第60話 幹部はいずこに
城の回廊を歩く最中、エイデンは思案にくれた。先程、クロウとの話し合いで持ち寄られた議題について、考えを巡らせているのである。ちなみに叱責や指摘の類いではない。軍制について触れるものだった。
──指揮官候補を探せ、か。そんな容易く見つかるだろうか。
シャヨーカの地を手中にしてより、統治は順調に進められているのだが、問題が新たに発覚した。国土防衛についてである。
防御線も領土に応じて伸びてしまい、現在の兵力では心許ないのだ。特に士官の不足が致命的で、忠義者グレイブによる超人的な働きに依存しているという現状だ。破綻を迎える前に人員補充を急がねばならなかった。
──ルーベウスなどは不向きだな。あやつらは上に立てるような気質ではない。となると、他に誰が……?
もし心当たりが無ければ、魔界より募集をかけるという。当然それなりの金が必要で、その時は腹を括ろうと決めていた。懐事情よりも優先すべきことは多くあるのだ。
「ふぅ、ただいま」
「おとさんおかえりー!」
「おかえりなさいませ、お父様」
床に紙束を広げた2人がエイデンを出迎える。今日も今日とてお絵描きに夢中であるらしく、キャンパス枠に囚われない、自由な線があちこちに躍り狂う。ニコラには画家の気質があるかもしれないと、思わず心を綻ばせた。
「おとさんも、かく! かーく!」
「私か。あまり絵心はないのだがなぁ」
渋る気持ちを隠さずに紙と向かい合う丁度その時、ドアが鳴らされる。来客の合図だ。
「構わん。入れ」
「ただいま! ようやく魔界から帰ってきたべよぉーー!」
騒々しい声で入室したのはナテュルだ。久しぶりの再会に、娘たちも立ち上がって出迎えた。
「随分と長く空けていたな。揉めたのか?」
「もう……父様ってば面倒臭かったべぇ。なかなか首を縦に振らねぇんだよ」
ナテュルは実父の女遊びを止めさせるために帰省していた。500人を数えると豪語する妾を、現実的な数にまで減らそうとしたのだ。だが父リガイヤは、娘の主張を前にしても頑強なる抵抗を示した。アレは嫌だコレはダメと、年甲斐もなくワガママに徹したのだ。
娘としてはそれだけでも腹が立つのに、更に憤激したのは、ナテュルの母が露にした態度だ。彼女にしてみれば慣れたもので、諦念の人となって久しい。多少お茶を濁してカタを付けようとする両親を、激怒したナテュルが阻止。それから妾を半数まで減らすのに、長い時を要したのである。
「私が口を挟むことでは無いが、ともかくご苦労だった」
「まったくもう。父様には呆れたべよ。そんだけの女を囲んでどうするつもりだっぺ」
「世の中には多様な価値観がある。そのような男も居るのだろう」
「まぁ、一途過ぎても、色々と大変だと思うけどなぁーー」
ここでナテュルがチラリと熱い視線を送る。しかし不発。エイデンには微塵も響いたようではなく、会話の区切りとして扱われてしまった。
「ところでナテュルよ、ひとつ聞きたい」
「え、はい。なんだべか?」
「お前は魔王種であるのは間違いないな?」
「そりゃもう。書面だってあんべ」
「ならばだ、ちょっと軍隊を指揮してみないか? 素質は申し分ないと思うのだが」
エイデン、無茶を振る。答えるよりもまず、ナテュルの両手と顔が激しく横に振られたのも当然の結果だった。
「いやいやいや、オラには無理だっぺ。戦の事なんかカラっきしだし、槍の握り方も知らねぇだよ」
「そうか。鍛えれば大分モノになると思うのだが」
「そういうの向いてねぇんだなぁ。血が苦手なんだわ」
「残念だが、無理強いはするまい」
当てが外れてしまい、エイデンは視線を虚空に向け、再び思案に暮れた。しかし話の終わりを迎えたのは彼だけである。
「エイデン様。オラも1個だけ聞いても良いけ?」
「気遣いはいらん。何だ?」
「メイちゃん、どうしちゃったんだべ?」
その言葉でエイデンはメイに視線を向けた。特別な気がかりのないまま、ただ反射的に。
髪はひとつ縛りにして丁寧に整え、顔に汚れも無く、血色も良好だ。肩は膨大な筋肉が織り成す怒り肩。ローブの袖から出る腕も武骨であり、逞しいシワが訓練の証として刻み込まれている。足もふくらはぎも見る限りでは上等なコブができており、確かな脚力を約束するようである。
