第63話 進むべき道とは
ニコラの部屋には3つの顔が並ぶ。性別や種族の違いはあれも、全てが等しく不安を前面に押し出していた。その視線の先には、ベッドに伏せる幼女の姿。俗にいう季節病を患ったのだ。
「エイデン様。医師より処方された薬を飲ませるべきでは?」
マキーニャが自らの手で頬を引っ掻きながら言う。特に意味など無い。癇癪が彼女にそうさせるのだ。
「朝に飲ませたばかりだ。次の服用は昼を待たねばならぬ」
エイデンは忸怩たる想いを吐き出すように言った。もっと自分がシッカリしていれば、という気持ちが苛むのである。後悔の念は激しく、つい先程までは、父親失格だと延々喚き散らすくらいだった。
「お父様。熱を計ってみましょう。もしかしたら、少し位は下がっているかも」
メイが体温計を取りだし、ニコラの脇下に差し込んだ。固唾を飲んで見守る周囲などお構い無しに、水銀の先端はみるみるうちに登っていく。結果、若干ではあるものの、悪化しているのが分かるだけだった。
「薬が効いておらんのではないか?」
「吐き戻しは落ち着いています。ですが、熱は今も高いままですね」
「じれったい……。これは私が調合した方がマシかもしれぬ」
「出来るのですか?」
「専門外だが、やってみるしかあるまい」
「ニコラちゃんの事は私たちにお任せください。だから、一刻も早く薬を!」
「頼んだぞ!」
エイデンは放たれた矢のように駆け、自室へと戻った。机上を占領する娯楽本や工作キットを払い除け、医学書を高く積み上げた。
「解熱、解熱用の薬は……」
荒々しくページをめくる。しかし、探せど探せど、見つかるものは劇薬ばかりである。成人でも副作用が激しく、素人による扱いは極めて危険であった。幼児に用いるなど以ての外。仕方なく別の薬剤を求めるのだが、ニコラの助けとなるものが一向に見つからないまま、無為に時間だけが過ぎていく。
「そもそも病とはなんなのだ。毒と捉えるべきか、それとも呪いの一種なのか?」
机上には所狭しと本が並ぶ。そして気になる記述を見つけては開いたままにし、別の本を漁る事を繰り返した。
解毒、解呪、快癒の章。それらを見つけるまでは良かったか、今度は理解が及ばない。見慣れない専門用語が躍り狂うため、やたらと眼が滑るのだ。いちいち辞書を引かねばならず、作業は遅々として進まなかった。
「落ち着け、落ち着くのだ。まずは何が出来るのか把握しよう」
焦りから暴走しようとする心を静め、製剤という未知なる作業を遂行せねばならないのだ。エイデンはかつてない程に集中していた。
それゆえに彼は気づかなかった。遠慮気にドアを叩き、入室した男に。
「魔王様。ご多忙の折り恐縮にごさいます」
最大限にへりくだるのは、参謀長のクロウだった。彼は既にニコラの異変について耳にしている。当然、王の不機嫌具合についてもだ。下手な物言いをすれば命は無いと確信しており、顔を見上げる事もせず、己の膝を眺めつつ声を発し続けた。
「魔界より大軍が派兵された事を確認しました。死霊部隊と黒魔術師部隊による混成で、総勢2万の大陣容です」
告げられたのは一大事である。これは単なる援軍ではなく、エイデンを差し置いて人族と戦う軍団なのだ。新手の活躍により、呆気なく地上を制圧されたとしたらどうか。面目丸潰れどころか、これまでの膠着を怠慢と責められるのは確実だ。ゴーガンなどは鼻息を荒くして糾弾するに違いない。
今は身の振り方ひとつで、国の命運が左右されるという際どい状況なのだ。軍勢を貸し与えて協力するなり、先んじてエイデン軍だけで一国だけでも落とすなり、何らかの方策を決めなくてはならなかった。当然ながら、クロウの一存では左右できない。王の意思決定が必要なのだ。
「我が城とシャヨーカの中間に魔界の門が急造されました。そこから順次、地上へと押し寄せる見込みです」
クロウが状況を端的に説明した。しかし、エイデンからは明確な返答を得られない。ただブツブツと独り言を繰り返すのみである。
「かの軍は一気にグレート・セントラルを攻め滅ぼすつもりとのこと。愚考しますに、我らも参加すべきかと。魔王様が城を離れられぬというのなら、せめて一軍だけでも」
相変わらず答えは無い。さすがにクロウも不信感を覚え、首だけを伸ばして独り言に耳を傾けた。
「ならん。必ずや失敗するだろう」
「何ですと!? 精強なる2万もの軍が破られると?」
クロウは思わず耳を疑った。戯れ言ではと思わんでも無かったが、王の声に疑念の余地は無い。かつてない程に真剣な口ぶりなのだ。
──戦局を知る前に結果を見通すとは。このお方はもしや、稀代の名軍師の域にまで達しておられる?
