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魔王様は育児中につき  作者: おもちさん
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第78話 子育て開始以来

 上空を飛ぶエイデンの眼下には、原野を駆ける軍勢が見えた。グレイブに率いられた騎馬隊を先頭にして、デューク隊が続く。後者は魔法を主に扱う「魔兵隊」という部隊で、彼らに馬の扱いまでは求められていない。よって、移動時には馬車を活用するのが通例となっている。


「全軍での出撃か。こうして見ると壮観だな」


 二列縦隊の行軍は中々の見ごたえがある。100輌以上も連なる馬車が、微塵も乱れを見せずに駆けていく。整然と並ぶ様はロープで繋がっているかのようだ。


 また、先行するグレイブ隊の統率力も見事である。例えるなら渡り鳥の群れ。なんら指示を出していないのだが、常に一定の陣形を保ちながら進むのだ。地形の起伏すら有って無いようなもの。各人が的確に判断し、隊列の緩みを未然に防いでいる。


「馬の速度に合わせたなら、到着は半日後だろうか……」


 目的地に向かうには、セントラル南にそびえる険峻な山を迂回せねばならない。飛行可能なエイデンはジレンマに似た感覚に襲われる。いっその事自分だけ飛び越えてしまいたいのだが、軍を引き連れる必要から、許される行為では無かった。


──圧倒的武力により、イスティリア軍を完膚無きまでに蹴散らして欲しい。


 敵を追い散らすだけならエイデン1人でも十分だ。それでも敢えて軍団付きを求められたのは、心理的効果を期待するからだ。化物クラスに強い魔王が、精強な手勢を引き連れているという事実をもって、無類の恐怖を演出したい。


 当然、後々現れるユラグ軍を引き立てる事を目的としている。大陸を二分する程の信望を集めるには、ある程度の下準備が欠かせないのだ。


「まぁ良い。皆の成長ぶりを見る機会と捉えよう」


 手持ち無沙汰から、眼下の様子を観察する事にした。末端の兵からすれば、この上ない誉れであると同時に、強い緊張感に晒される場面だ。ある種、戦闘時よりも真剣であったかもしれない。


 そのようにして尾根伝いに回り、大陸南部へやってくると、グレイブが停止の合図をした。彼が片手を挙げただけで騎馬隊は止まり、そのすぐ後ろに馬車列も並ぶ。いよいよ始まるのかと、エイデンも最前へと降り立った。


「陛下。間もなく砦に差し掛かります」


 グレイブが馬上のままで拝礼した。彼の配下もそれに倣う。


「分かった。一息で踏み潰してしまえ」


「承知しました」


 返事の良さとは打って変わって、攻撃命令は発せられなかった。訝しがるエイデンに向かって、グレイブが頭を一層低くして言った。


「恐れながら申し上げます。愚考しますに、領内の守りが手薄すぎるかと」


「確かに、全軍出動に等しい軍勢だ。居城を攻撃されたら窮地に陥るだろうな」


「今からでも遅くはありません。魔兵隊の半分だけでも、本拠へ戻されては?」


「心配は無用だ。ノストールとセントラル方面は厳重に監視している。何か動きがあれば、私が即座に帰還した上で対処するつもりだ」


「委細承知しました。ではこれより、侵攻を開始致します」


「うむ。派手にやるようにな」


 それからの動きは速かった。魔兵隊が馬車から降りて整列すると、全軍が一体となって前進し始めた。人の足で馬の速度に追い付けるのは、魔法による強化のおかげである。


 遮るものの無い坂道を登っていく。やがて遠くに、谷間を塞ぐようにそびえる砦が見えた。塔からは煙が等間隔で立ち上った。後方の拠点に敵襲を知らせる為である。


「時を与えるな。即座に攻略せよ」


 グレイブは駆けながら指示を出した。隘路あいろを埋め尽くす程の軍勢は、しばらくすると2つに割れた。


 置き去りとなった格好の魔兵隊は中空に魔力を集め、風魔法を発動させた。異質なまでの圧力の込められた空気の塊が、先行する騎馬隊の頭上を飛び越え、砦の鉄扉へと直撃した。単発では旋風ほどの威力でも、息を揃えて唱えたなら絶大な効果を発揮するのだ。


 門扉は条理を超えた突風により、かんぬきがへし折れ、蝶番ちょうつがいも吹き飛ばされてしまう。支えを失ってしまえば、堅牢な門扉であっても単なる鉄板である。本来の役目を手放して真後ろに倒れた。その跡に生じたのは、騎馬すら通り抜けられる穴だ。


「突っ込むぞ!」


 グレイブの勇ましい声と共に、騎馬隊の全てが突入した。弓矢による牽制は無い。守備兵たちは風魔法の余波で揺さぶられ、態勢すら保てていないのだ。パラパラと射掛けられる程度の矢では、猛然と駆ける部隊を止められる訳が無かった。


