第70話 目下磨くべきは
久々に活用する応接室は異様な空気に満ちていた。テーブル上にカップが4つ並ぶ。入り口側の席にひとつ、反対側に3つ。マキーニャが人数分の紅茶を淹れてくれたのだが、口をつける者は限られていた。
「ほぉ、この薫りは魔ッサムティ。妾の好物でのう」
ユーレイナは呑気にも一口すすると、鼻から長大な息を吐いた。隣で怪訝な顔を浮かべる仲間など気にも留めず。
「……茶の事はよい。私の話を聞いていたか?」
「もちろんじゃ、エイデンよ。子育てに集中するために侵攻を遅らせた。しかし魔界からの再三に渡る催促から、少しずつ手を広げようとしていた。そんな所かのぅ」
「まぁ、おおよそは合致する」
「それにしても戦争を終わらせたいとはな。中々思い付けるものではない。ましてや実行しようなど瞠目すべき事じゃ、大層した男よ」
「世辞はいらん。私は娘のために、より良い未来を手渡したいだけだ」
「救われる命は数知れず。理由はどうあれ、これも立派な世直しじゃよ」
ユーレイナは飲み終えたカップを受け皿に戻した。すると、隣に置かれたままの紅茶にまで手を伸ばした。それらはユラグ達の分なのだが、男達が口を付ける気配も、咎める素振りのいずれも無い。
「さて、我らの状況じゃが、こちらも割と切羽詰まっておる」
「聞かせてもらおうか」
「まず、国を攻め滅ぼされた。前王は投獄の末に処刑、兄弟も同様じゃ。このユラグだけが唯一生き残った遺児でのぅ。今も復権に向けて奔走しておる所じゃ」
「読めたぞ。国を取り戻す代わりに魔王を討つ。そんな密約があるのでは?」
「話が早くて助かるわ。セントラル王は旧領の回復を約束はしてくれたのじゃが、信用できぬのよ。あやつは邪気の塊ぞ」
「随分はっきりと申すのだな」
「妾には魔力視がある。聖邪の区別くらいお手の物じゃ」
本来、魔力とは眼に見えるものではない。極大な魔力に依存するか、特性に由来したものでなければ、無色透明にしか感じられない。ちなみにエイデンが纏う『漆黒の衣』など、可視できるものはレアケースに分類される。
だが魔力視は違った。宿る魔力の色や、体内を走る経路などを見抜く事が出来るのだ。百発百中とまではいかないが、少なくとも鍛練から縁遠い男を調べるのは、雑作も無い事なのである。
エイデンはユーレイナの言葉を聞きながら、手下のデュラハンを思い出していた。デュークもそのようにして世界を見ているのだと、何となく思う。
「エイデンよ、我らの置かれた状況をまとめよう。国を追われ、魔王討伐を強いられ、約束も反故にされる可能性が高い」
「待てユーレイナ。セントラル王が見捨てると決まった訳じゃない」
唐突にユラグが異を唱えた。それは反射的に飛び出した言葉であり、根拠が後に続かなかった。その僅かに垣間見せた反抗心も、正論によって蹂躙されていく。
「阿呆が。これまで何を見聞きしてきたのじゃ。王が功績に何で報いた、王宮でどんな仕打ちを受けた。お主だけではない、難渋する国民に対してはどうか」
「そ、それは……」
「総じて貪欲。中枢に居座る連中は栄達にしか関心が無いのよ。余所でどれだけ死体の山が築かれようとも、心を痛めたりはせん」
「だからって、魔族と手を組むだなんて……」
「では、あの酷薄な王に付き従うか? どうにかしてエイデンを討ち果たし、あまねく大地を人族の手に取り戻すか? そうなれば圧政に拍車が掛かるのは明白。下々の者達が憐れじゃのう」
ユラグは反論の余地を見いだせなかった。重たい静寂が耳なりを引き起こし、それが更なる無言を誘う。受け入れがたい現実をひとつ、またひとつと飲み込む度に、言葉を失っていくようでもあった。
しばらくして咳払いが鳴る。頃合いを見計らったエイデンが漏らしたものだ。
「さて、状況を理解した上で聞こう。地上を二分すると申しておったな?」
「左様。西半分をそなたらに、故国を含む東半分は我らが貰い受ける。勢力の拮抗を演出する事で、戦も終息に導けよう」
「私には、一気にニンゲンを駆逐する方針も残されているのだが?」
エイデンにそのつもりは無くとも、口先ではそう告げた。代表者として足元を見られない為である。しかし、魔力視を持つ相手に嘘を通すのというのは、簡単な事ではなかった。
「痩せ我慢はよせ。子育てに専念したいのじゃろう? それに、もし仮に神速で世界を制圧したとしても、そなたの苦悩は終わらぬよ」
「ほう。なぜだ?」
「魔界との関係が険悪なのだろう。広大な大地を支配した、強大かつ反骨の士を、果たして放っておくかのう?」
