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魔王様は育児中につき  作者: おもちさん
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第65話 魔王さえ倒せば

 人間界屈指の大国、グレート・セントラルは熱狂の渦に飲み込まれていた。たのみの国軍が連戦連敗を重ね、いよいよ王都すらも危ういとなった最中、瞬く間に撃退してみせたのだから。恐怖と抑圧からの解放が、国をあげてのお祭り騒ぎに拍車をかけた。


 酒を酌み交わす度に救国の士について、情報が伝播でんぱしていく。だが、突如として現れた青年はとにかく謎だらけだ。知り得る事は極めて少ないながらも、英雄の出現だと喜び騒ぎ、連日のように飲み明かした。


「偉大なるセントラルに栄光あれ」


「人族の明るい前途に乾杯!」


 そんな城下街の熱気は、王城にも端々にまで波及していた。本日は宴の余興として、救世主たる光の精霊師が宮廷に呼び出されたのだ。そのため参列する貴族、特にうら若き公女などは、今か今かと待ちわびており、酒や皿には見向きもしないという有り様であった。


 やがて、衛兵の音声とともに舞踏会場の大扉が開かれる。参列者は一斉にそちらを見たのだが、期待に輝かせた瞳を曇らせるのにそれほど時間は要らなかった。


「まぁ薄汚いこと。身嗜みという言葉をご存じないのかしら」


「顔も平凡なら背格好も平凡。美しさの欠片も無く、見苦しい事この上ない」


 現れた男は確かに風采が悪かった。薄汚れたマントは洗いざらし。真っ赤な髪は伸ばし放題で、頬には生傷が無数に刻まれている。使い込まれた鎧は光を弾かず、戦気の色濃さも手伝ってか、近衛兵の数段劣る見映えだ。極めつけは裾と袖。買い替える事もせずに、脛や浅黒い肌がむき出しになっていた。豪華絢爛なる装いの者からすれば侮蔑の的でしかない。


 冷めきった言葉が場内に漂う。幸いにも中は広く、2階席まで設えてあるため、精霊師の耳にまで届く事はない。しかし明瞭な言葉は伝わらずとも、隠しようのない悪意が空気を介して充満していく。


 精霊師が歩むと場内中央が割れた。物乞いを見るような眼を隠しもせず、大勢が左右にはけた為だ。自然に王と向き合う形となり、無言のままで跪いた。


「よくぞ参られた、精霊師ユラグよ。こたびの戦いぶりは実に大儀である。国の窮地を救った事は、史上屈指の功績だと言えよう」


 セントラル王は声高々に褒め称えた。しかし、歩み寄って手を取るまではしない。口ぶりとは対照的に、10歩離れた所から言い放つばかりだ。


「さて、今日呼び出したのは他でもない。そなたに重大な、それこそ世界の命運をも左右する役目を授ける為である」


 労いもそこそこに、新たな指令が発せられようとしていた。精霊師は思わず顔を持ち上げそうになるのを堪え、死角で拳を握りしめた。


 そんな彼の耳元で若い女がそっと囁く。


「おいユラグ。この無礼なる爺はなんじゃ。まずは金なり地位なりで、先日の労に報いるべきではないのか?」


 彼女は光の精霊ユーレイナだ。今現在は隠密魔法を発動させた事により、周囲から知覚されるのを免れている。こうして密かなる同席を成し遂げたのも、その為であった。


 よって国王にユーレイナの言葉は届かない。率直な指摘になど気づく素振りも見せず、新たな指令が発せられた。


「知っての通り、にくき魔族どもが大陸北部を占領して久しい。聞くところによると、現地に住まう人民すべてが虐げられ、怨嗟の声が鳴り止む暇もないのだとか。見事魔王を討ち果たし、世界に平和をもたらすのだ」


 下されたのは魔王討伐令だ。虚を突かれた貴族たちは、おぉという声を漏らすばかりになり、やがて静まり返った。見下した様な視線がいくつも飛ぶ。彼らは皆、精霊師の言葉を待っているのだ。


