第76話 我が臣民に告ぐ
自身の考えを伝えるというのは、存外に難しいものだ。読み手に誤解を与えず、かつ短的にまとめるとなると、相当な技術が要求される。その事実を、エイデンは居室の中で味わっていた。
「簡単ではないな、法というものは……」
彼が向き合う仕事は新法の公布である。他種族を領有した現状においては、暗黙の了解が通用しない。混乱を1日も早く静めるべく、特に西セントラルの安定化の為、言葉による拘束は急務なのだ。
ちなみに、クロウを始めとした内政官は、別の仕事で大陸中を飛び回っている所だ。その為にあらゆる業務が滞りがちだ。城内には連絡役が若干名残るだけで、実務的な仕事は全てエイデンに降りかかっていた。
「眠い……。睡魔が手強く感じるとは、歳のせいだろうか」
子育てに手は抜けない。ゆえに、仕事はもっぱら夜更けに執り行われる。自然と睡眠時間も少なくなり、彼の体は徐々に蝕まれていく。いくら回復魔法ありと言えど、寝不足には全く効果がなく、不快感は日に日に募るばかりだ。
「エイデン陛下。そろそろお休みになられては」
マキーニャが紅茶をそっと置いた。温かな湯気で芳しい香りが漂うものの、エイデンは気を緩めようとしない。口をつけて啜る間も、眉間のシワは深いままだった。
「それにしても、法を定めよ……ですか。陛下お一人に委ねようなどと、クロウ様も無茶を仰る」
「あくまでも場当たり的なものだ。細部は後に詰めるので、今回は大まかで良いと言われている」
「そもそも陛下が為さるべき事でしょうか。参謀部の怠慢としか思えません」
「そう言うな。あやつらも不眠不休だ。それに法の立案が難しいのであれば、標語のようなものでも構わないらしい」
「法か標語。すなわち、民が生きるべき指標を示せば、と」
「そんなところだ」
ハードルはある程度まで下げられている。専門的な知識やノウハウまで求められた訳ではないのだ。
だが、それでもエイデンには難題であった。ポイントはさじ加減。厳しすぎても、緩すぎても宜しくない。治安と幸福度の案配が見えず、ただ悩むばかりとなり、一向に筆が進まないのだ。
「マキーニャよ。仮にそなたが任されたとしたら、どのように定める?」
「そうですね。陛下を万民の父として崇めさせるでしょう。手始めとして街中や街道の要所に、偉業を知らしめる石碑などを……」
「うむ。もう良いぞ」
最後まで聞くのは止めておいた。行き過ぎた信望はシャヨーカひとつで十分だという想いがある。慕われる事自体は悪くないのだが、かの街を思えば節度も重要だと感じられた。
──明日、他の者に相談してみるか。
エイデンはあくびを1つ溢すと、部屋の灯りを消してベッドに寝転がった。当然のように潜り込もうとするマキーニャを追い出し、ニコラの警備を申し付けてから深い眠りに落ちていった。
翌日。ニコラの部屋でおままごとに興じていると、来客があった。ナテュルが土産を片手に現れたのである。
「こんちわー。タピオさんのお菓子買ってきたから、一緒に食わねぇけ?」
「おお、良いところに来た。少し相談に乗ってもらえないか」
「えっ。何だべか?」
ナテュルに心当たりは無い。なので妄想を逞しく膨らませ、アレやコレと、若干ピンク寄りのイメージを浮かべてしまう。テーブルには、いそいそとした素振りでクレープが並べられた。計5つ。人数分ある。
「なるほどなぁ。相談ってのは、法律の話だっぺか」
色気の無い話にナテュルは落胆しかけたが、腕組みをし、小さな唸り声をあげた。おぼろ気な記憶を引き出そうと奮闘しているのである。
「そなたも領主の娘だろう。何か役に立つ話を聞いてはおらんか?」
「うーーん。急に言われてもなぁ……」
険しい顔つきでナテュルが体を揺らす。紙片などを仕込んでいる訳でもないのに、しきりにユラユラ動くのは、意識の奥から何かを引き出したい気持ちの現れであった。
「ううーん。そういやだいぶ昔に、ちろっと聞いた事あんべぇ」
「教えてくれるか」
「なんつうか、こう。法律は我が子を諭すように、みたいな事を、父様が言ってた事あんべよ」
「我が子を諭す……?」
そこでニコラの方に眼を向けた。彼女はミニクレープを大事そうに頬張っている所である。口の回りについた汚れを、エイデンは指先でぬぐってやった。
「ほら今の。それを言葉に表したら、『身綺麗にしろ』ってなるべ?」
「うむ。そうかもしれん」
「難しい言い回しにしたら、法律っぽく出来るんでねぇけ?」
「ふむ、ふむ。一理あるな」
