第66話 道行く先には
ユラグたちは進路を北西にとった。ルートとしてはセントラルに所属する村々で物資を補給しつつ、シャヨーカの街を経てエイデン城に向かおうというのである。
悲壮な決意を孕んだ旅路であったのだが、進路を阻む敵は現れていない。いまだ陽は高く、見通しの利く平原においては、危険など無きに等しいからだ。いまだに武器を振るう機会が訪れずにいるのも、そういった理由からだった。
「それにしても分かんねぇなぁ……」
テーボが道端の草をへし折り、指先で弄びながら言った。手持ち無沙汰であるのを各層ともしない。
「何が分からないんだ」
独り言にも似た言葉に、ユルグは静かに返す。機嫌が悪いというよりは、これが彼の『普段着』なのだ。
「一人で行けって命令だよ。今は魔族に対して、大軍勢を引き連れての一大決戦を挑むべきタイミングなんじゃねぇのかって」
「知らない。復興に忙しいんだろう」
「国の兵隊さんが荒らされた家々を直して回るって? そこまで有情とは思えないねぇ」
現時点で既に、魔族軍の進路となった村を通過したのだが、眼を覆わんばかりの惨状が広がっていた。家は焼かれ田畑は荒らされと、生きる糧の全てが奪われてしまったのだ。路頭に迷った村人たちは身を寄せ合い、ただ呆然と今日が過ぎるのを待つばかり。せめて収穫が終わっていればと悔やんでも後の祭りである。
それほどの窮状があるにも関わらず、国が動き出す気配は微塵もなかった。戦雲が遠退き、一定の安全性が認められる今も、役人の一人すら派遣されていないのだ。
「連中の考えなど容易に見透かせるわ、それこそ手に取るようにな」
やや煽るような口ぶりでユーレイナが口を挟んだ。
「あぁそうかい。なら教えてくれっての」
テーボが投げやりに言う。行軍中でなければ、ふて寝でも決め込みそうな声色だ。
「我らが魔王を首尾良く討ち果たしたとしよう。すると、世界はどのようになる?」
「そりゃお前、残党狩りだろ。地上から魔族を追っ払うんだよ」
「ユラグの扱いは?」
「敵の親玉を倒した英雄だ。大陸中の人間が感謝するようになるだろうさ」
「そうかぇ。お主はどう思うのじゃ?」
ユラグは発言を求められると、その足を止めた。そして視線を地面に落とすと、沈みきった言葉を吐いた。
「僕は邪魔者になる。そう言いたいんだろう?」
「ほう、さすがは王族。先の先までよう見ておるのう」
「ちょっと待て! それはどういう事だよ!」
「よう考えてみい。ユラグは今でさえ、人民から救国の英雄として讃えられ、注目を浴びておるのじゃ。そんな男が魔王を討ち果たしでもしたなら……」
ユーレイナはそこで溜めを作った。テーボは固唾を飲んで次の言葉を待つ。
「神格化されんばかりに慕われるであろう。為政者からして、これほど扱いにくく、苦々しい存在は無い。用済みになれば一刻も早く消えてもらいたい所じゃろうな」
「それは、そうかもしんねぇけど……」
「ユラグには程ほどに働いてもらい、そして死んで欲しいのよ。最上は魔王と刺し違える事。次点で、魔王軍に大打撃を与え、時間稼ぎをしてもらう。それが連中の真意じゃ」
「その根拠はどこにあるんだよ」
「遊ばせておく兵はあるのに貸さなかった。それどころか、私兵すら連れる事を禁じた」
「暗殺するために目立つなって言い分だったじゃねぇか。一応は筋が通ってるぞ」