あどけない顔を除けば、総じて猛者。あらゆる戦場にて活躍すること請け合いの容貌であった。
「ナテュル様、私の肉体改造に問題があるようならご教授いただけますか?」
「えっと。オラ目線では根っこから間違ってるように見えるんだけんどもよ」
「お父様。メイは不出来な娘でしょうか?」
「そんな事はない。むしろ順調に強くなっていると思う」
「ありがとうございます! その言葉を励みに……」
「2人とも落ち着くべよぉ! 子供が首から下ムッキムキにしちまって、どこ目指してんだべか!?」
ナテュルの言葉に、エイデンはふと不思議に思う。言われてみれば正論で、復讐が完了したのを機に、強さを求める理由は消滅したはずなのだ。それがなぜ、という疑問を抱くのも当然である。
「メイ、以前も聞いたかもしれんが、何ゆえ強くなろうとする?」
人材不足に悩まされる王としては期待せざるを得ない。考えてみれば、メイは士官として申し分ない程の力量を有している。軍学もグレイブ直々に手解きを受けており、素人の域を脱していた。
腕っぷしについては言うに及ばず。相当に強い。気質も潔癖な嫌いはあるが、高潔で品行方正である。
気がかりは幼すぎるという事だ。しかし裏を返せば、懸念点はそれだけである。返答次第ではグレイブの右腕に抜擢しても良いと、ニコラとは違う意味合いで親バカな高揚感を抱くのだった。
「私が強くなりたいと思う気持ち。それは復讐を経て変わりました」
「別の目的があるというのだな」
「はい。今は、ニコラちゃんを守りたいと考えています」
「護衛なら、マキーニャだけで十分だと思うが」
エイデンの言葉に当人が反応を示した。腕捲りをし、力こぶを作り、口だけで笑ってみせる。任せておけと言外に告げたのだ。傍目からは細腕にしか見えないが、殺戮兵器級の強さを誇ることは周知の事実だ。
「警備に不安があるのではありません。私自らの手でニコラちゃんを守りたい。そう願うようになったのです」
「ほぉぉ、良いべ良いべ。美しい姉妹愛だっぺよ」
「ニコラちゃんは大人になったら、美女になることは確実です。そうすると悪い男が寄ってくるに違いありません」
「その辺はなぁ。自慢じゃねぇけど、オラも怖い思いした経験は一度や二度じゃねぇべや」
「守りたいと言うが、具体的にはどうするのだ?」
「不埒者が寄ってきたら、まずは首をポロンさせます。胸を裂いて心の臓を抜き取り、腸を引きずり出します。そうまでしてようやく平穏が保てるかなと」
「ちょいちょいちょい! いくら何でも物騒すぎんべよ。過剰防衛って言葉知ってるけ?」
ナテュルが同意を求めるようにエイデンを見た。しかし、叡知の王とも呼ばれる男は、感動に肩を震わせていたのだ。瞳も僅かに潤んでおり、胸に相当響いた事は明らかだった。
「素晴らしい! メイよ、そなたの想いは本物だ! 今後もニコラを守ってやってくれ!」
「えっ、何で? どの辺に感激してんだべ!?」
「ありがとうございます! ご期待に応えられるよう、これからも頑張ります!」
「メイちゃんも! もうちっとマイルド路線に変更しねぇべか!?」
ナテュルの悲痛な叫びが室内を素通りした。エイデンとメイは和やかな笑い声をあげた。吊られてニコラもお絵描きをやめ、真似して笑い出す。
父娘が織り成す穏やかなるひととき。ナテュルは蚊帳の外、というか、全く同調が出来ずに遠巻きとなった。そして、内心で激しく吠えるのだ。
──やばい、この家族。どっかで矯正しねぇと、世界がとんでもねぇ事になんべよ!
不安視を余所に笑い声は止まらない。やがて諦めたナテュルは、無言のままで退室した。彼女は彼女で考えるべき事は多いのだ。
後日、エイデンはメイを正式にニコラ親衛隊に任じた。当然士官の話は取り止めである。軍隊を預かりつつ護衛など、現実的でないからだ。なので必要人員は、募集にて埋める事が決まった。近々魔界ではエイデンによる広告が散見されるようになる。
部隊指揮の経験者優遇、アットホームな職場環境です──という見出しにて。




