第57話 励むタピオ夫妻
エイデン城下町の片隅で、一軒だけが灯りを溢していた。タピオ夫婦が経営する軽食屋である。夜更けでも仕事場から離れないのは、エイデンによる「粋な計らい」によって希少果物を大量に確保できたからでも、それの保存に城内の魔法式冷凍庫を間借りする対応の為でもない。国王直々に新デザートの開発を命じられたからだ。
「エヒィ、ケヒッケヒィ」
タピオは独り、薄明かりの中で奇声を発した。利き手に握られる刃物が、その声を浴びせられる事で一層の怪しさを纏う。
「あなた、気を確かに!」
その背に飛びついたのは妻クラリーネだ。果実の搬送を終えるなり店に戻ってみれば、夫が一線を越えていたのである。彼女の胸中がどれ程乱されたかは想像するに難く無い。
暗がりの中、タピオの顔がゆるり、ゆるりと振り返る。そうしてクラリーネと視線が重なる頃、彼は自我を取り戻したらしい。瞳には正気と思しき光がありありと宿っている。
「ああ、クラリィか。おかえり」
「おかえり、じゃないわよ! 今のは何? ビックリさせないでよね」
「いやな、ちょっと虫の気持ちになりきろうと思って」
「虫? 今のが?」
「ドゥリアニスを好んで食べるヤツがいるのさ。それに成りきれば、何か閃くかなって」
まな板には果肉が山積みとなっており、様々な切り方や活用法が試されている。おおよそいつもと変わらない光景なのだが、今回ばかりは臭いが強烈で、クラリーネはつい顔をしかめてしまった。
「ドゥリアニスを好む虫って、確かあれよね。トゲアリタマナシコロコロ」
「違う違う。混同しがちだけど、トゲナシタマアリコロコロだよ」
「何言ってんのよ。あなたこそ記憶違いじゃないの? トゲアリタマナシコロコロだってば」
「いやいやいや。トゲナシタマアリコロコロで間違いないってば。ウチの爺さんが生前、毎日のように言ってたし」
「だったらアタシのお婆ちゃんも凄いからね、遺言書にトゲアリタマナシ……」
「適当な事言うなよ!」
「アナタだってそうでしょ!」
互いの意地が呼吸に乗ってぶつかり合う。しかし不毛な争いである。一足先に冷静さを取り戻したタピオは振り向き、背中越しに語った。
「ともかくもう遅い。君は寝てなよ」
「アナタはどうすんの」
「まだ作業を続けるよ。今度の『招魂の儀』に間に合わせなきゃならないからね」
「招魂の儀って、あと3日も無いじゃない」
「だからおちおち寝てらんないんだ。ちょっとでも開発を進めておきたい……」
独りで調理台の前に立つタピオの背中に、確かな暖かな温もりが伝わってきた。そして頭には、握り拳に人差し指だけ突き出した、ツノを模したような手が添えられる。クラリーネが背中越しに両腕を伸ばしているのだ。
「クラリィ。これは?」
「例の虫に成りきるんでしょ? だったら、ツノが無きゃ始まらないじゃない」
「……君ってやつは!」
「ホラホラ、感激してる暇は無いわよ。鳴き声はどうだっけ」
「エヒィ、ケヒッケヒィ」
「そうよ。その調子」
その日は深夜になっても灯りは消えなかった。耳を澄ましたなら、2つの寄声が重なるのが聞こえたとか、どうとか。
翌々日。期日を迎えたタピオたちは、覚束ない足取りで登城した。エイデンに謁見を求め、すぐにそれは叶ったのだが、王は開口一番にこう言ったのだ。
「大丈夫か2人とも。病を患ってはいないだろうな?」
そのような心配が向けられるのも致し方無し。2人の両目は痛々しい程に血走り、瞳孔も開き気味である。唇は乾ききり、頬も随分とやつれていた。これで健康体と自称するのは無理筋なのだが、夫妻はすこぶる好調であった。
「ご心配なさらず。むしろ清々しいというか、いつもより研ぎ澄まされておりますので」
「そ、そうか。私の依頼が負担だったらしいな。しばらくはゆっくりと休むように」
「ご厚情痛み入ります。ですが、ともかく新作をご笑味いただいてからに」
「うむ。その声からして上首尾なのだろう?」
「まさしく。今作も前回に負けず劣らず、自信があります!」
その言葉を受けたクラリーネが小さなワゴンを押し、御前で覆い布を取り払った。そこには硝子製のグラスに盛り付けられた、華やかなデザートが所狭しと並べられている。
