第73話 聴衆を魅了せよ
迎えた運命の公演日。エイデンは出発の時間を目前に控えているのだが、いまだ城を離れる様子を見せない。それもそのはず、着付けが途中であるからだ。
多数のメイドたちがエイデンの回りに侍り、懸命に取り付けるのは本日の衣装。その名も『慟哭の鎧』と言い、外見は厳めしく、そして凶々しいものだった。
「エイデン様。足元を失礼しますね」
「待って。それは肩に着けるヤツ」
「すっ、すいませんシエンナさん、やり直します」
魔王としての存在をアピールするのに申し分ない装いなのだが、とにかく装着に難があった。龍の身体を鱗が覆うような姿から設計された為、パーツは極めて多く、ウンザリする程に細分化されているのだ。新人などは勝手が分からず、しきりに視線を左右に泳がせてしまう。
「まったくもう。こんな大事な日に寝坊するだなんて!」
シエンナが憤る。怒りをぶつける最中も手は止まるどころか、乱れすら無いのは流石と言うべきか。
そんな従者の姿など見えていないかのように、主人は大きな欠伸をひとつ。更には呂律の怪しい、寝起きである事を隠さぬ口調で答えた。
「昨晩は眠れなかった。何か、こう、ワクワクして」
「少年ですか! それはそうと腕! 早く腕を出してください!」
「もう、テキトーで良いぞ。胴回りだけで十分だ」
エイデンが十分と語るのは、その鎧が持つ効果についてだ。慟哭の鎧はいわゆるマジックアイテムであり、恐怖心を煽る魔法が施されているのだ。発動させるのに腕やら足のパーツは不要なのだ。
ただし、見栄えという面では劣ってしまうので、後々ユーミル辺りから苦情が入りそうではあるのだが。
「はい、じゃあお終いです!」
シエンナが仕上げとばかりに背中を叩いた。
もう時間は無い。エイデンは窓を開け、縁に足をかけて飛び出そうとした。だが、その前に一度だけ振り返る。
「ニコラ、メイ、行ってくる」
視線の先には、メイに抱かれたニコラの姿があった。
「おとさん、いってしゃっしゃーい!」
「お父様。ご武運を」
娘たちの言葉に頷きで返し、颯爽と大空へ向けて飛び立った。目的地は大陸北東部。全力での飛行により、どうにか刻限に間に合った。
「さてと。役に入り込まねばな」
額に吹き出る汗。乱れた息。どちらも不似合いな要素である。これよりエイデンは、酷薄な魔王を演じねばならないのだから。腰の水袋を手に取り、一度だけ喉を鳴らす。それから瞳を閉じて意識を集中させると、刮目した。
いよいよ開演である。
「出でよ、常世の闇!」
エイデンは街の上空に魔力を放つと、付近に暗雲をもたらした。これは幻覚の一種で、およそ余興の時に用いるものだが、効果は十分だった。
街の住民たちは、突如として陽が陰った事に狼狽え始める。
「なんだ、急に空が」
「いやな雲だねぇ、不吉だわ」
エイデンは眼下の様子を眺めつつ、住民の呼吸を読む。異変がある程度浸透したと見るなり、水晶を口許に寄せた。使い魔通信の応用で、一斉に街中で声を届けようとしたのだ。
「ハーッハッハ! 魔族に楯突くニンゲンどもめ。その愚かさ、骸となってから悔やむが良い!」
続けざまに暗雲から雷を落とす。その一撃で街を囲む防壁が半壊し、大きな大きな穴が空いた。地上に降り立ったエイデンは瓦礫を踏み越えて、悠々と中へ侵入した。
焼け焦げた煙の燻る中、守備兵が我先にと逃げ出す。魔王の歩みを止める者はおらず、やがて大通りまで足を踏み入れた。
すると、路地のあちこちから衛兵が駆けつけ、エイデンの行く先を阻んだ。数は300弱。少勢だが練度は悪くない。
「槍隊、魔族に全軍突撃ィ!」
号令とともに、穂先を揃えた兵が駆けてくる。逃げ遅れた住民は横に飛び退き、壁にへばりついた。
エイデンは、それらの光景を全て視界に納めながら、自身の胸に手を添えた。
「愚かな……。味わえ、死の小波!」
水面に波紋が生じるように、辺りに黒い波が駆け抜けた。鎧の効果が発動されたのだ。
憐れなる兵士達は小波をまともに受けてしまう。全員が体を硬直させ、道端に立ち尽くした。止めどなく押し寄せる恐怖の虜となり、進むも退くも出来なくなる。
「吹き飛べ、酷鳥の舞!」
エイデンが腕を払うと、兵士達は全て吹き飛び、路地や屋根の上に寝転がされた。
運良く難を逃れた指揮官も戦意は完全に喪失している。下半身は縛られたように動かず、噛み合わぬ歯も隙間で激しく踊る。腰を抜かす事すら許されぬ男には、一矢報いる力すら残されてはいなかった。
「クックック。我が偉大なる力、とくと語り継ぐが良い」
エイデンがいたぶるように歩を進め、そして頭上に剣を掲げた。
「あの世でな!」
躊躇なく振り下ろそうとした、まさにその時だ。
「そこまでだ、魔王!」
「なっ……何奴!?」
エイデンが振り返れば、屋根に3つの影が見える。彼らは横並びに整列し、決め台詞とともに一歩ずつ踏み出した。
「オレらが来たなら、もう好きにはさせねぇぞ!」
