腹を決めた。
両手ごしに伝わる、ニコラの温かな体温を感じながら。