エイデンの頭にいくつかのイメージが浮かび上がる。悪くないのではないか。書き起こす前から既に、何らかの手応えを感じていた。
それから迎えた日暮れ。エイデンは昨夜と変わらず机に座った。早速ナテュルの助言を頼りにして、思い付くまま箇条書きにしてみる。
「ご飯を残さず食べること、ちゃんと『ありがとう』と言う……」
途切れる事なく書き込まれ、早くも5ヶ条が埋まった。ついつい勢いが止まらず、末尾に『愛する我が子よ、生まれてくれてありがとう』などと付け加えてしまったが、それは余談である。
だが問題は次の工程だ。この内容を、法律の領域にまで昇華させねばならない。
「ご飯を残さず食べる……か。すなわち食べ物を粗末にしない事でもあるのだが」
エイデンは農家や田畑に想いを馳せてみる。草取りや害虫との戦いをイメージしていると、いくつかの言葉が降りてくるのを感じた。
「大地の実りに感謝し、慎みをもって暮らすべし、というのはどうだ!」
エイデンに確かな手応えがある。そのようにして一度でも勝手が分かれば、あとは勢いがつく。彼は時間が過ぎるのも忘れて、作業に没頭した。
「出来た……、完成だ!」
そう声を上げた頃には、既に夜明けを迎えていた。窓からは朝日が遠慮がちに降り注いでいる。
「マキーニャ。これを朝のうちに参謀部へ届けてくれ」
「承知しました」
後始末を託すと、エイデンは仮眠を貪るべく、ベッドに潜り込んだ。
対するマキーニャは新法を一読するなり眉を潜めた。それから机の上に眼をやり、一枚の紙を探し当てると、そちらも手に取った。2つの紙を見比べる事しばし。その片方を机の上にそっと戻した。
「エイデン陛下。こちらの方がよっぽど面白いですよ」
意味深な言葉を残して、彼女は独り立ち去った。しかし、睡眠を貪るエイデンの心に、届く道理などは無かった。
数日後。領内の各所に住民が集められた。名目はもちろん新法の公布。事前連絡の時点で既に、西セントラルの人々はざわついた。
魔族による法とはいかなるものか。いよいよ圧政が始まるのかと、口々に不安を囁く。
そんな群衆を前にして、グレイブは堂々と現れた。引き連れる配下は僅か数名。それでも威圧感に溢れるのは、彼らが歴戦の猛者であり、同時に支配者側の存在であるためだ。
「聞け、臣民たちよ。これからエイデン陛下より賜りし、新たな法を公布する。明日より効力を持つと心得よ!」
大音声が群衆の不安を激しく煽る。忠臣グレイブは、そのような空気を省みる事もなく、手元の紙を朗々と読み上げた。
「ひとつ、ご飯は残さず食べましょう!」
人々は完全に虚を突かれた。聞き間違いしゃないかと、全員が前のめりになる。
「ひとつ、ちゃんとありがとう、と言おう!」
住民たちが更に前へ寄る。誰もが自身の耳を信じられない様子だ。
そんな異様な光景であっても、グレイブは声色を変えず、毅然とした態度も崩そうとしない。
「ひとつ、外から帰ったら手洗い、うがい!」
「ひとつ、夜更かししないで早起きしよう!」
「ひとつ、知らない人には付いていかない!」
そこで法についてはお終いである。だがグレイブは、生来の生真面目さから、枠外の言葉さえも余さず読み上げられてしまう。
「最後に。愛する我が子よ、生まれてくれてありがとう。以上だ!」
言い終えたグレイブは、同じく堂々と立ち去っていった。住民達の困惑する顔をそのままにして。
「何だったんだ、今のは?」
誰もが思う事だ。先の発言をどう受け止めるべきか。疑問符が脳内で溢れかえり、その場から離れる事すら出来なくなる。
「今のが、法なのか……?」
「まるで幼子を諭すみたいな感じだったけど」
「もしかして、オレたち人間をからかってるんじゃないか?」
「でも、驚くくらいに良い暮らしさせてもらってますよね。最初は裏があると疑ってましたけど」
「税は安い。配給も毎日のようにたくさんだ。薬も頼めばすぐに用意してくれる」
「もしかして、オレ達……」
「大事にされてる?」
「愛する我が子、だってさ……」
困惑した人々は、消化不良の言葉の数々を飲み込むと、揃って北西の方を向いた。姿は見えずともエイデン城がそちらにあるのは、周知の事実だ。
──ありがとう、お父さん!
彼らは一様に頭を下げた。早速ながら、感謝の気持ちを現す格好となった。顔も真剣そのもので、偉大なる者に祈るかのようだ。何者かに命じられたのではない。誰もが自発的に、心が動くに任せて、そうしたのである。
これにてエイデンは西セントラルの父となり、意図せず崇拝される事になった。子細を聞き及んだ当人は、耳まで赤く染めて絶叫したとか、していないとか。