「妾の秘術が恋しいあまり、人里にやってきたのかえ? 殊勝な事じゃの」
テーボが、ユーレイナが前に出る。残されたのは中央に立つ、この男だ。
「魔王よ。エレメンティアが遺児、ユラグが生きている限り、お前の横暴を許したりはしない!」
やや芝居がかった登場だ。その違和感も、エイデンが続けざまに演技する事で過去のものとしてしまう。
「こ、小僧!? 貴様は死んだハズでは……!」
「この世に悪がある限り、何度でも蘇ってみせる!」
そう叫ばれる刹那、テーボが屋根から飛び降りた。魔力を込めた両手を地に着けて魔法を発動させた。
「グレイト・スーパープレシャウス・アースウォール・アライバル!」
土属性の防護魔法だ。辺りには強力な結界が生じ、住民が巻き込まれるのを阻止した。
テーボはそこで安堵の息を漏らす。魔法の反動からではなく、セリフの山場を越えた為だ。
「さてと。今度は妾の番じゃな」
ユーレイナは際立った台詞も無しに、手元に金色の槍を生み出した。そしてそれを真上に投てき。雲が割れ、閃光とともに轟音が鳴る。
次に眼を開けた頃には、既に太陽を取り戻していた。これには街の所々から、歓喜の声があがる。
「クッ。こしゃくな……!」
エイデンが結界を破ろうと試みるが、それをユラグの攻撃が遮った。飛び降りながらの斬撃は重たく、剣で受けざるを得なくなる。
「因縁もこれまでだ、覚悟しろ!」
「黙れ、小僧めが!」
両者ともに激しく打ち合った。刃が重なる度に火花が飛び散り、剣圧の凄まじさを物語るようだ。
時おり、街のいずこからか、「がんばれ!」との声援が届く。初めは小さく、やがて増え、いつしか大気を震わす程になる。
「ええい、煩わしい! 貴様らの僅かな希望など、我が力で消し去ってくれよう!」
エイデンが剣に魔力を込め、刀身を漆黒に染めた。まるで命でも宿るかのように、黒色の霧が蠢きながら舞い上がる。
「闇に飲まれてしまえ、絶破斬ーーッ!」
振りかぶりながらの突進を、ユラグも同じ構えで迎えた。切っ先に金色の光を宿すと、地を蹴って叫んだ。
「光に滅せよ! スターブライト・ホーリィスプラッシュ・クレイジースター!」
長文の必殺名。スターを両端に重複させてまで発動させた技は、惜しくもエイデンに一歩及ばなかった。つばぜり合いの形から、押し負けて、徐々に形勢が不利になる。
「クソッ。勇気が足りない……!」
ユラグが悔しそうに顔を歪める。そこですかさずテーボが声をあげた。戦場ではなく、街の方を振り向いて。
「みんな、力を貸してくれ! ユラグ様にがんばれと、声援を送るんだ!」
住民の声が大きくなる。それにつれて、ユラグも持ち直すのだが、押しきるには至らない。
「お前ら、もっとだ! 声が小さいぞ!」
「ユラグ様、がんばれ!」
「がんばってーー!」
テーボの煽りにあらゆる住民が続く。喉が嗄れる程の声援で街が揺れる。すると、声に応えるかのようにして、とうとうユラグは攻勢に転じた。
それでもなお拮抗する光と闇。ぶつかり合う真逆の魔力が小さな稲光を乱造し、肌を焦がし続ける。だが、互いに一歩も譲らず、相手の瞳から眼を離さなかった。
その時、刃が砕けた。耐久限界を迎えたのだ。飛び散る破片。半壊した2本の剣は即座に投げ捨てられ、拳を振りかぶる。
「食らえぇぇーーッ!」
「死ねぇぇーーッ!」
交錯する拳、腕、そして意地。先に突き刺したのはユラグだった。
「ギィヤァァーーッ!」
断末魔の叫びとともにエイデンが吹き飛んだ。口から真紫の液体を盛大に吐き散らし、全身は金色の光に犯された。まるで熱照射でも浴びたかのように、至るところから発火していく。
「や、やったか!?」
ユラグが喘ぐように言った。脂汗を流しながら右肩を押さえるのは、闇魔法が炸裂したからだ。エイデンの拳を掠めてしまったのである。
引き起こされるは幻痛。外傷は皆無であるのに、肩は破裂しそうな程に激しく痛んだ。その症状はユラグの肩を、無数の羽虫がたかるが如く漂う黒い霧が消えるまで、途切れる事なく続いた。
膝をつくユラグ。その些細な間が仇となり、エイデンを葬る機会を不意にしてしまう。
「精霊師の、小僧め……」
エイデンが憎悪から顔を歪ませると、激しく紫の液体を吐いた。
「此度は勝ちを譲ってやろう。だが次こそは、貴様の、最後だ……!」
捨て台詞を残すとともに、街を脅かす脅威は去った。魔王の姿が見えなくなるや、住民達はこぞってユラグを称えた。「光の精霊師、万歳!」「人類の希望、ユラグ様に栄光あれ!」などと言い、口々に賛辞を述べるのだった。
それらの声をエイデンは遠く離れた森で耳にした。使い魔を介した音声であっても、現地の熱狂ぶりは疑いようもない程だと分かる。
「よしよし、大成功だな。ひとまずは城に戻るとしよう」
それからは、口中に残るブルーベリーの皮を吐き捨て、居城に向かって飛翔した。口直しに温かな紅茶でも、などと考えながら。