「本気でそれを狙っておるのなら、別働隊による陽動なり、何らかの援護があるはずじゃ。そんな話は一度も聞いてはおらんがのう」
軍学に従ったなら、暗殺を成功させるには相手の虚を突くか、注意をよそに引きつける必要がある。魔王軍は派手な敗北を喫した事から、油断するどころか警戒を強めるよう意識が働く。そして人族軍に大きな動きがない事から、注意を逸らすのも難しい。つまりユラグは、厳重な警戒網を独力で潜り抜けねばならないのだ。
「こんな戦力で敵の本拠地に乗り込めると、本気で思うておるのか。魔王がよほどの変わり者でない限り、差し向けられた大兵に殺されるのがオチじゃ」
「オレだって勝ち目が薄い事くらい分かってらぁ」
「万が一潜入に成功し、僥倖から魔王を討てたとしよう。しかし、その次に待つのも争いじゃ。セントラル王をはじめとした貴族どもと、醜い醜い権力闘争が始まる。これは良くて軟禁、最悪は毒殺まであるじゃろう」
「だったらオレたちの戦いは……」
「利益無し。完全な無駄骨。妾としては、それらしい言い訳を残して逃げるのが正しいと思うが?」
ユーレイナの図るような視線がユラグに注がれる。しばらく注目を浴びると、彼はこれ見よがしに拳を握りしめた。
「それでも行かねばならない。僕は最後の王族として、エレメンティアを取り戻す責任があるんだ」
「生真面目なもんじゃ。勝っても負けても長生きはできんのじゃぞ?」
「悲願の達成すらできない運命なら、そんな命は要らない」
「相変わらず苛烈な男子だのう」
「無駄な時間を過ごした。先を急ごう」
ユラグは俯いたままで歩きだした。有無を言わさぬその様子に、テーボたちも無言のままで後を追いかけていく。それからは口数も少なくなった。悲観的な未来が退屈を遠ざけるのである。
そのようにして歩くと、一行は国境付近の名もなき村へと辿り着いた。魔族の襲撃を免れたために、実害を受けたようではない。それなのに村人の顔色は暗い。すれ違う人や生業に精を出す人と、様々な住民を見かけたのだが、誰もが生気の失せた様子だった。
「ひでぇ顔してんのな。一応は勝ち戦だったのによ」
「あまりジロジロと見るな。交易所へ行くぞ」
村の中央には大きな建物があり、そこは市場として活用されていた。地元民や訪問者が品の売買を行う場所である。ユラグたちも冒険者達の例に漏れず、必需品を求めてやってきたのだ。
しかし、今は酷く閑散としていた。店番の姿があるので開放されてはいるのだが、人も物も皆無に近い。ひとまずは薄暗い室内を進んで行く。
店番の老人はユラグたちに気づくのだが、すぐに眼を伏せてしまった。歓迎されていない事は明らかだった。排他的な気配を浴びつつも、テーボが慣れた様子で話しかけた。
「なぁじいさん。食料を売って欲しいんだが」
「食いもんだと? ここにあるだけだ」
カウンターの正面には僅かばかりの品物が並べられていた。パンと木の実が少々、他にはロープや傷薬、短剣など。それらの下には値札が置かれているのだが、額面を眼にした途端にテーボが声を荒げた。
「ちょっと待てよ、パン1斤で12000ルードだと!? ボッタクリも大概にしろ!」
「品薄だからな」
「いや、いくらなんでも、普段200かそこらの物が1万超えって有り得ないだろ。1000くらいならまだ理解も出来るけどよ」
「心苦しい事だが、値引きなどできん。他所の村も大差ない。物の値段はかつてない程に高騰しているんだ」
「……買い占めかよ。どこの貴族だ?」