図りかねたクロウは、その場から動けなかった。そんな彼にダメ押しの言葉が届く。
「手を出すべきではない。無駄に死なせるばかりだ」
「な、なんと! 死霊軍団が無惨にも尽滅させられるだけでなく、我が軍も全て討ち果たされてしまうと!?」
クロウはだいぶ先回りをしていた。そして、自信に満ち溢れた断言に、王の慧眼を見たのだ。感激に打ち震える時すらも惜しくなり、早口で会話を切った。
「承知いたしました。我らは一兵も送らず、専守防衛に徹します。それではこれにて」
迷いなき足取りでクロウが退室した。そしてドアが閉められた頃、ようやくエイデンは書物から視線を外す。
「おや、誰か来たのか?」
エイデン、聞いてない。大事な話を物の見事に馬耳東風。国王と参謀は迂闊にも、冗談のような認識違いをした上で、国としての立場を決定付けてしまった。これが吉と出るか否かは誰にも分からない。
明くる日。エイデンは不眠不休の体を引きずって、ニコラの部屋へと戻った。出迎えたのは、瞳孔の開きかけたマキーニャと、疲れを滲ませるメイであった。
「お父様、薬はできたのですか?」
その問いかけは、激しく胸に突き刺さると同時に、無力さを再認識させた。
「副作用の都合から、独自に作るのは難しいようだ」
「そう、ですか」
「ニコラの様子はどうだ?」
「昨日より意識がハッキリしてます。熱は、ちょっとだけ下がりました。薬も飲ませてあります」
「食事は?」
「あまり口にされません。食欲がないようです」
「わかった、ありがとう」
エイデンは枕元に歩み寄ると、その場でひざまづいた。ニコラと眼が合う。生気のない、弱々しい目線だった。
「おとさん、おきれない」
「寝てて良い。誰しもそうやって病を治すものだ」
そう言いつつ、エイデンはコップを差し出した。中には魔牛の乳に、炒った魔ゴマを溶かしたもので満たされている。魔界では滋養に良いとされる品だ。製剤を諦めたが為に、泣く泣く民間療法にすがったのである。
「ニコラ、飲めるか。無理しなくても良いぞ」
「のむ。ちょーだい」
ニコラは細口から、一口、二口と喉を鳴らして飲んだ。これにはメイも安堵したように微笑み、マキーニャなどは卒倒しかねない程に喜んだ。
幸いな事に、病状に一応の改善は見られた。しかし予断は許されない。あらゆる状況を、それこそ最悪の状況までも視野にいれつつ、様々な局面をシミュレートせねばならなかった。
そんな折り悪く、クロウが王の元を訪い、戦況の報告をした。
「申し上げます。魔界より送られし軍団の働きは鬼神のごとし。一夜にして砦を2つ抜き、一城を陥とした模様」
「歯がゆさはあるが、今は様子を見るしかあるまい」
「承知しました。引き続き堅守を続けます」
意図せず会話をした気になったエイデンは、怪訝な顔を背後に向けた。しかしその時にはクロウの姿は無く、締め切られた扉があるだけだった。腑に落ちないものを感じつつも、気持ちを看病へと切り替えた。
翌日。ニコラの容態は快方へと向かい、寝起き出来るまでになっていた。食事も喉を通るようになったが、ぶり返す可能性も否定できない。
エイデンは気を緩めること無く、今日一日の動きを検討した。そして運命のイタズラか、まるで狙い済ましたかのように、絶妙なタイミングでクロウが報告に訪れた。
