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魔王様は育児中につき  作者: おもちさん
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第54話 天秤に揺れる夢

 エイデンは玉座にて文武官の双方より報告を聞いた。内容は分けて考えるまでもない。おおよそ似偏ったものである。


「つまりは、にべもなく追い返された、と」


「ハッ。完勝とも言える戦果を収めましたが、反応は冷ややかなものでした」


 予定が狂うにしても、反発によるものとは想定していなかった。指導者層と領民とで、認識が大きくかけ離れていたという事だ。


 グレイブの言葉にクロウが唸る。彼も街に部下を派遣していたのだが、やはり門は閉ざされ、問答無用とばかりに追い返されたのだ。拒絶の激しさに、改めて異種族統治の難しさを思い知らされる。


「クロウよ。どこかで誤解が生じてはいないか? 新法の通知が遅れているだとか」


「そちらは滞りなく。税率1割、4日に1日の休暇保証など、余すことなく公布済みです」


「では、なぜ我らを拒む。人族の法より遥かに緩やかであるはずだ」


「話がうますぎると、疑念を持たれてしまった模様です」


 クロウは懐から水晶を取りだし、窓から差し込む日光を浴びせた。多面体の内部で集約された光は筋を為す。それが石壁に当たると、遠くの光景を如実に映し出した。いつぞや導入した使い魔通信である。その技術革新は凄まじく、映像はよりクリアに、そして会話や物音も明瞭に拾えるほどにまで進歩していた。


ーーおい、広場の告知を見たか?


ーーもちろんだ。税がどうのってヤツだろ。


ーーもしもの話だけどさ、それが本当だったら、オレ達はめちゃくちゃ楽になるんじゃ……。


ーーバカかお前。あんなもん嘘ッぱちに決まってんだろうが。


ーー嘘って、何の為に?


ーーオレ達を油断させる為だ。気を許したらお終いよ。夜な夜な人間をかっさらい、生きたまま丸飲みにされちまうんだ。


ーーこぇぇ! 魔族こぇぇ!


 クロウは短い嘆息の後に水晶を戻した。室内は脱力と失笑をないまぜにしたような、居心地の悪いものとなっている。


「これがニンゲンどもの反応です。街の要所から情報を集めましたが、いずれも大同小異でした」


「どうしたことか。使者たちの口上とは温度差が有りすぎる」


「彼らはあくまでも顔役やら、将軍などの有力者であり、絶対的権力を持ちません。そのため命令系統に狂いが生じ、下々の者にまで混乱しているのでしょう」


「領主でなくば沈静化できぬ、という事か。あやつは今何を?」


「逃げられました。何者かの手によって(はりつけ)から脱し、行方知れずとなっております」


「では、顔役とやらの活躍に期待を……」


「そちらも絶望的です。各々の屋敷に軟禁されてしまったらしく、一切の動きを見せません」


 エイデンが腕組みをし、低く唸る。それを真似したニコラが膝の上で、父に寄せた声を吐き出した。一時だけホンワカとした空気が漂う。それを意に介さず打ち破ったのは、忠実なる家臣のグレイブだ。


「魔王陛下に具申いたします!」


 声が普段よりも高い。腹に据えかねるものがあるのは明らかだった。


「シャヨーカ統治を為すには恐怖以外にありませぬ。監視や密告を奨励し、厳罰で心身を縛り付け、反逆者には死を与える。そこまでしてようやく、ニンゲンを支配できるというものです」


「魔王様、我ら参謀部も同意見です。情けをかけず武力にて制圧致しましょう。有史以来、延々と争い続けた人魔の溝はあまりにも深く、一朝夕で片付く筈もありますまい」


「左様。甘い顔をすれば、必ずや付け上がります。それはやがて反意に結び付きましょう」


「統治が難しくなれば、あとは根絶やしにする他ありません。どうかご決断を」


 重臣達の言葉が重たく響く。それを受けて、エイデンはおもむろにニコラを抱き上げると、窓際まで歩を進めた。眼下には、今日の仕事に励む人々の姿が遠目に見えた。


「お前達は、この戦争の目的を何と心得る?」


 王の下問にいち早く答えたのは、覇気漲るグレイブであった。


「無論、魔族の悲願である地上の征服にございます」


「なぜ征服する必要がある。魔界だけでも、人々が生きるに十分な実りはあるのだ」


「父祖が受けた恥をそそぐ為でございます」


「クロウよ、そなたはどう考える?」


「人と魔は相容れぬ存在です。よって、人族の力を極限まで削ぐ必要があります。領土や人口、金などの国力と成りうるものを。そうしなければ、争いの火種は燃えるがままで、いつまでもくすぶり続ける事でしょう」


「そうか。いずれも私の意見とは違うな」


 エイデンは窓から2人の方へ顔を向けた。鋭い視線に怒気は無くとも、揺るがない何かを感じさせた。


「この戦争の目的とは、終わりの見えぬいさかいに終止符を打つ事、と考えている」


 エイデンの位置からは、2人が息を飲むのがよく見えた。今の言葉も寝耳に水であったに違いない。


「何千年と続けてきた戦争を、我らの代で終わらせると?」


「子を持つようになって痛感したことがある。誰しも、愛する者を失いたくはない。そこに種族の壁は無く、ニンゲンも同じはずだ」


「恐らくはその通りかと存じます」


「ならばだ。本心では戦いたくはないのだ。戦を求める理由はそれぞれだろうが、突き詰めれば、皆が終戦を望んでいるはずだ」


 戦争とは落とし所の突っつき合いである。戦後にどのような体制で支配し、どちらが賠償するかといった差異はあっても、帰結する点はいつも同じだ。命がけで示した勝敗ですら、布石のひとつでしかない。