「敵将、グレイブが捕らえた!」


 時を待たずして朗報が空に鳴り響く。敵兵は観念したのか、自ずと武器を手放して降伏した。実に鮮やかな手並みにはエイデンも舌を巻いた。


「良くやったグレイブ。見事という以外に言い表しようが無い」


「お褒めに与りまして恐悦至極!」


「して、敵を捕らえたのは何故だ?」


「逃がしてしまえば、早馬が後方に飛びます。それを防ぐと同時に、狼煙も上げ直さねばなりません」


「なるほど。以降の拠点に警戒させぬための一手なのだな」


「ご賢察の通りにて」


「良かろう。全てグレイブに任せる。思う様にやってみよ」


「必ずやご期待に沿えてご覧にいれます」


 グレイブの指示はきめ細やかだった。まずは降兵より狼煙のルールを聞きだし、次のような報せを上げさせた。


──敵襲は誤報。万事平穏。


 もし何らかの小細工をろうしたなら、発覚次第、拷問の末に殺すという脅しまでかけていた。グレイブの几帳面な気質が、作戦の細部にまで顔を出した場面だと言えた。


 それからは武器防具を全て奪い、武器庫には火を放った。これで降兵達は再武装する事が叶わず、いずこかへと落ち延びるしか無かった。その全てを滞りなくやってのけたのだから、グレイブの手腕は元より、配下の練度も相当な域にまで高められたものと分かる。


「陛下、お待たせ致しました。進撃に移りましょう」


 グレイブが報告を述べたときには、既に出立の準備が整っていた。一連の驚くべき速さは、エイデンに茶を愉しむ時間さえも与えなかった。むしろ彼だけが手荷物を広げたままであり、慌てて茶器を片すという醜態を晒す事になった。


「済まん。てっきり休息を挟むとばかり考えていた」


「申し訳ありません。第2、第3の砦を本日中に抜き、日暮れまでには王都へと迫るつもりでおります。今しばらくは堪えていただけますか」


「気遣いはいらん。むしろ兵たちの方を気にしてやれ」


「我らは全てが精兵。果てしなく鍛え抜かれた軍にございます」


「分かった。ならば細々と言うまい。進軍せよ」


「ハハッ!」


 それからの進撃も順調であった。エイデン軍は都を守る砦を次々と陥とし、休む間も無く次の拠点を目指して突き進んだ。


 これはグレイブの策が当たったとも取れるが、イスティリア側の油断もあったようである。魔族と立ち向かう想定が一切為されていないのだ。もしかすると今の為政者にとって、エレメンティアの地は重くないのかもしれない。その為に守りがお座なりなのだと、エイデンは何となく思う。その想いは、眼前に巨大な街を見据えるまで変わらなかった。


「ようやく敵の本拠に着いたか。ここらで兵を休めるのか?」


「いえ、一度攻めさせてみます。これまでの手応えからして、王都といえど防備は甘いかと思われますので」


「待て。一応相談をしておく」


 エイデンは懐の水晶石を取りだし、ユラグ達に話を持ちかけた。使い魔を通して返ってきた答えは、明朝まで攻撃は待って欲しいとの事だ。向こうにも準備というものがある。この大一番において、足並みを揃えるのは極めて重要なのだ。


「グレイブよ。攻撃は夜明けを待て。それまでは兵を休めておくように」


「承知致しました」


 話が決まると、兵達は手早く陣を張った。その動きも鮮やかであり、エイデンの陣幕が設けられると、将校、末端兵の物が順次整えられていく。更には万が一の夜襲に備え、見張りも万全だ。勝ち戦に傲りもしない、まさに完成された軍であった。


 やがて空が朱に染まる頃、あちこちから夕餉の煙が出始めた。原野から立ち上る幾筋もの白い線。殺伐とした戦雲が和らぐ、唯一と言っても良い光景に、エイデンは愛娘を想起した。あちら側も晩餐を終えた頃だろう。そんな腹積りと共に、懐から再び水晶石を取り出した。


「マキーニャ。聞こえるか」


 呼びかけに対し、やや時間を置いて返事がある。だが声はやたらと掠れて聞こえ、辛うじて意図が読み取れる程度の音質だった。使い魔を介して会話するには、ここから城は遠すぎるのだ。


「エイ■■陛下。いかがなさい■■■か?」


「今はエレメンティアに居る。ニコラ達の様子はどうだ?」


「御子様は先■■夕食を終えた■■■です。今はメイ■■共に入浴し■■ります」


「側には居ないのだな? ではもう良い。引き続き世話を頼む」


「ど■■ご武運を」


 エイデンは魔力を落とす事で通話を止めた。快適な会話など望めそうにない。明日に帰城したなら、使い魔通信の向上を推し進めようと思うばかりだ。しばらくして。夕食にチーズ入りのパン粥が用意された。広すぎる幕舎にて、独りで飯を食い、そして眠る。


 思えば子育てに身を投じてより、初めての外泊だ。夜の闇を重たく感じる。この感覚は、かつて独り身であった時に抱いたものと酷似している。


——ともかく夜明けだ。役目を手早く終え、とっとと城へと戻ろう。


 そんな決意が脳裏に繰り返し過る。寂しさを紛らわすように、何度も寝返りを打った。それでも中々思うように寝付けず、固い寝床の上で毛布を頭まで被り、身を丸くする事でようやく眠りに落ちていった。

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