──魔族など、私が退治してごらんにいれましょう、という明確な言質を。


 しかし、そんな都合の良い期待も、返答をもって裏切られる。


「討伐については承知しました。ですがその前に、包囲軍を撃退した功績に報いていただけますか」


「聞くだけは聞いてやろう」


「我が旧領エレメンティアを回復すべく、お力添えいただきたい」


「エレメンティアは……たしか数年前に東の雄、イスティリアに攻め滅ぼされたのだったな」


「御意」


「回復したいということは、そなたは王族なのか?」


「王太子どころか、皆無に等しき王位継承権ですが、前王の庶子であるのは確かです」


 精霊師の物言いはどこまでも静かだった。にも関わらず、周囲を埋め尽くす聴衆は激怒し、好き勝手に喚き散らした。


「なんと無礼で浅ましいヤツだ。恐れ多くも陛下に直言で懇願するとは!」


「些細な功で図に乗りおって。不遜にも程があるぞ」


「こんな汚ならしい男が王族だと? 疑わしい。混乱に乗じて、王位を掠め取ろうとしているのではないのか」


 そこかしこから暴言が飛ぶ。それを制したのはセントラル王だ。彼が片手を挙げるだけで、全ての人間が口を結んでしまう。


「よかろう、では約束だ。討伐した暁には、領土と民をイスティリアから取り返してやろう」


「それは先日の戦と、魔王討伐の功績を併せた上での報奨ですか?」


「そのつもりだが、不服か?」


「いえ。速やかに出陣いたします」


「よく励めよ」


 王が踵を返そうとするのを、精霊師は質問によって引き留めた。場の空気は一層悪くなるのだが、気にも留めずに発言を続けた。


「軍勢はいかほど貸していただけるのでしょうか?」


 ユルグたちは放浪の軍である。一応500程の配下はいるのだが、魔王軍と対峙するには足りない。軍学に照らし合わせたなら、少なく見積もっても10倍は必要だ。


 しかし、返答は思わず耳を疑ってしまうものだった。


「兵は貸さぬ。一兵さえもだ」


「ご再考願います。私の手勢だけでは到底成し得ません」


「ならん。多勢で動けば敵に気取らよう。そなた1人だけで行くのだ」


「つまりこれはは、合戦ではなく暗殺であると?」


「どうとでも解釈せよ。ともかく、兵を連れ歩く事は固く禁ずる」


 ユルグは頭痛でよろけそうになった。本気で魔王を倒す気があるのか、そう叫びたくなる。王の言を不審に思ったのは、隣で宙を泳ぐユーレイナも同様であった。


「なんか臭うのう。裏があるとしか思えんわ」


「黙ってろ。話なら後だ」


「そうかえ。ならば言わせるがままにすると良いわ」


 ユルグは眩暈めまいを覚えながらも懸命に思考を巡らせた。この馬鹿げた命令を再考させるだけの言葉を、説得を探し続けたのだ。


 しかし無情にも、状況は彼を待たなかった。王が別れだとばかりに餞別を用意したのである。


「兵の代わりにこちらを進呈しよう。それで準備を整えるが良い」


 大きな宝箱が下男によって運ばれてきた。こうなっては、ユラグも諦めざるを得ない。せめて贈呈品が、伝説の武具などの頼もしい物であることに期待するしかなかった。


 蓋を開いて中を覗き込む。すると、底の真ん中に麻の小袋が置かれていた。手にとって開けてみると、その中には10ルード銅貨が5枚入っているのが見えた。


「これは……?」


 何かの手違いか。そう言おうとしたのだが、王は口許を掌で覆い隠しながら言った。


「50ルードある。それで必需品を買いそろえ、討伐に……!」


 王は最後まで言い切る事が出来なかった。口から激しく息を吹き出し、腹を抱えて嗤い始めたのだ。


 すぐに周囲が同調する。1階も2階も、嘲笑する人ばかりとなった。


「さすがは陛下! ユーモアが堪能でいらっしゃる!」


「物乞いが小銭を持って魔王退治か! こんな愉快な話もそうあるまい!」


 室内は黒い笑いに染まった。この時点でユルグは全てを遠くに感じ、怒りすらも通り越してしまった。冷めた眼で辺りを見回した後、一言も発する事無く部屋を後にした。


 それから大扉が閉じられたのだが、中からは一層大きな笑い声が漏れ伝わってきた。


「負け犬が去っていくぞ! 打ちひしがれた愚かな野良犬が!」


「馬鹿な男だ。死んでも骨など拾ってやらんからな」


 聞いていても耳が汚れるだけである。ユルグは回廊を足早に過ぎ、城門の外へと飛び出した。それから道なりに歩き、然り気無い目印を見ると、街道から外れて僻地へと向かった。やがて配下が寝泊まりする陣地が見えるようになる。