「ワシの口からは何とも」
「薬も5万とか、100倍近い値段じゃねぇか……どうするよ?」
テーボは濡れそぼった犬のような顔で主人の顔を見た。所持金は10万ルードはある。買えない事もないのだが、入手必須というわけでもなかった。
「さすがにその額を払おうとは思えない。またの機会にしよう」
「つう訳で爺さん。邪魔したな」
「そうか。悪く思わんでくれ」
こうなってしまえば用など無い。交易所を出たユラグたちは、そのまま何処かへ寄る事もなく村を後にした。
「ユラグ様、これからどうすんだよ。別の村を探すのかい?」
「いや、このまま先を急ごう。干し肉もいくらか残っている。シャヨーカの街までもつハズだ」
「そこでも品不足かもしれねぇぞ」
「だとしたら補給無しで進む。仮に道中で飢えに苦しむようなら、魔獣でも狩れば良い」
「はぁ……。贅沢はいわねぇから、決戦前夜くらいは腹一杯に食いたいもんだぜ」
明確な温度差をあらわにしつつも、一行は国境線を越えた。それでも特別に何かある訳ではない。警備隊に見咎められでもしない限り、通行は自由なのだ。
「なんつうか、拍子抜けだな」
テーボが気の緩みを言葉に乗せた。
「油断するな。ユーレイナ、ここからは隠密状態を保っておけ」
「まぁ仕方ないか。せいぜい見つからないよう気をつけんとのう」
命じられた通りにユーレイナは、辺りに光の粒子を振りまきながら姿を消した。以後、彼女と意思疎通が許されるのは、ユラグだけとなる。
傍目からは2人組となった主従の旅は、すこぶる順調だった。河を見つければ喉を潤し、夜は火を焚いて交代で眠る。空腹は干し肉を頬張る事でごまかしつつ、ただ黙々と歩き続けたのだ。国境を越えて5日も進んだところ、彼らはようやく眼にする事になる。
魔族の手に落ちた街、シャヨーカへと。
「とうとう着いたか。長かったなぁ」
2人は丘に立ち尽くしたまま、遠巻きに眺めた。ここはもはや人間の勢力圏ではなく、魔王の支配下なのだ。すんなりと街に入れる保証など無いのだ。
「ともかく潜入してみよう。もし敵が騒ぎ出すようなら、即座に離脱する」
「頼むぜほんと。こちとらフッカフカのベッドが恋しいんだからよ」
念のため顔をフードで覆い隠し、街の方へと赴いた。門前には数人の兵士が守りについている。しかし、特に警戒するようでもなく、頻繁に通行人が出入りしていた。検問どころか、手形の提出も求められはしなかった。
「フリーパスとはのう。魔王のやつめ、相当な狂人か。それともよほどに己の強さに自信があるのか」
「何の目的かは知らないが、僕たちにとっては好都合だ。このまま街に潜入するぞ」
一声すらかけられもせず、全員が通行を許された。人の流れに乗って大通りへと向かう。やがて、ユラグたちは思い知る事になる。すれ違う人々の、シャヨーカに暮らす者達の姿は、これまでに無いほどの活気に包まれている事に。
——さぁさぁ安いよ、今日はキノコが大安売りだ! まとめ買いなら、キャベツ・じゃがいも・人参と、お好きな1品サービスしちゃうよ!
——秋の新作を入荷しました、スカートは紺、カーキ、グレーの3種類。靴は限定版の50点だけ。早いもの勝ちですよー!
——紳士淑女の皆様方、この演奏を聴いてくださいな。もし良かったら、お気持ちだけ頂戴できれば。
——ニコラ様もこよなく愛されたというクレープはいかがですか、本日はあと3つで終了でーす!