「死霊軍団は人族に対して決戦を挑みました。敵方は倍を兵数を誇ったのですが、快勝との事。王城を取り囲むのも時間の問題と思われます」
「焦ってはならぬ。奇策に転じなければ、自ずと望む結果を手にできよう」
「承知いたしました。臨戦態勢のまま、引き続き持ち場を守らせます」
立ち去るクロウ、怪訝な顔を向けるエイデン。両者はここ数日、会話をしてはいても全く噛み合っていなかった。そんな認識の齟齬を抱えつつも、方針は王命によって守られ続けた。
さらに翌日。とうとうニコラが復調した。熱も吐き気も無い、万全の状態にまで快癒したのだ。
「おとさん。おなか、すいたね?」
「そうだろう、そうだろう。待ってろ、今すぐパンを持ってきてやる」
「パン! やったね!」
小躍りするだけの体力が戻っていたのだ。それを眺めるだけでもエイデンの疲れは消し飛び、娘同様に踊るようにして、厨房まで駆けて行った。
同日の昼。仮眠でもとろうとするエイデンに来客があった。気怠い体のままで謁見に応じると、少し懐かしい顔に会った。魔界から駆け通しだったケンシニーである。
「到着が遅れてしまい申し訳ございません。魔界の門にゴーガンの連中が待ち構えておりまして、撒くのに時を要しました」
「久しいな、ケンシニー殿。それで本日は何用か?」
「魔界より大軍が発せられた事をお伝えにあがりました。そして、身の振り方などを提案しようとしたのですが、それも無用でございましたな」
「無用だと? なぜだ?」
「いえね、セントラル城を囲もうとした2万の軍勢が、散々に打ち破られたそうなのです。まさに絵に描いたような敗走。これには元老院の年寄り連中も、認識を改めざるを得ないでしょう」
熱っぽく語るケンシニーだが、エイデンは全く同調できなかった。
「それにしても、一兵すら送らず静観なさるとは。なかなか思い切った事をなさる」
「魔王様は全てをお見通しだったのですよ。光の精霊師が参戦し、魔界の軍を敗走させる事まで、その全てを」
「素晴らしき洞察力です。まぁ、運を天に委ねる部分もあったでしょうが、賭けには勝ちましたな。エイデン様の評価も、怠惰から侵略を拒む男というものから、冷静な分析をもとに慎重な侵攻を目論む人物と……」
「待て、待つのだお前たち」
エイデンは両手を前に突き出して話を止めた。訳の分からない内に事態が二転三転し、なぜか賞賛されていると感じたからだ。
「お前たちは何の話をしているんだ?」
「えっ……?」
この時になって答え合わせが始められた。明るみになる真実を知るなり、ケンシニーは呆れ顔を、クロウは真っ青な顔のまま卒倒した。看病から漏れ出た言葉を指令と勘違いし、国の命運を決めていたのだから、気絶してしまうのも無理はない。
そんな危うい道を歩んだエイデンたちだったが、蓋を開けてみれば、最上の選択をしたのだと分かる。全く損害を出す事なく、人族の脅威を魔界に知らしめる事が出来たのだから。
しかし、エイデンにとって割とどうでも良い話だった。ニコラが今日という日を元気に過ごしてさえくれれば、後は大体で良い。それがゆえに、泡を吹いて痙攣するクロウに同情はしつつも、ついに危機感までは抱く事は無かった。