「グレイブ。先祖の恥がと言っていたな。その理屈でいえば、お前も先日の戦で同等以上の恨みを買った事になる」


「それは戦場の常でございましょう」


「以後、その恨みを口外する事を禁ずる。言葉に出すうちは、真の和平など成り立たぬと思え」


「ご下命とあらば」


 グレイブが機敏な仕草で拝礼した。心服から出た返答ではないように見える。


「クロウよ。目先の事に囚われるな。お前の統治法は百年先すら見えておらん」


「その自覚はあります。効率のみを考え、他は度外視していると」


「戦を終わらせるには、次の事に留意するのだ。人族魔族ともに虐げず、暮らしを豊かにし、隔てを無くす。それが三世代も続けば、争う理由は自ずと消滅するだろう」


「民を豊かにする意義とは?」


「腹を空かせれば奪おうとまで考えるが、今日明日の生活が保証されていれば、滅多な事は考えない。少なくとも、理知的な思考を保ったままでいられる」


「一応は理にかなっていると、思えますが……」


 クロウが歯切れ悪く同意する。何かを口に出すのをはばかっているらしい。エイデンはゆっくりと頷き、次を促した。


「元老院の意向とは明らかに異なります。それを承知の上で仰るのですか?」


 魔界上層部が求めるものは多岐にわたるが、とにかく巨万の富が最優先課題であった。地上の金銀財宝をことごとく奪い、全ての人族を隷属化させる。それが叶わねば皆殺しにせよという、実に苛烈な命が下されているのだ。


 いかにエイデンが領有権を握り、思う通りの経営をしようとも、本国からは相応の財を要求される。税率1割では到底まかなえない額面のものを。そして、いち軍閥が肩代わりしきれない程のものを、だ。


 つまり、この猛き王が口にしてるのは、反逆の意思そのものであった。その気配を察知した参謀は、意図を明らかにしようと問いかけたのだ。


「私はな、この歳になって夢を抱いたのだ。暴れるしか能の無かった半生だが、柄にもなく、そしておぼろ気ながらも描いてしまった」


「詳しくお聞かせくださいますか」


「永遠に崩れぬ平和を実現したい。人魔の区別無く、喜べば手を取り合い、悲しめば肩を抱いて慰める。兵器開発などに金をかけず、文明文化を高めていく。そんな泰平の世を築きたいのだ」


「それは、なんという……」


「不可能か?」


「絵空事としか思えません。つい先日まで殺し合いを続けた間柄です」


「そうだ。だが、叶えたい。ニコラが成人する頃には、血みどろの戦を終わらせてしまいたいのだ」


 クロウは静かに居住まいを正した。そして、深々と拝礼を捧げるなり、低い声を出した。


「それ程にまで求められるのであれば、お覚悟はできておりましょうな?」


「元老院と決別する事になろうとも、いや、確実に戦う事になるが、曲げる気は無い」


「ならば、とやかく申しません。我ら烏族は今後も変わらず王をたすけるでしょう」


「グレイブ」


「まだ気持ちの整理がついておりません。しかし、魔王陛下に捧げた忠義の剣が曇る事は、未来永劫あり得ません」


「そうか。話せて良かったと思う」


 エイデンは珍しくも、白い歯を見せて笑った。自然とクロウたちの瞳が細められる。眩しすぎる太陽を直視するのにも似て。


「では、そのような腹積もりで居よ。私が宣言するまでは、決して気取られぬようにな」


「承知しました。このグレイブ、たとえ八つ裂きにされようとも口を割りませぬ」


「引き続き、元老院への対応はお任せあれ。のらりくらりと煙に巻いてみせましょう」


「頼むぞクロウ。それからシャヨーカに使いを出せ。住民への説得を試みようと思う」


「期日をいつ頃に?」


「早い方が良い。可能であれば明日には」


「急ぎ整えます。見込みが判明次第、またご報告にあがります」


 一礼した2人が足早に退室していった。広々とした謁見の間に、エイデン親子だけが取り残された形である。


 すると、手隙と見たニコラが、父の袖を引いた。


「おとさん。あそぼ」


 痺れを切らした形である。いや、2歳児にしては、驚くべき程の忍耐を示したものだ。


「遊びたい、か。これからもう一仕事やりたいのだが」


「ダメ、ないない。おしごと、ないない!」


「わかった、わかった」


 できるならば、シャヨーカの地勢やら国力を把握しておきたかった。参謀部が簡素ながらも報告を寄越してくれたのである。


 しかし、娘の世話も引けを取らないほど大切だ。ニコラの幸せを犠牲にした未来など、如何なるものであっても無価値に等しい。その認識は今もなお変わってはいない。


 それでもエイデンの抱いた夢は、小さな前進を始めた。娘と暮らす日々を秤にかけながら。



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