第68話 待ち人遅すぎる
精霊師たちが城に接近中。その報せを聞いたエイデンは玉座に座り、早くも手に汗を握った。
窓の外からは衛兵の声が聞こえる。城内外の人々を誘導する為のものだ。
「いよいよだな……」
生涯に2度あるか分からない晴れ舞台を前に、ガラにもなく緊張していた。手持ち無沙汰から諸々を確認する。愛剣のクラガマッハを腰に。服装には乱れ無し。
心配なのは例の長台詞だ。概ねは覚えた。しかし何度挑戦しても単語を飛ばすか、あるいは噛んでしまい、成功率は依然として高くはない。なので万が一困った素振りを見せたなら、マキーニャのメモを頼る手はずとなっていた。
「しかしな。紙を片手に言うのも格好がつかぬだろう」
そんな弱音をこぼしつつ、苦手な台詞を小さく反芻した。『打ち克つ』がどうしてもハッキリ言えず、『うてぃかつ』やら『うつぃかつ』に発音が寄ってしまうのだ。
こればかりは練習しても成果があがらない。戦う前から気を重くしたエイデンは、溜め息とともに視線を壁へと向けた。城近辺に放った使い魔の映像を見るためだ。
「おお、こやつらが討伐隊か。随分と若いのだな」
門前にユラグたちの姿を見た。彼らは槍や剣の鞘を抜き、ユーレイナも隠密状態を解いて、臨戦態勢となっている。
後は謁見の間に来るのを待つだけだ。門は開け放たれ、衛兵は一人として残していないのだから。
「……うん? こやつらは何をしているのだ」
ユラグたちはいまだ1歩たりとも足を踏み入れていない。門の外側で城下町を覗き見たり、魔法を繰り返し発動させるなどして、その場から動こうとしないのだ。
「どうやら罠を警戒している模様。魔力視を用いて辺りを透視し、防護魔法を重ねがけするなどして、対策に追われているものかと」
「罠などあるものか。とっとと進めば良いものを……!」
ユラグたちは慎重な姿勢を崩さない。装備の点検に補助魔法の発動。手持ちの薬を均等に分けてと、とにかく事前準備が長ったらしい。
ただジッと待つエイデンが焦れた頃、ようやくユラグ達は門を潜った。そのまま城へと向かうのだが、遅い。いちいち物陰に隠れ、安全確認をとってから進むので、歩みはとにかく遅かった。
当人らが真剣なのは理解できるが、付近は城の者から末端兵に至るまで、ほぼ全員が安全地帯に隔離済みなのである。そんな実情を知る者からすれば苛立つばかりだった。
「早くしろ早くしろ。ここには私とマキーニャしか居らんのだぞ」
「そうなのです。幸運にも今は2人きりなのです。血が滾るにつれて情欲も天井知らずに高まり、間違いが起きないハズもなく……」
「少し黙っておれ」
「承知致しました」
ようやくユラグ達が城まで到達し、エントランスへと潜り込んだ。あとはそのまま脇目も振らずに奥へと進み、謁見の間を探し当てれば良い。ただそれだけのハズなのだが。
──皆止まれ!
──ど、どうしたんだユラグ様?
──離れろ、この凶々しい置物から距離を取るんだ!
それはいつぞやの、趣味が高じて造った水晶のオブジェだった。形状の激しさからユラグ達はスッカリ警戒してしまい、その場でたじろいでしまう。
──何か罠が仕込まれてるはずだ。ユーレイナ、探知してくれ。
──ふむ。特別な術式や呪いは感じられん。ただの飾りじゃろう。
──そんな訳はない。これ程におぞましい物が調度品で通るものか。もっと慎重に調べるんだ。
実に失礼な表現である。他人の住処に侵入しておいて一方的に蔑むのだから。しかし明からさまな無作法も、敵対陣営だからこそ気兼ねなくやれるのだ。
もちろん家主としては不愉快極まる。成り行きに任せるのを止め、使いを出すことにした。
「マキーニャ、あやつらをここへ案内しろ」
「承知致しました。先程の罵詈雑言は、お気になさらず」
「気遣いは無用だ。行け」
「それでは失礼致します」
マキーニャが室外へ出ていくと、エイデンは片手で顔面を覆った。
「よりにもよって、おぞましいとは……。もう少し言い方があるだろうに」
ガッツリ効いている。そう、戦いは既に始まっているのだ。意図せぬ形で前哨戦は発生しており、その結果としてエイデンの心に明確なダメージを与える事となった。
そこそこの失意に沈んでいると、使い魔通信に変化があるのに気づき、壁に目を向けた。マキーニャがエントランスに現れたのである。
──ようこそエイデン城へ。我が主人がお呼びです、どうぞこちらへ。
──お、女ぁ? どうしてこんな所に。
──気を付けろ。罠の可能性が高い!
エイデンはいい加減、壁を殴りつけたくなる。何か起きると罠、罠、罠だ。むしろ何らかのトラップを欲っしているだろうと勘繰り、食傷に近いものも感じた。
──申し訳ありません。あなた方には、罠で弱体化させるだけの価値がありません。
──何だと!?
──実際、怯えておられる。それこそ細腕の女一人に恐々となさって。滑稽だこと。
──ビビッてる訳ねぇだろ! そこまで言うなら、さっさと親分の所へ案内しやがれ!
──挑発に乗るな、テーボ!
──ではこちらへ。
マキーニャは血の気の多い男を上手く釣り上げた。その機転の為に討伐隊一行は、真っ直ぐ謁見の間へと進む事を余儀なくされた。いよいよ対決も秒読みとなる。
「さて。扉が開いたら台詞だ。冒頭は……」
最後の確認をしようとしたところ、エイデンは玉座から腰を浮かした。
「待て、出だしは何であったか!?」
致命的なド忘れ。先程の精神ダメージが、一時的な健忘状態を引き起こしたのだ。体をまさぐる。紙は無い。今はマキーニャの懐の中だ。
意味もなく右往左往。そのうち、扉がゆっくりと開かれた。ユラグ達の登場である。
──クッ、かくなる上は!
腹をくくったエイデンは、まず高笑いした。勢いでどうにか誤魔化そうというのである。
「ハーッハッハ! よくぞ来たな、我が居城に。矮小なる身の上ながら、兵も連れずに乗り込むとは。そのクソ度胸だけは誉めてやろう!」
唐突なアドリブ。そして後が続かない。エイデンは奇妙な間を空けながら、顔を四方八方に向ける。すると事態を察したマキーニャが足元に侍り、メモ書きを用意した。
「ええと……しかしながら、貴公らがいかに強かろうと、所詮はニンゲンの範疇!」
発言を強引に規定路線へと戻す。それからも続けて記載された文を読み上げた。
何ら疑うことなく。
「我が力を目の当たりにしたなら、恐怖に身を竦める事だろう! ねぇねぇ見て、トリさんだよ。ニコちゃん大人しくしなさ……」
突然すぎるホンワカ要素に、室内は即座に凍りついた。エイデンの顔はみるみるうちに紅潮し、絶叫。魂の奥から吹き出た叫びだった。
「な、なんだコレは!?」
「テーボ、良く分からんがチャンスだぞ」
「おっしゃあ! やったるぜぇ!」
「ま、待て。やり直しだ!」
「問答無用!」
テーボの繰り出した刺突をクラガマッハが弾き、熱い火花を飛ばす。
憐れエイデン。伝説的な一幕を夢見たものの、敢えなくその機会を失ってしまう。もちろん前口上のやり直しなど認められず、激しい戦闘が繰り広げられる事になった。