ユラグたちは思わず立ち尽くした。眼前に広がる光景を、頭が理解できないのである。
「なんだこりゃあ。ニンゲンと魔族が、同じところに暮らしてやがる……」
そこに人魔の区別は無かった。同じ部屋で酒を酌み交わし、通りで立ち話に華を咲かせ、長椅子でチェスに興じたりしている。それは店先も同じで、店員も客にも種族の壁を感じさせなかった。どこの取引も和やかで、騒ぎが起きる気配は微塵も無い。この光景はユラグたちにとって衝撃的なものとして映った。
「おい嘘だろ。アイツなんか、魔族と肩を組んで歌ってるぞ。どうなってんだ?」
「テーボ、騙されるな。これは魔王が仕組んだ幻だ」
「ええ!? 本当かい?」
「待っていろ。こんな小賢しい罠、今すぐに解いてやる」
ユラグは手のひらに魔力を集めて光球を生み出すと、頭上に向けて放り投げた。
「偽りの世界を打ち破れ、スターライト・フラッシュ!」
聖属性の魔法が街の上空できらめき、まやかしを吹き飛ばしてくれる……はずだった。しかし思惑からは大きく外れ、魔法は発動しなかった。光球は全くもって輝かず、周囲に変化をもたらす事なく消えたのだ。
ひとつ些細な変化をあげるとすれば、通りすがりの人々である。彼らにしてみれば、ユラグの動きは奇行にしか映らなかったのだから。唐突に大仰なポーズをとり、それっぽいセリフを吐いた騒がしい男として受け取られた。年頃のお嬢さんがクスクスと笑う。箸が転がるよりも愉快な立ち振る舞いだったのだろう。
「お、おかしい。不発か?」
珍しく狼狽えるユラグに、ユーレイナが哀れみとともに声をかけた。
「落ち着け。これは幻ではないぞ」
「違うのか。じゃあ洗脳だ。人族は思考を乗っ取られ、こんな茶番に付き合わされているんだ」
「いや、洗脳でもない。邪な魔力が働いている気配は皆無じゃ」
「という事は、もしかして……」
「信じがたいが、彼らは己の意思で笑い、暮らしておるのよ」
「そんな馬鹿な!?」
驚愕に眼を丸くする。長年に渡って争い続けた両者が分かち合うなど、夢物語よりも非現実的だからだ。しかし、眼前の光景は彼らの固定観念を真っ向から打ち砕こうとする。それがゆえに、呆然自失としてしまうのだ。
そんな2人の元へ、愛らしい声がかけられる。
「旅の人、まおーさまのシュクフクです。どーぞ!」
テーボ、そしてユラグに手渡されたのは小さな花だ。2人は憮然となりながらも、慌てて財布を取り出そうとして体をまさぐる。
「えっと、お代だよな。いくらだい?」
「お金はいらないの。まおーさまが毎日くれるから!」
「魔王が……?」
「1日で5ディナもらえるの。あとちょっとで、カワイイ服が買えちゃうのよ、クツも一緒にね!」
「そ、そうかい。頑張ってな」
「またね、バイバイ!」
少女が笑顔を振り撒いて駆け去っていった。その小さな背中を、大の男2人は力無く見送るだけだった。
それから一行は道具屋で必需品を買い揃え、陽の暮れぬうちに宿屋へと転がり込んだ。価格はいずれも適正と言えるものだった。
「何だよ。すげぇ快適じゃねぇか」
テーボはベッドに身を預けながら呟いた。先程赴いた道具屋は、品も豊富で価格も手頃だった。物不足の余波を免れたのは、エイデンが国の備蓄を放出し、あるいは財政出動させた結果である。買い占めも発覚次第に衛兵が飛んでくるというのだから、市民の暮らしぶりはかつて無い程に安定していた。
それらの功績をユラグたちも薄々と感づいているのだが、敗北感が邪魔をして口が固くなってしまう。
「皮肉なもんじゃのう。侵略者と位置付けた連中の方が、よっぽど国を上手く治めておるではないか」
ユーレイナの揶揄にユラグは応じなかった。ただベッドに横たわりながら、掌中の小さな花を眺めている。
「魔王誅すべし。皆はそう声高に叫ぶが、果たして誰の為のものかのう」
ユラグはやはり答えもせず、頭から毛布を被ってしまった。手の中には変わらず華の手触りがある。
──魔王様の祝福を!
目映い笑顔の残滓が、決意に深いヒビを入れる。果たして自分の命は、何に使われようとしているのか。
ユラグは失意にも似た気持ちを抱いたまま、やがて浅い眠りへと落ちていった。