縦長の容器を幾層にも渡って埋めるものは次の通りだ。最下層はサイコロ状のパンで、こんがりと焼き目がつけられている。その上に生クリームを敷き、パインとマンゴーのミックスジュレを挟み、さらに生クリームを乗せる。最上段にはシャーベット状にしたドゥリアニスでこんもりとした山を築き、縁に薄切りのドラゴンフルーツを添えて完成だ。
この料理、見栄えは抜群であったのだが、室内の空気を臭気で曇らせてしまう。
「タピオよ、これは一体どうしたことか」
「はい。臭みを取る為に工夫を凝らし、凍らせる事で随分と軽減されました」
「この状態でも相当なものだが……」
「確かに慣れぬうちは閉口するでしょうが、一口食べたならもう、誰もが虜となること請け合いです!」
「そうまで言うのなら」
エイデンは観念したように容器を手に持った。スプーンにひとさじ掬い、眉間にシワを集めつつ、口に放り込んだ。緊張の一瞬だ。タピオに絶賛される確信があっても、この瞬間だけは手に汗を握らされてしまう。
「これは……!?」
2口、3口と矢継ぎ早に食べ進められていく。こうなれば最早勝ち戦である。タピオは込み上げる激情を胸に隠しつつ、極力平たい声で述べた。
「いかがにございますか?」
「甘い、強烈に甘いのだが、どこまでも濃厚だ。まるで舌先に刻み込まれるかのような味わいだ。臭いも食べたなら気にならない」
「お気に召していただけましたでしょうか」
「もちろんだとも。お前たちも食べてみると良い」
エイデンは周りの者たちを促したが、反応は鈍かった。最初に手を伸ばしたのは向上心の化身メイ。恐る恐る口をつけてみると、それからは取り憑かれたように頬張り続けた。その頃になってようやく、他の者たちも手に取り始める。
「タピオよ、よくやってくれた。感謝するぞ」
「ありがたき幸せ! これまでの苦労が報われる思いです」
「ところで、銘は決まっているのか?」
「そちらはまだ何も。前回と同じく、エイデン様より賜れたならと」
「ふむ。名付けか……」
そこでエイデンは押し黙り、歓喜に満ち溢れる周囲に目を向けた。
「メイちゃん。もう一口ちょうだい」
「ダメよニコラちゃん。これは冷たいから、たくさん食べるとお腹痛くなっちゃうわよ」
「はへぇぇ。そうなんだー」
娘たちの好評に目を細めると、今度は違う方を見た。
「うまっ。なにこれ。真ん中のジュレも酸味が効いてて美味しいじゃない!」
「豚足さん。あまり多く食べると、余分な肉が付いて大変なことになりますよ」
「あっそう、どうでも良いわよ。見せる相手なんか居ないし」
その辺りまで聞いて、エイデンは再び正面を向いた。そして瞳をつぶる事しばし。長考したのちに、彼の口は静かに開かれた。
「アソート。パフェ・アソートというのはどうだろう」
耳にした瞬間、タピオは全身に突風を食らったかのような衝撃を覚えた。言葉の意味は全く分からない。それでも、耳が、心が素晴らしいと叫んで震えるのだ。
「……何か所縁や語源などがあるのでしょうか?」
「一切無い。皆の会話から閃いたのだが、気に入ってもらえたか?」
「もちろんにございます。まるで砂漠で水辺を見つけた時のような、無上の喜びが込み上げて参ります!」
「ならば良い。明日の昼にでも2人分用意してくれ。レイアにも食べさせてやりたい」
「承りました。必ずや最高品質のものをお届けにあがります!」
評価は上々。タピオ夫妻は疲れた体を引きずって、しかし意気揚々と帰宅。そして盛大なハイタッチの後、折り重なるようにして眠りについた。
久しぶりの安らかな休息である。今ばかりは全てを忘れて眠りを貪りたい。だが、服に染み付いたドゥリアニスの臭いが、あろうことか夢の世界まで追いかけてきた。そんな彼らが見たのは、延々と調理を強要される光景。目覚めも随分と悪く、体はともかく脳の疲労までは癒やしきれない。
タピオ夫妻の挑戦は大絶賛を受けたのだが、その代償も安くはなかった。しばらくの間は、彼らの日常の至る所でドゥリアニスが顔を覗かせる事になるのである。