「……まぁ、領有権については激しく揉めるだろう」
「最悪、人族の次は魔界と対決せねばならぬ。そなたが今の地位にあるのは、人間という明確な敵が存在するお陰じゃ」
エイデンは唸るとともに熟考した。彼の見立てでは、ユーレイナの言葉が正しいように思える。手を結んだ方が明らかにメリットが多いのだ。
「クロウよ、聞いておったな。この話をどう思う?」
使い魔に話を振った。すると、いくらかの間をおいて言葉が返ってくる。
「落とし所としては上々かと。ユラグ殿には大軍を撃退した実績があります。彼を戴いた大国が生まれるのであれば、侵略を止める口実としては十分です」
参謀の意見は是であった。これにより、エイデンの腹も固まる。
「よかろう。その悪巧みに乗ってやる」
「酷い物言いよの。多くの命が救われる策であるのに」
「意趣返しだ。それはそうと、具体的な動きについては?」
「では説明させてもらおうかの」
ユーレイナの作戦は次のようになる。ユラグ達は一度人族の勢力圏へと戻り、身を隠す。次にエイデンたちが大攻勢を仕掛ける。様々な街を陥落させる傍で、衆人環視の中でユラグと対決。そこで激戦を繰り広げ、エイデンは敢えなく撃退される、というものであった。
「この作戦の肝を言うと、ユラグの居る街は守り通す。そして、ユラグの居ない街は必ず陥落されねばならんのじゃ」
「それを続けたとすれば、精霊師は守り神のようになる……なるほど。そういう魂胆か」
「大陸中の民がユラグにすがるようになろう。それが軍民問わず浸透したならば、支配権も自ずと転がり込むというものじゃ」
「各国の支配者が許さぬのでは?」
「魔族の脅威を前にした人民が、圧政を敷いた王族を支えるはずもない。ましてや、進撃を一切止められぬポンコツ軍隊などアテにするものか」
「それすなわち、我ら魔族は国境を速やかに侵し、なおかつ華麗なる勝ちを収めよというのだな?」
「それが出来ねば話は終い。エイデンには今後も、長ったらしく小競り合いを続けてもらう事になるだろうのぅ」
求められるのはインパクトだ。人々が支配者階級を見限り、唯一無二の希望にすがるよう仕向けねばならない。その原動力は、魔王軍の活躍に依存するのである。
──まぁ、やれん事はないか。
そうエイデンは踏んだ。メイにしろルーベウスにしろ、力を持て余している者には事欠かないのだ。
深い意味もなくユーレイナの顔色を眺めてみる。彼女はいまだ手付かずの紅茶に手を伸ばし、湯気の無いカップを顔に寄せ、香りを愉しんでいる。そして冒頭と変わらぬ素振りで啜った。3杯目である事をおくびにも出さずに。
「これが世界を分割する為のプロセス、か」
「そうじゃ。成功した暁には、我らは国を取り戻すだけでなく、大国に怯えずに済む。そなたも面目が保てるし、魔界との対立も避けられよう。もちろん子育ての時間を削る事のないままにな」
「よかろう。盟を結ぶとしよう」
「よろしく頼むぞよ」
エイデンとユーレイナが握手を交わす。しばらくの間握りしめると、叱責する声があがった。
「ユラグ、テーボ、何をボサッとしておる。お主らも手を出さんか」
「魔族と手を取り合えって言うのか?」
「こんのクソたわけが! この期に及んで人魔言うとる場合か! 真の敵を見失うな!」
「ユラグ様、どうするよ?」
「……致し方ない。ここは恥を忍ぶとしよう」
「ちくしょうめ、何だってこんな事に!」
感情を剥き出しにした2つも加わり、4人の手が交わった。今この瞬間に、大陸史は確かな転換点を迎えたのである。
「これで話は終いじゃ。ではエイデンよ、しばらく世話になるぞよ」
「世話? 何の話だ」
「知れたこと。演技指導の為に逗留するんじゃよ」
「演技……」
「指導……?」
誰も理解が及ばない。苛立ったユーレイナが、髪を掻き乱しながら言う。
「わからんか。我らは今後も幾度となく戦うのじゃぞ。しかも、互いに殺してはならぬのじゃぞ?」
「あぁ、そういう事か。真に迫る戦ぶりを見せつつも、手を抜かねばならぬと。意外と骨が折れそうだ」
「すなわち、磨くべきは演技力。それもあらゆる者の目を欺けるほどの、迫真のものじゃ」
ここでユーレイナが頬を歪めた。謁見の間で見せたものと遜色の無いものだ。
「では頼むぞ。ロイヤル感に溢れる歓待をな」
そう言うなり、ホホホと笑いながら宙を舞った。
エイデンは思う。今からでも蹴散らしてやろうかと。しかし、この頃に悔やんでも後の祭りであった。