 そうして帰陣する前に見知った顔と対面した。彼の投げ掛ける人懐っこい笑みが、ささくれだった心を癒すようである。


「おう坊っちゃん……じゃねぇや。ユルグ様おかえり!」


 重騎士のテーボが殊更明るく言った。ユルグの顔色を見た上で、敢えてそうしたのである。


「大変だったみたいだな。城の様子は?」


「とにかく見下されたよ。今ごろは僕の悪口で盛り上がってるだろうさ」


「まぁあれだ。セントラル王は狡猾で残虐なクソヤローだって聞いてる。何言われたか知らねぇが、あんまし気にすんなよ」


 テーボが高笑いしながら、励ますように背中を叩いた。さながら兄のように振る舞う年上の家来を、ユルグも嫌いではなかった。


 その両者の真上からユーレイナが口を挟む。耳には甘く爽やかな春風のように、心には致死性の毒薬のように。


「ほう、気にするなと。では魔王討伐令も無視して良いかの?」


 隠密魔法は解除済みだ。今ならテーボも、ユーレイナの顔を直視しながらの対話ができる。


「えぇ? そればっかしは受けねぇとマズいだろ。人使いが荒いとは思うけどよ」


「ちなみに支度金は50ルードじゃ」


「ハァ!? んなもん大根の1本も買えねぇじゃねぇかよ」


「兵も連れてはならんそうじゃ。身一つで向かえとの事じゃぞ」


「ふ、ふざけんじゃねぇ! うちの大将を何だと思ってやがる!」


 テーボは金色の髪を逆立てんばかりに怒り、勇壮な鎧を激しく鳴らしながら叫んだ。そして短槍を頭上で旋回させ、心の赴くままに怒りを撒き散らした。


「勘弁ならねぇぞ、戦になりゃ震えるだけの豚どもが! 今すぐに血の雨を降らせてやる!」


 猛然と駆け去ろうとする背中を、ユラグの鋭利な声が止めた。


「よさないか、テーボ!」


「何で止めるんだよ! あんな連中は首の2、3も飛ばしゃ大人しくなるんだ!」


「僕がなぜ言われるままにしたのが分からないのか。イスティリアを追い出すにはセントラルの助力が必要だ。事を荒立てでもしたら、故郷へは永遠に戻れないぞ」


「だからって、この仕打ちはあんまりだろ!」


「命令がきけないのか。それは僕が第7王子だからか?」


 テーボはギクリと身をたじろがせ、うつ向いたかと思うと、やがて天に向かって吠えた。


「そういうつもりじゃねぇよ……ったく。わかりました、言う通りにしますよ!」


「それで良い。では兵の掌握を頼む」


 ユラグが踵を返して歩き出すと、テーボは慌てて背中を追いかけた。


「ちょっと待ってくれ。まさか本気で単身乗り込む気なのか?」


「そういう命令だ。従わなければ、今後の関係に支障がでる」


「だったらせめてオレだけでも連れていってくれよ」


「王は誰も連れていくなと言った」


「召し使いがてら、一人くらい道連れにしたって平気だろうよ。それに、後でゴチャゴチャ言われたとしても、そん時にまた考えりゃ良いんだ」


「……分かった。とにかく魔王だ。あいつさえ倒せば、全てが丸く収まるんだ」


「そう来なくっちゃ。腕が鳴るぜ!」


 話が決まると後事を部下に託し、2人の主従が陣を後にした。それをユーレイナが後ろから眺めるのだが、周りをはばかりもせずに怪訝な顔を表した。


──果たしてそう上手く事が運ぶかのう。


 不吉な言葉と、自身が溢す光の粒子を残して、ゆっくり遠ざかる背中を追いかけた。こうして魔王討伐隊は、打倒エイデンを掲げて出立したのである。


 

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